バヨリン
-Violin-
7.Sanctus(聖なるかな)
「カカシ君、君ずっとこんな事やってたの?」
金の髪、青い瞳、年の割りに若々しい容姿の自分の養父であると共に師である男は、呆れたように溜息を吐いた。
「だって…」
「だってじゃないでしょう。 ひとつ間違えれば犯罪だよ?」
「でも」
「そうでなくても、あんな素直そうないい子。 こんな事知ったら凄い悲しむよ」
「わかってるよ」
「彼の事、好きなの?」
「うん」
「だったら余計にこれは良くないよ」
「だって、だって他の誰にも渡したくないんだもんっ」
「カカシ君、それは君のエゴだし、彼の事信用してないって言ってるようなもんだし、第一彼の将来は彼のものでしょ? 君がどうこうしていいもんじゃないよ」
「だから… 判ってます」
項垂れて髪をバリバリと掻き毟り、それでもどうしようもなかったと思う。 こうせずにはいられなかった、と。
イルカは30分ほど前にここを後にしている。 この楽団の団長は自分の師であり育ての親で、楽団のオーナーでもあった。 少し前まではそれなりに名の売れた指揮者だった彼は、今はこの一地方都市のオーケストラの音楽監督兼指揮者兼時々は演奏者となって、ひっそりと活動している。 彼が憂き目にあったのは自分の所為だという自覚と、育ててくれ音楽の才能を発掘し伸ばしてくれた恩もあり、カカシはこの師に頭が上がらない。 そればかりではない。 ちょっと鷹揚なところのあるこの先生を、カカシは心から慕っていた。
「彼には正式な入団試験さえ受けさせてあげられなかった。 君の頼みだから何か訳があるんだろうと思ってたんだけど、まさか色恋とはねぇ。 カカシ君も大人になっちゃって」
「先生、俺今幾つだと思ってるんですか」
「ハタチくらい?」
「25!」
「え、もうそんなだったっけ」
「もうそんな年なんですっ 恋人の一人も欲しいお年頃なんですっ」
ひでぇなぁ、息子の年くらい覚えとけよ、とブチブチ呟いていると、養父はにんまり笑って鋭く突っ込んできた。
「恋人が欲しいんじゃなくて、彼が欲しいんでしょ?」
「う… そうだけど。 あの人、俺に会ってくれなくなっちゃったんだ。」
「紅ちゃんに聞いたよ。 自分の事、黙ってたんだって?」
「うん」
「まぁ、君も色々あったから素性を隠したくなる気持ちも判らないではないけどね」
「そうじゃなくて、俺また俺の所為でイルカ先生がマスコミに追い回されたりしたらって思ったらもう、もう…」
「まだあの時のこと、気にしてんの?」
「はい」
「君の所為じゃないって、ずっと言ってるのに」
「でも、俺がもっと誠実に対応してたらあんな事にならなかったと思う。 俺、未熟だった。 天狗にもなってた。 世の中も舐めてた。 でも、俺が砂被るのは仕方なかったとして、他の身近な人まで巻き込むなんて許せないんだ。 それがマスコミってもんなんだとしても、もう絶対ヤツラにつけ込まれたくないんだ。」
「いい勉強になったじゃない」
「でも、先生までこんな風に一線から引かせちゃって、俺」
「だーかーらー、それが君の思い違いだって言ってるじゃない。 僕ここ結構気に入ってるし、多分前より性に合ってると思う。 酒も旨いしさぁ、肴も旨いし、人はあったかいし。」
「だから、人の優しさが見に染みるような体験させたの俺だって言ってるんだよ」
「あーー、しまった、そういうんじゃなくってほら、うーんとさ、元々僕ってほら、システマティックな社会には不適合者だったっていうか、だらしないって言うか」
「それは、そうですけど」
「カカシ君、相変わらず容赦ないね」
「先生、ちゃんと暮らしてるんですか? 相変わらずゴミ溜めみたいな部屋に住んでるんじゃないでしょうね?」
「あ、いやーまぁーそのー」
「先生こそ誰かお嫁さん貰った方がいいと俺思う。」
「僕だってかわいいお嫁さん欲しいんだけど、如何にせん長続きしないんだよねぇ、どの娘も」
「先生マメじゃないからね」
「君はマメにしてたの? 彼に」
「してた…つもり」
