イルカ38景


27:16歳




 振り向かなくても判った。 カカシ上忍の声だった。 肩に掛けられた手の、長い指や置かれた掌の感触にイルカは泣きたくなった。 受け入れられなかった。 騙まし討ちのようなこの遣り方に憤ると言うよりも、信じられない気持ちが勝った。 色々な事情があるとは言え、彼を尊敬していた。 それに、何よりカカチを失いたくなかった。 判ってはいた。 もしかしたら最初から判っていたのかもしれない。 でも、イルカにとってカカチはカカチで、カカシではなかった。 イルカが失いたくないのはあくまで”カカチ”で、どんなに真実がそこにあろうとも、”カカシ”を代わりに受け入れることなどできなかった。 イルカはそのまままた現実逃避の道を選び、思考を遮断し、耳を塞ぎ、目を閉じた。 家に帰ればカカチが腹を空かして待っている、そう思い込んだ。 ここにカカシが居ても、カカチは俺の家で待っている、きっと待っている。 早く帰らなければ…、と。


               ***


「昼間は助かりました、カカシ上忍。 でも礼は言いませんよ。」

 イルカの隣に座っている同僚と思しき中忍が、憚る事無く睨みつけてきた。

「アナタも同じ穴の狢ですものね。 いや、元凶…ですか、もしかして」
「隣、いいですか?」

 彼の挑戦的な言葉を一応笑顔で流し、先ほどからピクリとも動かないイルカに同席の同意を求めると、彼はカクカクっとした動作で手を隣の席へ促すように出した。

「どうぞ」
「どうも」

 イルカを挟んで向こうの彼は、さも不服そうに一回イルカを睨んだが、何も言わなかった。

 今日の午後、受付け所に行って愕然とした。 なんて顔してるんだ、あの人はいったい! いっそ攫って逃げちまおうか。 あ・んな状態で何時間も、任務帰りの餓えた狼のような上忍達のギラついた目に晒されていたっていうのか! 上忍ってヤツァなー、上忍ってヤツァいっつもいっつも餓えてんのよ。 いっつもいっつも何かないかって探してんのよ。 それが何か判ってればまだいい方で、大概の場合ただ餓えを持て余してるだけなのよ、判ってんのかね。 ヤツらは、どんなヘボでも”食べ頃”の獲物を見分ける目だけは持っている。 熟して木から落ちる直前の果実、腐る直前の肉。 そういう物を目聡く見つけたら飛び付かずにはいられない。 争奪戦を繰り広げるのも愉しみの内だっていうのに! 今のイルカがヤツらの目にどう映るか、もっと考えればよかった。 今朝など、朝食も上の空だったのに。 どうしてもっと気をつけなかったんだろう。 舌舐め摺りをして次々と獲物を囲んだヤツらは、コレは俺の獲物だと自己主張をしている真っ最中だった。 幸か不幸か、その数が多くて力関係が拮抗していた為に、互いに牽制しあって膠着状態に陥り、カカシが来るまで辛うじて子羊は生かされていたが、もう少し遅れていたら判らなかった。

「で、俺達になにかご用ですか」

 そうだよ、この中忍君が頑張ってくれたんだ。 ありがとーありがとー、と俺は思ってんのよ? でも彼は、まだまだ警戒を解いていないぞと顔に書いたまま、向こう側から刺々しく声を掛けてきた。 上忍全部を一緒くたにしないでくれる? そ、そりゃあ俺もついこの間まではアッチ側に居たけどさ。 でもだよ、アンタは知らんだろうけど、俺なんか今こうしてイルカの横に居るだけで、まともに顔も見れない程ドッキンドッキンしてんのよ。 アンタの声を助けにやっと横向いてイルカの横顔を伺ってんのよ情けないのよ。 だってこの人が全部の鍵を握っているのは確かなんだから…。 イルカは、青褪めてもいないが血色が良い訳でもない、紙のような顔色をしていた。 表情は相変わらず固まったままだった。

