再見
6
イルカ 08
「俺達が最初に会ったのは、あの九尾の夜だ。」
男は星空に目を向けたまま語りだした。
「俺は先生と一緒に死ぬつもりだった。 あの時の俺には先生が全てだったから。」
イルカは胸が苦しいほど締め付けられ、この感情はなんだろうと思った。
「先生は、九尾の封印が解けたのは自分の所為だからって言って、術者の命を触媒にする封印術を九尾に仕掛けようとしていた。 それをするのに九尾の懐に入る必要があって、たくさん忍が捨て駒になった。 俺もそのひとりに…」
ふとそこで言葉を止めた男がこちらを見て、手を伸ばしてきた。
「大丈夫?」
頬をそっと包まれ摩られる。
「恐い? 止めようか?」
イルカは、自分がいつもの癪に襲われていることに気付かなかった。 眼前には覚えていないはずのあの夜の光景が広がり、意識を半分持っていかれた状態だったようだった。 はっはぁ、と意識して呼吸をする。 冷や汗が滲んでいる顔を大きな手に拭うように撫でられた。
「こうしていて、いいですか?」
イルカはその手を両手で掴んでぎゅっと胸元に引き寄せ、抱き込むようにして男を見た。
「続けて、ください。」
男はイルカの手を一度握り返すと、話を再開した。
「先生は、赤ん坊を抱いてた。 生まれたばかりの先生の子供だ。 夜の闇に九尾の遠吠えと赤ん坊の泣き声が響いてて、後は嵐みたいな風の音と、時々上がる人の叫び声と、それから…」
「それから?」
「よくは判らないけど、何かを呼ぶ声がしてた。 その声だけ他のと全然違ったからよく覚えてる。」
「へぇ」
「へぇって、もう気持ち悪いの平気になった?」
「あ… ほんとだ」
「あんたってほんと、よくわかんない」
男はそこでちょっと笑った。 呆れたようなその笑顔が、でもとても優しげで、イルカはすっかり自分が落ち着いている事に気付いた。
「それで?」
「うん」
自分がどんな顔をしたのか判らないが、ちょっと小首を傾げるようにして顔を覗きこんでいた男は、何を思ったのか体がくっつくほどにじり寄り、ぐっとイルカの肩に腕を回してきた。 なぜかもう体は竦まず、暖かなその感触にほっと息さえ漏れる。 根は優しい人なのだ、と思った。
「暗部の一団が先生の周りで結界を張ってた。 九尾はまだ遠かったけど、アイツの銀の毛がぶっとい針になって雨霰と降り注いできていて、最前列のヤツから段々倒れてくんだ。 だから俺もその中に入ろうとしたら先生が…」
パラリとその色違いの双眸から涙が零れたのをイルカは見た。 吃驚して目を見開いていると、男は自分が泣いている事にやっと気付いたような顔をして、少し赤らんだ。 全然、恥ずかしいことなんか無いのにと、言いたかったが言葉にならなかった。 自分と違わない年で壮絶な体験をし、しかも自分のように都合よくそれを忘れてしまわず、ずっとその身の内に抱え込んで尚強く有れる事が驚きであり尊敬であり、どこか哀れな気がして堪らなくなった。 でも言葉が出ない。 だから自分も男の方に体を少し近づけると、そっと腕を伸ばして肩を擦った。 そして初めて抱き締めあった。
「抱かれたくなった?」
「ば、違いますっ」
慌てて離れる。 やっぱりこの人、甘やかしたらいけない。 でもその顔がさっきよりも赤かったので、照れ隠しなんだと判ってちょっと顔が綻んでしまった。
「なに笑ってんのー」
「続き続き」
膨れた頬に更に笑みを加えると、男は「もー」と言ってまた話し出した。
「先生ったら俺に入ってくるなって怒鳴りやがった。 だから俺も嫌だって怒鳴り返してやったさ。 そしたらさ、先生俺にシャボン玉みたいな結界球をかけて俺のこと閉じ込めた。 叩いても切っても術でも全然壊れなくってさぁ、三重結界だったんだ。 それがこれだよ、あの時覚えた。」
