同居人求む

- RoomMate -


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「猿飛先生、アスマさんのお父上ですが、俺は先生にだけは事情を話しました。 先生は俺を止めたりしなかった。 解ってくれて、後押しまでしてくれました。 日本で幾ら格闘技教室なんかに通っても何にもならないから、渡欧してアスマさんを頼るよう助言してくれたのも、猿飛先生でした。 もしかしたら先生は、両親が死ぬ前から全部知ってて、その上で俺が成人するまで待っていてくれたんじゃないかって、今はそう思います。 だから俺の覚悟を聞いて、協力してくれたんだと。 その先生も亡くなり、家を継いだアスマさんは反対に俺に戻ってくるように再三再四仰るようになったんです。」
「アイツは地獄を幾つも見てきているから、まぁ実際のところヤツの父上より現実を知っているってことでしょう。 できれば暴走するアナタを止めて」
「俺は暴走しているつもりはありません」
「はいはい」

 コ、コーヒー淹れてよかった。 イルカ先生がムッとしても間が持つよ。

「アイツ、確か父親が危篤っていうんで帰国したんでしたっけ」
「そうです。 ほとんど俺とは入れ替わりでした。」
「そっかー、それで俺もアナタに会えなかったんですね」
「俺も帰りたかった。 猿飛先生の死に目にはとうとう会えませんでした。 でも、あの時帰国するわけにはいかなかった、どうしても」
「アスマと一緒に帰国しててもらいたかったですよ。 そしたら今頃俺達ラブラブに」
「…アナタって…」
「はい?」
「いえ…、アナタとアスマさんは面識があったんですね」
「まぁね。 アイツがここに居た時、顔合わせないようにするの苦労したー。」
「アスマさん、気付いてらしたみたいですよ」

 まだ機嫌は直ってないみたいだけど、さっきあんなに怒鳴って泣いた所為か、イルカは気が抜けたような何だかちょっと呆れたような顔をして、俺の淹れたコーヒーを時々啜りながらぽそぽそと話した。 その様が頼り無さ気で儚げで、尻の辺りがウズウズっとなる。

「と」
「は?」

---隣、行っていい?

 って聞きたい猛烈に。 一応聞く。 だ、だって俺、多分今相当警戒されてる。 さっきみたいに恐がられたくないもの。 でもでも、どうかするといきなり隣行って肩抱いちゃいそうで恐い。 肩抱いてぎゅってして「大丈夫、俺が居ますよ」って言いたい。 そう言って安心させてあげたい、猛烈に。 ああ、そうしたいよっ もー、頭バカみたい俺。 でも今は…えーとそれどころじゃなかったような…とにかく。

「と、とにかく、あの…、俺の知りたいのは…えーっと」
「?」

 そこで小首傾げないでくれる?イルカ先生っ かわいすぎっ

「えと、そだ! アナタがなんで急にそんなことする気になったのかってことで」
「どうして傭兵になったか、ですか?」
「いえ、何がアナタを変えたか、です」

 幾分見開かれる目が愛おしかった。 彼の表情の一つ一つが愛おしい。 それが演技でも構わない。 真実でなくてもいい。 いくらでも騙されてあげる。 だからここは、俺の口車に乗った”振り”をして、ヤツラの気に入るような情報をちょっとでいいから喋ってみせて。

               ・・・

「俺が来日したのはつい3年ほど前だから、アナタのご両親が亡くなられた経緯やその後のアナタの生活ぶりなんかは、渡された資料でしか知りません。 だけど、そんな唯の資料からでも、アナタが明らかに自分の生活を変えたのが大学在学中のある時期だったと判ります。 その時アナタに何があったんですか?」

 それは、イルカが4年制大学の教育学部2年に進級したばかりの春先のはずだ。 血の繋がりの無い家に世話になっていたとは言え、何不自由無く暮らすことができていた。 養い親の猿飛家の人々も皆親切で、卑屈になることも無く伸び伸びとおおらかな性格に育ち、将来は猿飛家家長と同じく教育者になって、子供を教えたいと望んで教育学部にも入った。 一年間の一般教養過程を恙無く終え、学部に進み、さてこれからやっと教育についての専門分野に取り組もう、そういう時だったはずだ。 事実、それまでの彼は普通の大学生らしくサークル活動を楽しんだり、バイトに勤しんだり、友人達とコンパで遅くまで飲み歩いたり、そういった生活をしていた。 それが2年の春、彼は急に生活を180度変えたのだ。

