イルカ38景
25:しっぽ
「でもねー、アンタらもよくあの罠全部外したよね。 この村の外周ずらっと仕掛けてあったのに。 20kmはあるよ?」
「そんなにあったっけ?」
「え、そんなもんでしたっけ?」
身支度を整えた二人を伴って村への道を歩きながら二人二様の感想に苦笑していると、銀髪が「んもーイルカ先生ったらかわいんだからッ」と眉尻を下げて感に堪えたような声を出し、黒髪をグワシッと抱き締めるとぶちゅーっとキスをする。 「イルカ先生」は相変わらずジタバタと暴れているが一向にその腕から脱出できないでいるのだった。 この光景にもさすがに慣れてきた。 銀髪の方はヤルことしか頭に無いイチャパラ男だが、黒髪の方も真面目は真面目そうに見えるが何だかホヤホヤしていて脳天気そうだ。 黒い髪をまるで尻尾のように登頂で一束に結い、歩くたびにピョンピョン揺れる。 いい大人が二人、こんなんで大丈夫なんかいな。 人事ながらちょっと心配である。
「やった事の償いはしてもらいたいんだけど、アンタらだいじょうぶ?」
「あの、でも俺達あんまり持ち合わせが…」
「休暇に侘しくテント背負ってくるような連中から金を取ろうとは思わんよ、さすがに。 でも体で払うって手も」
「ダメーーーッ!!! イルカ先生ぇ、逃げてぇーーーッ」
ボカッ
「すみません、俺達いくらでも働きます」
「そ、そう? アンタ、先生だったよね? じゃあ村の子供教えてもらおうかな。 そっちのアンタには罠の仕掛け直しを」
「嫌だーッ 俺はイルカ先生と一緒でなきゃ嫌だーーッ」
バキッ
「す、すみません、それで結構ですんで」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だーーッ」
ボクッ
「カ…ド、ドクタケーさん、大人気ないですよッ いい加減」
「ああ、もーいーからいーから。 二人で先生やってちょうだい。 そんで後で二人で罠も直して。 ね」
「は、はいっ」
お笑いかなんかなのかな、この人達。 もう疲れるからこんなもんでいいや、と適当に諦めてそう決めたのだが、正直余り期待はしていなかった。 だが二人は非常によくやった。
彼らは休暇の残り一週間を河畔のテントから村に毎日通ってきた。 そして”仕事”をした。 まず、さすが先生と言うべきか、子供達はとても彼らに懐いたし、何時にも増して何やら熱心に学習していた。 そしてその子供達を引き連れて罠の張り直しも済ませてしまった。 子供達に罠の張り方も教えられて一石二鳥。 文句の付けようが無い。 だから彼らの休暇の最後の日の前の晩、一言礼を言おうと彼らのテントを訪れたのだ。 彼らは湖で抱きあっていた。
・・・
青白い月明かりの中、彼らは全裸だった。 湖の岸から何歩か入った、体半分くらいが浸かる深さの所で抱き合って、接吻け合っていた。 どうして今まで気付かなかったのか。 二人とも、なんて無駄の無い、美しい体付きをしているのだろう。 昼間村に来る時などは、二人ともヨレヨレのTシャツと短パンといったスタイルなので、唯の優男だとばかり思っていた。 着痩せするタイプなのか、銀髪男の方は常より逞しく見え、逆に黒髪の方はあんなに細身だったのかと驚かされた。 ほてっとした雰囲気から、勝手にホテホテした体付きを固定観念として想像していたのかもしれない。 鍛え上げられた筋肉や、よく発達した骨格、バランスのいい肉付き、整った姿勢。 どれをとっても唯の教師に必要とされるとは到底思えず、自分は今まで彼らの何を見ていたのだろうと、少し不安になった。 彼らを村に入れる前までは、頻りに何か警鐘のようなものが心のどこかで鳴っていたのを思い出す。 いったいどこから警戒を解かれてしまったのだろう。 村を預かる者として、致命的なミスだったのではないか? 異分子を一週間も村に入れていた。 何の疑問も警戒心も持たされなかった。 何故? さざめくような不安と不審が心に一気に広がった。 いつものような、その男同士の行為に対する倫理的抵抗感も、破廉恥さに対する憤りも、煽られて欲情するようなこともなく、唯々息を呑んで見つめる。 足は一歩も動かなかった。