イルカの肩にあった手を外して頭上を指す。 体から熱源が去り、寒いと感じると同時に早くその手が戻ってこないかな、と思った。 さっきまでは近寄られるだけで震えたのに変だと思う。 だが男がそのままその手を彼自身の体の上に落とした時、心底がっかりしている自分に気付かない訳にはいかなかった。 でもまた抱いてくれとは言えなかった。
「先生がシャボン玉の外から何か言ってた。 でも声も歪んでよく聞こえなかった。 誰かを守れって言ってたみたいだった。 俺、中で泣き叫んだよ。 出せーってさ。 このクソ馬鹿野郎、出しやがれーって叫んだけど、先生がぽんって俺ごと玉を押したら、風に乗るみたいに飛ばされた。 あっと言う間に最前線から遠ざかってドンドン流されて、それでも一生懸命あれこれ試して出ようとしたんだけど全然ダメでさ。 これじゃあ逆に死んじゃうよって思って途方に暮れてたら目の前にアンタが居た。」
「え、俺?」
「そう、確かにアレはアンタだった。 チャクラの質も同じだし、その鼻の傷、あったもん」
「全然覚えてない」
「ひでぇ」
「ごめんなさい」
「ま、いいよ、それは。 俺そん時アンタが居なかったら外に出られなかったんだから」
「?」
「アンタが触ったら、シャボン玉簡単に割れたんだ。 吃驚したよ」
「へぇ」
「へぇってねぇ、アンタがやったんだよ?」
「でも覚えてないし」
「アンタのあの夜の記憶、どこ行っちゃったんだろうね」
どこか寂しそうなその顔に、初めて自分が記憶を無くしたことに罪悪感を覚えた。 無くてよかったとしか思わなかった記憶。 でも今、目の前のこの暗部の男の為に、できる事なら取り戻したいと、そう願った。
「先生が最後に俺に、誰か守れって言ってたからさ、俺取り敢えずアンタを守る事にしたんだ。」
「て…適当、ですね」
「だってアンタ全然子供ーって感じでさ、俺よりちょっと背高かったけど力も無いみたいだったしチャクラも禄に練れないみたいだったしさ、ふらふら歩いてっちゃうし、こいつちょっと頭イカレテるって思って、でも命の恩人だし放っとけなくってさ、捕まえて物陰に引っ張り込んで二人で並んで座った。 先生の所に戻るには遠過ぎたし、俺も結構疲れてたから」
「頭イカレテる…」
「気にすんなよ。 あの夜は皆そんなだったんだから」
優しい。
「優しかないよ」
「…え? ええー? 心、読めるんですか?」
「ちょっとなら」
この目の所為だよ、と男は赤い左目を差す。 そしてイルカの体に再び腕を回してきた。
「寒かったんでしょ」
「う〜〜」
恥ずかしい。
「別に、恥ずかしいことないよ」
「よ…読まないでくださいっ」
「ごめんごめん」
そう言って笑って、男は器用に左目だけ閉じた。
「ほんとは普段はあんまり使っちゃいけないんだ。 まだ慣れなくてさ、コントロールがよくできなくて直ぐチャクラ消費しちゃうんだ。」
「へ…へぇー」
「アンタ、かわいいね」
「よ、読まないでって」
「読んでないじゃん」
「う〜〜」
「何考えてたのさ」
笑って左目を開けたのでその目に慌てて掌を宛がうと、逆にその手を掴まれた。
「さっき、抱かれたいって思ったよね?」
「そ…そんなこと…」
「思ったよ」
圧し掛かる男の体の重さが、何故か気持ちよいと感じて焦る。 だめだ、この人の言ってる”抱く”はセックスという意味なんだから。 自分はそんな事は望んでない。 だって恐い。
「恐くないよ」
左目が、赤く赤く光っていた。
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