同居人求む

- RoomMate -


15


 カカシと分かれた後のことは、はっきりとは覚えていない。 今思い返しても、夢の中の出来事だったような気さえする。 長年思い描いてきた最後の瞬間がこれから現実のモノとなろうとしている、その事がどこか虚構のようで、信じられなかったのかもしれない。
 外壁に取り付き這い登り、目的の人物を探し当てるまでに何人か黒服に遭遇したが、殺めることなく倒すことができた。 想像以上に少なかった。 カカシのお蔭かと耳を澄ますと、階下からは派手な乱闘騒ぎの音が聞こえてきていた。 遠目に見た、カカシが玄関付近で始めた”仕事”振りを思い出した。 速い、強い、いや違う、ただ”凄い”と、思わず見惚れた。 もし彼が武器を持っていたなら、一瞬で辺り一面血の海になるのだろうか。 躊躇の無い澱みない動き。 突き、蹴り、跳躍。 あの手…あの手に達かされた。 あの腕に抱かれ、突き上げられた。 あの男に抱かれたのだ。 廊下の暗がりに隠れ、チリチリと体の奥を焦がす疼きに耐えたのを覚えている。 なんて場違いな。 欲情している。 戦闘時の昂揚の所為だ。 と、頭を一振りして前進した。

 パンッ パンパンパンッ

 途中、いきなり銃声が響いた。 一瞬頭が真っ白になった。 カカシのマグナムの音ではないと、直ぐに判ったからだった。 敵方にも銃を持った者が居たのだ。 体はもう引き返しかけていた。 居ても立っても居られない焦燥感に、身も焼ける気がした。 だが、その後も続けて散発的に、その恐らくは9mm程の銃声が聞こえてきたので、返って冷静さが戻ってきた。

---邪魔になるだけだ

 マグナム弾の銃声は一回も聞こえてこない。 それほど切迫した事態ではない、ということだ。 落ち着け。 2・3度深呼吸をして、ひらりと交わしては相手を倒すカカシの姿を強く頭に念じた。 あの人は凄い人。 絶対大丈夫。 俺は俺のやるべき事をするんだ。 急がないと、銃声の所為で警察がやってくる。 奥歯を喰いしばり、元来た道を戻った。 階下の音も、徐々にこちらに近付いてきているようだった。

 その部屋の前に黒服が二人居たので、イルカはその二人を取り敢えず倒した。 その音に出てきたもう一人も倒し、中で銃を構えていた一人も倒した。 撃たれたが、掠っただけだった。 老人は、部屋の奥の壁に貼り付くようにして、蹲っていた。 懐からシグを取り出す。 遊底を引き、ゆっくりと構え、撃鉄を起こした。 老人は、最後に姿を確認した時に比べると、別人かと思うほど痩せて憔悴した顔付をしていた。

---ガタガタ震えて跪け…だったかな、違う、額を床に擦り付けて命乞いをする準備はできたか…かな

 何かの小説の台詞が頭の中でリフレインしていたが、結局何も言うことはしなかった。 そんな気にならなかった。 だから、早々にトリガーに掛かった指に力を入れようとした。 がその時、突然老人がイルカの鼻先に銃を突きつけてきて息を呑まされた。 目の前で銃口がガタガタと大きく震えていた。

「この銃で脅したのか」

 思いの外、冷静で静かな声が出た。 至近で銃口を向けられることへの恐怖も湧かなかった。 だた、そうだった、と思い出した。 銃で殺すことに拘ったのは、コイツが13年前に両親を銃で脅したからだった。 そう、書いてあった。

「くっ くくくっ」

 思わず口元が歪んだように笑いが漏れた。 老人が一瞬怯えきった表情を浮かべ、次の瞬間、耳元で爆音が轟いた。 硝煙の匂いが立ち込め、老人が何か喚いたようだったが、蓋が被さったようによく聞こえなかった。 右耳の鼓膜がイカレタのだと判った。

「こうやるんだ」

 まだ銃を構えようとする枯れ木のような手を蹴りつけ、シグを構え直した。 もういい、と思った。 勿体つけずサッサと殺ってしまおう。 カカシのお蔭で、この一ヶ月の間この年老いた男は充分怯え、恐怖し、後悔したに違いない。 ピタリとその皺だらけの額に銃口を向ける。 そしてトリガーを引いた。 引いたと思った。

「よかった、間に合ったっ」

 だが、その時自分の手には銃は無かった。 右横からひょいと取り上げられた銃を、イルカはマヌケにぼんやり見上げた。

「カカシッ よくやった!」

 老人が叫んだ声が左耳に聞こえてきた。 右肩越しに、カカシの顔と、赤い目と青い目と、何か喋っているのかくぐもった声がし、動く口が見えたが、何を言っているのか全く判らなかった。


               ***


 ポストに白い封筒が刺さっていた。 ここへ来てからダイレクト・メールさえ届いた例がなかったのに、と震える手でそれを摘まみ、引き抜いた。 表書きを確かめると、はたけカカシ様方 海野イルカ様宛となっていた。

「っ」

 イルカは、手紙を取り落としそうになるほど驚いて、今度こそ全身で震えた。 カカシは、アスマにさえここの場所は教えていないと、他人を連れてくるのはアナタが初めてだと、そう言っていた。 それなのに。

---場所だけじゃない、俺がここに居ることまで知っている?

