バヨリン
-Violin-
13.Hallelujah !
「カカシさん…!」
タキシードをばりっと着こなしたカカシの姿に見惚れる。
「すごい、お似合いです。 かっこいい…」
「惚れ直した?」
「はい…」
ぽーっとただ見惚れていると、カカシがふっと優しげに微笑んで軽く触れるだけの接吻けを寄越した。
「イルカ先生もかわいいっ」
また、と思い剥れてみせる。 カカシは、自分に対してかわいいと言って憚らないが、あまり褒め言葉には感じない。 そう正直に訴えたが取り合ってもらえないのだ。 カカシにとって自分は庇護の対象なのかな、とちょっと考えさせられる。 だから同居の求めにも今のところ応じてはいない。
今日はカカシのコンサートの日だった。 紅からチケットが郵送されてきた時は、正直今の状況は想像できなかった。 でも今こうして、準備をするカカシの手伝いをしている。 そして自分もあのチケットを持って特等席でカカシの演奏を聴くのだ。 カカシの演奏会は初めてだった。
・・・
一旦、練習モードに入ったカカシの集中力は目を瞠るものがあった。 ぶっ通しで8時間近く楽器を握り続け、食事も日に2回ペースになって間には水分しか摂らなかった。
「大丈夫よ。 アイツいつもあんなよ?」
紅やアスマは平気な顔をしていたが、いや寧ろ、カカシが元に戻ったと安堵の色を隠さなかったが、イルカは心配で時々覗いては溜息を吐いた。 自分にはあんな練習はできない。 とても身が持たない。 そこが一流と二流の違いなのだろうか、と素直に納得したものだ。
はたけサクモのCDはカカシが持っていた。 足を棒にして散々探し回った挙句に灯台の根元にそれを見つけた時は、さすがに自分のバカさを呪ったが、プレイヤーにかけて聞き出した途端、懐かしさに涙が零れた。 事故に遭う前の何週間か、何ヶ月か。 もうそれさえ定かでないが、このCDを父は繰り返し繰り返し聞いていた。
「イルカ先生、それ好きなの? じゃあ今度のコンサートのアンコールに、それ弾こうか?」
「え、いいんですか?」
言う間に引き出したカカシのフォーレのエレジーは、ストイックな静謐さが透明感のある音となっているはたけサクモの演奏に比べると、少し奔放で甘えるような響きがあった。 育ての親の影響かな、とちょっとおかしい。
今、目の前のステージでそれを演奏してるカカシ。 父の愛したフォーレのエレジーの哀しく切ない調べ。
嗚呼、今カカシはこれを自分の為だけに演奏しているのだ!
そう思うと胸がいっぱいになった。
そして父の気持ちが痛いほど解った。
・・・
「なんだナルト、また帰ってきてるのか?」
たんぽぽのような頭の少年は、青い目をクルクルさせてイルカのバイオリン教室に顔を出した。
「イルカ先生! 久しぶりだってばよ」
「どうした、また喧嘩かぁ」
「だってアイツ、家事とか全部俺に押し付けるんだってば」
「照れくさいんだよ、きっと」
「ありえねーってばよっ」
ナルトはカカシの養父に引き取られて、今では彼と暮らしている…はずだ。 ナルトの有り余る元気には金管楽器のほうが良かろうと、バイオリンを今やトランペットに持ち替えて、これが結構性に合ったようだった。
「先生は人の隠れた才能を見つけ出す天才だからね〜」
とカカシが面映ゆそうに言う。 この人にチェロを持たせたのも彼だったか。 だが最近、彼はただチェロを弾くサクモそっくりのカカシを見ていたかったのではないかと気がついた。 ナルトを引き取ってやっと子離れした様子の彼が、なんとなくそうイルカに思わせるのだ。 彼の秘めた想いや、叶わなかった願い、そんなものも見えてきた。 サクモという人は、本当に魅力的な人物だったらしい。
「親父のことは俺、あんまり記憶にないんですよね」
親父の生前から、どっちかって言うと先生のほうが親らしかったから。 笑うカカシの顔を見ながら、イルカは2回目のカカシの誕生日にカカシと暮らすことに同意した。
「た、誕生日、だからじゃないよね? ね?」
不安気に問うカカシの顔は、いつまでも紅とアスマの笑い話の種になった。
「イルカちゃんって、第2バイオリンの鏡ね!」
ピアノ五重奏の練習時に、紅にはそう言われた。
「あなたって、無意識にチューニングしながら演奏してるでしょ? だからソロには向かないけど、アンサンブルには至宝だわ。 凄いわ、イルカちゃん、今すぐウチに来ちゃいなさい」
それは丁重にお断り申し上げた。 今の楽団が好きだ。
「ま、まだまだ充分ギャラも出せないしね。 でも諦めないわよぉ、考えといてね!」
演奏家と言うよりはすっかりプロモーターの顔をして紅にそう言ってもらえるのは、正直嬉しかった。
・・・
「カカシさん…かっこいいです、何回見ても…」
「イルカ先生も、すっごいかわいいですっ」
二人してお互いのタイを直し合う。 今日は二人してタキシードを着ていた。 結局、ショスタコビッチのピアノ五重奏は正式な演奏会ではなく、チャリティの形で初演される事となった。 チケットの売り上げは孤児院などに寄付される予定だ。 あの紅からは想像できない太っ腹な大英断だと、アスマが散々からかった。
「きっと槍の雨が降るぞ、いや、メテオストライクかも、痛てっ」
「熊は黙ってなさい、熊は。 いいのよ宣伝になれば。 将来への投資って言ってちょうだい」
この二人も相変わらずだ。 まだ結婚はしていない。
