同居人求む
- RoomMate -
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砂浜を裸足で走るのは、とても気持ちがよかったが意外と走りづらくて、結構な運動になった。 ここへ来てから丸々一週間ほどをベッドから出られずに過ごしたので、すっかり体が鈍ってしまっている。 丁度いいリハビリだな、と沈む夕陽にオレンジ色に染まるビーチの波打ち際をひたすら走る。
「でっかい夕陽だなー」
日本と違って、空気が澄んでいる所為かな。 こんな景色見れただけでもめっけもんだ。 人っ子一人居ないプライベート・ビーチのような場所で、小さいけれどリゾートハウスのような小洒落た小屋に二人で、まるでハネムーンか何かのように暮らしてもう十日か。 なんだか夢のようだ。
***
二十歳の誕生日に封書が届いた。 受取人指定の書留め郵便で、分厚い茶封筒だった。 表書きと裏書はプリントアウトの印字ではあったが、差出人が8年前に死んだはずの両親の名前になっていた。 募る不信感と膨らむ奇妙な期待感。 自分は確かに父母二人の遺体確認をした。 警察の遺体安置所でだ。 12歳の時だった。 交通事故だと言われた。 即死だったと。 でも、もしかしたら彼らはどこかで生きていて、俺の事をずっと見守っていてくれていたんじゃないか、なんて、馬鹿げた事を期待した。 もう二十歳になるという、その日に。
封書の中からは、何枚ものバースデイカードともう一通、一回り小さい茶封筒が出てきた。 カードには、一枚一枚懐かしい文字で、誕生日を祝う言葉と、書いた日付と、両親の名が記されてあった。 恐らく、自分が生まれたその日から毎年々々、一枚づつカードを増やしていったのだろう。 そう言えばそんなサービスがあったような気がする。 配達日指定郵便の類で、タイムカプセルのような趣を売りにして一時期持て囃されたのではなかっただろうか。 そうだった。 そんな悪戯めいた事が好きな人達だった。 自分が驚く顔を楽しみにしてこんな事をやっていたのだろうに、だが20枚有るはずのカードは12枚しか無く、13枚目のカードの代わりに入っていた茶封筒が、その資料だったのだ。 自分は、両親を亡くしてから8年後になって初めて、彼らの死の真相とそれに至った経緯を知った。
---この人、ほんとに泣き虫だな
それを受け取った日でさえ、自分は泣かなかった。 ただ驚いて暫らく放心していただけだった。 なのに、その話をした時、目の前でカカシがほろほろと涙を流して、その上それを気にして赤くなってたりするものだから、こっちの方がなんだか居心地が悪くて仕方が無かった。
---嘘の涙には見えないけど、いったいどこまでを信じていいんだろう
その十日前だ。 カカシの顔の傷を見て、雷に撃たれたように一人の傭兵の噂を思い出し、目の前が真っ白になった。 その時自分はもう、後戻りできないくらい彼のことが好きになっていたから。 一緒に暮らせてそれだけで幸せだった。 先の無い身だから、それ以上は望まないと決めてはいたものの、毎日が夢心地だった。 それまで何年も殺伐とした心根を押し隠して生きてきたのに、不思議なくらい優しい気持ちになれた。 暖かいモノが胸の内に生まれてきた。 それを大事に大事に日々を過ごしていた。 でも、アスマに確認した後は、自分で自分のそんな気持ち全てを踏み躙るような選択をしたのだ。 泣くカカシを前にした時、それを少し後悔した。 もっとアスマの言うことをよく聞いて判断していればよかったと。 彼はカカシを、”死神”だとは言わなかったのだから。
アスマから聞かされた”オッドアイの死神”の実像と、自分が噂などから想像して勝手に構築していた彼の人物像には、随分と開きがあった。 それは、戦場で彼が通った後に生者は残らないとまで言われた”死神”像からは程遠い、どちらかというと”お隣のカカシさん”の方に近い、なんだかちょっと情けないものだった。 アスマの言うには、カカシはとても…
「泣き虫?」
「おう、”泣き虫カカシ”だ」