 裏を返し、送り主の名が自分の両親の名になっていて血の気が引く。

「カ…カカシさん」

 思わず呼んだ声が震える。 どうしよう。 ここがバレてる。 しかも、何もかも事情を知っていて、こんな確信犯的な挑戦状のような物を叩きつけてくるような、そんな誰かがどこかから俺達を見ている? どうしよう。 俺の所為だ。 きっと俺がどこかでドジを踏んだんだ。 とにかく、カカシに知らせなきゃ。
 緩やかな上り坂を一気に駆け上がり、カカシのセーフハウスの、その白くて可愛らしい佇まいの、潮風に焼けてややくすんだこげ茶色のオーク材のドア目掛けて走った。

「カカシさんっ!」

 ドアに体当たりするようにして家の中へ飛び込むと、薄暗い中、ベッドに一人半身を起こしてこちらをぼーっと見ているカカシが居た。 窓を背にしたシルエットが、どこか寂しそうに、舞い込んできた不安の種の到来を既に知っているかのように、薄闇に溶けていってしまうのではないかと思うほど儚げに、じっとこちらを見ていた。


               ***

               ***

               ***


 目を覚ますと、イルカ先生が居なかった。 いつも恐かった。 トイレから帰ってきた時、シャワーの後、眠って起きた朝、ちょっと目を離した隙に、あの人は俺を置いて居なくなってしまってるんじゃないかって。 ここに居るのも、俺に抱かれるのも、彼の”仕事”を手伝ったことへの代償行為でしかないのじゃないかって。 考えれば考えるほど恐くて堪らなかった。 聞くこともできなかった。

「イルカ先生?」

 試しに呼んでみる。 だって、一緒にこのベッドで眠ったんだもの。 俺のこの腕の中に居たんだもの。 朝食と昼食を一緒に摂った後の午睡だった。 寝てばかりいるって? ノー! 激しい運動の後だったんだもの。 それに俺は、昨夜彼を抱き始めてから殆ど寝てなかったんだもの。 つい、寝入っちゃったんだ。
 昼過ぎだったけど、朝ご飯を食べた。 一緒に。 彼は美味しいおいしいと言って、頬張って食べてくれた。 俺の作ったサンドイッチとコーヒー。 彼が余りにも豪快に齧り付いて口一杯にしてモグモグ食べるので、その口元に見入っているうちに何だか欲情してきて困った。 でも我慢した。 朝飯の前、彼の起抜けに、彼の事抱いちゃったばかりだったから。 だって、「ご飯だよ」って呼んだらイルカ先生、ウンと言って目を瞑ったまま、後ろ手にシーツの中を探ったんだ。 俺の居たとこだ。 そう思ったらなんか…気がついたら彼に跨ってキスしてた。 「コーヒーが冷めちゃう」とか何とか、彼が言った。 そうだ、冷めないうちに食べなくっちゃ。 早く早く。 彼の唇は、俺が接吻けるまで震えていて、2・3度俺に吸われるまでずっと震えていて、体も強張っているから、早く解してあげなくちゃいけない。 うんとキスしてキスして愛撫して、クタってなったらセックスに持ち込める。 今まで全戦全勝だ。 でもそれは…イルカ先生が俺のこと拒んじゃいけないって思ってるだけかもしれないけど…。 ぐすっ でも、でもさ、俺が彼の中に入るとまた震えて、喘いで、喘いで、叫ぶように俺の腕の中で昇り詰めるんだ。 んもーっ超かわいいっ うっ 鼻血出そう…。 俺は、彼の事が好きで、堪らなく愛おしくて愛おしくて、頭がおかしくなりそうな位興奮しちゃう。 だからいつもちょっとやり過ぎちゃうんだけども、でも今朝は一回で我慢したんだ。 だって、昨夜も散々イタシタし、イルカ先生がちょっと控えてくれって言うから。 こんなに良い所に居るんだから、ビーチを散歩もしたいし海で泳ぎたいってさ。 そんなの! 俺が抱いて散歩してあげるし、俺が抱いて泳いであげるのに! ああ、ここに来たばっかの頃はよかったんだ。 イルカ先生はセックスの後は殆ど動けなかったから、俺も安心だった。 ほとんど一日中セックスしてたってのも、まーあるんだけど、動けない彼を抱いてシャワーを一緒に浴びたり、テラスに連れ出して一緒にご飯を食べたり、ベッドで眠ってる顔をずっと眺めてたり…。 幸せで恐いくらいだった。

「あ」

 大気をオレンジ色に染め上げていた夕暮れの太陽が、一瞬緑色に窓ガラスを輝かせた。

「グリーンフラッシュ現象だ」

 ここはそれが見られることで有名なビーチだ。 いつかイルカ先生に見せてあげようと思っていた。 俺は、ジブラルタルでもアフリカ西海岸でも北米のロングビーチでも見た事があるから、べつにどうでもよかったんだけど、一緒に見れればその人と幸せになれるよって、土地の人に聞いたことがあったからイルカ先生と見たかった。 イルカ先生と幸せになりたいんだもん。

---でも、イルカ先生、居ない

 ほとほとっと涙が零れてきた。 イルカ先生、俺のこと置いて行っちゃったのかもしれない。 あの人が自主する事しか考えてなかったのは何となく判ってた。 でも、”殺し”さえさせなければ何とか翻意させられるんじゃないかって、思ったんだ。 あの時だって…




BACK / NEXT