「アナタは突然、教育学部生としての必須単位の他に、法律と医学を学び始めた。 同時に幾つかの格闘技も習い始め、暇さえ有れば勉強しているか、体を鍛えるかのどちらかのような生活を始めた。 それにバイトも増やした。 多分、渡欧費用を稼ぐためだったんですよね。 そんな風にサークルも止め、友達付き合いも止め、寝る間も惜しんで働いて、勉強して、大学卒業と同時に渡欧した。 でもそれも、2年間で何の未練も無くすっぱりと足を洗って日本に舞い戻り、何事も無かったかのようにあっさりと教員採用試験を受けて教師になった。 当初のアナタの志望どおりに。 要するにアナタは傭兵にも戦争屋にも最初からなる気なんか無かったってことですよね。 ただ闘う術を身に着けたかった。 それも、そこらへんのチンピラ相手の喧嘩術じゃない、プロ相手に渡り合える武器の知識と戦闘技術が欲しかったんでしょ? そういうヤツラを相手にしなきゃならないって、アナタは知ったんですね。 それは何時、何で知ったの? 誰かに教えられた?」
「アナタは…本当は知っているんでしょう? 俺の目的、俺が何を犠牲にしても遣り遂げたいと望んでいる事が何か、知っているんでしょう? だってアナタは、俺の敵に雇われて俺の計画を阻止するために来た、そうなんでしょう?」
「アナタの…というか、アナタのご両親が遣りたかった事は知っています。 俺のクライアントが知りたいのは、そのご両親が残した資料の在り処です。 ヤツラは、アナタのご両親が亡くなった後、もちろんこの家を家捜ししたようです。 それに猿飛家の方も、まぁこっちは中々思い通りにはいかなかったようですが、有らん限りの手を尽くして探したらしい。 でも、そうやって散々探した回ったけど、結局なんにも見つけられなかった。 だからヤツラはアナタに見張りを付けたんです。 15年間も! アナタがご両親から何か譲り受けているのではないか、と疑ったんでしょう。 その時は子供で何かは解らなくても、資料の隠し場所のヒントとなるような何か持っているんじゃないかと、どうしても放置できなかったんですね。 できることならアナタを攫って拷問でもしたかったでしょうけど、教育者であるとともに代々道場まで構える武道家の一団猿飛一族が邪魔でできなかった。」
「猿飛の家の…人達が?」
「そうです」
「…」
「知らなかったですか?」

 イルカがそこで放心したような顔でフルフルっと首を振ったので、カカシはふんぬっと左手で右手を押さえた。 もうちょっとで、その解かれた黒髪が掛かる首筋を掴み寄せ、接吻けてしまうところだった。 イルカ先生、あぶねぇー。 全身これ凶器だよ。

「そ、そそう、アナタは何も知らないまま8年間育ったんだよね。 ヤツラが急に焦り出したのも、そんなアナタが5年前に明らかに変わったからだし。」
「それで…アナタが雇われたんですね アナタみたいなプロを雇ってまで本格的に妨害しようとしてるんですね。」
「妨害って言うか…、俺は本当は資料奪取オンリーの契約だったはずなんですけどね。 ちょっとモタモタしてたお蔭でオプション発動させられそうなんです。 資料が見つけられない場合はまぁ、ターゲットの直接妨害も有り得るって感じ。」
「俺のこと、始末しろってことですか?」
「アナタを? まさか!」

 はははっと笑って後ろ手に頭を掻いてからイルカの神妙な顔付に気付き、そのまま固まったカカシは彼の覚悟の深さと強さを改めて思い知った。 平和ボケしたこの国の人には中々湧かない発想だ。 自分が明日殺されるかもしれないなんて何人が考えるだろう。 やっぱり戦場を渡り歩いてきただけはある。 では、この人を止めるにはどうしたらいいだろう。 言葉なんかじゃ無理っぽい。 やっぱり最後まで付き合って、それで後は…そ、その時考えよう。

「いや俺これでもココでは殺しは遣らないって決めてるんで、そのぉ、そういう約束でアスマに着いて来たし、だから相手がアナタじゃなくてもやりませんから。 でもぉ、目的の資料が見つけられないなら、せめてアナタの遣る事を止めろって、言われてるんですよね。」
「じゃあ、俺を縛ってヤツラに引き渡せばいいじゃないですか」
「そんなのヤダもんっ」

 だーれがあんなヤツラに大事なイルカ先生を渡すかってーのっ! 誰にも触らせないんだもんね。

「もんって…」

 それに、この人を野放しにしてもおけない。 何をしたいかはっきり口にはしないけど、もし俺だったら…、と考えるとやっぱり最後は彼のこと止めなきゃって思うのだ。 あれ、なんか目がまん丸くなっててかっわいいなぁ。 どうしたんだろ、イルカ先生。

