イルカ38景


24:部隊長




 カカチが帰らない。 夜の帳は黒より暗い。 5時はとっくに過ぎたよ。 子供はご飯の時間だよ。 頭痛がする。 風邪のひき始めなのかもしれない。 帰らない人を待つのは嫌だ。

「帰らない、帰ります、帰る、帰るとき、帰れば、帰れ」

 頭が痛い。 机の引き出しに風邪薬、あったっけ。 昨夜、長風呂しすぎて風邪ひいたんだきっと。 それとも寝不足かしらん。 アイツ、結局潜り込んできやがったから、よく眠れなかった。 端に寄って、寝返りも遠慮して、潰さないように、起こさないように。 だって寝顔がかわいかったから。

               ・・・

『おい』

 カカチ、判ってる、ほんとはオマエ、あの人なんだろ? 任務がたいへんで分身を解いたんだろ? 無理するな、無理して怪我なんかするな。 いや、怪我しててもいい。 戻っておいで。

『おいってば』

 戻っておいで

『おい、中忍! 戻ったぞ!』
「…」
『涎垂れてるぞ』
「カカチ」
『こんな所でうたた寝してると風邪ひくぞ』
「…なに偉そうに…」
『おい、いつまでボーっとしてんだ。 帰って飯に』
「おっせーよっっっっ!! このバカッ」
『お… ば… ってアンタ、俺は…俺だって…え?』
「どこほっつき歩いてたんだッ!」
『だ、だってアンタ、先帰るって…』
「心配すんだろーがよーッ」
『ご…ごめん』
「ったくよー、あー心配しすぎて禿げたよ俺は」
『寝てたくせに』
「なーにー」
『いえ、なんでもございません。 ってゆーかアンタ、俺のこと心配してたんだ?』
「うっせーッ 悪りぃかよ」
『くす』
「笑うなッ あーもー今晩これからカレーは無理! もう今日は一楽な」
『え? 俺けっこう楽しみに… ってかまた麺類?』
「文句言うな、あー腹へったー」
『ごめんて』
「ほら乗れっ さっさと行くぞ」
『うん!』

 返事は元気だったが、どこかヨレついているカカチを肩に乗せてやり、イルカはやっと家路に就くことができた。 帰り道、一楽に寄って行く予定だったのが、見るとカカチがクッテリ熟睡してしまっていたのでそのまま帰る。 怪我はどこにも無いみたいだ。 疲れてるだけみたいだ。 よかった。 よかった…。
 その夜、イルカはカカチの寝顔にいつまでも見入ってしまった。 夕方うっかりうたた寝したので、寝付けなかった所為もある。 食べてる時と寝てる時はかわいい。 後は小憎ったらしい。 けどでも、イルカの中で段々「かわいい」の比率が上がってくるのが自分でも判った。 まずいよ、コレは。 マジでまずい。 でも。

「会えて…よかった…かな」

 なぁ? と自分の胸に問いかけるイルカだった。

               ・・・

「今日はお昼寝か」

 授業から戻ってみると、カカチはイルカの机の上でくーくー寝ていた。 ホッとする。 いつもこんなならいいのに、と大の字で眠るカカチの顔を覗いていると、「イルカ先生」と職員室の入り口から声が掛かった。

「こんちわー、イルカ先生」
「おう、久しぶりだな! 元気か?」
「はい」

 何年か前に卒業した子だ。 性格が一本抜けたような所があったが、忍術に関してはずば抜けて秀でた生徒だったっけ。 そう言えば最近、受付け所に依頼受け取りや報告に来なくなったな。

「なんだ、何か用か?」
「うん、ちょっとイルカ先生の顔見に来た」
「なーに甘えてる」

 えへへーと笑って頭を掻く子の頭頂部を小突こうとしたのだが、できなかった。

「背…伸びたなー」
「へへ、そう?」
「ああ、もう俺越されちゃったな」
「そんなのもうとっくだよ!」
「そっか」

 それはなんだか寂しいな、と少しだけれど見上げる位置にある元教え子の顔を眩しく見た。 生徒は皆かわいいし愛しい。 でもこうして誰も彼もここを巣立っていってしまう。 あのナルトでさえ立派に下人になったんだから。

「そ…それでさ、イルカ先生は元気かなーって」
「おう、元気元気! オマエこそ、最近ご無沙汰だったから気にしてたんだぞ。」
「うん、俺は全然だいじょうぶ。 先輩達もみんな優しいし。 でイルカ先生、最近なんか変わったことない?」
「変わったこと?」

 やっぱりアレか…。 昨日半日ほど暗部がなにやらゴソゴソやっていたかと思ったら、アイツに監視が付いていたのか。 そりゃそうだよなー、俺に付くわきゃないもんな。

「別に無いけど、なんかアカデミーで問題でもあったのか?」
「いえ、そう言う訳じゃ…」
「もしかして、未確認生命体でも出たか?」
「え、えと、あ、あの、あのあのあの」

