同居人求む

- RoomMate -


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「それに、俺のこと随分調べたみたいですね」
「ええ、調べましたとも」

 意地悪だと言った時は泣きそうな顔に見えたのだが、すぐ気分を害したと表情に出し、彼はむっつりと口調も重くぶっきらぼうになった。 そして聞きに入るつもりになったのか、それ以上喋る気配も見せず、こちらに視線も併せないでソファに浅く腰掛け、膝の上で組み合わせた両手を唯じっと見つめるだけになってしまったので、カカシも一つ小さく溜息を吐いて話を続けた。

「俺は調べました。 アナタのこと。 12歳で天涯孤独になってから今日まで、アナタがどんな人生を歩んできたか。 大学卒業から一昨年の夏に教員採用試験を受けるまでの空白の2年間、アナタがどこで何をやってたのか。」

 少し肌蹴た毛布の袷の隙間から、彼の素肌がチラチラと覗いて気になった。 さっきまで、ついさっきまであの肌にこの手を這わしていたというのに。

「アナタは大学を卒業すると直ぐに、数年前に家を飛び出し好き放題やっていた猿飛家の放蕩息子、猿飛アスマの伝手を頼って渡欧し、彼の所属する傭兵部隊に入隊した。 最初の2ヶ月間はそこの養成所で訓練に明け暮れ、各種銃火器の扱い方や実践的な格闘技を習得し、後の2年間は世界中の戦場を渡り歩いた。 もちろん傭兵として。 アナタはその2年間を生き抜いた。 それなりの戦果も上げたでしょう。 高額のギャラでその後の数年間を遊び暮らせる金も稼いだでしょう。 それなのにアナタは、何事も無かったように帰国して教師になった。 そうして、12歳からのアナタの育ての親であり猿飛アスマの父である人が理事長だった学園の小等部に席を置き、昼は小学校の教師、夜は」
「俺も」

 唐突に、カカシの言葉を遮るように、それまで黙って聞いていたイルカが口を挟んだ。

「俺も、ヨーロッパに居た時、アナタの噂を何度も耳にしました」

 遮られた先の話は聞きたくなかったのかな、とカカシは夜の闇に溶けそうに佇んでいたイルカの姿を思い出した。 風に靡く漆黒の髪がとても印象的で、昼間初めて会った時、頭頂で高々と括り上げている姿のイルカを見て別人かと思ったほどだ。 昼の顔と夜の顔のギャップが、彼をそうさせている謎が、また例えようも無く魅力的だった。

「戦場でもオフでも会った事はなかったけど、特徴的な容姿については耳にタコができるほど聞かされてもいた。 でも全然気がつきませんでした。 迂闊だったな。 それ、カラー・コンタクトを入れてるんですね。」
「ええまぁ。 この傷で気がついたの?」
「はい」
「アスマに確かめに行ったんですね?」
「ええ」
「アイツ、なんて言ってました?」
「アナタの容姿を話すと、確かにそれはあの”オッドアイの死神”だと仰いました。 アナタが、彼の帰国時にちょっと休暇のつもりで一緒に付いて来て、そのまま傭兵家業も辞めて日本に居ついてしまったのだと聞いて、俺驚きましたよ。」
「はは、参ったな。 アイツ碌なこと言わなかったでしょ。」
「いえ、噂通りだって」
「で、俺の仕事については?」
「もちろん、その神業的なスキルを活かした仕事をしていると」
「アナタの敵である会社に雇われてるって?」
「そういう可能性は大いに有り得ると、仰いました。 となると、アナタが隣に越してきたのも偶然ではない、とも。」
「それで、俺の正体に気付いて、色仕掛けに出ることにしたと?」
「そうです」

 だって、実力じゃ何一つアナタには適わないですもの、とイルカはそこでふっと小さく笑った。 それに見惚れる。 バカだなぁ、イルカ先生。 俺は、そんなアナタの笑顔一つにも適いやしないのに。

「俺みたいな東洋人の素人が傭兵部隊に入ったらどんな扱いを受けるか、アナタなら知っているでしょう? あの2年間、俺にとってそういう事は日常茶飯事だった。 兵士として使い物になるまでは、ほぼ部隊の男全員のオナペットでしたよ。 最初はカルチャーショックもあったし、男としての矜持も許さなかった。 でも、あそこではそんな甘い事、言っていられるような状況じゃないですものね。 俺は、生き抜く手段として体を使うことを受け入れました。 そう割り切ってからは、上官を垂らし込んでは良い寝床といい食事とを体と引き換えに手に入れて、やってきたんです。 大勢に慰み者にされるよりずっとマシだったから。」
「…その時のアナタに会えていればって、心底思いますよ。 そしたら俺、絶対アナタの最初の相手になって、アナタのこと他のヤツラから守って、ずっと…」
「またそんな」
「ホントです!」

 窓側を向いて喋っているのはイルカ。 俺の声は、そうだな、壁に反射してる分くらいは聞こえちゃうかな。 それはちょっと恥ずかしいかも。 だってこれは俺の本音。 今まで人に明かしたことなんか一度も無い、本当の気持ち。 今、この目の前の人だけには疑わないで貰いたい、俺の真実。

