同居人求む

- RoomMate -


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 夕陽が水平線にまるで溶け出すように接すると、沈む速度が急に上がるような気がするのは何故なんだろう。 ゆらゆら揺れる陽の光はもうすでにオレンジを通り越して真っ赤だった。 小屋まであともう少し。 完全に陽が落ち切ってしまう前に帰ろう。 この辺は街頭なんか無い。 久しぶりの運動に息が切れたのと、余りに美しい夕陽に見惚れてしまったのとで止まっていた足をまた動かす。 もう小屋は見えている。 カカシは起きただろうか。 出た時は熟睡していた。 本当に夜型の人だ。 日本に居た時も、「夜のお仕事」をしている人だと勝手に決めて思いこんでいた頃があったっけ。

---朝のゴミ出し時間が、唯一重なってた活動時間帯だったんだな

 あの頃はよかったな、と妙に懐かしくなった。 勿論、心には重い重石が乗っかっていたし、自分には人並みな将来は無いと諦めていた。 なのに、予定外に”お隣のカカシさん”に恋をして、ぽっと火の灯るような気持ちを味わう事ができた。 幸せだった。 成就させる必要の無い唯想うだけの恋は気楽で、誰かを好きな自分を感じられるだけでよかった。 そんな風な気持ちにはもう一生ならないと、そう思っていたから。 でも今のこの状態は何なんだろう?と自分でも解らない。 長年思い詰めてきた頑なな気持ちも消えたし、毎日毎晩そのカカシとセックス三昧の生活をしているが、心のどこかに「これは成就した恋ではない」と囁く自分が居る。 自分達は成り行きで一緒に居るだけだと、その自分は言うのだ。 男は愛が無くてもセックスができると知っている。 相手が異性でなく、自分が同性愛者でなくても、処理として男を抱くことができると戦場で体に教えられた。 カカシがその辺のところに拘らない嗜好の持ち主で、あの夜の一回だけで自分の体を気に入っただけだとしても、なんの不思議もないのだ。 自分を好きだと言ってくれたカカシのあの言葉も、演技の一環だっただけだ。 だからこの関係は彼がこの体に飽きるまでのことなのだと、常に耳元で囁いてくる。 

---いや、カカシさんの所為じゃない、そう思って逃げ道にしてる自分が問題なのかも

 どこまでが演技でどこからが真実なのか、解らないし聞くこともできない。 自分も、そんな気持ちを正直に話すことができないままでいる。 でも、その状態をどうにかして打開しようという気になれないのだ。 今のままでいいじゃないかと、囁く自分も居るからだ。 どちらにせよ彼がこの体に飽きるまでの関係なら、態々波風立たせずに、なるべくこのままで一緒に居たい、とそんな自分は頻りに言う。 恋心がこのまま死んでいくのは哀しすぎると泣く自分には、長い長い間ずっと目を背け続けてきた甲斐あってか、容易に気付かない振りができた。 土台、こんな並外れた凄い人を得たいと思うこと事態がおこがましい。 彼の気紛れで成り立っている関係なんだから、また気紛れで終ったってそれはどうしようもないことだ。 そう思い込めば安心なのだ。 自分は唯、その日がなるべく遠く先のことであればいいとだけ、望んでいればいいのだから。

「あっ」

 そんな風にぼんやりと考えて走っていた時だ。 水平線の下に今にも隠れそうになっていた太陽が、一瞬エメラルド色に輝いた。

「あ、すごい…」

 なんとかフラッシュ現象だっけ? 見ると幸せになれるんだっけかな。 カカシに見せたかった。 カカシには幸せになってもらいたい。 今度はカカシも誘って夕方ここへ来よう。 一緒に、でなくてもいい。 彼が幸せになれればそれで…、と丘の上の家を望めば、まだ火も灯らずシンと静まり返った様子が中に人気がないように感じられ、イルカは足を速めた。


               ***


 自分の不安の象徴は、”不在”である。 帰ってくるはずの人が帰らない。 居るはずの人が居ない。 来るはずの人が来ない。 一人待っている自分。 カカシに言われた通り、部屋の片隅で膝を抱えて泣いた夜は数知れない。 心の奥底に染み付いた「今居るということは、いつか居なくなるということ」というマイナス思考を、大人になった現在に至るまで克服できなかった。 自然、希薄な人間関係しか築けない内向的な性格になった。 人間、内向的であればあるほど、外見は楽天的に見えるらしい。 おおらかで優しい、何も悩みが無さそう、単純。 そう言われるようになった。 それでいいと思った。 二十歳の誕生日に自分のやるべき事を見出してからは、そうでなければならないと思った。 そうしてその通りやってきた、つもりだった。 カカシに出会うまでは、だが。