「カカシ君、独占欲強そうだもんねぇ。 そういうの返って嫌がられるよ?」
「そんなことありません!」
「だって、彼の事邪魔して回ってたのだって、君の独占欲の為せる業でしょ?」
「そう…なんですけど…」
「いったい何時からやってたの?」
「去年の春から」
「じゃ、初めて会ってからずっとって事?」
「そう」
「もう!」
「だって、だって一目惚れだったんだもんっ」
「君自身の評価も下げてしまうよ? せっかく紅ちゃんやアスマ君が頑張ってサポートしてくれてるのに、彼らも裏切ることになるじゃない。 もうやめなさい。」
「うう〜」
「うう〜じゃありません」
「だって、イルカ先生、きっと皆の人気者になっちゃって、中にはちょっかい掛けて来るヤツもいるかもしれないし、そいつが凄い強引なヤツだったら、あの人きっと断れないんだ。 そんで俺の事なんて忘れちゃうんだ。」
「…カカシ君、君ねぇ、それみんな自分の事? もしかして」
「う………」
「はぁ」
先生は溜息を吐いてがっくり脱力してしまった。
「君、彼に強引に関係迫ったの?」
「う〜」
「そもそも、最初はどうだったの? 最初から強引に事を進めたんじゃないでしょうね」
「もちろん、最初はちゃんと好きですって口で伝えて、OKもらって、キスして」
「いきなりキスしたの?」
「た、誕生日プレゼントにって、してもらったんだよ!」
「誕生日に託けてキスを強請ったの? それで自信が持てないんだね?」
「う…、うう〜〜〜」
「バカだなぁ…」
「俺もそう思う」
「彼が、誕生日だからキスさせてくれて、君が強引に迫ったから抵抗できなかったんだって、だから他の人にも同じように迫られたらきっと許しちゃうって彼の事、信用できないんだね?」
「…自分で自分の首を絞めるって、こういう事だよね」
「まったくね…」
二人で同じように溜息を吐き、がっくりと項垂れる。 まるで自分の事のように一緒になって悩んでくれるこの養父は、実父より余程親らしく自分に接してくれる掛け替えのない人だった。 まぁ、元々あまり実父の記憶は無いんだが…。
「俺、最初にオーディションであの人を見た時ね、電気が走ったんだ。 ほんとだよ? こうビビってさ。 一目惚れってこれかぁって思ったよ。 それに演奏聴いてすぐあの人の才能も判った。 彼は、きっと直ぐ何処かの耳の良いヤツに見出されてそこに収まっちゃうだろうなって。 そしたら居ても立ってもいられなくなって」
「彼を落とした挙句、ストーカー紛いの事したって訳?」
「書類審査用に履歴書があったから、住所とかは直ぐ判ったんだ。 行って見たらさ、あの人子供相手に嬉しそうにバイオリン教えててさ、これだぁってもう直ぐ飛び込みで生徒にしてもらった。」
「カカシ君、相変わらず行き当たりばったりだねぇ」
「煩いな」
「それで?」
「俺、バイオリンは一応初めてだったからさ、楽器選ぶところから一緒に見てもらってさ…、もう天にも昇る心地ってやつ?」
「はぁっ それで?」
「で、週に一日通うようになったんだけど、これが段々拷問みたいになってきちゃってさ、判るでしょ? でも半年我慢したんだ、前の俺からは想像つかないって紅達には言われたよ。」
「ほんとだねぇ、それで?」
「でさ、丁度俺の誕生日がお稽古日だった訳。 これは天が俺に味方したって思ったね。 あの人、吃驚した顔して、こーんなおっきく目ぇ見開いちゃってさ、かーわいかったぁー。 でも俺のキス受けくれたんだ。 俺のこと、好きだって言ってくれた。」
「え? 好きだって言ったの、彼?」
「うん」
「それなら悩むことないじゃない」
「でも、セックスに持ち込んだのは半分くらいは無理矢理だったんだ。 あの人が病気で弱ってる時にしたから」
「カカシ君、それサイテー」
「う〜」
「それで?」
「でもその後は暫らく、すんごく幸せだった。 恋人同士の付き合いしてるんだって、目の前ピンクの象が横切ったって俺はイルカ先生だけ見てたね!」
「はいはい、それで?」