「欧米人や黒人に比べたら東洋人は体も小さいし、全然華奢だし、役立たずの新米兵だし、仕方なかったんだって判ってます。 同情は要りません。」
「同情じゃないもん」

 ああ恥ずかしい。 ここらへんは聞かないでほしいな、ほんと。 でもイルカ先生には解ってもらいたい。 俺の恥と彼と、どっちを捨てるかなんて決まってる。 でも恥ずかしいけど。

「でもアナタ、全然揺らがないんだもの。 俺の色仕掛けにはかからなかった訳でしょう? これでも俺、上官達を誘って断られたこと一度も無いんですよ。 無かったんです。 今回は失敗しちゃったみたいだけど。 安く体を許したのがいけなかったのかな。」

 ああ、こんな阿婆擦れた事言わせたいわけじゃないのに。 でもこの人はきっと、俺に裏切られたって思ってる。 多分、俺のこの左目の傷を見るまでは、本当に知らなかったのかもしれない。 だから彼にそんなこと言わせているのは俺だ、多分。

「アナタが仕掛ける前からベタ惚れだもん、今更態度変えたりしませんよ」
「…それが本当なら、俺に協力してください」
「うーん、それはアナタが最後にどうしたいかに由るなぁ」
「最後?」
「そう、それによっては俺、全力で邪魔します。 気持ち的にはアナタに協力するのに吝かじゃないですけどね。」
「…」

 イルカは少し俯いて考え込んだ。 俺の気に入るような答えをシュミレートしているのだろうかと、ちょっと内心ワクワクして待った。 だが、さほど時間を掛けずに強い眼差しで向き合うと、さっきまで気弱気に色仕掛けなど仕掛けようとしていた人とは思えない敢然とした表情で言うのだ。

「もういいです、他を当ります」

 ああ! こういう人だよ、この人は。 この負けん気の強さが堪んない。 この世の全ての人々よ、見るがいい。 これが俺の惚れた人だ! い、いやいやいやいや、やっぱり見ないで。

               ・・・

「アスマだったら、もう一回断られているんでしょう?」

 もう話は終わりだと言わんばかりに立ち上がろうとするイルカの背に向けて言葉を投げる。 もう一度話を戻さなきゃ。 だって、まだ肝心な部分を聞かせていない。 これじゃあ俺を引き込む意味が無いでしょう?

「猿飛アスマもやはり本当のルームメイトでは無かったのでしょう? ハヤテからの情報収集を諦め実力行使に出る覚悟を決めたアナタは、協力者の必要性を感じた。 だから、傭兵の先輩であり、義理とは言え兄として信頼も置いていた彼に白羽の矢を立てた。 そんなところじゃなかったんですか? もしかしてヤツにも色仕掛けを」
「してませんっ!!」

 振り返った顔が怒りに紅潮していて、声も少し震えていた。 わぁ、イルカ先生の怒った顔だ。 初めて見るなぁ。 怒った顔もかわいいなぁ。 泣いた顔はさっきベッドで見たでしょ、怒った顔はこれで見れたでしょ、哀しそうな顔はさっきからいっぱい見せられてるしー、かわいい笑顔は今までずっと見てきたけど…、そうだな、ほんとのほんとに心から嬉しそうに笑った顔が見たいな。 後はぁ、甘える顔とか? うわわっ そんなの見れたら嬉しすぎっ!

「そんなことあの人に俺、してません。 俺はあくまで一人で遣るつもりでした。 アスマさんはただ、俺の事を心配して来てくれただけだった。 猿飛先生と違ってあの人は俺のやる事に反対だったから、だから止めに来たんです。 でも俺が頑固だからあの人、じゃあ協力してやるって確かに言ってくれたけど、俺は…、アスマさん、だって結婚も決まってるのに、紅さんのお腹には赤ちゃんまで居るのに、どうしてそんなこと! どうして…」

 涙がその黒い瞳からぽろっぽろっと弾け散った。 下睫を伝って頬に触れもせず床に散る涙に、俺は感心して見惚れた。 イルカ先生、睫長い。 でもそれも最初のうちだけで、その瞳と同じ黒い睫が涙でしっとり濡れてくると、頬に幾筋も涙が流れて、ああなんて奇麗なんだろう。 気がつくと立ち上がって一歩イルカに歩み寄っていた。

「あ…ご、ごめ…」

 吃驚して涙も止まったのか、身構えて体を引くイルカに気付き慌てて椅子に戻る。 いかん…俺うっかりするとイルカ先生に抱き着いちゃう。 いやいやいや、我を失ったらその場で押し倒しちゃうかもしんない。 そんなイルカ先生だけは、絶対ヤツラには見せらんないもん。 気をしっかり持つんだ俺。

---だって、だってさ、さっきまでこの人俺の下で涙流して喘いでたんだもんさ

 思い出すだけでムムムと下腹に熱が篭るので何度か深呼吸していると、イルカも気が抜けたのかストンとまたソファに座った。

「とりあえず、コ、コーヒーでも飲みましょか」
「はい」

 そしてコックリと頷くので、俺はまたその余りのかわいさに、慌てて台所に飛び込まなければならなかった。





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