「ちょっとナルト達のことでイルカ先生にご相談が」
「今、中忍試験中じゃないですか。 一緒の任務も無いはずでは?」
「いや、いいよ、聞くよ」

 なのに、ナルトと聞いただけでこの反応。 あくまで邪魔しようとする同僚君をイルカ本人が遮り、初めてまともにこちらに目を向け言葉を返す。

「伺います。 あの子達が、どうかしましたか?」

 顔は多少強張ったままだったが、声ははっきりしていたし震えてもいなかった。 カカシは二人に判らないよう少しだけ溜息を吐いた。 上忍達の中で頼り無げに気配を揺らしていた彼はどこにも居ない。 根っからの教師なのか、それともあの子が特別なのか。 俺のこの感情は、嫉妬なのだろうか。 それは、自分自身であるはずの”カカチ”に対して最近感じる感情と酷似していた。

「実はですね…」

 口から出任せに喋りつつ考える。 なんで俺、こんな風にどうしようもないジレンマに陥ってるんだろう。 まず、その現実が信じられなくて恐い。 このジレンマを解消するには正体を明かしてイルカに許しを請うしかないって判ってる。 でもできない。 だって恐いんだもんよ! 下手したら何もかも失っちゃう。 この人の信用も、居心地のいい場所も、あの”カカチ”に対する時の見たことも無い顔も失くしちゃう。 何が何でもかわいいって、何でも許すってそんな顔だ。 それに、俺が男として欲しているものも手にする前に逃げていく。 だってこの人、真実のドアの鍵を固く掛けたままでいるだけなんだもの。 ほんとは中に何があるか知ってるんだ。

               ・・・

 最初に接吻けた時、覚醒した彼に瞳術をかけた。 彼はすぐにまた眠りに落ちた。 現と意識する間も無かっただろう。

 上忍という生き物は貪欲だ。 任務の遂行に対して、獲物に対して、力に対して、自分の生に対して…。 貪欲に求め、貪欲に我が物とする。 だから上忍に成れるし、上忍で居られる。 その貪欲さは、生まれ持った資質の場合もあれば、後天的に獲得された形質の場合もあるだろうが、どちらにせよ本人や他の個人に止められるようなレベルのものなら上忍には成れない。 本人にもどうしようもなく、上忍に成ってしまう。 と言って、世の中忍連中は信じてくれるだろうか。 彼らには俺達が全てを手にしているように見えるのかもしれないが、そんな貪欲さが同時に俺達を追い詰めてるって知らないんだ。 偶に何かが欲しくて欲しくて堪らなくなることがある。 そしてその欲しい物が何なのか判らない。 大概は焦燥と諦めの狭間のどこか折り合いのついた所で自分を誤魔化すが、餓えた心は癒えない。 飢餓感は残り続ける。 だから、「見つけた」と直感が告げたのなら、それは即ち、「捕まえて逃がすな」と同義で、後に続くのは「骨まで喰らい尽くせ」だけなのだ。 喰らった後のことは、敢えて考えない。 だって、考える前に捕まえて自分のモノにしなきゃ、逃げちゃうか他のヤツに取られちゃうか、どっちかなんだもん。

「うん」

 舌を挿し込むと彼は鼻にかかった声を漏らした。 耳から下肢にダイレクトに突き抜けていく声だった。 グンと上向く自身を感じ、少し驚き、少し納得した。 ああ、コレが欲しかったのか、俺。 じゃあ一回抱けばイインダ 何を遠回りをしてんだ、俺…。

               ・・・

「いいぞ、一人になった」

 皆が舌舐めずりをしていた。 イルカの同僚の中忍君は中忍君なりに頑張ってイルカを引っ込めてくれたが、ちょっと遅かった。 既にその気になってるヤツらは、そんな事じゃあ抑えられない。 色めきたって攻略に掛かろうという雰囲気だった。 でもそこは上忍同士、いきなり実力行使などという無粋なやり方は矜持が許さない。 それに、そんな駈け引きと欺き合いの時間が、ヤツらにとっては一番楽しい時間なのだ。 受付け所は微妙な緊張感に支配され、その中に居てカカシはただ悩んでいる自分が信じられなかった。 楽しめなかった。 自分もつい昨日まではアッチ側に居たのに。 一緒に楽しんでいたのに。

---守んなきゃ

 守る? 守るってなんだ? 誰を? 俺が誰を守るって? 違う違う、これはアレだ、唯の所有意識だ。 連中に一歩先んじているから優先権が自分には有るんだって、いや、それだって姑息な騙し討ちみたな手で得たアドバンテージだけれども、それでもサッサと頂こうと思えばできたモノを態々取っておいたっていうか、できなかったっていうか…。

