同居人求む

- RoomMate -


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 なるべく動きの妨げにならないようにと用意した、体にピッタリした黒の上下。 伸縮性のある素材でできており、肌の露出が少ないようにタートルネックで長袖で、枝などを潜るときに邪魔にならないように、いつもの引っ詰め髪も解いていた。 カカシにこの姿をどこかで見られていたのだろうか。 「持ってるでしょう」と言っていた。 最初からバレバレだった訳だ。

「なんか…その方がHなかんじ…」

 失礼な! これ着ろって言ったのアナタのくせに。 一目見るなり何その感想。

「う~~っ が・ま・ん」

 でも、一頻りその場に蹲って耐える様は真剣そのもの? とにかく、この人の理性の緩さは尋常では無い。 そのくせ、これでもかと赤面するそのピュアっぷりは何なんだ。 騙されているのか、信じていいのか…、途方にくれる。 そういえばアスマも、彼が赤面症だと言っていた。



「赤面恐怖症ですか?」
「いんや、ただの赤面症。 アイツ、自分が赤面症だってこと多分知らないから。」
「?」

 物心ついて随分経つまで、カカシは鏡を見たことがなかったそうだ。 存在そのものを知らなかった。 必要なかったから。 彼の生活には、自分の容姿を映して確かめるような、そんな長閑な必要性は皆無だった。 だから自分が他人にどう見えるか、全く頓着していなかったらしい。 日本に来て暫らく、周囲の人々の反応にかなり戸惑ったと言うことだ。 然も有りなん。 あの顔じゃあな。

「誰も教えてあげなかったんですか?」
「アイツと同じ隊に配属されるとな、まずそれだけは教えるなって言われるんだぜ」
「何故ですか?」
「そのほうが面白いからに決まってるだろう」
「それはちょっと…かわいそうじゃ」
「いや、もし知ったらアイツ、もう二度と赤面なんかしなくなる。 顔色くらいどうとでもコントロールできるヤツだしな。」
「でも、正直あの人のあの反応には戸惑います。 なんだかかわいらしく思えてきちゃって。 本当に…」
「あの”死神”なのかってか」

 笑うアスマは彼のことを死神だとは言わない。 唯の感情的なガキだ、そう言うだけだった。 自分には解らない。 彼の、何処までが計算された行動で、どこからが真実なのか。 背中を預けて戦った経験があるアスマがああ言うのだから、と彼を信じたい自分が理由を探す。 自分自身が赤面していることを知らないカカシ。 では、あれは演技では無いのだ、と。



「俺一人で行きますから」

 一々付き合っていたら中々話が進まないと学習したイルカは、赤くなってこちらを見たいような見たくないような、そんなモジモジした態度のカカシに、少し固い口調を取り繕った。 こうやっていつも、彼のペースに乗せられていたら堪らない。

「いーえ、俺、一緒に行って手伝います」

 だが直ぐそうやって切り返す冷静さが、どこまでも隙が無い計算された行動のように思えて、どうしても信じきれなかった。

「だからっ」

 さっき散々言ったの全然聞いてなかったんですか。 他の人の人生巻き込んで平気でいる最低野朗だって、自分の望みを叶えるためなら誰を犠牲にしても構わないんだって、言ったでしょう。 なんでそんな人間を手伝う気になんかなるんですと、態と怒っている風を装ってみても、全て見透かされている、そんな気がして堪らなかった。

「アナタ、邪魔する気でしょう? 迷惑です」
「俺、好きでやるの。 気にしないで。」

 信じられないと軋んだ心の声が、つい本音として現れたのかそれとも迷惑がる演技なのか、もう自分でも判らない。 しかもこの人、人の話聞いてないみたいだし、話噛み合ってないし。

「とにかく、これ以上他人のアナタがあれこれ」

 他人を巻き込むのなんかヤなんだよ、人の人生の責任なんか持てネェんだよ、聞き分けやがれ!

「ハヤテだってさ」

 もうちょっとで切れて本当の本音を叫びそうになった直前に口を挟んできたカカシは、え、と思う間も無くスルッと抱き寄せてきた。 腰を引き寄せられ背を抱かれ、カカシは喋りながら時折唇まで併せて話し続けた。

「ハヤテだってー、ほんとは彼の方からアナタに接触してきたんでしょ。 彼はずっとアナタを探しててー、彼の意思でデータをアナタの元へ持ち込んだんだ。 そうでしょ? ゲンマがハヤテに一目惚れしたってのは本当かもしれないけど、彼ももうとっくに動いてて、それに警察の仕事だから手を引けなんて、言ったかもしれないけどでも、彼は逐一アナタに捜査状況を知らせてきてるんでしょ? まぁハヤテの為だとしても、上に知れたら処分確実なのに、バカだねアイツも。 でもお蔭でアナタは警察の先へ先へと動くことができたわけですよね。 今アナタが焦ってるのは、特捜があの会社に乗り込むのが決まったからじゃないですか? そうなったらもう手が出せなくなっちゃうもんね。 それで焦って俺を抑えに掛かった。 そうするしかなかったんだ。 それにアスマ! アイツがアナタに大人しく家へ帰れって言ったって? アイツがそんな事言うわきゃない。 あの男はそんな魂じゃないですよ。 どっちかって言うと先陣を切りたがるタイプです。 アナタはアイツを巻き込まないようにするのに酷く苦労したはずだ。 婚約者を呼び出して、やっと連れて帰らせた。 違いますか? 彼らは皆、自分からアナタに協力を申し出てきたんだ。 でもアナタは、データだけ貰って、全部それを断ったんでしょ? アナタは誰も巻き込んでいない。 人の人生や将来めちゃくちゃにして平気でいる最低野朗なんかじゃない。 一人で全部やって、一人でケリつけるつもりなんだ。 そうでしょう?」

