イルカ38景
33:手
手の…感触が、まだはっきりと残っていた。 頬に、顎に、髪に。 それと唇。
イルカは接吻けられて喘ぐ夢を見た。
---接吻け?
柔らかく弾力のあるモノが自分の唇を覆い、吸い、舐めていく。 男イルカ25歳独身、立派な成人男子である。 ソッチに縁の無い生活をしているとは言え、全く興味が無いかと言えば勿論ありありだ。 健全な成人男子なんだぞ。 自分の右手ではあったけれども、ヤルことはヤッていた。 最近カカチの所為で自由にできなくて少々溜まり気味だったことは確かだが、だからっていきなりこんな夢…。 ぬぉぉーーッ 俺ってヤツァーッ と身悶えてみても夢の中。 意のままになってはくれない。
「あ、ん、やぁ」
---ぬ…わんだっ この声は!
俺の声か!と耳を疑うが夢の中でする声は間違えようも無く自分の声だった。 甘えた響きのある、色の篭った喘ぎ声だ。 嬌声だ! うぅわッ これ絶対俺じゃないよ、いや声は確かに俺んだけど俺じゃないよ有り得ないよ、だって、だって!
「あ、うん、ううんッ」
焦れば焦るほど息苦しくなって、イルカは首を振ってその唇から逃れようとした。 だがその顔を、頬を、顎を、あの手が押さえて唇が追ってくる。 追いついてまた塞がれ、思うさま吸われた。 指の長い、大きな手だった。 頬に宛がわれると、イルカの顔半分が覆われるような気がした。 それにとても器用で、接吻けている間も手は顎を掴み、頬を撫で、髪を梳き、耳朶を擽る。
「いや…だ、いや、うん」
---そうだっ 拒めっ 俺!
か細いが拒否の声がやっと出た。 すぐに塞がれて後が続かなかったが、俺の意思は相手に伝わったはずだ。
「んぁっ やめっ んん」
顔を振れっ なんとか唇から逃れてはっきり「やめろ」って言うんだ、俺! ほら、でないと、でないと…
「んっ んんーっ ん…」
舌がぬるりと入ってきた。 もう抵抗できなかった。 舌が絡まり合い、唾液が混じりあう感触がした。 こんなキス、初めてだった。 女…と言ってもプロの方々しか知らないが…のするキスじゃない。 これは、相手を征服し奪い尽くそうとする雄のキスだ。 だってだってだって…
・・・
「っのわーーーーーっ!!!!」
飛び起きると朝だった。 毛布越しに股間の辺りにテントが立っているのが見え、イルカはトイレに飛び込んだ。 カカチの横でなんかできねぇッッッ! 夢精しなかっただけマシかしらん。 でも…アレで夢精しちまったら俺、俺…
「ノーーーーッッッ!!!」
便座に座ったまま両手で顔を押さえて懊悩する。 だって、だってだってだって、相手、”男”だったんだもん! 覆い被さり接吻ける相手の股間のモノが、物凄くりっぱに育っていてイルカの下腹に当たり、物凄く恐かったのを覚えている。
「こえぇーーッ むちゃくちゃ恐えーーーッ」
ああ、俺どうしたらいいんだ、あんな夢! オーノーッ 男に生まれて25年、男をその対象に意識したことさえなかった25年。 もちろん夢でだって相手が男なんてケースは見たことない。 でも、夢って本人の願望の現われだったりなかったりしたっけ? オーノーーッ! 俺ってもしかしてあんなことされたいって思ってるのか?!ノーーッ! ノーノーノーーッ!
「………た…ただの、夢だ…」
考えない、考えないよ、俺。 ただの夢じゃないか。 忘れるんだ、俺。 ほらっ さっさと頭切り替えて朝の仕度仕度! 頭を抱えていた両手で頬をパンパン叩き、イルカはトイレを出た。 「納豆、納豆」と念仏のように朝の定番メニュを唱え、台所に向かい、味噌汁を作り、でもいつもどおりカカチを起こしに行く時どうしてか緊張を覚えたのは何故なのか。
---考えないよ、俺!
