バヨリン

-Violin-



               12.Requiem(鎮魂歌)


「この熊はこんな熊ですけどビオラなんですよ〜。 そんでこの姐さんがバヨリン」
「バヨリン言うなっ」
「いってぇ」
「それでね、イルカちゃん、あなたを入れたらクァルテットになるじゃな〜い? だから今度4人でなんかやってみないって話なんだけど、どう?」
「え? ほんとですか? 嬉しいです、俺。 でもあっちの練習の合間になっちゃいますけど」
「いいのいいの、それで」
「じゃあ決まりだな」
「そう言えばイルカちゃん、入団したばっかりなのにこんなに休んじゃって平気なの?」
「あ、それは先生が何とかうまく言ってくれてるみたいで」
「ふーん、あのエロおやじもいいとこあるじゃない」
「やっと子離れしたか」
「でもアンタのオサボリは有給じゃないんだからね! カカシ」
「そうだそうだ」
「いーや、俺のはハネムーン休暇だもんね〜、有給だもんね〜」
「どこがハネムーンよ、勝手に決めるなっ それにどうしてハネムーンが有給なのよ?!」
「はーん、俺のが有給じゃなかったら、おまえ達の時も有給じゃないってことだよな?」
「そ…、それは、困るわ」
「だろう〜」
「俺は別に当てもねぇし、いいぜ」
「熊は黙ってなさいっ」
「という訳で、あと3日は俺お休みだから」
「なんで後3日? ねぇ、もう充分でしょ?」
「普通1週間くらいあるだろ?」
「ウチは貧乏なの! ないの、そんなに!」
「へぇ〜〜、じゃ、紅の時も4日ね、どっかにメモっとこ」
「あたしの時は、ウチにも余裕ができるのよ、きっと」
「なんだよそれ」
「アンタが頑張ればいいのよ! こないだみたいのはもう懲り懲りだからね、判ってる?」
「へーへー」
「あの、ここってその、経営苦しいんですか?」
「う…、ち、ちょっとね、オホホホ」
「自転車操業ってヤツだな」
「これもみんな、このバカカシの所為よっ」
「あの、ごめんなさい」
「なんでイルカが謝るんだ?」
「まぁ、もうすっかり奥さんね、イルカちゃん」
「そ、そんなこと… あ、あります、けど」
「んまっ」
「おー」
「感動ーー!」
「おまえまで驚くなっ」
「だって〜」
「ちゃんとお仕事しましょ、ね? カカシさん」
「わかってまーす、がんばりまーす!」
「なんかムカつく」
「俺も」
「俺もできるだけお手伝いしますから」
「そうね、できれば引っこ抜いちゃいたいけど、ま、その裡ね」
「ウチが金持ちになったら迎えに行ってやるからな、イルカ」
「でも俺、今のとこ好きだから」
「まーまー、そのうちよ。 頭の隅にちょっと置いといてちょうだい」
「はい」
「でも、クァルテットには出てくれるんでしょ? イルカ先生」
「はい、ボランティアで結構ですから」
「あら、それ前提よ、イルカちゃん」
「わるいな、イルカ。 こいつ守銭奴で」
「何演るかよね、問題は」
「さらっと無視かい」
「ね、イルカ先生、何か曲、リクエストありませんか?」
「ブラームスとか言いそうだな、おまえ。 俺、あんまり暗いのヤダ」
「文句言うなよ、熊」
「熊言うなっ」
「いってぇ〜な〜」
「えっと、あの俺是非一度やってみたいのあるんですけど」
「なになに?」
「ショスタコビッチのピアノ・クィンテット」
「ショスタコ?」
「ピアノ五重奏?」
「いっがーい!」
「あのねぇイルカちゃん、話ちゃんと聞いてた? 私おバカな子は嫌いよ。 4人よ、四重奏よ? クィンテットじゃないのよ?クァルテット!」
「あ、あの、でも俺、ピアノの当てがあるんですけど」
「当てがあるとか無いとかじゃないの! 全くもう、そんなにギャラ出せないってさっきも言ったでしょ。 もう全部このバカカシがスランプなんかになっちゃったから、色々たいへんだったの!」
「あ…あのそれは、俺もその、申し訳ないと思って、でも多分その人もギャラは要らないって言うと思うんですけど」
「あ〜、もしかして先生?」
「はい! この前楽団の皆で話してた時、自分もそういうのやりたいなぁって」
「誰も相手にしてくんなかったんでしょ〜?」
「えと、それは… なんで判るんですか?」
「そりゃ〜ね〜」
「何、先生ってあのエロおやじの事? あたし絶対いやっ」
「俺も」
「そんな事言わないで、偶には付き合ってやってよ〜」
「嫌よ。 セクハラするし、粗忽だし、アイツが来ると部屋がすっごい散らかるし」
「音楽以外、なんにもできない人だからね〜」
「酒癖悪いし、枠だし、俺でも太刀打ちできねぇんだぜ?」
