窓
3
「い、い…う…」
「そう、もっと締めて、イイよ、イルカ先生」
古い書庫の片隅の暗がりで、子供達が去ったばかりの教室で、校舎の端のトイレの個室で、夜に家のベッドで抱かれる他にも、カカシが求めればイルカは応えなければならなかった。 カカシはさも優しげに恋人面を押し通してはいたけれど、イルカの都合を考えてくれはしなかったし、イルカの体調にも配慮は無かった。 自分が気持ちがイイからなのだろうが、後ろから突き荒らしながらカカシは必ずイルカ自身にも手を掛け乱暴に扱いてきたので、終った後の脱力感は激しく、暫らく使い物にならない状態に陥った。 だが、御座なりの後始末だけでカカシは去っていった。 大概が上級任務の前とか、直後とか、一方的にカカシの都合だったかららしい。 でもその方がイルカもよかったのだ。 事後の疲れた体が”恋人”の仮面を中々付けさせてはくれず、イルカはただ早く去ってくれと心で念じていたのだから。 だが、それが災難に繋がることもあった。
一回、庭の植え込みの影で塀に手を付かされて後ろから散々責められた挙句に放置された時、動けないでいるイルカに見知らぬ二人の上忍が覆い被さってきた。 きっとカカシとの情事を物陰からでも見られていたのだろう。 イルカは二人に代わる代わる犯された。 その後も、カカシが任務から帰還するまでの数日間を、その二人に脅され弄ばれて過ごした。 もちろんひたかくしに隠してはいたが、カカシは一目で自分の変化を見て取って、気が付くと写輪眼で何もかも白状させられた後だった。 そして、その上忍達は里から姿を消した。
「まさか、殺したんじゃ…」
「だったら?」
とカカシは涼しげに笑った。 それもこれも全部アンタの所為でしょ? 顔は笑い、目は人を刺していた。 この人は気が狂っている。
「恋人を寝取られたんだよ? そのままって訳にはいかないよね。 それに、そんな不貞な恋人はお仕置きしなくっちゃならないよね?」
その夜の”仕置き”は、思い出すだけで震えが走る。 縛られ、道具を使われ、気が狂うほど嬲られた。
”恋人”
”セックス”
『処理とセックスはどこがどう違うと思う?』
判らないよ
嫌という程接吻けられていても、これが処理でないって思えない
もしこれが処理でないのなら、俺はセックスなんてしたくないよ
まだ処理の方がマシだった。
限界がきていた。
・・・
唇に薄く紅を引いて、鏡の前で上下を併せて延ばす。 色街の仕事だと嘘を吐いて、イルカは陰間茶屋に来ていた。 カカシが来る前に客が付いたら、抱かれるしか無いだろう。 あの”仕置き”を思い出して身の毛がよだったが、もうこれで何もかもお終いだと思い直して溜息を吐き、鏡に覆いの布を下ろした。 紅には弱い毒が混じっている。 カカシが拘る”恋人”の接吻けをすれば、カカシはすぐに気付くだろう。 そこで殺されれば重畳。 命を取られなくても半殺しにされて、それできっと捨てられる。 後の始末は任務上の不手際と片付ければいい。 自宅で死体になって転がっていたのでは言い訳もできないからな。 そんな風に、後のカカシの身の処し方まで心配している自分を笑い、そっと窓辺に歩み寄った。
「雨か」
秋雨が降っていた。 随分と肌寒く感じられた。 パタンと障子を閉めて窓から離れようとした時、ひゅっと殺気が体を包んだ。
「イルカ先生」
閉めたはずの障子が全開しており、体から雫を滴らせたカカシが窓に立っていた。 カカシは、赤い襦袢に細紐一つの自分の姿を舐めつけると、溜息を吐いて腕を掴んだ。 ギリギリと遠慮なく締め上げてくる力の強さが、カカシの怒りの度合いを表していると思った。
「帰りますよ」
「任務ですっ」
「嘘」
全部知ってるんですよ、と言うカカシの顔が段々に引き攣っていく。
「こんな所で抱かれたい趣味でもあるの?」
「そうですよ!」
何時に無く鋭く叫ぶと、カカシは見えている右目を見開いた。
「じゃあ今!俺が!ここで抱いてあげますよ!」
かかった…!
嗚呼!
