ヴォカリーズ

- Vocalise -


4


 決してイルカを殺してはいけないよ、と瀬里は常々私に言っていた。 手の内にあればこの上ない駈け引きの材料にもなり得るが、生きていてこそだ、と。 人質を奪還されることなく逃げられる事無く、更にその生き死にが相手に判らぬようにする最適の方法は、密かに殺してしまいその生死を隠匿する事ではありませんかと問うと、普通はそうだがカカシに限っては違うとまた繰り返される。 ヤツにイルカの生死を完全に隠す事は不可能だ。 そしてヤツの行動を抑える事ができるのは生きたイルカだけ。 隠して然るべきところをあの男は、態とイルカの事を公にし、自分の彼への執着心をも露にして世にアピールした。 そうする事でイルカを守る道を選んだのだ。 ヤツのモノに手を出したならどうなるか、真にカカシを知る者なら考えずとも判る。 そしてヤツをよく知らない若い者達へも決して手を出すなと戒める。 私のようにな。 もしもイルカに何かあったら、それをイルカに齎した者だけでなくそれを止めなかった者にも、最もおぞましい恐怖の果てにどこかで野晒しになるという末路が用意されているぞと、ヤツは無言で言っているのだ。 今の私達にそこまでする必要性があるだろうか? 自分の名を上げたいか? 里の知名度を世に轟かせたいか? 命を賭してか? 里全体を壊滅の危機に晒してか? そんな事を敢えてする必要など何処にもない。 木の葉と我が里の力関係を比べても、議論の余地も無い判りきった結論だ。 だから、決してイルカは殺してはならないのだよ、と笑って言うのだ。
 忍と忍の間の事だ、隠しても始まらないのは判る。 カカシに限ってはだが、その方法が最も効果的だろう事も、カカシの真の恐ろしさをよく知らない自分でも理解できる。 あの時、暗部がカカシの方へ向かわずに里長の下へ全員駆けつけたのは、この人が何かあったらそうしろと言いつけてあったというのもあるらしいが、カカシに無駄に殺されるより里長の前で身を楯にした方が有益だと判断したためなのだ。 それほどの殺気だった。 だからカカシの危険さも認めよう。 だが私にとっての不可解はそんな事ではなかった。 私は、その写輪眼のカカシが、はたまた自分の上司であり今も尊敬して止まないかつての上忍師が、なぜそこまであのイルカという平凡な中忍に傾倒するのか、それが理解できないのだった。

               ・・・

「あ… ああ、う… ん」

 イルカの喘ぎ声は徐々に細く力無くなっていった。 「仕置き」と称して始められたセックスが既に何時間経っているのか。 計る気も起きなくなってしまっていた。

「ふ… んん…」

 カカシが口を塞ぐのだろう。 イルカの声は不自然に途切れ、苦しげな息遣いの方が荒くなっていく。

「あっ ああっ」

 突然、声が切羽詰ってきて間隔も狭く鋭くなり、カカシの激しい呼吸までもが聞こえてきた。 肉を打つ音。 ぎゅっぎゅっという衣擦れの音。 そして…

「あっ あああーーっ」

 一際大きく叫ぶイルカの声に、うっと言う低い呻き声が被り、声は一旦収まった。 二人分の荒々しい息使いの音だけが続く。

「あ、カカシさん、まだ…」

 だが、「ああ、ああ」と言うイルカの切なげな泣き声がしたかと思うとその声が急にくぐもり、イルカがうつ伏せにされたのだと知れた。

「カカシさん、待って、ああっ」

 カカシの返答は最初から殆ど無い。 その部屋からはイルカの声だけが響いてくる。

「まっ 待って、ねがい、あ、ああ… あーーっ」

 イルカの細い叫びだけが衣を裂くように上がった。 絶頂の直後にまた無理矢理にでも扱かれ達かされたのだろう。 快感の声音というよりそれは、苦悶の響きの方が強かった。 更に間を措かず、懇願の声が続く。

「カ、カカシさ… もう無理、無理です… あ、い、いやぁ、あう、うう」

 はっはっと言う苦しげな吐息。 また断続的に続く喘ぎ声。 それに時折切ない哀願の声が混じる。

「あ… ゆ、許して… あ、あ、もう許して…くださ…ん、んんー」

 カカシが口を塞いだか? 完全にくぐもったイルカの泣き声が、唯々か細く漏れ聞こえてくる。 カカシの責め苦に悶え喘ぎ、泣いて善がっているのかと、後ろ手にクナイを握って息を殺した。

