同居人求む

- RoomMate -


8


 ベランダに出て煙草に火を点け、肺に深く煙を吸い込んで溜息とともに吐き出す。 溜息だけのつもりだったのに、気がつくと涙が数滴零れていた。

「カカシさん」

 眠ったと思ったイルカが、いつの間にか後ろに居た。 今は顔を見られたくなくて、振り向かずに返事をする。

「あ、イルカ先生、起きたんですか? 体は」
「カカシさん、俺、好く…なかったですか」
「は? ぐ、ホッ ゲホッ」

 思わず息と一緒に吸い込んでしまった大量の煙に暫らく咽てから振り向くと、項垂れたイルカがサッシに凭れるように立っていた。 肩から被るように毛布を羽織って、前を併せる端と端を押さえた手先だけが覗き、その毛布の下で彼がまだ全裸であると思うとまた欲望が疼いた。 解いた髪が肩まで垂れている。 首筋に自分が付けた痕が赤く浮き出ている。 瞼が少し腫れていて、自分の下で泣きながら喘いでいた彼の顔が甦り、知らずゴクリと一度湧き出した唾を嚥下していた。 好くないわけないじゃないか。 愛おしくて堪らないアナタをこの腕に抱いた。

「それとも…幻滅しました? 俺が、初めてじゃないって判って」

 彼の媚態を思い出し、熱くなる頬を隠したくてまだ咽ている振りをしながら俯いていたのだが、片手で口元を覆う指先に、また新たな水滴が触れてついと流れていった。 誤魔化させてもくれないのだな、この人は。 俺は、このまま知らない振りを通してやっていきたかった。 それも許してくれないんだ。

「幻滅なんて、してませんよ」
「なら、どうして」

 どうしてって…なにが。 問い返したい思いを抑え、カカシは顔を上げた。 もう時間が無いのかもしれない。 この人は焦っている。 篭絡してでも自分を取り込んで、彼の計画を進めたいのだ。 俺が最後の難関だと、知っているから。

「アナタが…初めてじゃないって知ってましたもの、俺」
「やっぱり」

 唇を噛み締めるその顔。 これも篭絡の為の演技なのだろうか。 としたら、俺は…

「その恰好じゃ寒いでしょ、中へ入りましょう」

 促してリビングに入りサッシを締めようとすると、「風に当りたいから」と止められる。 この人のことだから、もう盗聴器は全て外されていると考えられるが、超指向性マイクなら100m先からでも集音できる。 それとも態と聞かせたいのか?

「これで全部だと思うんですけど」

 まだ有りますか、とテーブルに出された小さな機械はやはり盗聴器で、カカシは数を数える振りをしてまた俯いた。 まだ迷っていた。 この人の味方になる、それだけは違わない。 だけれどもまだ、この人の計画に乗るのが最良か、今は恨まれても阻止するのが将来的に考えても最良か、判らなかった。

「これで全部だと思います」
「よかった…じゃあ、お互い本音で話しましょう」

 ”本音”を聞かせて欺くのか。 筋書きからお膳立、役者、小道具、何から何まで万端か。 俺も役者の一人、否、もしかしたら唯の小道具なのかもしれない、彼にとっては。

「わかりました、イルカ先生」

 乗りましょう、アナタの計画に。 アナタのやりたいようにできるよう、俺は踊りましょう。 だからどうか、嘘でもいいから、俺の手を離さないで。

               ・・・

「偶然だったのか、機会を狙ってのことなのか、アナタは月光ハヤテと接触を持った。 あの製薬会社の研究員だったハヤテを説得し、治験データを持ち出させようとしたんでしょう? 実を言えば、彼がアナタのルームメイトだったことは一度も無いのではないですか? アナタはただ、彼を説得するためにこっそり部屋に連れ込んでいただけだった。 不知火ゲンマ刑事も抱き込んで、証人保護プログラムの発動を込みにした計画を立てていたのか、その間ゲンマも度々アナタの部屋を訪れている。 だがアナタは説得に失敗した。 しかもハヤテは会社に居られなくなり、結局ゲンマの元で保護されている。 違いますか?」
「ゲンマさんは、本当に偶然だったんです。 ハヤテさんを危険な目に遭わせる気は俺にも無かった。 だから、同意が得られるまでは、ゲンマさんにも会社にもバレないよう細心の注意を払っていたつもりだった。 でも、窃盗事件の事や色々でゲンマさんが頻繁に出入りしていたのが目立ったんでしょう。 焦ったヤツラが迂闊に盗聴していた不審車両を、ゲンマさんが職質して押さえてしまったんです。 当然ゲンマさんにバレ、恐らく彼らの雇い主にもバレたでしょう。 後はご想像の通りです。 ゲンマさんは一応、俺の言う事にも理解は示してくれたんですけど、それは自分達警察がする事だと、手を引くように厳しく言い渡されました。 俺はもちろん逆らわなかった。 ハヤテさんの保護も俺からお願いしました。」
「表向きはそんなものわかりのいい振りをして、インサイダーの線から証拠資料を入手するのを諦め、自力で盗み取る決断をした、という訳ですね」
「…その通りです」
「今、月光ハヤテは既に解雇され、研究室への出入りもできない。 もしかしたら関係資料は既に隠滅されているかもしれない。 彼に職を失わせた責任も感じている。 それでも、計画の続行を諦める気には無いと。」
「もちろんです。 その為に5年間準備してきたんですから。」
「ハヤテの人生はどうでもいいの?」
「…ハヤテさんがゲンマさんに見初められたって話、あれだけは本当なんですよ。 ゲンマさんは彼の安全と将来を俺にそれとなく約束してくれた。 ハヤテさんはまだやり直しが利く。 あんな会社に居て社会悪の歯車に漫然と収まっている人生よりずっといい。」
「それは傲慢な考え方だと思わない?」
「思いません」
「頑固だなぁ。 アナタだってまだやり直し利くでしょ。 皆ちょっとずつ妥協して生きてるんですよ。 そうやって折り合っていけないんですか。」
「折り合って、目を瞑って、ですか? 俺の父のように騙されて治験対象にされた挙句に副作用に苦しむ子供や老人がたくさん居るって判っていても? 母のように、ただ元看護師で知識があった為に医師に抗議し、彼らの痛い所を突いてしまった…、その所為で父諸共事故を装って殺されて、そんな人がもしかしたらまた出るかもしれないって判っているのに?」
「アナタのように両親を失った子供がまた、夜膝を抱えて泣くかもしれない?」
「………カカシさん、アナタ意地悪です」




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