「泣き虫な”死神”なんですか」
「”死神”っていう渾名は、ヤツを直接知らない連中がヤツの仕事の跡だけ見てつけたもんで、実体は精神年齢の低いガキだ。 感情的で、よく笑うし、怒るし、泣く。 もうしょっちゅう泣いてる。 人を殺しては泣き、仲間が死んでは泣き、寝坊して置いていかれたといっては泣き、愛読書を失くしたといっては泣きだ。 嬉しくても泣くし、幸せだからっても泣くんだ。 もう、ぽろっぽろっ泣くもんで付いた渾名が」
「泣き虫カカシ」
「そうだ」
「でも、”仕事”ぶりは正に鬼神の如きだと、あの人の戦っている姿を見たことがあるって言う人から聞きましたけど」
「もちろん、戦闘能力は図抜けているさ。 レベルが違うんだ。 大学出てから養成所に入って初めて銃を握ったような人間には、鬼にも神にも見えるだろうぜ。 まるで呼吸をするように戦うからな。 戦場で生まれて戦場で育ったと聞いている。」
「そんな人が…どうして日本なんかに」
「迷惑か?」
ええ本当に。 笑うアスマを斜に睨み上げ、強く頷いたものだ。 迷惑千番だ、とその時は思った。 そんな人が自分の敵側に居る。 あともうちょっとなのに、もうちょっとで本懐を遂げられるのに。
何くれと無く親切にしてくれた人。 気に掛けてくれた。 ピンチに駆けつけてもくれた。 ”お隣のカカシさん”の彼が好きだった。 一緒に住めることにになって一番喜んだのは自分だった。 なのに、あれもこれもみんな、自分に近付くための芝居だったのだ、そう思った。 その時の気持ちを思い出すと、今でも少し胸が痛くなる。 裏切られたと思う一方で、なんておこがましいと自分を恥じた。 よく考えれば判ることなのに、と惨めだった。 悔しいし、惨めだし、恥ずかしいし、どうしようもなくてあんな愚かなことを…。 ただの意趣返しだ。 本当にバカだった。 自分の計画の遂行上も何の意味も効果も無かった。 あのまま知らない振りをして居た方が何ぼかマシだったに違いないと、今でも思う。 それ以前に、人としてどうよなレベルじゃないか。 戦場での2年間は、自分をどこかおかしくしてしまったのだろうか。 髪を弄る砂の混じった乾いた風。 血と硝煙の匂い。 少し前まで人だった物がそこにもここにも転がっている日常。 彼はあそこで生まれて育ったのか。 どこまでも得体が知れないのに、どうしてか信じてしまう、どことなくかわいくて、こんな風に泣き虫な、そんな男に。
見かねて、どうぞとティッシュボックスを取って渡してやると、カカシはえぐえぐとしゃくりあげながら受け取り、ブンブンと鼻をかんだ。 目も鼻も真っ赤にして、鼻を啜り上げて。 ああ、やっぱりかわいい、この人。 やっぱり好きだ。 俺にどうしろって言うんだ、こっちの方が泣きたい、この状況は理不尽だ、という思いに囚われた。 この人の方が自分よりずっと強く、賢く、経験も豊富で、完全に優位に居るはずなのに、どうして俺の前でこんな子供みたいに泣いてるんだろう。 さっきまで、全ての盗聴器を取り除いて尚話を聞かれているとカカシの態度で教えられ、誘導されるように、だが、細心の注意を払って嘘を吐き通してきた。 周囲の人達が非協力的だったとここで主張するだけだったが、それでも、それで彼らの無関係さが強調されて安全を少しでも確保できれば、と願ったのだ。 時々態度が変だったことが有ったはあったが、概ねカカシ主導でまるで舞台で演技でもするように、虚実取り混ぜての大芝居を打っていたのだから、カカシも承知の上だと思っていた。 なのに、いったい何なんだろう。 資料の話はするべきではなかったのか。 でも、あの資料はもう手元に無いし、俺の最終目的にとっては寧ろ目晦ましになるはずだった。 だから本当の事を話したのだけれど…
「ご、ごめ、なさい、イ、イルカ先生に辛い、はな、させて、う、う」
「いえ、もう昔の話ですから」
これが演技だったら…それはそれで自分的にちょっとショックかも。 と、そんな風に考えた覚えがある。 ともすると、彼を信じたい自分がひょっこりと顔を出して、未練がましくそんな風に考える自分が嫌だった。