「お待たせしました」

 控え室から一人で出てきたイルカの同僚は、ドアを閉めるとご丁寧にもその前に塞ぐように椅子を一脚置いて席に戻った。 そんな物何の役にも立たないよ。 で、さっそく掛けられた幻術攻勢に、気が付くとカカシはパッキリと幻術崩しを仕掛けていた。 回りから浴びせられる白い目。

---なんだなんだ、オマエも参戦か?
  オマエ、男には興味無いはずじゃあなかったのか

 ああ、男ってどうしてこうなんだ。 体を知ると独占欲が湧く。 コレは俺のモノだと強く思う。 当のイルカは状況を受け入れられなくて唯々混乱の極みに居るようだったのに、現実逃避して自分をようやっと保っていたというのに、フォローもしてやらないで鞘当に熱中し、同僚の中忍君においしい役を取られたばかりでなく、この期に及んでまだ態度を決めかねている始末。

---だって、あんな反応するなんて思わなかったんだもん

 あんな風に現実逃避して無かったことにしてしまうなんて…。 仕掛けた最初の日になんか言ってくれたらさ、それを機会に俺だってしょうがなく正体バラシて謝っちゃえたのに。 恋愛経験皆無のイルカにしてみればその反応で仕方ないと、カカシには解らなかった。 想像もつかなかった。 だからまた仕掛けた。 もう少し大胆に。 でもまたイルカは無かったことにした。 やってもやっても現実逃避。 エスカレートする行為。

---いい加減にしねぇか!

 でないと俺、無理矢理犯っちゃうよ? …なんて、できないんだよなぁ。 無理矢理ってのも燃えるけど、彼とのこのささやかな暮らしが自分に待ったをかける。

---もうちょっと、もうちょっとだけコノ生活を楽しみたいだけなんだ

 もうちょっとだけカカチで居たい。 だって居心地がいいんだもの。 経験したことのない、ささやかだけど素敵に素朴な感じで刺激的な、普通に普通な普通の生活。 暗部のバイトした後だって、あー早く帰りてぇって思うもの。 だから我慢した。 昨夜なんか、乳首を責められて色っぽく喘ぐイルカを前にして、鬼の我慢をしたんだ。 もう正体バレちゃってもいいからガッツンガッツンに突っ込んで掻き回したかった。 奥の奥まで貫いて思うさま鳴かせてやりたかった。 でも我慢した。 翌朝またイルカに「おはよう」と言ってもらいたい、ただそれだけのために。 心地よかった。 手放したくなかった。 現実逃避なんかされて困ったし悩まされてるけど、そんな意外な弱さを見せるイルカもなんかかわいーとか感じちゃうし、普段のちょっぴり意地悪なイルカとのやり取りも好ましかった。 楽しかったんだ。 こんな気持ちを味わうのは初めてだった。 だから、どうしていいか判らなかった。 時間がもっと欲しかった。

---いったい俺は、この人のことどうしたいんだろう

               ・・・

 初めは、ほんの悪戯のつもりだった。 暗部の仕事から元のサイズのまま帰って、さてカカチに戻っていつも通りイルカの脇で寝ようかと、一息吐いたところだった。 イルカの布団の端っこで寝るのが習いとなっていた。 どうしてそうしたいかって、具体的に理由を述べよと言われても困るんだけど、なんでかよく眠れるって最初の日に判ったから、そうしていた。 イルカは何故かいつもいつまでもそれを嫌がった。 他の事は---火薬ご飯以外は、だけど---、結局なんだかんだ言いながらも殆ど俺に妥協してくれていたのに。 だから俺も意固地になってそうしていた。

「ふ …うん」

 その時、イルカが微かに寝息のような声を漏らして寝返りを打った。 月明かりの方に顔が向き、半開きの口元や伏せた睫やあの鼻を横に刷く傷なんかが青白く陰影を刻み、俺は昔の事を思い出した。 そっと近付いて、彼の顔の脇に手を着いて、その顔を覗きこんで繁々眺めてみる。

---やっぱ男の顔だ

 そりゃそうだ。 男なんだから。 若かったとは言え、俺なんでこの顔を見て”女”だなんて思ったんだろう。

---大口開けて豪快に笑うし、腹は掻くし、ケツは掻くし

 言葉使いも男そのものだし、色気のイの字も無い。 ただ時々、ふっと優しげな顔をする。 きっと俺のことアカデミーの生徒と同等かそれ以下くらいに思ってるんだ。 そう思っていた。 で、ちょっと悪戯してやれ、みたいな軽ーい気持ちで、彼の唇にちょっと自分の唇を併せてみたのだ。 彼はまったく起きる気配もなかった。