一回頬を張られその場に叩き倒されると、解いてある髪を掴まれて布団まで引き摺られた。 直ぐに馬乗りになるカカシの体からポタポタと冷たい水滴が顔に体に落ちてくる。 イルカは一応抵抗してみせた。 暴れて手足をむちゃくちゃに振りカカシを引っ掻く。 珍しく怒りを露にしたカカシの顔が歪んで、両手を磔ると首筋に噛み付いてきた。 他の上忍に慰み者にされた時でさえ、やる事は残酷そのものだったが顔は薄笑いを浮かべていたのに。 ここまでカカシを怒らせる事ができようとは思わなかったイルカは、一瞬怯んで作戦を忘れかけたが何とか踏ん張って耐えた。 カカシは、首筋に幾つか噛み痕を残すと若干気が治まったのか、今度は緩く接吻け舌を這わせ出した。 いつものようにイルカを嬲って鳴かせるつもりなのだろう。 その証のように、鎖骨を舐められイルカが思わず震えると、蔑むような笑い声を上げて襦袢の袷を肌蹴させ、痛いほど乳首を抓ってきた。 そしてそのままイルカ自身にまで手を下ろし、ワシワシと強く揉み出した。
「い、うっ 痛っ」
それは勃起たせるための”愛撫”ではなかった。 そうだ、この方がカカシらしい。 ワイヤーで括られて、自分の快感のためだけにイルカを嬲って締め付けを促していたカカシが脳裏に過ぎる。 あの頃は一回も接吻けなどされなかった。 でもきっと、カカシは自分に接吻ける。 接吻けを欲して愛あるセックスを請うていたあの頃の自分と違い、今の自分がそれを嫌っていると知っているから。
「この淫乱!」
ガリっと噛み付くような接吻けが、イルカの口を塞いだ。
「っ!」
だがその瞬間後に、カカシは体を跳ね起こし、片手の甲で唇を擦りながら信じられない顔をしてイルカを凝視してきた。
「……なんのつもり?」
「ぐ、う、ぁがっ」
もう片方の手がイルカの首を締め上げている。 苦しくて、唾液と涙が零れて顎と頬を辿った。
「どうして?!」
叩きつけるような声に目を閉じる。 答えるつもりは無かった。 ただじっと目を閉じて、最期の瞬間が齎されるのを待った。 殺してくれ、と念じながら。 だがイルカに齎されたのは、首から離れていくカカシの手の体温が遠退くのをこの上なく寂しく感じている哀れな自分自身だった。 今まで事後にサッサと離れていくカカシにさえ感じたことの無かった寂寥感だった。 そしてそれを「やはり」と思う自分が可笑しかった。
「殺されたいの? もしかして」
ゲホゲホと咽るイルカを余所に、カカシのか細い声がした。 その声があまりに頼りなげで、どこか揺れていて、イルカは涙で滲む目を抉じ開けた。 ぼんやりと見えたカカシの目が驚愕に見開かれ、その顔が…
「俺に殺させたいの? そんな酷いこと、俺にさせたいの?」
やっぱり、殺してはくれないのか。 イルカはまた目を閉じた。 怒りというよりも哀しみを湛えたカカシの顔は、絶対に見てはならないと自分に言い聞かせる。 そして強く唇を噛んだ。 プツリと表皮が破れて血が滲み出す。 その血が充分自分の唇に行き渡るのを待ってから、イルカは先程鏡の前でしたように一回上下を擦り合わせると、ぺろりと唇全体を、その血を舐め取った。
「! イルカッ!!」
ドクンと心臓が最後の拍動を打ち、体が折れるほど仰け反った。 そしてカクリと弛緩する。 叫ぶカカシの声が辛うじて耳に届いた。 やはり気がつかれたか、でももう遅い。 これは、それだけだと人を殺すには至らない軽い毒だが、鉄分を加えると即効性の猛毒に変異する代物なのだから。 一瞬で心筋を麻痺させる。 これでやっと、やっとアナタから解放される。 アナタを俺から解放してあげられる。 アナタをこんな狂気に駆り立てる存在から…
「イルカ!!」
体を抱き起こされたが、もうほとんど感覚が無かった。 近いのに遠く、カカシの自分を呼ぶ声が響く。 ああ、幸せだ。 愛する者の腕に抱かれて死ねるなんて。 徐々に遠退く意識の底で、イルカはなんて安らかな最期なんだろうと思い、そっと手放すように暗闇に沈んだ。 心臓は止まって酸素が供給されなくて、朦朧としたが不思議とそれほど苦しくはなかった。 だが脳は中々死なない。 カカシの声を聞くことはもうできなかったが、落ちるように沈んでいく自分の体の感覚はまだあった。 でも確実に死んでいく。 早く、早く…。 落ちる砂時計の砂に見入るように、イルカは時間を見ていた。
そしてやっと、閉じかけた意識の最後の一欠けらがヒラヒラと闇の中に消えかかった。 だがその時、胸に雷が落ちた。 安らかな死は一瞬で弾け飛んだ。 真っ白く白んだ世界の中で、イルカは苦しさに呻いていた。
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