「カカシさん…、アナタいったいどっちの味方なんですか」
「え? イルカ先生だけど?」
「…信じられません」
「今は、信じてくれなくていいですけどぉ、でも俺」
「信じろって、言う方が無理ですよ。 だいたい、他の人達みたいに俺に計画を止めさせて諦めさせた方が早いじゃないですか。 その方がアナタのクライアントとの契約も履行できるでしょうし、面倒なことにもなりません。 丸め込んで俺をモノにすればいい。 ただ表向き協力する振りして調子合わせといて、最後は失敗させて、もう無理だって思わせて諦めさせて…。 アナタなら簡単なはずだ。」
「それでアナタ、騙されてくれるの?」

 俯いて唇を噛む姿も愛おしい。 そのふっくりした唇は、さっき嫌と言うほど吸ったり舐めたりしたんだもんね。 彼は唇が触れ合うまで随分と緊張していた。 始まってしまってからの方が体の力も抜けて、受け入れようという意思が見えた。 男との行為を生き抜く手段に使っていたと言っていたけど、決して好き好んでしてたんじゃないんだな。 もしかしたら一回も、本当に感じて悦んだことが無いのかもしれない。 そうだったらいい。 だって、さっきのイルカ先生は何か違ったもの。 なんか感じてた…。 こう、さ、戸惑いなのか焦りなのかよく判んなかったけど、俺の下で泣きながら達して、涙振り払うみたいに何回か顔を振って、それからシーツ掴んでた手を慌てて顔の前に…

「う、ぐっ」
「俺がどう感じるかなんて…俺の気持ちなんて、どうでもいいでしょう!」
「気持ち?」

 あ、あれ、何の話してたんだっけ(汗)。 えーと、そうだ、イルカ先生を丸め込んでモノにする…じゃなくって、俺、イルカ先生の気持ちが欲しい。 ってゆーか全部、全部欲しい!

「体だけで充分でしょう」
「え? 何言ってるの? 俺そんなの嫌ですよ」
「何が嫌なんですか! 気に入ったのならあげますよ! 飽きるまで抱けばいいっ こんな体」
「俺、そんなのヤダもん」
「な…、なんでアナタが泣くんです」

 しまった、泣いちゃった?俺。 はっとして手で顔を覆うと、確かに水滴が指に触れる。 うわっ 恥ずかしい。 顔、熱っつい。

「どうして泣いたりするんですっ どうしてそこで赤面したりするんですっ どうしてっ」
「セキメン?」
「アナタがルームメイトになったのだって、資料探しと俺の見張りの為でしょう? もうお互い正体も判ってるんだから、そんなっ そんな芝居掛かったことしなくたって、アナタが俺に惚れてるなんて勘違いしませんよっ!」
「勘違いってなに? 俺、芝居なんてしてないよっ」
「芝居じゃなかったら何なんですっ!」
「だって俺、アナタが好きなんだもんっ」
「信じられませんっ!!」
「どーしてっ!!」

 どうして? どうしたら信じてもらえる? 胸をメスで開いたって血しか出ないし、俺は嘘発見器にはかかんないし、言葉を尽くしてもダメ、態度で示してもダメなんでしょ? 体を重ねたってダメなんだから、俺もうどうしたらいいか判んないっ

「どうしてって…、アナタこそどうして俺なんか… 俺のどこに惚れたって言うんです? 2年前まで不特定多数の男と節操なく寝てた男ですよ! 目的のためなら手段も選ばない、人の人生や将来めちゃくちゃにして平気でいる最低野朗なんですよ! 顔だって十人並みじゃないですかっ いったいどこにどうしてそんな気になるんですか?!」
「だって、好きになっちゃったんだもん、しょーがないじゃないですかぁ」
「そ…んなこと…」

 腰も浮かさんばかりに力んでいたイルカだったが、またガクッと空気が抜けたようにソファに沈んで両手で顔を覆ってしまった。 ほんとに、猜疑心の塊みたいな人だ。 おおらかに伸び々々育ったって…、今のイルカ先生からは想像もできないな。 いったい5年前に何があって、この人をこんな風に変えちゃったんだろう。 うっ いかん、また涙出てきちゃった。

「俺の…二十歳の誕生日に、両親から封書が届いたんですよ」
「え?」

 唐突だったので、よく判らなくて間抜けに聞き返してから気が付いた。 それは彼の、切れそうに痛い過去。 彼をこの復讐劇の役者に仕立て上げた、残酷な天の采配。 そんな資料は最初から存在しなかったということにしたかった俺の、儚い望みを砕く真実の話。





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