---アンタ、忍としてどーなの、それ

 2・3回続けてしてみても目も開けないので、いったいどこまでやったら起きるんだろうと、いつの間にかムキになっていた。

---うりゃっ これならどうだっ うちゅっ これでもダメかっ それっ

 最初触れるだけだったのが、あんまり起きないもんだから段々大胆になって、気がつくと彼の口を覆ってまるで接吻けのように吸っていた。 さすがにやり過ぎたのだ。 彼はいきなりポッカリ両目を開けると、ふるっと顔を振って俺の唇から逃げた。

「あ、ん、いや…だ」
「し…」

 俺は…、俺は無我夢中でその顔を手で押さえ、左目を使っていた。

---コレは夢だ、眠れ、夢を見てるんだよ

 暗示を掛け、彼の瞳がトロンと濁ったのを確かめて、また接吻けた。 催眠に罹っている。 大丈夫だ。 覚えていても夢だと思うはずだ。 接吻けながら、ドキドキと高鳴る胸の動悸に戸惑い、下肢に熱が溜まり出す感覚に焦っていた。

「あ、ううんッ いや…だ、いや、うん」

 でも、眠りながらも尚顔を振って逃れようとするイルカに、冷静になるどころかムクムクと湧き出す征服欲…だろうか、抑えられない何かに衝き動かされて、俺は彼の唇を思う存分吸い、舐め、喰い、終にはその口中に舌を挿し入れて探るように舐め回していた。 彼の舌に出会った。 舌は怯えたように引っ込んだ。 俺はもう何も考えずに、今だ嫌々と振られる顎を片手で掴み顔を固定すると、嫌がるイルカを少しでも宥めようともう片方の手で頬を、髪を撫で擦り、耳を弄り、口を深く併せて彼の舌を捕まえ、イヤらしく絡めた。 彼は一回だけ「んん」と苦しげに呻いたが、それきり大人しくなった。 彼の体が自分の体の下でふるふると戦慄いていた。 その彼の腿や下腹に自身が当たり、硬く猛っているのが判った。 俺は彼に完全に欲情していた。

 翌朝、彼が雄叫びを上げて飛び起きトイレに走って行ったのを、俺は寝た振りをして様子を伺っていた。 彼が出てきて何か言い出したらどうしようとか、でもそしたら正直に正体バラして、昨夜できなかったコトをちゃんとしたいかもとか、いきなりそりゃないでしょうよとか、ぐるぐるぐるぐる考えて彼を待った。 でも彼は、何事も無かったように朝食の準備を始めたのだ。 いつものように呼びに来た時も、顔がちょっと強張っていただけで何も、一言も言わなかった。 俺は、ほっとすると共にがっかりする自分に戸惑った。

---俺はいったい、何をどうしたいんだ? 何もかもバラしたいのか? このままで居たいのか?

               ・・・

 取り敢えず敵を蹴散らしたものの、昼間受付け所ではそれ以上はできなかった。 なんで俺こんなに一生懸命なってんの?と、どっと疲れが出た。 恥を忍んででも正体バラして手に入れたいか? このまま手を引いて何となくフェードアウトしちゃうのもアリなんじゃないの?と、その時は思った。 イルカを前にしていないと、そんな風に逃げる事を考えた。 それなのに、ああ、それなのに、今また例の中忍君と飲んで管を巻くイルカが彼の自宅に連れて行かれそうになっているのを、どうしても見過ごせなかった。

---「アナタが元凶でしょう」って?