現実逃避癖がついたイルカ25歳、新たな展開に戸惑う男。 だがその変化は、本人の内的変化に止まらなかったのでさぁたいへん!なのである。
・・・
「おい」
その日の受付けは暇だった。 混んでいなかった。 イルカはアカデミーの同僚で悪友の中忍仲間と並んで仕事をしていたが、殆どの時間は待つ時間だった。
「おい、おいってばイルカ」
「…は、え?」
「え?じゃねぇよ」
ぼーっとしているつもりは無かった。 手はちゃんと動かしていたし、書類も間違えなく処理していた。 ただ、なまじ隙間の時間があったため、ともすると頬や顎や首筋にあの手の感触が蘇ってきて、集中できていなかった。
「オマエ、なんかおかしいぞ。 どっか体の調子でも悪いのか?」
「いや、大丈夫だけど」
「でも、なんかいつもと違うぞ」
「う…うん、ちょっと最近よく眠れなくて」
「心配事か何かか?」
「いや、ただちょっと夢実が悪いんだ、最近」
「夢見?」
眉を寄せ、訝しいと表情に出したこの友は、イルカの寝つきの良さや寝相の悪さをよく知っていた。 ついでに言うなら、ここ最近の、”見えないお友達”と話すイルカを心配していた一人でもあった。
「ちょっと休んで来いよ」
「とんでもない、いいよ、大丈夫だから」
「いいから」
言うなりイルカの腕を掴んで立ち上がる。
「い、いいってっ 空いてるってったって全然居ない訳じゃないんだし」
「だから余計なんだよ」
「え?」
「そんな顔して座ってられるとコッチが迷惑だって言ってんの!」
「そんな顔って…」
「いいから!」
悪友は有無を言わさずイルカを引き摺り、隣の控え室に入るなりドアを閉めてイルカに向き直る。
「いいか、イルカ。 何があったか知らんが、任務帰りの上忍達の前でそんな顔晒すなっ どういうつもりだ」
「どういうって、俺、どんな顔してる?」
「ああ! ほらほら、またそんな…! オマエがそんなだから、さっきから報告受付けが済んだ上忍達が帰らないで溜まってきてるの気付かなかったのか?」
「いや…そう言えば…でも、そんなのいつもの事じゃないか?」
「いつもの雰囲気と違うんだよ! 皆ギラギラして牽制しあってる。 オマエ、狼の群の前の子羊同然だったんだぞ」
「子羊って…! 俺、そんな誘ってるような顔してたか?」
「違う、全然その逆だ。 怯えてすぐにも逃げるぞってな顔だ。 でもな、相手は上忍連中なんだぞ? 余計に狩猟本能に火を点けるんだよっ 煽るんだよっ いつものドンと来いなイルカはどうしたんだ? いったい何があったんだ?」
「俺…俺…、ここ何日か変な夢ばっかり見て…、よく眠れてなくて…それで…」
「…判った。 話は後で聞く。 今はここで休んでろ。 混んできたら呼ぶから。」
「う、うん」
「いいか、それまでに気持ち入れ替えとけよ! そんな顔のままだったらもう呼ばないぞ」
「判った」
「なんて情けない顔してんだよ! ほれっ しっかり!」
最後に肩をバシッと叩かれ、出て行く悪友の背を見送った。 部屋に一人になると、彼に言われた事や今日の自分の態度がまたぞろ脳裏に襲い掛かり、ソファによろよろと座り込んで両手で顔を覆い溜息を吐く。
「俺…」
そんな酷い顔してたんだろうか。 でもそうかもしれない。 あの夢を毎晩見るのだ。 眠っているのに眠れていない。 起きるとぐったりするほど疲れている。 夢は段々エスカレートしていた。
