バヨリン

-Violin-



               2.2nd Violin


 具合が悪くなってきていた。 先月ひきかけた風邪が、今頃ぶり返してきたのか。 扁桃腺が腫れてきている。 ゴクリと唾を飲み込むと、ズキンと痛んでごりごりとした異物感が喉全体に感じられた。 でもまだ気管支炎にはなっていないみたいだから、良い方か。 これがゼイゼイ言い出すと、動かないようにしていなければ入院騒ぎになってしまうことをイルカは充分承知していた。

「海野イルカさん」
「はい」

 呼ばれて楽器を手に立ち上がる。 明日は木曜だ。 カカシさんに会える。 頑張らなくちゃ。 ドアを押し開けて入る時、少しクラリと足元がふらついた。

               ・・・

「どうでした?」
「だめでした…」
 熱いココアを差し出しながら答え、ちょっと力なく笑ってみせる。 今回はイケルかな?と思っただけに残念な気持ちがまだ拭えないでいた。 自分の分をカカシの対面に置こうとすると、カカシが勝手にイルカのカップを自分のと並べて、座っているソファの横をポンポンと叩いた。
「イルカ先生、こっちこっち」
「でもカカシさん、今日は」
「いいから」
 仕方ないなぁ、とカカシの隣に座るとすぐ腰に腕が回される。
「カカシさんってば」
「だいじょうぶだいじょうぶ」
 肩を引き寄せられてチュッと頬に接吻けられた時、ドタドタと騒がしい足音が近付いてきて慌ててカカシの体を押した。
「イルカ先生っ 手ぇ、洗ってきたってばよ」
「よーしナルト、おまえの分だぞ」
 そそくさと残りのココアのカップを盆から取り、一緒にクッキーの皿も添える。
「ナルトー、おまえは明日だろー」
「なんだよカカシ先生、イルカ先生独り占めしちゃってさぁ。 カカシ先生こそもうお稽古終わったんならサッサと帰れば?」
「なんだとー」

 ナルトは金色の髪に碧いクリクリした大きな目の小学6年生だ。 この町の孤児院に居る子で、イルカのバイオリン教室にこの春から通ってきている。 他にも同じ孤児院の子で、サスケという黒髪の利発そうな子が去年から習いにきていて触発されたらしい。 サスケはおとなしく練習熱心で、言われた課題は必ずこなしてくるのでもうとても上手だ。 それに比べてナルトは、ただイルカの家に遊びに来ている感覚らしく一向に上達しなかったが、楽しく続けてくれればいつかそれなりになるか位にイルカも考えていた。 お教室で唯一大人のカカシに対して、何を思ったか「先生」付けで呼んでいる。 顔を合わせるたびに喧嘩している二人だったが、これで結構仲がいいのだ。

「今日は院長先生が畑で取れた果物をイルカ先生に持ってけって言うからさ」
 来てやったってばよっと、頬をぷぅと膨らませてカカシにつっかかっている。 部屋にはナルトが持参した葡萄の芳醇な香りが漂っていた。
「ありがとな、いつも。 院長先生にもよろしく言ってくれよ」
「うん!」
 にっこり笑う眩しい笑顔に釣られて思わず笑いながら無防備に熱いココアを一口啜ると、ズキリと喉が痛んだ。
「喉、痛いの?」
「いいえ、だいじょうぶ」
 眉を顰めていたのを見られていたのか、カカシが心配そうに顔を覗きこむ。 カカシさんは本当に、いつもそうっと顔を覗き込んでくるなぁと、おかしくなりながらかぶりを振った。 今日は喉が腫れていてバイ菌が移りますからからキスはだめです、と来た時に言ってあるから心配してくれているらしい。 カカシと抱き合ってキスをする時間が、ナルトの乱入もあってできなくなり、それでも名残惜しくて飲み物を振舞って引き止めてしまったのだけれど、返って気を使わせたかな、と思った。
「なんだよイルカ先生、また喉腫れたの?」
 ナルトは何回か自分が具合を悪くしてお稽古を中止にしているのを知っているので、訳知り顔でクッキーを頬張っている。
「そんなの、そこら辺を走り回ってればすぐ直るってば」
「ナルト、おまえと違うんだから」
「お医者に行かなくて平気なの?」
 ナルトに笑って応酬していると、カカシがまだ心配そうに聞いてきた。
「大丈夫ですよ。 これくらいなら薬飲んで家でおとなしくしてれば治りますから」
 でもキスはだめ、と小声で囁きながら笑うが、カカシはまだ心配そうだった。

 ナルトが来る前、どうしてもキスを諦めないカカシに溶連菌感染症なのだと説明した。
「ヨウレンキン?」
「ええ、若草物語の3番目の」
「ああ、ベス?」
「そうです、彼女が罹ったのがそうです。」
「え、でもベスは猩紅熱だったんじゃ」
「同じ菌なんですよ」
「…」
 カカシはベスを知っていた。 こういう所が、カカシと居て疲れない所だな、と常々思うのだ。 読んでいる本、聴く曲、観た映画、どの話題にもカカシは直ぐに反応してくる。 同じような人生を歩んできたのかなぁ、と何か嬉しい。 そんなカカシだから、彼女が幼くして死んだ事も知っているのだろう。 眉を寄せて真剣な顔をして黙り込むので、慌てて言い直す。
「でも、子供の罹る病気なんです。 だから俺みたいな大人はそんなに重くなることはないですから。 俺覚えてないんですけど、小さい頃かかったらしくて、ちょっと体が弱ると再発してくるんです。 でも、全然大丈夫ですから、ほら、ね?」
 そう言って腕をくるくる回して見せたが、まだ心配そうにして、額で熱を看たりしてくれた。

 優しい人

 胸の中がほんわかと暖かくなる。 イルカはずっと一人暮らしだったので、熱を出して寝込むときもいつも一人だった。 こんな風に誰かに心配されることも随分と久しぶりだ。
 溶連菌感染症は、昔こそ命を落とす子供が多く出た恐い病気だったが、今は良い抗生物質があってほとんど治る。 ただ、不養生をしていると心臓や腎臓・関節などに悪さをし、それこそベスのように虚弱体質になってしまうので注意が必要だった。 カカシには絶対移したくない。 今日から4日間は家でゆっくりできるから、来週のオーディションまでには何とか治さなきゃなぁ、と独り言ちる。 オケの面接やオーディションのアポは、一ヶ月先まで埋まっていた。

「来週はオーディション、休んだ方がいいですよ」
 そんなイルカを見てまたカカシが心配気に言ってくる。 この人、過保護だなぁ、とおかしかった。
「無理はしませんから、心配しないでください。」
「でもー」
「カカシさんって…」
「…? なに?」
「心配性ですね」
 ふふふっと笑うとカカシはちょっと怒った顔をした。
「俺、ほんとに真剣に心配してるんです!」
「はい、ありがとうございます。 嬉しいです。」
 キスしたかったけど、我慢した。 ナルトが目を丸くして見ていた。
「イルカ先生とカカシ先生って、仲いいんだな」
「あったりまえだろー、俺とイルカ先生はなー」
 そこで慌ててカカシの足を踏む。
「アテテテっ」
「もうカカシさん、変ですよ。 ほらナルト、ココアおかわりあるぞ」
 ちょっと不自然だっただろうか。 でもナルトに知られるのはちょっと困る。 と言うか、生徒さんの親御さん達に知れたら、多分皆来なくなってしまうだろうから。 後でちゃんとカカシさんにもお願いしておかなくちゃ、と少し温くなって飲み頃のココアを啜った。



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