 あの日カカシは、イルカを横抱きに抱えたままリビングの隣のイルカの自室に入るなり、話を始める前までそこでセックスをしていたままに乱れたベッドへイルカを放り出し、自分はベッド脇に蹲った。

「ぬぉおおおーーっ」

 本当に朝まで抱かれるのだと諦めていたイルカは、ぐわしっと頭を抱えて唸り声を上げたカカシに、それはそれは驚いた。 

「ど…どう、したんですか」
「お、俺、アナタを抱きたいっ」
「は?」

 え? 抱けばいいんじゃないですか、とうっかり言いそうになったがなんとか堪えたっけさ。 カカシはと言えば、イルカに背を向けたままで振り返ろうともせず、益々深く頭を抱え込んで身悶えするばかりだった。

「ああーっ 抱きたいっ メチャクチャ抱きたい、今抱きたいすぐ抱きたいっ もーっ」

 頭まで掻き毟り呻くので、イルカも何が何だか解らなくて物凄く不安になった。 どっか具合が悪くなったのか? もしかして頭?

「カカシさん?」
「もーっ もーっ!」
「あの」
「もーーっ!!」

 思わず伸ばした片手がカカシの肩に触れるか触れないかの処で、くるっと振り返ったカカシと顔が会って、心臓が飛び出しそうになったのを覚えている。 でも、そんなイルカより驚いた風に飛び上がったのはカカシの方だった。

「うわっ」
「え? え?」

 イルカを一目見るなり途端に真っ赤になって顔を覆い、今度はベッドに顔を伏せるので、イルカの方がパニックになりかけた。

「カ、カカシさん? どこか具合が悪いんですか? それとも」
「イルカ先生、お願いっ なんか着てください」
「は?」

 着てって…、スルんじゃ?

「あのほら、あれ、黒いの、あったでしょう? 夜、外に出る用の」

 訝しがる暇もなく、首を半分ほど傾げたところでまた意味の判らない事を言われたが、どうやらカカシがコスチューム・プレイをしたいと言っているのではない、という事だけは判った。

「朝まで…スルって、あの…覚悟しろって確か…」
「シタイッ! めちゃくちゃシタイよぉッ! だから服着てください。 俺の我慢の限界がそこに、ほらそこそこ」
「どこ?」

 そこそこと指を差されても、と一応カカシの人差し指が指し示す方向を見てから顔を戻すと、今度はその顔をグワシと掴まれて接吻けられる。

「んっ」
「うわーっ ダメっ」

 イルカ先生、そんなかわいいことしちゃダメですよぉ、俺もー限界だーっ ぐぉーーっ と叫んでまたベッドに背を向けたカカシは、何度か深呼吸を繰り返した後両手で顔を押さえたまま今度は低い声で早口に捲くし立てた。

「イルカ先生、外出します。 黒装束、持ってますよね? あれ、着てください。 今すぐ出ますから。」
「出るって…どこへ」
「アナタの行きたいとこへですぅっ」

 だが直ぐ声が上擦り、焦ったようにブルブルと首まで振られ、なんだか面白かわいいな、と思い始めたイルカだったが、漸くカカシの言いたいことも解り初めてきた。

「今からですか? 俺、行っていいんですか?」
「はい」
「俺の邪魔しないでくれるんですか?」
「それは…その時になってみなきゃ判んないです」
「その時って…アナタもついて来る気ですか?」
「当たり前ですっ」

 多分、さっき言った嘘話が活きているうちに行動を起こせと言われているのだと解釈したイルカだったが、カカシまで行動を共にするのは予定外だ。 なるべく一人で全て済ませたい。 いや、絶対カカシを巻き込みたくない。 そう思って強くカカシの肩を掴み、今度こそこちらを向かせてきちんと話を、と意気込んだイルカに負けないくらいの勢いで振り向いたカカシはだが、その勢いのままにまたボフンと赤面した顔を覆い叫び声を上げた。

「ぎゃーっ」

 だから何か着てくださいーーっ いーっ いーっ ぃーっ

 とエコーが掛かったかどうかは定かではないが、カカシはイルカの部屋を飛び出していってしまったので、イルカは取り敢えず服を着た。




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