銀髪男が接吻けながら、黒髪の男の結い紐をハラリと解くと、更に様相は一変した。 いつも頭頂で括られた鴉の濡れ羽色の髪が解かれスルリと肩まで毛先が落ち、黒髪の男の顔に何とも言えない翳りを作る。 月明かりに照らされた部分と翳りの部分。 その陰影が織り成す効果なのか、昼間の先生ぶりからは想像もできないような妖艶さが彼を別人に見せていた。 それを見つめる銀髪男の方も、昼の彼からは想像もできないような真摯な顔付をしていた。 不真面目でチャランポランで軽薄で、全てに適当でやる気が無い感を漂わせている昼のヤツはそこには居ず、ひたすら見つめ、ひたすら耳を澄ませ、こんなにも真摯にひたむきに、こんなにも熱っぽく雄っぽく、こんなにも男の色気を溢れさせて、相手を気遣って愛していく。 男として何かとてもショックだった。 敗北感と罪悪感が湧き上がったほどだ。 そんな風に愛されていく黒髪の男のような顔を、自分は妻にさせてやっているだろうか。
彼は、いつものジタバタと抵抗する素振りの一欠けらも見せず、溢れるような色香を漂わせて銀髪の顔をじっと見つめ、首に両腕を絡ませて自分から接吻けていた。 いつも勝手に接吻けては殴られている銀髪が、その唇を急く事無く待って迎え、舌を招きいれ、終には捕らえ、深く深く侵していく。 それにさえも一心に応えていた。 健気だ。 それにどことなく初心だ。 あんなに何回も何十回も抱き合っているのに。 応えて応えて、それでも自身の意思とは裏腹に逃げを打つ体を抱き止められ、解かれた髪が揺れる頭を片手で掴まれて為す術無く存分に味わわれ、力なく相手に縋るしかなくなるまで、銀髪は彼を離さなかった。 ぷちゅっと言う水音が聞こえたかと錯覚するほど濃厚な接吻けの後、やっと口を解放された黒髪の男が、自分を抱き締める男の腕の中で力なく喘ぎ、じっとその顔を見上げて何か言葉を紡いだ。 多分男の名を呼んだのだろう。 だが、その口は3語ほど発したところでまた塞がれた。
カ、カ…?
最初の一語と次の語の口の形は変わらなかったように見えた。 ヤツの本当の名なのだ。 カカ…なんだろう。 ヤツは黒髪の方の名も本当は名乗らせたくなかったようだった。 だから「うみのイルカ」と言うのは恐らく本名なのだ。 なぜ名を隠すんだろう。
「あ、あ…ん、ふ」
垂らした髪を顔の前や首筋に散らせて、黒髪の男は銀髪の男の上で体を揺らし出した。 決して一方的ではない、抱き締め合って、接吻け合って、求め合っている様子がありありと伝わってきた。 水の浮力を利用しているのか、体を少し抱え上げられて銀髪の頭に縋るようにして、自分の体を開かれていく間、彼はずっとあえかに喘いでいた。 彼の胸元に抱きかかえられた銀髪男がその舌を使って何をやっているかは、言わずもがなだ。 腕に抱えた銀髪を抱き締めては掻き回し、或いは突き放すように背を撓らせ、身悶える度に影を散らす黒い髪。 水中ではありながらも自分とそう変わらないその男の体躯を抱え、抱き締め、銀髪男は彼を見上げて名を呼んだ。
「イルカ…」
なんという声を出すのだ。 なんという顔をするのだ。 そんなにも愛おしいか。 そんなにも欲するか。 逞しく相手を支え、逃がさぬとばかりに拘束し、更に休み無くその体を優しく解して…、あの腕はどうだ? 隆起した上腕の筋肉が月明かりに光っている。 それに何か…なんだろうアレは? 何か腕の肩辺りにマークが…
「やっ ああっ も、だ、めぇ」
パシャリと水音をたてて、銀髪は腕に抱いた彼ごと一回水に肩まで沈んだ。 黒髪の男はその首に縋り付いて泣き濡れていた。 必死にしがみつきながらもイヤイヤをするようにカブリを振り、泣いて何かを訴える彼を然も愛おしそうに下から見つめ、もう一度浮き上がってきた時には体の向きを変えていた。 もう銀髪男の背中しか見えない。
もしかして気が付いているのか?
こんなに離れているのに?