演奏会の演目は、かなり楽しい内容になった。 メインのピアノ五重奏の他に、それぞれのソロやデュエットなど長すぎず楽しい曲を選んで子供にも楽しんでもらえるようにした。 ナルトも飛び込みで、ハラハラする養父の見守る中、まだまだ荒削りだけれどそれなりに立派にトランペットを吹いた。 イルカもカカシとあのバッハのドッペル・コンチェルトを弾いた。 チェリストのはたけクロウがバイオリンを弾くとあって、マスコミの取材もかなりあったようだが、そこはそこ、紅が恙無くあしらってくれたようだ。 うまく宣伝にも利用したらしく、当日の客の入りは上々だった。
「イルカ先生、あのカカシ先生と弾いた曲、素敵ですね! いつかサスケ君とデュエットしたいなぁ」
「そうか? そう言ってもらえると嬉しいなぁ」
サクラだけが今でも変わらずイルカのバイオリン教室の生徒だ。 サスケは、なんと生き別れの兄が見つかり、今はそちらで暮らしている。 サスケの兄イタチは、若手実業家として最近有名になったやり手で、ずっとサスケを探していたらしい。 しょっちゅう出戻りしてくるナルトと違い一回も帰っては来ないが、マメに手紙をくれる。 将来は兄の右腕になりたいと、真摯な気持ちも伝えてきた。 まだバイオリンは続けていると言うから、いつかサクラとデュエットできる日がくるかもしれない。 コンサート当日は運悪く海外に居るから行けないと、残念な旨を伝えてきた。 この頃は専ら携帯メールで来る。 ナルトが案の定羨ましがって、目下育ての親と交渉中だそうだ。
「ナルト、最近来なくなりましたよね」
二人で住むようになったカカシの部屋で、今はお互いのタイを外し合う。
「段々そこでの生活中心になりますよ」
ならなきゃ困ります、と笑うと
「イルカ先生、ほんとは寂しい?」
と相変わらずからかわれる。 そんなにナルトナルト言ってたかなぁ、と首を傾げるばかりだが、確かにアイツと居ると元気をもらえるようで、なんだかんだ言って結構こちらの方が頼りにしていたのかもしれないと思った。
「寂しいです」
素直に頷くと、カカシは眉尻を下げて
「俺がいるじゃない」
と情けない声を出した。 カカシは相変わらずヘタレている。 チェロを持ってる時はかっこいいんだけどなぁ、と溜息を漏らすと
「ヘタレてるのはイルカ先生の前だけだから」
と言われて、本気で顔が熱くなった。
「じゃ、昨日我慢した分、がんばるぞーっ!!」
ほどほどにお願いしたい。
「イルカ」
ベッドでカカシが呼ぶ。
「イルカ」
おいでおいでと手招きしている。
「寒い」
毛布を捲って待っているカカシの横に滑り込み、冷たい体をカカシに摺り寄せると、長い腕が自分を包む。
「ああ、あったかい」
「俺、燃えてますから」
相変わらずカカシはスケベだ。
「去年の暮れは、俺ひとり寂しく年越したんだもんな〜」
「紅さんやアスマさんが居たくせに」
「ま、ね」
長野の祖父は、夏に急逝してしまった。 もうあの味噌汁は味わえない。 あの優しい笑顔にも会えない。 天国で見守っていてください、と祈る。 父と母と、それとカカシの父にも。
「ショスタコのピアノ・クィンテット、どうでした?」
「難しいですね」
「ううん、そうじゃなくって、何かわかった?」
え? とカカシの顔を見ると、柔らかな接吻けが降ってきた。
「カカ…さん、ん」
何もかも知っている?
でももう後は、何も考えられなくなった。 今は自分より自分の体のことを知っているカカシの手が、端から思考を奪っていく。 そして熱を上げていく。 孕んだ熱はうねりとなって二人の間を行き来し、大きく大きくなって弾けた。 トクリ、トクリとカカシでいっぱいになる自分。 固く抱き締め合って隙間無く体をくっつけていると、安心するしとても気持ちがいい。 飽く事無く吸い合う唇も舌も、もうどちらがどちらのものなのかも判らない。
「じゃ、第2ラウンド、行っきまーす!」
カカシの絶倫ぶりも相変わらずだ。 これでは明日、まともに歩けまい。 今年は御節に挑戦しようと思っていたのに、暫らくはベッドの住人らしい。 深く抉られて喘ぎを零す。 両足はカカシの肩に掛けられ、自身はカカシの右手に握られて、カカシがゆらゆらと腰を揺らす度に漏れる喘ぎ声が、自分のものとは思えないくらい甘い。
「気持ちいい? イルカ」
「うん、いい」
こんな言葉も言えるようになるくらいに、何回も体を重ねた。 でも、それでもまだ、そんな自分を見下ろす優しく愛おし気なカカシの表情を見ると胸がきゅんとなる。
「カカシ」
名を呼んで、カカシに向かって両手を伸ばす。 迎えにくる体は冬でも汗でしっとり湿り、その首に腕を絡めると自分の頭もその大きな手で掴まれて唇も迎えられる。 父とサクモが見たかったものは結局よく解らないままだが、父の気持ちだけは解るようになった。
「船よ 帆掛けて進め」
「空の下 星の下 東へ 黎明の彼方へ」
「わたしの心は 遥か その果てを行く」
暗唱に暗唱で応えられ、同じ詩を諳んじていることを知り、同じ心の翳りを見ていた事も知る。
嗚呼!
知らず吐息と共に漏れた感嘆の声は、カカシの激しい接吻けと突き上げで答えられ、問われる言葉もいつかと同じ。
「壊されたいの?」
見上げると、燃えるような色違いの双眸と出会い、自分の返事が待たれる事はない。
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