バヨリン
-Violin-
4.Violoncello
年の瀬が迫っていた。 町は赤と緑と金色のクリスマスカラーで溢れ、派手な電飾がチカチカと瞬いている。 人出も心なしか多い土曜の夕方だった。
カカシは、その週の後半に休みを取ったからと言って、木曜からずっと泊まっていた。 そう言えばカカシの職業を聞いたことがなかったな、と思い尋ねてみたが、はっきり教えてはもらえなかった。 ただ、何か音楽関係の職業だろうな、と漠然と思っていた。 カカシの音楽に関する造詣の深さが尋常でない事と、短期間でバイオリンを弾きこなすようになった器用さが楽器慣れしている事を、イルカに感じさせていたからだ。 9月からずっとお稽古している、バッハの『ドッペル・コンチェルト』も大分奇麗に重奏できるようになっていた。 ただ、カカシがなかなかお稽古に身を入れないので、3ヶ月以上もぐずぐずと続けているのだ。 それでもこの曲をイルカは大好きだったし、期限のあるようなものではなかったので、ゆっくり楽しんでいた。 いつまでもいつまでも、ずっとこのままこの曲を二人で合奏していけると、そう思っていた。 幸せだった。
子供達には、クリスマス・ミニ・コンサートをするからと言って2ヶ月ほど前からそれぞれに課題を与え、先週保護者も呼んで簡単なサロン形式の発表会をした。 そういう目標があると、子供も一段飛躍的に伸びるのだ。 皆、一生懸命練習して、それぞれが精一杯の演奏を披露してくれた。 イルカの家の狭いリビングの家具をできるだけ端に寄せて片し、お菓子と飲み物も用意して寛いだ雰囲気の中で一人づつ曲を弾いてもらった。 保護者の皆さんも我が子の成長に驚き、喜んでくれたと思う。 あのナルトでさえ、バッハのメヌエットを3曲、丁寧に弾ききった。 サスケの保護者でもある院長先生は、目を潤ませて感動していた。 サスケと、町医者の孫娘さんのサクラというオシャマな女の子がお教室では一番上手なのだが、二人でヴィヴァルディの合奏協奏曲の第1楽章と第3楽章を見事に力演して、拍手喝采を浴びた。 第2楽章をカカシさんに頼んだのだが、案の定嫌がって、「俺は裏方に徹します」と言って給仕や発表会の準備を手伝ってくれた。
「イルカ先生が2楽章弾いたら?」
カカシが直前になってそんな事を言い出した。
「でも、それだとピアノ伴奏がいなくなっちゃうし」
「俺、俺がいますよ」
はいはい、と手を挙げてカカシがピアノの蓋を開くと、勝手に伴奏の譜面を漁って弾きだした。
「ほらイルカ先生、やってやって」
初見のはずなのに凄く上手い。 そう言えばピアノの経験があるって言ってたな、と思い出す。 それにしてもこんなに上手かったなんて、とイルカは驚いた。 そして、実際併せてみるとカカシの伴奏はとても弾きやすく、出過ぎずかと言っておとなし過ぎず、曲想も豊かで演奏者のイルカを巧みに引き立てた。
「カカシさん、お上手ですね。 もしかしてピアノが本職ですか?」
「いいえー、とんでもない。 真似事ですよ」
いつもののんびりした調子で否定されたが、とても信じられなかった。
そんな訳でイルカが、サスケとサクラの演奏の間に、第2楽章を弾くこととなった。 それはほんの短い曲だったので、まぁ邪魔にならない程度で丁度いいかもしれないと、イルカもできるだけ情感を籠めて演奏した。 子供達は、カカシと同じくなかなかローテンポの曲を弾きたがらない。 曲想を付けないと、どうしても物足りない感じになってしまうし、まだ数年間しか生きていない子供達にとって、情感豊かに曲想を付けるのは困難な事だった。 イルカもつい普段は第2楽章を抜かして教えてしまう傾向にある。 でも、それではいけないと、常々思っていたので丁度いい機会だと思った。 だが、イルカの演奏に真剣に聞き入り涙まで流さんばかりにしてくれるのは保護者の大人ばかりで、子供達は欠伸をしてつまらなそうにしていた。 しょうがないかと苦笑が漏れる。 その時だけ伴奏でピアノを弾いてくれたカカシさんも、こんな感じなのかな、とチラッと伺うと、真剣な様子でピアノに向かっている。 そしてふっと目が合って、にこりと微笑んできた。 かぁっと恥ずかしくなって思わず間違えそうになりながら、なんとか最後まで演奏した。
そうやってサクラが最後の曲を演奏し終わると、ナルトが突然大声でカカシも弾けと言い出した。
「カカシ先生ばっかり弾かないなんてズルイってばよ」
弾かない事の方が得なのかと、ちょっと溜息が漏れたが、カカシの見事なピアノ伴奏を聞いていた大人達の間でも拍手が沸き起こり、引っ込みがつかなくなった。
「じゃあ、イルカ先生と二人でアレ、弾きますか」
仕方無さそうに笑って、カカシはイルカの袖を引っ張った。
「俺はもう弾きましたから」
「ええ〜、でも俺、他の弾けないし〜」
「しょうがないですね」