 ああそうだよ、この人は俺が磨いた。 原石だったんだ、確かに。 こんなちょっと磨いたくらいでこれほど光るなんて思わなかったんだ。 俺自身が一番吃驚だよ。 一番焦ってるよ。 どうしたらいいんだよ。 今じゃあ誰にも見せたくないほど独占欲が湧き捲くってるし、中忍にさえ対抗意識燃え滾らせちゃうし、それよりも何よりも、毎晩々々彼が寝入ると物凄いジレンマに襲われる。 力いっぱいグワシっと抱き締めてぇ。 息も継げないほど接吻けてぇ。 体中に痛いほどキスマークつけて、ウィーク・ポイントを責め立てて、アンアン言わせてぇ。 そんでもって、やっぱ最後までヤリてぇんだよ、俺は! お互いを擦り合わせてオナるくらいじゃもう足りない。 泣いて嫌がるほどアナルを解して、自分を突きたてて貫きたい。 戦慄く体を抱き締めながら、これでもかって突き上げたい。 顔を見ながら掻き回してやりたい。 泣くだろうか。 好がるだろうか。 いつもよりもっと喘いで喘いで、俺の腕の中で登り詰めて絶頂の叫びを上げて、それで最後は俺の顔見て、俺の名前呼んで…


               ***


 はずみで始めた生活とは言え、まったく何の下地も無かったかと言うとそうでもない。
 あれは16の夏、月明かりのある夜だった。 外地での野営地の近くの湖で、彼女は水浴びをしていた。 水辺の枝に無造作に掛けられた真新しい支給のベストが、成り立ての中忍であることを教えていた。 するっと真っ直ぐな黒髪を、冷たい水で洗っていた。 月明かりにその黒い髪と同色の瞳が時折反射して、美しかった。

「難を言うなら、発展途上の胸だったってことくらいだった」
「発展途上じゃなくてそのまんまだったんだろ! 認めろよ、胸板だったんだ、”男”の」
「恋に恋するお年頃の初々しい少年だったのよ?俺は。 そんな些細なこと、気にならなかったんだよ!」
「女遊びに飽き飽きしていたスレ捲くりのマセガキだったくせによく言うぜっ いい加減事実を受け入れろ」
「事実ってなーにー? 俺わかーんなーい」
「じゃあイルカは俺が貰う」
「だ、だめーっ!」

 だいたいアンタには紅姉さんっていう恐い奥さんが居るじゃんか、と詰ってみても、この髭熊はニヤニヤと笑うのみ。 面白がっていること甚だしい。

「らしくもなく啖呵切ってみたりよぉ、その挙句に避けられて凹んでみたりよぉ、好きな子苛めちゃう小学生か?」
「うるさいよ」

 初めて恋した相手が男だったと、中々認めることができなかった。 でも、忘れもしない彼女のチャクラは確かにイルカのモノと同質で、双子の兄妹?とか色々逃げ道を探ってみたりもした。 イルカの生い立ちやら現状やらを徐々に知り、彼が紛れもなく男で双子の妹も居ないと渋々認めながらも、それでもと無駄な抵抗を試み、ちょっと公衆の面前で苛めてみちゃったりとか、受付けで冷たくあしらっちゃったりとか…まぁ色々だ。 ええええバカですともほっといて。

「あの人、あんな風に見えてきっと性格すっごく悪いよっ 裏表有るのに皆騙されてるんだっ」
「いいや、イルカはあのまんまだ。 賭けてもいいぜ。」
「どうして判るんだよっ」
「俺は昔アイツと一つ屋根の下で暮らしてたんだ」
「えっ なななんでーどーしてー?!」
「九尾の事件の後、アイツが天涯孤独になったんで一時期三代目が養ってたんだよ」
「へー」
「どーだー、うらまやしーかー」
「う…うらまやしくなんかないやいっ」

 羨ましい…、めちゃくちゃ羨ましい。 いーないーなー、俺もイルカ先生と暮らしてみたい。 ただそれだけだった。 別に、体まで頂こうなんて思ってなかった。 ぜんっぜん、ほんっとーにほんと。 信じて。 そ、そりゃあ、うっかり間違って初恋しちゃった相手ではあるが、もう十年も前の話だし、その間きれいすっぱり忘れて遊び捲くってたし、俺一応ストレートだし、あんな野暮ったい中忍君のそれも男に恋なんてナイナイ。 ただ、たださ、例のイザコザの後でさ、あの人ったら露骨に避けるし、受付けでもピシーっと冷えた空気作るしでさ、大人気ないよ、他のみんなにはニコニコ笑うくせにさ。 で、アスマの話に触発されたのもあるけど、悪戯半分遊び半分でイルカ家潜入作戦を練った訳だ。 あの人が、やっぱりすんごいヤなヤツだったって判ればそれでよかった。 十代の甘酸っぱい初恋なんて忘れて、変に拘るのも止められる、そう思った。 でも、作戦立ててる時からたーのしかったー。 マジで色々思案したよ俺は。 イルカは子供に弱いと判っていたので、親の居ないかわいそうな子供に化ける案が第一候補として挙がったが、良識家のイルカのこと、さっさと正式に施設に送られて教育を受けられるように手続きされてしまいそうで没。 犬猫の類に化けてペットとして潜り込めないかという第2案は、イルカの住まいがペット厳禁なので没。 何か無いか?いい案が。 無いかな無いかなと考えた。 ペットであってペットでない。 大人ではないが子供でもない。 できればイルカ以外には接触したくない。 取り敢えずかわいがってもらいたい。 小さくてかわいくて邪魔にならなくて、で、楽しむだけ楽しんだら後腐れなく居なくなっても不自然でない存在…。 そんな風に考えた。 今思うと物凄く自己中だ。 ごめん、イルカ先生。
 でも、イルカだって最初すっごく意地悪だったのだ。

