バヨリン
-Violin-
1.1st Violin
「今度はこれ、やってみましょうか?」
「え~、どれですかー」
間延びした返事をしながらカカシが覗き込んでくる。 それだけでもドキドキしてしまう自分を叱咤して、これですと譜面を差し示した。 一つのデュエット曲を終りにし、次に習う曲としてイルカが選んだのは、バッハの『2台のバイオリンのための合奏協奏曲』だった。 イルカはバッハとかヴィヴァルディとか、バロック系が大好きで、つい選曲する時もバロックばかりに目が行ってしまう。
「バロック、もう飽きました?」
「いーえ、イルカ先生の好きなのでいいですよー」
にこっと眉尻を下げてカカシは笑う。
「でも、カカシさん、他に何かやりたいのとかあるんだったら…」
「いーえー、イルカ先生が好きな曲が俺の好きな曲でーす」
何にも考えてないような顔だなぁ、と思いながらもそう言われると嬉しくて、じゃあ、と二つの譜面を並べる。
「第1と第2、どっちやります?」
「うーんと、どっちが易しい?」
「どっちもどっちだけど、やっぱり高音が多いから第1の方が難しいかな」
「じゃあ俺、第2」
「はい、じゃあこっちですね」
第2バイオリンの方の楽譜を渡し、自分用に第1バイオリン用の楽譜を取る。 内心では、その内取替えっこしてやってもらおうと思ったりもしていた。 ちゃんと併せられたら奇麗だろうな、と楽しみだった。
それは俗に「ドッペル・コンチェルト」と呼ばれるもので、たいへん有名な曲だ。 その第1楽章を取り敢えず浚おうとカカシに持ちかけたのだ。 カカシはアダジオが苦手で、第2楽章をやりたがらない。 だからまず一番有名な第1楽章ならやる気になるだろうと思った。 最近カカシのバイオリンに対するやる気が薄れている気がするのだ。 それでも足繁くお教室に通ってくるのは、ただ自分に会いにくるため。 そうしてこういう事をするためだけなのか、とちょっと溜息が漏れた。
「カカシさん…」
片付けもそこそこにイルカに接吻けを強請ってくるカカシの肩をやんわり押して、ちゃんと片付けてください、と窘める。 楽器を大切にしない人は嫌いです、と先週だったか先々週だったかイルカが言ってから、カカシは嫌々ながら楽器を仕舞うまでは我慢するようになった。 初めて唇を許した翌週、来るなり接吻けてきたカカシを制止できなかった。 その日は全然お稽古にならず、キスはお稽古が済むまでオアズケという不問律ができたほどだ。 今日も頬を膨らませながらだったが、きちんと几帳面そうに楽器を仕舞う。 本体を収め肩当てを仕舞い、弓の毛を緩めてそれもケースの蓋のポケットに入れてパタンを締める。 パチンパチンとバックルを留めると、カカシはくるりと振り返った。 その顔は満面の笑みで、後ろにはパタパタと力いっぱい振られる尻尾が見えるようだった。
「イルカ先生、キス」
「もう…」
抱き締めてくるカカシに今度は抵抗せず身を任せ、イルカはカカシの胸に収まった。 イルカだとて決してカカシとのキスが嫌いな訳ではない。 ただ慣れないし、カカシの行為がどんどんエスカレートしてくるようで恐いのだ。 2週目にはもう舌を入れられた。 あの時は吃驚して硬直したままキスを受けた。 3週目、4週目と口腔内を這い回るカカシの舌が段々遠慮が無くなって、歯列を辿られ、上顎を舐められ、舌を強く吸われて呼吸も儘ならず、イルカは喘いで頭がクラクラしてくるのを必死で堪え、カカシの肩を引き剥がした。 その所為なのか、今日は初めから壁際に追い詰められ、両手を壁に磔けられてしまった。
「カ…カカシさん、ん」
「イルカ先生、好きです、好き」
好き好きと繰り返し、カカシの接吻けの激しさが増していく。
「んあっ カカシさん、も、もう離して」
「だめ、もっと、もっと、イルカ先生」
壁とカカシの胴体に挟まれて、密着してくるカカシの体を生々しく感じて頭に血が上る。 恐い。 首を振ってカカシの唇からなんとか逃れようとしながら喘ぐと、カカシの片足の膝がイルカの両足の間に割り入れらてきた。 腿が股間を意図的に押し上げてくる。
「うんっ いやで、んん」
制止の言葉を飲み込むように口を塞ぐカカシ。 恐い。 擦り付けられるように下腹の辺りに当るカカシの股間が硬く形を成している。 恐い。 カカシの拘束から逃れようと動かした両手は、いつの間にか頭上高くまで上げられてカカシの片手に一絡げにされていた。 もう一方の手がイルカの顔や首、胸を弄り始める。 心臓が張り裂けそうに高鳴った。
「いやっ いやです、カカシさん」
「イルカ先生、イルカ先生…」
カカシの顔に、「欲しい」と書いてあるような気がした。
「恐い…」
「!」
ついポロリと言ってしまうと、ハッとするカカシの気配が伝わってきた。
「ご、ごめんなさい」
両手の拘束も解かれ、体も離れると、ちょっと寂しい気持ちがする自分が卑怯だな、と悲しくなる。 でもまだ、恐いのだ。
「ごめんね、イルカ先生。 怒らないで、嫌わないで」
恐る恐ると言った風に顔を覗きこんでくるカカシ。 はっはっと息を整えながら、イルカは首を振った。
「嫌ったりなんか…。 でも俺、まだ慣れなくて、あの、ごめんなさい、俺の方こそ」
焦らしているつもりは無いのだが、結果的にそうなっているかもしれない。 イルカの方こそカカシに愛想を尽かされるのではと、それも恐かった。
「ごめんなさい」
項垂れて、また小さく謝ると、カカシがそっと肩を引き寄せてくる。 イルカがおとなしくされるが儘に体を預けると、カカシがほっと息を吐いたのが判った。
「イルカ先生は悪くないよ。 俺、あなたとキスしてるとね、こう頭ん中カァーっとしてきちゃってね」
がっついててごめんなさい、と言うカカシの、イルカの肩の上に乗せた顎から伝わってくる喋る時の振動を感じながらイルカは目を閉じた。
「俺、あなたが好きです。 でも、もうちょっとだけ、待ってください。」
カカシの胸に顔を押し当て、表情を見られないようにして言う。 きっと顔は真っ赤だ。 何を待てと言うのだろう、俺は。 もうちょっとしたら何をカカシに許すと言うのだろう。 恐い。
「いつまでだって待ちますから」
イルカの体の震えが伝わったのか、カカシはただ優しく抱き締めて、緩くイルカの背を撫でてくれた。
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