***
ビーチの端の丘に、カカシのセーフハウスの一つだという小屋は建っていた。 セーフハウスって、もっと何かこう、暗くてじめじめっとしていて窓も無い、みたいな家とか部屋とかを想像していたイルカは、初めて見た時はとても驚いたし、拍子抜けした。 その小屋は、ベージュの壁と赤レンガの屋根、周囲を半周ほど囲むベランダがある平屋建てで、突き出し窓には白いカーテンが揺れ、タイル敷きのベランダには白い椅子とテーブルまである、正にリゾートハウスそのものなのだ。
---ベッドに天蓋まであるんだもんな
まったく、と初めてここへ来た時の感慨が甦り溜息が出た。 まるで新婚旅行客用なのだもの。 でも、カカシの言うには、この辺で外国人が住むにはこれが一番目立たない、即ち、これがこの辺では当たり前の佇まい、ということなのだそうだが、逃亡生活ってもっとこう、逃げ・隠れ、みたいな暗くてビクビクした感じじゃないのか、と思わず突っ込みたくなった。 だってカカシときたら、着いた途端に自分をベッドに連れ込み、そのまま一週間ずーっと離してくれなかったのだ。 新婚ホヤホヤの夫婦だって、ここまで爛れていないぞと思う。 お蔭で全然動けなかったし、せっかくこんな奇麗な海辺に居るのに、海水浴の一つもできなかった。
---今朝だって…
と思い出して顔が熱くなる。 「朝ご飯ですよー」という弾むような声とサッと射し込む陽の光。 鼻歌混じりのカカシに、なんでそんなに元気なんだとベッドの中で唸った。 だって、昨夜も始めたら眠らせてもらえたのが明方だったのだ。 同じ時間に寝たはずなのに。 もしかして寝てない? そういうテンションだった。 「熱っついコーヒー淹れてきましたから、冷めないうちに食べましょー」とユサユサ揺すられ、仕方なくシーツの中に有るはずの下着を探っていたのだ。 ただそれだけだ。 なのに気がついたらカカシが上に乗っかっていて、ぶあっとシャツを脱ぎ捨てるところだった。
---ああいう時、俺もどうして何にも言えなくなっちゃうかな
欲に上気した顔。 無駄の無い筋肉で覆われた上半身。 見つめる赤と青の瞳。 コーヒーが冷めちゃうから、と辛うじて訴えたように思う。 カカシも「うん、冷めちゃうね」と返事をしたもの。 なのに「早く食べなきゃ」と言いながら、カカシは覆い被さってきた。 カカシの理性は、5年使ってパッキンが硬化したタッパの蓋より緩い。 いつ何でスイッチが入るのかサッパリ判らない。 そして、欲情したカカシは何をどうしても止められない。 でもそんな自分も、もう無理だとか、いったい何回やったら気が済むのかとか、せっかくの朝飯がとか、言わなければと思う言葉は全て途切れて消えて、まるで期待するみたいに覆い被さってくるカカシを待ってしまうのだ。 ああ恥ずかしい。 どうして抵抗できないんだろう。 カカシのあの顔、接吻け、赤と青の瞳。 抵抗できないどころじゃない。 俺は期待と不安で胸をいっぱいにさせて、ただ震えて彼の唇が降りてくるのを待っている。
***
カラーコンタクトを外すと、噂に聞いた通りの瞳が現れた。 硬質なコランダムの兄弟石。 クロムが混じるか混じらないかの違いしかない、真紅と透明な青。 戦場で畏怖とともに囁かれた、これがそのルビー・アイとサファイア・アイなのかと、どこか感動に似た気持ちが湧いた。 彼が瞬くと、まるで瞳そのもから光が発しているかのようだった。
あの夜、カカシとベッドに入る前に初めてソレを見て、その後夜明けまでの長い時間ずっと、その色違いの瞳が瞬く度に、そこに戦場を見ていた。 カカシは完璧なプロフェッショナルで、自分なぞ足元にも及ばない存在だった。
「その資料は?」
「今は手元にありません」
今泣いたカラスがもう笑った。 遊びの時間はもう終わり。 そう思うと、心の底の方でポトンポトンと滴っていた雫を、自分が愛しむように数えていた事を知った。 いかん、集中しろと戒めて、注意深く、念入りに嘘を吐いた。 最後の仕上げなんだと判ったから。