 うぷぷぷっ この子、こんなんで暗部やってけんのか? それとも暗部って所は忍術・体術勝負で諜報・工作はしなくていいのかな? ならこの子向きかもしれんけど…。

「で、隊長さんはよくしてくれるのか?」

 目を白黒させている元生徒がかわいそうになって、イルカは話を逸らしてあげた。 だが、どういう訳か彼はもっと慌て出した。

「そ、そりゃあもうっ すすすすっごくすっごくよくしてくれます! 昨日の任務の部隊長なんか、か、かかかっこいいし、優しいし、めめ面倒見いいし!」
「?」

 なに慌ててんだ? イルカの方が吃驚するくらいの狼狽振りに、泳ぐ元生徒の不自然な視線を追って振り返ると、カカチがいつの間にか起き上がってイルカの机の鉛筆削りの影からイジイジっとした目付きでこちらを睨んでいた。

「ぷっ」
「イ、イルカ先生ぇ〜〜(泣)」
「オマエ…、修行が足らんぞ」

 笑いながら、冷や汗ダリダリ流して固まっている彼の肩を押して職員室の外へ出る。 そして、やっとホッとした風の元生徒の耳元に口を寄せ、「オマエの隊長さんは随分ちっちゃいみたいだな」と囁き、これ以上無いというくらい青くなる彼にまた笑った。 ああ、俺ってヤツは最近ちょっと意地悪が身に付いちゃったかな。

「じゃあな、がんばれよ!」
「う、うん」

 見送る後姿がまだビクビクしていて、後で”隊長さん”に苛められなきゃいいが、とぼんやり思うイルカだった。 そう、もう既に現実逃避バリバリの小心者中忍イルカ25歳独身。 判っているのに目を逸らす。 だって、俺にとってはカカチは唯のカカチだもの…。

               ・・・

 そんな風に、イルカとカカチの日々は流れていった。 ある日はただ何事も無く昼寝するカカチの寝顔を眺めるだけの日であり、ある日は帰って来ないカカチの帰りを苛々しながらただ待つのみの日だった。 こんな風に誰かの安否を気遣う日々がまた来るなんて…。 それは、遠く記憶の彼方に薄れ掛けていた懐かしくほんわかとした日々だったが、同時に胸の奥がぎゅっと鷲掴まれるような身を削るような日々でもあった。 今となっては、お気楽だった独りの暮らしが懐かしくさえある。 が、そうかと思うと、どうして毎日俺の所へ帰ってくるんだろうと、堪らなく切ない気持ちになったりした。 これじゃあまるで、まるで…

「コイしてるみたいだ」
『鯉?』

 風呂上りのカカチがまたすっぽんぽんで出てきてイルカの前にドカリと座る。 イルカは条件反射でタオルを動かした。 細く銀色の髪をそっとそっと優しく拭いて、体も拭いて、もちろん大事な所も拭いてるんだよ俺ってば。 コイツもコイツだ。 いっくら小っさいからってさ。

『アイスー』
「ほら、零すなよ」

 またまた条件反射で冷蔵庫から幼児用の小さいアイスキャンディを取り出し渡す。 幼児用でも大き過ぎるのでポタポタと雫を零すカカチの顎とか胸元とかをまたタオルで拭きながら、いそいそと着替えを出し、剰えそれを着せ掛け、至れり尽くせりの状態だ。

---俺って尽くすタイプだったんだ…

 彼女が居た例が無かったので知らなかったよと、溜息頻りだ。

『ご飯なーにー?』
「チャーハン」
『チャーハンはよくてどうして火薬ご飯がダメなんだ?』
「どうしてって…」

 それは暗い幼児体験が為せる業で…、と説明しかかって止めた。 コイツに自分の過去を語ってどうする。

「ただ嫌いなだけだよ」
『? なんか知らんけど、なーなー、たまには火薬ご飯にしよーよー』
「却下」
『なんでだよー、いいじゃんかぁ』
「却下」
『ケチッ』
「却下」
『…もしもーし、人の話聞いてますかー』
「却下」
『むきーッ』

 カカチをからかうのは面白い。 もうコレ無しでは居られないってくらいだ。 もしカカチが居なくなったりしたら俺、大丈夫なんだろうか?
 夕飯を食べ、自分も風呂に入り、二人で何となくそれぞれのしたい事をして過ごし、適当な時間に寝る。 全然喋らなくても平気だし、一緒に居て苦にならない。 空気みたいだけど、でも居ないと寂しい。 俺、大丈夫かしらん。

「布団には入ってくるなって、何度言ったら判るんだ」
『いいじゃんかぁ、もう今更じゃんかぁ』
「俺はこれでも気ぃ使いしぃなんだ、熟睡できないんだよ」
『いんや、毎晩よっく寝てるぞ』
「オマエ、いつも俺より先に寝るじゃないか。 なんでそんなこと知ってんだ?」
『そ、それは…俺様は夜中にたまに目が覚めるんだ』
「ふーん」
『これでも俺様はデリケートにできてるんだッ ちょっとの事で目が覚めるんだよッ』
「はいはい、判ったよ」

 何も、夜中に起き出してこっそり任務に行ってるんじゃなんて言ってないのに、なに焦ってるんだ。 俺だって、そんな事まで気にしだしたら夜も眠れなくなっちまう。

「もう、しょうがねぇなぁ」

 結局カカチの侵入を許し、溜息混じりに眠りについたその夜、だがイルカは考えもしなかった展開に悩まされることになった。 淫夢を見たのである。
 




すみません。これは続き物です。20→09→01→31→05→24→33→27→35 の順番です。
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