「あっ」

 その時、突然明瞭なイルカの声と共に部屋の中で大きく動く気配が上がる。

「カカシさん、だめぇ」
「なんで」

 初めてカカシの言葉らしい声が聞こえ、思わず息を顰めて襖に近付くと、イルカが頻りに嫌がって暴れている様子が読み取れた。

「おとなしくしてよ、何でもするって言ったでしょ」
「でも、でも… 上はダメです」
「だからなんで」
「お、俺、いざって時、役に立てないきっと、だから、あっ」

 そこまでイルカに喋らせたカカシが、いきなり律動を始めたのだろう、大きく上下する呼吸音と肉を抉る音が響く。

「あっ あっ はっ いやっ いやぁーっ」
「俺が…上だったら…いざって時アンタを捨てて逃げられるから?」
「ご、ごめな…さ、あ、も、許して、あ、許してぇ」
「俺が下の時…アンタが役に立つって…身でも楯にしてくれるって言うんですか?!」
「は…うん……や」
「…ざけるな…」
「ああーーっ」

 甲高くイルカが叫び、それから部屋の中はまた少し静かになった。 だがすぐに、イルカの啜り泣く声が聞こえてきた。

「上は…嫌です」
「いいから、力抜いて」
「木の葉でならいくらでも」
「同じだよ」

 向き合って話しているのだろうか、声が囁きになって聞き取り辛く、尚襖に耳を寄せる。

「カカ…さ…」
「ほら、きて…もっとぴったり」
「う…うう…」

 泣きながらもイルカは従ったのか、カカシの満足気な溜息が一つ上がった。

「こうしてれば、アンタの言ういざって時、俺達一緒に貫かれますよ」
「…」

 後はイルカのしくしく泣く声だけになった。 先程までの荒々しさが室内から消え、私は絶好の機会を逸した事を知った。 音を殺して一つだけ溜息を吐き、クナイを収める。 この場は退こう。 だがまだ諦めない。

               ・・・

 百歩譲ってイルカを殺す事にメリットが無いことは認めよう。 たとえそれが”草”として入った忍への対応として多分に不適当だとしても、それが写輪眼の想い人という地位を手に入れたあの幸運な中忍の”資格”なのだ、それも認めよう。 だが、アイツのどこにそれ程の価値がある? どこにそんなに惹かれるのだという問いに、瀬里は真剣に首を捻った。

「イルカの良い所なぁ…」

 そんなに考え込まねばならぬほど長所が見つからぬ相手に何故惚れる? 何故そこまで庇うのだ、と重ねて問う。

「確かにイルカはぼんやりしているよ? 忍らしい所がひとつも無いし、素性を知った時は本当に中忍なのかと木の葉のシステムを疑いさえした。 気配も禄に読まないし、誰にでもすぐ心を許してしまう。 その上あの情の脆さだ。 忍としては致命的だろう。」

 だからこの自分でさえ、イルカが草だとは全く気が付かなかったのだと、瀬里は白状した。 これで+1点。

「最初、イルカは身体まで使う気はなかったらしい。 特に男相手に自分の身体を使うことには、例の事情からも抵抗があったのだろう。 男に抱かれる身体を自覚もせずに拒む姿が返って煽るという事にも気付かない、本当に迂闊なヤツだったな。 で、私は一服盛ってイルカを手に入れた。 純粋に興味本位だったんだ。 ライバル同士のただの鞘当てだったとも言える。 だが、ぼけぼけと付いてきたイルカも悪いのだ。 あれ程口説かれていた相手に気を許す事自体、私には信じられなかったよ。 そしてその夜のうちに朦朧としたイルカの口からカカシの名を聞かされたんだったな。 アレには萎えた。」

 ははは、と瀬里は愉快そうに笑った。 薬を盛らる注意力の無さに-1点。 ましてそれで正気を手放し、身元が割れるような事を口走ったなど草の資質ゼロと言えよう。 -5点。 瀬里はそのままイルカの見張りになり、一緒に暮らし始めた。 裏では対応に苦慮しつつも、表ではあの身体とぼんやりした性格にどっぷり浸かり込んでしまった。 まったく、どっちが呆けなんだか、と呆れ果てたものだ。 上忍をそこまで垂らし込んだ事に関しては+3点。 だが…

「アレが篭絡であったなら私もアイツを認めましょう。 見事にアナタを骨抜きにしたんですからね。 でもアイツのアレは、ただの天然だ。 私はアイツを認めない。 アナタ方がアイツを珍重するのにも賛同できない、どうしても」
「珍重ね! 言い得て妙だな!」