「それで、クリスマスを二人で過ごす計画を立てて、町で買い物してたらさ、俺のことバレちゃったんだ。 通行人にサイン求められちゃってさ、拙いことに俺の出るコンサートのポスターが貼ってあってさ。 あの人、家に走って帰って、後から俺がどんなに戸を敲いても開けてくれなかった。」
「そう」
「翌日出直したらあの人居なくなってた。 酷いでしょ?」
「居なくなってたって? 引っ越しちゃったの?」
「ううん、帰省するからって、隣のおばちゃんに俺の荷物預けて姿隠しちゃったんだ。 帰省先はおばちゃんも知らないって言うし、どうしようもなくてさ。 帰ってきたら俺に連絡くださいって、おばちゃんに頼んで、一人淋しくクリスマスと年越しした。」
「紅ちゃん達がいるくせに」
「まぁ、ね」
「彼の実家かぁ、長野だね」
「え? なんで先生知ってんの?」
「ウチの履歴書には本籍も書いてもらうんです。 信用第一!」
「ふーん、長野かぁ。 そう言えば、あの人に聞いたんだ、なんで北から楽団巡りするのかって。 そしたら豪雪地帯の出身だから、暑い地方は苦手だって言ってたなぁ。」
「で、カカシ君は彼の就職邪魔して、どうしたいの? 彼だっていつかどこかに就職しなくちゃでしょ?」
「いつか時期を見て俺の事話して、紅の事務所に入ってもらいたかった。」
「それまでずーっと邪魔してるつもりだったんだ」
「そうだよ」
「よく今までバレなかったよねぇ。 彼ほんとに君の事、信じきってたんだねぇ」
「それを裏切っちゃったんだね、俺。 イルカ先生が怒るの、仕方ないよね」
「怒ってるんじゃないんだろうなぁ、多分」
「年明けてからおばちゃんに連絡もらって何回か行ったけど、どうしても会ってくれなくてさ。 紅やアスマのヤツも彼に会いに行ってくれたんだけど、結局ますます頑なにさせちゃって。 相変わらず就職活動もしてるみたいだって紅が言うし、俺、イルカ先生は俺が居なくても平気なのかなってさ、凄く悲しくて、でも他のヤツに取られるのは絶対に嫌だっ」
「もう取られるって前提で行動してない?」
「だって」
「そんなに信用できない?」
「イルカ先生を信用するしないじゃないんだ。 俺が自分に自信が無いだけだよ。 現にこうやって、今だって全然会ってくれないし、俺なんか身悶えするほど会いたくて苦しいのに、イルカ先生は平気なんだ。」
「勝手に決めない」
「だって〜」
「はぁ、でもとにかくもう、あちこちの楽団に彼の入団活動の妨害なんかしちゃだめだよ。 いいかい? 彼はソリスト・タイプじゃないけど、アンサンブルだったらきっと凄く光ると思う。 普通に試験受けてたら、すぐどこかに採用されてたはずだよ。 君が一々手を回して」
その時、ガタンと音がして練習室のドアが開いた。 そこにはイルカが立っていた。
「あの、俺、忘れ物を…」
「イ… イルカ先生…」
イルカは目を見開いてカカシを見ていた。 どこから聞かれていたのだろう? 最悪だ。 あんな別れ方をした上に、これは…。
「イルカ先生、聞いて。 俺、俺は…」
イルカはじっと立ち尽くしていた。 信じられないものを見る面持ちでひたすら自分を見つめている。 見開いた真っ黒な瞳がみるみる滲み、盛り上がっては溢れる雫がパラパラと床に落ちていった。 そしてクルッと身を翻し駆け去っていく。 あの背中を見るのは二度目だ。 二度も見ることになるなんて…!
「カカシ君、追わなくちゃ!」
呆然と立ち尽くしていると、先生が怒鳴った。
俺は慌てて走りだした。
・・・
駅のホームでやっとイルカを見つけた。 彼は、家のある方向とは逆行きのホームに悄然と立っていた。 反対側のホームから力いっぱい彼の名を叫んだが、彼はこちらを見ようとはしなかった。 とにかくそこに居て、待っててと叫んで階段を下りようとした時、イルカのホームに列車が滑り込んできた。
「イルカ先生っ 乗らないでっ 待っててー!」
叫んでも、叫んでも、声は列車の音に掻き消され、列車と共にイルカは居なくなっていた。
それから数日、イルカは自宅へも帰らず行方知れずとなった。
BACK / NEXT