 赤い瞳と青い瞳に見つめられながら、話の合間々々に唇を啄ばまれ吸われて、イルカは段々と酩酊してきた。 ベッドでセックスしている時よりも濃密に、カカシに抱かれているような気分だった。 だがそれはパニクった挙句の現実逃避で、本当のところは隠していた真実を次々と論われて、この人には敵わない、どうしたらいい?と心が悲鳴を上げていただけだっだのかもしれない。

「キス…抜きで、喋れないんですか」
「えっ? 俺キスしてた?!」

 ごめんなさーいってそんなかわいらしく慌てて見せられたって、見せられたって…マジですか。 マジで気付いてなかったってか。 10秒以上至近距離で顔見つめてると理性が保てないってそれどんな理性。 この人絶対変だ。 頭の中で勝手に突っ込みまくるもう一人の自分が居た。 その一方で、脳内で大量に分泌されたアドレナリンが、逃げるか闘うかの二択を迫っていた。 逃げたい。 こんな人、絶対適わない。 抱き込まれた腕の中で体が強張っているのに、勝手に突っ込みを入れる自分は止まらない。 そうしているうちに、グラグラと酔っているかのようだった頭のどこかが麻痺してきたのが解った。 恐怖感が薄れ、代わりに何かが研ぎ澄まされていく。 キラーズ・インスティンクト。 自分にはそんなものは無い、狩られ喰らわれる側の草食動物なのだと、渡欧する前は諦めていた「殺し屋の本能」。 戦場に立って、それが唯の二択なのだと解った時、自分は銃を取っていた。 何かがむっくりと頭を擡げてくる。 のほほんと日本で暮らしていたら、決して目覚めることが無かったに違いない、捕食者の本能。

「だってー、イルカ先生のその姿に俺、一目惚れしたんだもんねー」

 まだだ。 まだ最後の目的は知られていない。 ここで動揺してはいけない。 落ち着け。 排除が不可能だと判っただけだ。 まだ失敗した訳じゃない。 一目惚れ? 何時のことだ? 情に訴える余地は有るのか? 適度に現実逃避して、不要な部分には鈍感になれ。 都合のいいところだけ拾い上げ、冷静さを保て。
 念じて集中しようとした。 だが・・・

「え、んんっ」

 だが気が付けば、グワシッと抱き締められてディープキッスだ。 この人、そもそも理性有るのか?

「だめです、もうこれ以上はっ 行かなきゃ」
「だってー、イルカ先生、凄いいい顔してるんだもん」
「いい顔って?」
「狩りを始める前の女豹みたいな」
「”女”は余計ですよ」

 そうか、この人にとって俺は”女”なんだ。 一目惚れと言っても性欲が前面に出た”好き”なんだ。 さっきのセックスは無駄じゃあなかった。 この体に執着のあるうちは、まだこちらに勝ちの目が出る機会がきっと来る。

「とにかく、俺行きますから」
「はーい」
「アナタはお留守番しててください」
「やーだもーんっ 俺、付いてきまーすよー。 でなきゃ邪魔します、全力で。」
「全力でって、そんな」
「もー、そんなに聞き分けないなら、やっぱ朝までセックス・コースにしちゃいますよー。 俺はその方がいいしー」

 「聞き分けないのはアナタだ」と言う間もなく抱き締められて接吻けられると、「俺も」と有り得ない返事をしたくなった。 頭では、カカシを味方に付けるのがベストだと判っていた。 でも、ああこの暖かい腕の中。 なんと言う安心。 この人を利用したくないと心が叫ぶ。 それに、これまで全ての手を拒んできた事が無駄になるじゃないか。 ダメだ、強引さに流された振りをして自分まで騙したりしちゃダメだ。 きっと物凄く後悔する。 ほら、ビシッと撥ねつけろ。 冷たく突き放せ、イルカ。 この人を巻き込むな。 歯を喰いしばりそう念じて、どうにかその暖かい胸を押して体を離そうとしたのだが、すればするほど逆にぎゅっと抱き竦められて、それを嬉しいと感じてしまって、ずっとその腕の中に居たいとさえ思って、そう思う自分に焦るばかりだった。 そんな風に感じるのは2度目だ。 でも今度は唯の同居人を受け入れるのとは訳が違う。 違うのに…。

「一緒に行こ、ね」

 唇が離れて、小首を傾げるように顔を覗きこまれながらそう請われると、催眠術にでも掛けられたようにコックリ頷いている自分が居た。 どうしてこの人には逆らえないんだろう。 どうしていつも、この人のペースに乗せられてしまうんだろう。 本当に、今でも信じられない。 でもこの時はまだ、最後の最後は自分の決めた道を選択するのだから、と思っていた。 ごめんなさい、カカシさん。 今はその腕に縋らせてもらいます。 最後は必ず、解き放ちますから。 そう心内で手を併せた。 今は仮初めに彼の手を取るんだと、そう信じていた。





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