「あの、あのでも、ピアノはすっごくお上手ですし、カカシさんとアンサンブルしたいって仰ってましたし」
「もうあの人、いつまで経っても子離れしないんだよ〜」
「…だめですか?」
「イルカ先生、演りたいの? ショスタコビッチ」
「はい! 俺大好きなんです。」
「あら、イルカちゃんはバロック好きなんじゃなかったの?」
「バロックも好きですけど、ショスタコビッチはちょっと特別って言うか」
「なになに、昔好きだった娘が好きだったとか?」
「なんだよー、そんなの居ないよ、イルカ先生にはー」
「バカね、ほとほとバカで呆れるわ。 イルカちゃん何歳だと思ってるのよ、ねぇ?」
「いえ、あの」
「そんな娘いませんよね、ね、イルカ先生?」
「居たっていいじゃねぇか、昔の事だろ、心狭いぞ、おまえ」
「狭くて結構だ! ねぇイルカ先生ぇ、居ませんよねぇ」
「いません、いません」
「よかったー」
「ひっつくなよ、公衆の面前で」
「公衆って誰だよ」
「あの! 楽団長さんは、どうするんです? 曲は?」
「で、ショスタコ好きな娘は今どうしてんだ?」
「ち、違いますって、俺の父が最後の公演で弾くはずだった曲なんです。」
「…」
「…」
「…」
「あの、すみません、変な事言って。」
「イルカ先生のお父さんて音楽家だったんだ」
「はい、一応室内楽団のセカンド・バイオリンをしてました。 時々クァルテットとか組んで演奏会もしてたんです。 母がピアニストだったんで偶々その時はショスタコビッチを演ろうって話になったみたいで、二人一緒に出かけて事故に…。 あの、こんな話つまらないですよね、すみません、忘れてください。」
「イルカ先生、俺が居ますからね」
「だから、ひっつくなって」
「それじゃあ、曲はショスタコで決まりね」
「決まったのかよ」
「紅、おまえ今ちょっと泣いただろ〜?」
「な、泣いてなんかないわよ?」
「なぁおい、あの先生にピアノさすのか? あの人そんなに今暇なんか?」
「お暇みたいですよ。 この前も俺んち泊まってったし」
「その話、聞き捨てならないですね、イルカ先生!」
「おい、凄むなよ、イルカちゃん怯えてるぞ」
「泊まってったって言っても、ナルトも一緒だったし」
「ナルトもー? なにそれ」
「あの二人似てるじゃないですか。 それで俺それぞれにその話したら、是非一度会いたいからって」
「へぇー」
「ふーん」
「ほー」
「でもね、イルカ先生。 ああ見えて先生はすっごく守備範囲広いから油断しちゃだめですよ?」
「そうだぜぇ、なんせ紅にまでちょっかい掛けてくるんだから」
「にまでって何よ、にまでって」
「そんな事ありませんでしたよ。 ナルトと二人でなんか本当の親子みたいでした…」
「イルカ先生ぇ、寂しいんでしょ? ナルト取られて」
「そ…! そんなこと、ありません!」
「ほらほらぁ、イルカ先生ナルトに甘いんだからなぁ」
「だいたい、あそこのバイオリン教室まだやってたのか?」
「って言うか、まだあそこに部屋借りてるの? もったいない」
「規模は縮小しなくちゃなりませんでしたけど、一応週一で楽団の練習の休みの時に通ってるんです。 部屋は大家さんがいいって言ってくれて」
「イルカちゃん、あなた体弱いんだからそんなに無理したらまた倒れちゃうわよぉ」
「そうですよ、イルカ先生。 俺あんなのもう二度とごめんですからね!」
「弱ったところに付け込んだヤツがよく言うぜ」
「俺、体弱くなんか無いですよ?」
「何言ってんの、この子は。 あんたが弱くなかったら、世の中の人間みんな熊よ」
「そうそう」
「なんで熊なんだよ」
「でも、熱だって最近は年に片手くらいしか出さなくなったし」
「熊なんかね、もう何年も熱なんか出した事ないのよ! いい?イルカちゃんは熊とは違うの、わかる?」
「何年もって…、ほんとですか?」
「悪かったな、バカで」
「熊とバカは熱出さないってね」
「風邪ひかない、じゃないですか?」
「イルカ、おまえまでそんな事言うのか?!」
「ご、ごめんなさい、俺そんなつもりは」
「いいのいいの、熊はほっといて。 それより何だよおまえさっきから〜。 熊のくせにイルカ、イルカって呼び捨てしやがってー。 ちゃんとイルカ先生って呼べっ」
「いいじゃねぇか、なぁイルカ」
「あ、はい」
「イルカ先生ぇ〜〜 それは俺達がベッドにいる時だけの呼び方じゃないですかぁ〜〜」
「カ、カカシさんっ」
「あらぁ、そうなのぉ? 聞かせて聞かせてぇ」
「おうおう、俺にも聞かせてぇイルカちゃん」
「お、俺っ もう帰りますからっ」