まさかな…
「やぁっ ああっ ああっ んんーっ」
思考を砕くように上がった甲高い声と共に、首に強くしがみついたまま黒髪の男が体を震わせ、そして静かになった。 果てたのだろう。 腕がずるりと外れて落ちる。
「だめだよ、イルカ、ちゃんと掴まって」
低いが響きがいい声が彼をあやす。 ほら、とすすり泣きながらも従うまで根気良く。 そしてその涙に濡れた顔にひとつキスを贈ると、またあの腕にくっきりと陰影が浮かぶほど筋肉が隆起して、ゆっくりとその縋り付く体を下ろしていく。
男の身で男に愛される…
男を愛する…
今まで、ただ倫理的嫌悪からか真面目に考えようとしなかった事柄が、染み入るようにすっと体に入ってきた気がした。 宗旨替えをするつもりは勿論なかったし、村の若い者達にも認める気は更々なかったが、なにか不思議と彼らの関係に納得がいったのだ。 一番近い言葉で表すなら、「仕方ない」、そう「仕方ない」だ。 もう出会ってしまった。 仕方ない。 愛し合うしか仕方ない、そんな感じだ。
「は、あ、んっ」
高く低く、徐々に大きく激しく、彼らは愛し合った。 揺すられて、黒髪の男の声が再び徐々に高くなり、何故か自分の胸の内もジンワリと熱くなる。 腕だけでなく背筋や側筋までが忙しなく動き、二人の体からは湯気が上がっていた。 激しい愛し方だと思った。 背を向けた銀髪男の表情は見えなかったが、貪り尽くそうとしている雄の気配だけは濃厚に伝わってくる。 ならば貪られる方はどうかと見れば、黒髪の男は自分を突き上げる男の首筋に顔を埋めるように固くしがみ付いてはいたが、ぎゅっと閉じた両の目元だけは覗いていた。 さぞや女性的かと思いきや、だが彼の気配は雄の物でも雌の物でもなく、限りなく中性的で捉えどころが無い。
ヤツも不思議な男だ
銀髪に感じる得体の知れなさとは違う気がしたが、黒髪の男も充分自分達の常識の範疇には居なかった。 村人の中により深く入り込んでいたのも、どちらかと言えば黒髪の方だったし、自分の警戒心を最初に解いてしまったのも、もしかしたら彼のあの笑顔かもしれない。
「ん、んん、あーッ」
どこか空恐ろしさを感じて、背筋を身震いが走り肩まで抜けていった。 最後に首元から顔まで震わせた時、黒髪の男が再びその背を撓らせて、甲高く達する声を上げた。 銀髪男も彼をしっかと抱き締めたまま肩を上下させて荒く息を吐いていた。 がその時、その背がほんの僅かだけ右に回り、銀髪は初めてこちらにチラと視線を投げた。
焔?
焔の印が肩に…
月明かりで一瞬だけ肩の刺青がはっきり見て取れた。 心拍が激しく上がり、顳を打つ脈が痛いほどドクドクとして、頭の中では割れるような警報音が鳴り響き、そして…
『明朝、挨拶に伺いますので』
!
な… なんだ? いまのは…!
月明かりに頭を銀に輝かせた男が、右目だけでこちらを捉えていた。 その瞬間、頭に割って入ってきたように響いた声に恐怖して、気がつくと大きく後ずさっていた。 藪を思い切り踏み付け、ザザザッと大きな音がたった。 今やこちらを捉えている目は青と黒。 抱き合ったままの二人の一つづつの目が、まるで二つで一つの顔になっているかのように顔を寄せ合って、こちらをじっと見ていた。 後退する足は止まらず、彼らが梢の影になって見えなくなるまで後ろ向きに歩き続け、気がついた時には一散に森の中を走っていた。 倒けつ転びつ掻き傷だらけになった頃、気がつけば村の自宅の前に立ち尽くしていた。 心配する家人には何も話せなかった。 どう話したらいいかも判らなかった。 ただ、ガチガチと歯の根が合わないまま寝床に潜り込み、何時の間にか寝入っていた。
翌朝、来客を告げられると同時に起こされた時には既に日の光が世界に散乱していた。 彼らは”約束”どおりやってきた。 だが二人ともいつもの”昼の顔”をしており、昨夜のアレは夢だったのではないかと思うほど一片の翳りも影も背負ってはおらず、ニコニコと村人達に別れを惜しまれて談笑していた。 大勢が彼らを取り囲んでいた。 女も子供も居た。 彼らの極近くに、守るべき村人の多くが集まって…
「おはよう」
そうだ、もう何も話せないのだ。 自分は何も見なかった。 忘れるしかない。 何気なく朝の挨拶をしながらその輪に自分も入る。 本当の危機管理を学ばなければならないと、悟った瞬間だった。
すみません。これは続き物です。28→04→36→25→22→38 の順番です。
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36:イルカ先生真面目な人だから…
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22:受付
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