「で、まだ足りないんでしょう?」
「ええ」
「自分で盗りに行くつもり?」
「もちろん」
「いつ?」
赤目は閉じられ、透き通った青い目だけがまっすぐに見つめていた。 全部言わない。 喋り過ぎない。 後はカカシがどうするかだ。
「いつ?」
カカシは突然立ち上がって、向かい側からセンタテーブルを回ってこちらに来た。 素でビクリと体が跳ねてしまい、ソファの上で逃げるように体を引いたのを覚えている。 だが、あっという間に隣に座り、後ろから肩に腕を回してきたカカシに抱き止められて、その長い腕の中でどうにか戦慄くのを堪えるのが精一杯だった。
---さっきまで、この腕に抱かれてたんだ
否応なくベッドの中での事が思い出されて、居た堪れなくなった。 男に抱かれたのは久々だったが、始まってしまえば体が勝手に楽なように楽なように力を抜いて、男を受け入れる体勢を作ってしまった。 これでは初体験でないのがバレバレだ、と思ったが、そんな風に理性を保っていられたのも最初の裡だけだった。 カカシは巧かった。 物凄く手馴れていて、何かを考えてなどいられなかった。 気が付くと、泣いて縋っていた。 好いのか痛いのかも判らないほど翻弄されて、「これでは篭絡どころではない、自分が悦がらされて終ってしまう」と切れ々々に思って焦りばかりが先に立った。 でも、どうにもならなかった。 そして、終って直ぐに出て行くカカシの背中を見て、完全に失敗だったと悟ったのだ。
「いつ? 決行するのはいつですか?」
訊きながら、一回二回とカカシは口を塞いできた。 そして合間に耳朶を噛み、ネロリと舌を耳穴に挿し込みながら、何か囁いた。
(前向いて、しっかり声出して、言って)
囁きながら、毛布の端と端を握ったイルカの震える手の上から自分の手を重ね、今にも離してしまいそうになっていた袷を掴んで止めて、その下からもう片方の手をスルリと這い込ませ、イルカを直接握り込んで早急に追い上げて、また囁く。
(ちゃんと答えて、アナタの口から)
ヤツラに聞こえるように
「あっ やっ」
「ね、いつ?」
「こ、今月の、終わりに…、そ、総会が」
「総会の前に?」
「は、あ」
「それとも後?」
「ま、前までに…、どうしても」
「そ、判った」
涙が零れて頬を伝う。 それを舐めながらカカシがソファを降りてイルカの前に回り、覆い被さるように抱き込むと一回深く接吻け、そしてまた耳元で言った。
「達って」
竿を握った手が激しく上下に扱いてきて、イルカは為す術無く喘がされた。 達く声なんか聞かれたくない、とその肩に顔を埋め、思い切り唇を噛んで耐えたが、毛布ごとイルカを抱き込んでいたカカシの腕に力が入り、ぎゅっと抱き締められてまた肩口で声がした。
(大丈夫、アナタの姿はこれっぽちも見せてやらないから。 でも声だけは聞かせてやって。)
達する声を聞かせて。 そしたら俺が、これからもう一戦挑むと言ってアナタを隣へ連れて行く。 そこでちゃんと話をしよう。
「い、や…、あーーっ」
強く握り込まれ、先端を親指でグリッと抉るように押し付けられて、噛み締めていた唇から歯が離れ、恥ずかしいほどか細い声が漏れ上がった。 ビクリと引き攣る体をしっかり抱き締めて押さえながら、カカシは同時に「くそっ」と悔しそうに唸った。 そして一頻り激しく接吻けられ、暫らく額と額を擦り合わせてからグッと睨むような瞳に捕らえられた。
「もう一回抱く」
強い語調でそう宣言するカカシに「え?」と声を上げる間もなく、体が浮いていた。
「覚悟して、朝まで離さないから」
明日、足腰立たないようにしてあげる、アンタは俺のモノって骨の髄まで判らせてあげる、覚悟して。 イルカを抱いて立ち上がり、くるりと振り向いてそう言うと、カカシはノシノシとリビングを後にした。 イルカは唯圧倒されて、一言も発せず抵抗もできずに、カカシに横抱きに抱え上げられるまま呆然とカカシの顔を下から見上げて固まっていた。
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