 また、あははははと笑う瀬里。 彼は本当はどこまでイルカの事を「愛している」というのだろうか? 本当は任務の延長なのではないか? カカシのモノだったイルカを抱く事で、何かしらの欲を満たしていただけではないのか? それともコレは自分の希望的観測だろうか。

               ・・・

 翌朝、氷を分けて欲しいとカカシが言ってきた。 連れが熱を出したのだと。 イルカを抱き潰してしまったのだ。 男同士でヤルからそういう事になる、と冷ややかな気持ちでいると、仲居達の顔に一回り視線を巡らせていたカカシが私に目を止め、お願いしますとにこやかに微笑んだ。 態とらしい。 影で何か仕掛けられるより目の届く所に置いておいたほうがいいとでも思ったのだろう。 だがこちらとしても願ったり叶ったりだ。 イルカに堂々と近付くチャンスが向こうからやってきたのだ。 氷の入った盥とタオル、水、氷嚢、解熱剤などを揃え、カカシの後に従い離れに向かった。 体中が総毛立つ。 だがカカシは拍子抜けするほど何も言わず、無防備に自分に背を向けて歩いた。 悔しさに身が震えた。 瀬里には悪いが、私は私のやるべきことをやる、そう誓った。


「失礼します」

 と縁の障子を開けると、続きの奥の間の襖が開いていて、布団に伏せる男の姿が見えた。 近付いて脇に座る。 カカシがヒタと後ろに貼り付くように着いてきていた。

「ちょっと熱、看させていただきますよ」

 イルカと、それと後ろにも僅かに首を向け、カカシが頷くのを目の端に映してから、イルカの額に、そして頤に指を宛てる。 イルカはぐったりと眠り込んでいた。 額は燃えるように熱い。

「これは…相当出ていますね」
「ええ」

 思わず非難めかしくなってしまった自分を内心で笑い、後はテキパキと看護をする。

「氷嚢に氷を詰めますから、それを首筋と脇の下に宛がってください。 タオルで包んで、服の上からお願いします。 それからお薬をお持ちしましたので」
「薬は結構です」

 間髪を居れずに薬は拒否られた。

「手持ちの物がありますので」
「…そうですか。 では、あとは水分を充分摂らせてあげてください。 汗が酷いようなら塩分が足りなくなりますから、アルカリ飲料も少し飲ませて差し上げるといいでしょう。 今、お持ちしますので」
「ありがとうございます」

 カカシはひとつ頭を下げると、氷を詰めた氷嚢を受け取った。 そしてくったりと眠り込むイルカを見下ろし、目を細めた。 口元に薄く笑みさえ浮かんでいた。 氷嚢を一つ一つイルカの両脇に差し込む手付きは然も大切そうで、私はカカシがそれをする間、暫らく何も考えられずにポカンと見ていた。 だが袖口から覗いたイルカの手首には何重にも重なったような手形が幾つも赤々と着いていて、前の時のように縛られた形跡こそ無かったが、やはり力尽くだったのだろうかと、訝しく首を捻らずにはいられなかった。 もしそうなら喜ぶ人間が一人居るな、と瀬里の顔が目に浮かび、若干釈然としない思いに囚われる。 それを振り払いたかったのだろうか、自分でも判らない。 後から考えると身も凍る。 だが気が付くと、信じられない無謀な事を、私はしていた。

「手首にも湿布を貼りましょう」

 関心なさ気を装いつつ湿布薬を取り出すと、いきなりイルカの手首を取った。 カカシは一瞬だけピクリと反応した。 それにも素知らぬ顔をして包帯で固定する。 イルカの手首も熱を持ち、鬱血部分が腫れて浮腫んでいた。 形振り構わず守ろうとするくせに、こんな扱いをする。 いったいイルカとこの木の葉の名だたる上忍は、瀬里が言うような”恋人”の間柄なのだろうか。 唯の情人。 唯の性欲処理係。 いや、これほど執着を見せるのだから、最高に身体の具合がイイ専用の娼婦といったところか。 そんな事を考えながら包帯を巻き終えると、カカシがふっと小さく吐息を吐き、低いが妙に響きの良い声でこう言った。

「この人に触る時は一声掛けてからにしてください。 うっかり殺してしまうところでしたよ。」

 そうか、とその時私はやっと解った。 愛しているかどうかなど知らない。 大切に扱っているかどうかも怪しい。 だが、この唯の平凡な中忍は、カカシにとっては代えの利かないモノなのだ。




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