それでもカカシとの重奏はかなり自分でもよい出来に仕上がってきていたので、子供達にも聞かせてあげたかった。 そうして、子供達の中の誰かが、来年この曲を弾きたいと言ってくれれば嬉しい。 アンサンブルの楽しさを少しでも判ってくれれば先生冥利に尽きる、そう思った。
「あの時は俺、間違えちゃって恥ずかしかったなぁ」
「カカシさん、黙ってれば誰も判らなかったのに、態々頭とか掻いたりするんですもん」
「だって〜」
思い出し笑いをしながら通りを並んで歩き、クリスマス気分を満喫する。 二人の手には既に今夜のご馳走の食材が入った袋が一杯だった。 いつもは木曜の一晩だけ泊まっていくカカシが4日間も居るので、毎晩求められてちょっと体が辛かったが、それを判っているのかゆっくりイルカに併せて歩調を取るカカシの優しさが嬉しかった。
「そう言えば、ミニ・コンサートの帰り際に、親御さんの一人からあなたの事聞かれました。」
「え? なんて?」
カカシがちょっと吃驚したように足を止めた。
「あの、なにか有名な演奏家なんじゃないですかって。 どこかで見たような気がするからって言ってましたけど」
「へ…、へぇー」
カカシの目がどこか泳いでいた。 あれ?と思って尚も聞き直そうとすると、カカシは急に目の前のお店を指差し声を上げた。
「あ、ほらイルカ先生、ケーキ! ここで買いましょうよ、なんかとっても美味そう」
そこは美味しいと有名な店で、イルカも最初からそこで買うつもりだったので同意して店に入ったが、何か誤魔化された気がしてならなかった。
ケーキ、シャンパン、鳥の足。 サラダ用の野菜とバゲット。 カカシのためのプレゼントは、既に家に用意してあった。 カカシが嬉しそうに笑って、人混みで少し遅れた自分を振り返り「イルカ」と呼んだ。 そのベッドの中だけの呼び方をされて、体の芯がゾクリと痺れる。 熾き火に火が点いたような疼きを感じ、イルカは自分が、自分の体が変わってしまった事に気付いた。 カカシの手によって変えられてしまったと、もうカカシなしには自分の生活が考えられない事に気付いて、愕然とした。 その時ふと、纏わりつくような視線を感じた。
誰だろう?
回りを見回すが、自分に視線を向けているような存在は認められなかった。 それならもしかして、と露店に気を取られた振りをして再びカカシから数歩遅れると、感じていた視線がすっと無くなった。
カカシを見ている?
そういうつもりでカカシを中心とした辺り一帯を眺めると、行き交う女性の殆どがカカシを振り返る。 若い女子高生達も、妙齢のご婦人も、自分達と同じくらいの如何にも適齢期といったお嬢さんも。 オレンジ色の夕陽に輝くカカシの銀の髪はキラキラとして、透けるように色白の顔はほんのりピンクに上気していて、目鼻立ちのすっと通った顔付きは涼しげだった。
カカシさん、いい男だもんな
カカシは自分と違う、という気がして、突然途轍もなく淋しくなった。 カカシは自分無しでも回りが放っておかないだろうな、と思う。 きっと時間が経てばカカシは自分を忘れる。 そうして何も無かったようにして生きていける人なのかもしれない。 でも自分は? 自分はカカシが居なくなったら、やっていけるだろうか。
「ね、あの人、かっこいいね」
女子高生の他愛のない会話にも胸が痛んだ。 5・6歩離れた所でカカシが気付き、足を止めてこちらを振り返る。 どうしたの?と言うように首を傾げて待っている。 心配させたらいけない、そう思って駆け寄ろうとした時、また声がした。
「ねぇねぇあの人、ほら、あのポスターの人じゃない?」
「ええ? どれどれ、あ、ほんとだー」
「サインもらっとこうよ、サイン!」
ポスター?
首を巡らすと、本屋の店頭に張り出してあるポスターが目に飛び込んできた。 それは地元のオーケストラの年末演奏会のポスターで、客演に有名なチェリストを向かえるとデカデカと銘打ってあった。
『はたけクロウ、ドボルザークのコンチェルトを弾く!』
目が釘付けになった。 はたけクロウ。 銀髪隻眼の天才チェリスト。 若干24歳にして各コンクール総なめ。 そんな文字が躍り、アイパッチをしたカカシの写真が中央にバンと載っていた。 イルカももちろん知っていた。 確かCDも持っているはずだ。
なぜ
なぜ今まで気付かなかった?
「イルカ先生っ」
その時カカシの声がした。 目を向けると、イルカの視線を追ってイルカの見た物を知ったのか、焦ったようにこちらに近付いてくる所だった。 そこに先程の声の主達か、「サインしてくださいっ」と二人の女性が小さいノートをカカシに差し出してカカシを引き止めた。 イルカは身を翻した。
「イルカ先生、待って!」
後ろにカカシの制止の声が追ってきたが、振り返らなかった。
そのまま逃げるようにして、家まで走った。
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