               ・・・

---こ…このヒラヒラは、なななんだ!

 握った拳がぷるぷる震えた。 イルカは大口を開けてギャハハと笑っている。 やっぱこの人意地悪だ。 ありえねぇーっつーの、忍として。 いやいやいや、その前に男としてどーよ? リカちゃん?誰それ。

「に…似合うぞ、カカチーッ ぎゃははははっ」

---カカチー? なにその安易なネーミング

 でも、この人マヌケそうでいて俺の正体、実は判ってる? ? いーや、判ってないな。 ただ顔が似てるってだけ…。 顔、なんで判んだよ! 俺見せたことねーよ、この人に。 っつーか寝る相手以外は見せねーっつーの。 だいたいさっき、俺のこと大ッ嫌いって…だいっきらいって言った…。

「だいっきらいなヤツの名前、文字一個変えたくらいで、アンタ気になんないのか?」

 思わずそう訊いていた。 だって、なんか胸がチクッて痛むんだもん。 そしたらあの人、俺のことバカって言った。

「チビのカカシだからカカチだよっ これからオマエをイビって憂さを晴らすんだもんよ。 似てる名じゃないと気分出ないだろ?」

 なななな…んてせこくて且姑息且小市民的発想且腹黒なんだ! やっぱりやっぱり思ったとおり! 見ろッアスマ! 俺の勝ちだ。
 ぽんぽん遠慮なしに物は言うし、扱いも粗雑で乱暴だし、食事がまた意地悪のオンパレードだった。 最初の晩は、大好きなサンマで嬉しくって夢中でがっついちゃったけどさ、腹が空いてたんだもん。 でも翌朝の朝食は最悪だった。 納豆の一粒で口がいっぱいになるわ、手も顔もぬるぬるべたべたで何かのプレイですかみたいな感じだった。 聞けば毎朝納豆だと言う。 ノーッ! 昼は昼で、毎日カレーうどんである。 カレーの付いたうどんを1・2本レンゲに取って「ホレ」と言われても困る。 それに、昼カレーうどんで夜カレーというのは如何なものか。 風呂ではいきなり湯船に投げ込まれて溺れかかったし、新聞紙契った塊を見せられて「ほれ寝床」ときたもんだ。 ”寝床”ってなに?! 俺ってハムスター?! 着替えは相変わらず「リカちゃん」シリーズで押してくるし、ブラとホットパンツ見た時は倒れたね。 しかも、その姿の俺を肩に乗せてアカデミーの廊下を闊歩する。 嫌がらせか? 辛うじて中忍以下には見えなくしていたが、さすがに上忍級の連中の目はごまかせない。 窓の外の木の枝で、研修中の新人暗部が落ちそうになっているのを見かけたし、アスマと紅は肩を震わせて必死で笑いを噛み殺してたし、分身の俺にさえ「ぷっ」と吹き出された。 影分身のくせにナマイキなーッ! そんなこんなで最初の2・3日は、もんのすごっく苛々したもんだ。 でも、楽しかった。 そんな生活が新鮮で面白かった。 任務で帰りが遅れた時などは、イルカが酷く怒ったので驚いたのだけど、心から心配されていたと判って有り得ないくらい嬉しかったりもした。 もっと心配されたいなんて思った程だった。 でも、これ以上彼に心配かけないようにしようと、俺は努力した。 たいした任務でない時は影分身で済ませたり、イルカの居ない時間や深夜を狙って自分でも粉したりして、チャクラ消費覚悟で二重生活に耐えた。 だって、イルカが禿げるなんて言うからさ、ただでさえ持てないのにそりゃ可哀相だって、努力したんだ。 彼が放課後のアカデミー職員室の机に俺の姿を見つけた時の安堵した顔を見て、ずっとこんな顔させといてあげたいって、思ってしまったんだ。 正直たいへんだったけど、苦じゃなかった。 ありふれた、波風の無い穏やかな生活。 のほほんと、ほにゃーっと、脳天気に日々を過ごす生活。 普通ならつまらない事この上ないそんな生活が、なんだかいいなと感じていた。 おそらくイルカ自身も知らないであろう彼の別の顔を見るまでは、だったけど。 それからはただ、懊悩の日々。