初めキスだけだったあの夢は、日を重ねるごとに大胆になってきた。 唇の当たる範囲が徐々に徐々に広がっていく。 唇だけだったのが顔全体になり、首筋を這うようになり、今では胸元や鎖骨の辺りをしつこく吸われ、昨夜は乳首を…男の乳首だぞ、ちくしょうっ… 両方の乳首を交互に舐られ指で捏ねられて、腰にまで抜ける疼きに耐えられなくなり声を上げて喘いだ。 一晩中だ。 そんな夢を一晩中見続け…いや、本当はほんの数分なのかもしれないが、とにかく目を覚ますと朝で、現実に一晩中嬲られていたかのごとく、体は疲弊していた。 自分でも絶対おかしいと思ったが、内容が内容なだけに誰かに相談するのも憚られ、一人悶々としていたのだが…。
---結局みんなに心配かけてたってわけか…
アイツに相談してみよう。 話すだけでも違うかもしれない。 そう思い決めて、イルカはふっと一つ溜息を吐き、自分の手を見つめた。 昨夜、乳首への刺激に耐えかねてやっと重い腕を動かし相手の肩を押した。 するとあの手がイルカのその手を掴んで頭上まで引き上げ、掌に掌を合わせ、指に指を絡め、そっと押さえつけてきた。 そうしてぎゅっと握られながら、これでもかという程しつこく接吻けを施され、やがてまたイルカの全身から力が抜けると、その唇はイルカの乳首へ帰っていった。 もう肩を押して抗うことはできなかった。 ただその肩に縋って喘いだ。 股間では、お互いの熱く猛ったモノ同士が擦れ合い、イルカはそのまま登り詰めさせられた。 目を覚ました時、目尻から幾筋も涙が流れた跡がこびりついていて、自分が泣いて好がった事を知った。 手に、絡められた指の感触がはっきり残っていた。 今もまだ残っている。
・・・
「…そんな夢を、毎晩見るのか」
「うん」
居酒屋のカウンター席の端に陣取り、酒の力も借りてイルカは悪友に洗い浚い話していた。 一旦話し出すと、恥ずかしいとか情けないとかいう感情が押し退けられるほど勢いが付いてしまい、これは話さないでおこうと思っていた昨夜の夢まで気が付くと話していた。 もうどうしたらいいのか、自分では考えられなかった。
「それは、ただの夢じゃないんじゃないのか? 枕の下とか調べた?」
「真っ先に調べた。 何も無かった。」
「戸締りきちんとしてるか? 誰か侵入してきた形跡とか、今まで一度も無いのか?」
「無いよ。 最近は扉や窓に封じをして、寝室には結界まで張って寝てるんだ。 でも…」
「でも夢は見ると」
「うん」
「うーん… 試しに今晩は俺んとこ泊まるか?」
「う…、うーん」
「なんだ、なんか不都合でもあるのか?」
「い、いや、最近ちょっとペットを飼い出してさ。 餌やらないと。」
「ペット? 猫かなんか?」
「う、うん」
「じゃあ餌やってから来いよ」
「うん、でも…」
「イルカ」
「な、なんだよ」
「オマエの結界術が上忍並みなのを俺は知ってる。 だけどな、世の中には超上忍級のヤツだって居るには居る。 それに、それほどじゃあなくっても結界内に最初から居たら」
「!」
俯かしていた顔を上げ、目を見張って隣の友の顔を見ると、彼は真剣な顔をしてこちらを見据えていた。
「イルカ、今日はこのまま俺んとこ泊まれ。 いいな。」
「う」
「イルカ先生」
うん、と答えようとしたその時、突然背後に湧いて出たような気配と肩に掛けられた手と声に、イルカは体が硬直した。 飛び上がって叫びたい程驚いていたのに、それもできなかった。 肩に掛かった手に、感じたくないデジャヴを覚えていた。
すみません。これは続き物です。20→09→01→31→05→24→33→27→35 の順番です。
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