 顔を火照らせて事務所を飛び出すと、カカシが慌てて後を追って出てきた。
「待って待って、イルカ先生。 送りますから」
「大丈夫ですよ」
「いいえ、送ります。 またどっか行っちゃったら俺、困るもん」
「もうどこへも行きませんから」
「ね、それよりこっち」
 事務所のあるビルから外へ出る直前に、カカシが廊下の影にイルカの手を引いて連れ込んだ。
「カカ…」
 抱きこまれて接吻けられて、イルカはカカシの激しい愛情表現に喘いだ。 体を壁に押し付けられ、後ろ頭をカカシの片手に掴まれて、角度を変えて何度も何度も接吻けが繰り返される。 体の芯が疼いてくる。 カカシを欲して火が熾きる。 仲直りしてから4日間、ずっとカカシの部屋に篭りきりだった。 その間カカシに求められるままに体を繋ぎ、愛し合って過ごした。 本当にハネムーンのようだったと思う。 体はすっかりカカシに馴染み、カカシの手で容易に欲情するようになっていた。 でもそろそろ戻らなければ。 バイオリンのお教室もある。
「うん、ん」
「やらしい顔、イルカ先生」
 ぷちゅっと音をたてて、カカシは唇を解放した。
「さっき、奥さんて言われたの、否定しないでくれて嬉しかった。」
 暫らく喘いだまま言葉を繋げないイルカが吐息を漏らすと、カカシはぐいっと壁からイルカの体を引き剥がし、両手でイルカの体中を弄りだした。
「俺も、ハネムーンて言われて、なんか照れくさくって、う、嬉しかった… ん」
 尻を両側から擦り合わせるように揉まれ、時折カカシの長い中指が双丘の間をスルリと辿るだけで体が震えて止まらなくなった。
「さっきからずっとこうしたくて堪らなかった」
「あ、カカシさ…、やめ」
「イルカ、抱きたい」
「無理です、こんなとこで」
「俺の部屋行こ? ね、イルカ先生」
「でも、今日は帰らないと」
「あと3日、ハネムーン、ね?」
 カカシの片手がイルカの前に回り、既に形を成し始めたそれを乱暴に撫で上げる。
「でも、ナルト達が、待って…、う、うん」
「休んで、俺のために」
 形を辿るように指が這う。
「あなただって、月末にはコンサートが、んう」
 ちゅっちゅっと唇は啄ばまれ、言葉も途切れがちになる。
「あと3日、来週からは練習の鬼になるから、ね、お願い」
 興奮した荒い息を耳に吹き込まれながら、ズボンの上から何度も擦られる。
「やめ… ん、んん」
「欲しい、イルカ」
 完全に勃起すると一度ぐっと握られ、カカシは脇から手を差し込もうとしてきた。
「だめっ 部屋、行くから」
「うん」
 言うが早いか抱えられるようにしてカカシに肩を押されエレベーターに乗り、同じビルの最上階にあるカカシの部屋に連れ込まれるなり玄関先で押し倒された。 もう何を言っても聞き入れられず、外を通る足音を気にしながらいつもより敏感に乱れ、場所を移したベッドの中では、また回数も判らないほど求め合った。

「イルカ」

 とカカシが呼ぶ。
 その度に中のカカシを締め付け、嬌声で答えた。
 熱の篭った眼差し
 抱き締める腕
 髪を梳く指
 全てが愛しい愛しいと、全身で訴えてくるカカシに両手を伸ばす。
 
「カカシ」

 イルカが呼ぶと、激しい接吻けと突き上げで答えられた。
 伸ばした腕を迎えるカカシの、汗でしっとり濡れた体
 自分の名を紡ぐ唇を見つめながら、その首に縋りつく。
 浮かした頭を支えるように、カカシの大きな手に掻き抱かれ
 身の内を穿つ熱い楔に悦びの声をあげ
 知らず、何度もカカシの名を繰り返していた。

 体がドロドロに溶けて、境目が無くなり、一つになって流れていった。
 人を愛する激情を、やっと自分も持つ事ができたと思った。



 自分の父とカカシの父親の間にあった事は判らない。 だが、最後に彼らが演奏しようとしていた曲をカカシと弾けたら、自分達は彼らが乗り越えられなかった何かを乗り越えて、彼らが見ることが叶わなかったその先の物を見ることができるのだろうか。 この先自分が、何があってもこの手を離さずにいられるだけでもいい。 その強さが得られれば、その礎となる記憶が自分の中にできれば…。



BACK / NEXT