               ***


 初めてキスしてからは、次の夜も、また次の夜も、俺は彼の体に悪戯するのを止められなかった。 その時はまだ、”悪戯”だと思っていた。 責任を取る…と言うのが男に対して語弊が無いかどうか判らないがとにかく、男と恋愛関係になる気は更々無かったから。 でも、先が気になって仕方がなかった。 こんなコトやあんなコトしたら、あの人どんな反応するんだろう。 最初の夜は中々に色っぽかった。 あんな男々した人が、あんな風に身悶えて、喘いで…。 むむ…思い出すだけで勃起っちまう(汗)。 どこか何か落ち着かない気持ちが引っ掛かったが、気が付かない振りをした。

---男なんだぜ、俺。 据え膳だぜ、喰わねぇとだよな。

 そう思って始めるのだけど、でもいつも最後まではできなかった。 鎖骨の窪みが弱いと判り、そこに舌を挿し込んで散々喘がせても、嫌がって肩を押してくる手を押さえつけて、跳ねる胸の乳首を指で捏ね舌で舐ってみても、その度にギンギンに自身が猛って堪らなくなっても、最後まではできなかった。 彼自身も愛撫に応えて勃起しているのが判った時はさすがにクラリと眩暈がし、一瞬我を忘れそうになって気が付くと彼自身を引っ張り出していたけれど、結局自分自身と擦り合わせて一緒に達くことで我慢した。 ガ・マ・ン! 自分を偉いと褒めたぜ、あん時ゃあ。 瞳術に罹っていても、さすがに突っ込まれて揺さぶられたら起きない訳が無いもんな。 夢じゃないと気が付かない訳が無いのだ。 でも反対に、もういい加減現実逃避を止めて欲しいと、苛々していた。 目を開いて俺を見ろ、俺が名前を呼ぶ声を聞け、その俺に応えろ、いつまでも無かったことにすんじゃねぇ。 俺は、俺は、アンタが…欲しいんだ。

               ・・・

---ぬぉーーッ

 バリバリっと頭を掻き毟って中忍二人を怯えさせた後、カカシはついに観念した。

---俺ってば、この人の愛が欲しかったんだ…

 カカチで居るならば無条件で与えられるこの人の愛を、この自分が欲しかった。 男としてこの人を求めたかった。 そしてこの人は、頭のどこかではカカチが俺だと判っているはずなのに、また現実逃避して俺を見てはくれないのだ。


               ***


「俺、帰ります」

 何かが溢れかかっていた。 このまま溢れさせたら、俺は、俺は…

「イルカ」
「イルカ先生」

 カカシと悪友が同時に驚きの声を上げたが、イルカは立ち上がった。 このままカカシと居ると何かが溢れちゃう。 俺はまだ今のままで居たい。

「もう大丈夫だから。 それに俺、猫に餌、やらないと」

 猫。 息を飲む二人の気配が伝わってきて、居た堪れなくなった。 同僚の態度も何かいつもと違っていたし、カカシの挙動不審さは中忍の目にも余った。 7班の子達の話も、特に今しなければならないようなものではなかったし、話が途切れた今も何か言いたげにしているカカシに不安が募った。 言わせちゃいけない。 俺は聞きたくない。

「じゃあ送るよ」
「送ります」

 とまた二人で声が重なり、情けなくて仕方がなかったが、でも自分でも今の状況が掴めない訳ではない。 しっかりしろ、俺。 このままじゃあダメだ。

「ありがとうございます」

 とまずカカシに向き直り頭を下げた。

「では、まずコイツを送ってくださいませんか」
「な、なに言ってんだよ、イルカ」

 なんで俺がこの人に送られなきゃなんないんだ、と喚く友を尻目に更に腰を折る。

「昼間、俺の所為でコイツは上忍の方々に目を付けられました。 お願いします。 コイツを家まで」
「判りました」

 俺は結構ですっといきり立つ同僚に対して同様に軽く無視するようにカカシは頷き印を切った。 煙とともにもう一人カカシが現れ、まだ喚き散らす友を強引に連れて姿を消すと、残ったカカシがイルカを促す。

「じゃあ、俺はイルカ先生を送ります」

 片方だけ見えている目がニコリと細められる。 歩き出しながら、あの時と随分違うな、と苦笑が漏れた。 「もうアナタの生徒じゃない」と冷たく言い放たれた時の胸の痛みが蘇る。 俺ってほんと恨みがましい。 ずっと前のことだし、お返しに随分意地悪したじゃあないか。

「本体は、どっちなんですか?」

 堰が切れつつあった。 イルカは慌てて抑えにかかったが、口は勝手に動いた。

「えっと…俺が本体です」

 少し考えるように首を傾げると、カカシはゆっくりと答えた。 さっきの同僚を送っていった方と自分とという意味で言っている。 違う。 判ってる。 俺が聞きたいことはそれじゃあないって判ってる。 カカチとカカシ、どっちが本体だったかって訊いてんだ。 俺を弄んだのはどっちだったかって聞いてんだ! ああ、溢れちゃうっ どうしよう、溢れちゃうよ。

「俺が、本体でした。 ずっと。」

 間を置いて、噛んで含めるようにゆっくり言葉を切って繰り返し、カカシがじっと見つめてきた。 イルカは、口に出さなかった内心の詰り声がカカシに聞こえたかとドキリとしたが、すぐに頭を振った。 違う違う、カカシはそんな意味で言ってない。 カカチは俺の家で待ってる。 腹へったーと怒ってる。

「イルカ先生」

 カカシの手が自分の手首を掴んで止めた。 その掌を手首が覚えていた。

「イルカ先生」

 引き寄せられるのに抗わず、イルカはカカシの腕に呆然と収まっている自分が信じられなかった。 彼の右手が頬に宛がわれる。 その掌を頬が覚えていた。

「イルカ…」

 ちょっと確かめるように当てられた唇を自分の唇が覚えていた。 背に回された腕にぎゅっと背骨を軋ませられて、抱き締められていることを知り、ぬるりと入り込む舌の感触に深い接吻けをされていると知った。 絡められた舌が彼の舌を覚えていた。

「やっ」

 イルカは思い切りカカシを突き飛ばした。 濡れる唇を手の甲でグイと拭い、数歩後ずさってカカシを睨む。

「やめろ」

 低い声が出た。 吃驚したように目を瞠るカカシを睨みつけたままでもう数歩後退し、イルカはパッと身を翻した。 他の上忍に襲われようが構わなかった。 走って走って家に飛び込み鍵を掛けると、ぼろぼろっと涙が零れた。 座りこんで大声で泣きたかった。 だがイルカは歯を食い縛ると、ぼろぼろと涙を零したまま声は出さずに家中を探し回った。

---カカチ!

 声に出しては呼べなかったが、心で何度も名を呼んで、一つ一つ部屋のドアを開け中を探した。

---カカチ、カカチ!

 そうして最後に風呂場を確かめて、イルカはずるずると洗面所に座り込むと、今度こそ顔を覆って泣いた。 大声ではなけなかったけれども。

---さすがにそこまで厚顔無恥ってわけじゃあなかったか

 やっぱりなと冷めて認める自分と、コンチクショウと憤る自分と、まだカカチを信じたい自分と、それらの自分を見つめる自分が居た。

「う… うう…」

 開け放された風呂場に、噛み締めているはずの嗚咽が反響して返って来た。 イルカはやっと、最後の部屋のドアを開けた。 厳重に鍵を掛けて締め切ったはずのそのドアはスルリと開いた。 そこには何も不可思議な事は無かった。 イルカはただ、最初から知っていた事実を、事実として受け入れただけだった。






すみません。これは続き物です。20→09→01→31→05→24→33→27→35 の順番です。
 戻る→33:手
 つづく→35:湯治



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