ヴォカリーズ

- Vocalise -


3


奪還




「瀬里さん、アイツ、写輪眼のカカシと縒り戻したみたいですよ」
「なんで判るんだ?」
「二人で山二つ向こうの温泉郷に来てます」
「え? イルカ? イルカが近くに来てるのか?」
「カカシとですよ。 木の葉の制服組が二人来てるって情報が入ったんで確認しました。」
「山二つ? え、え?全然近いじゃん」
「全くふざけてますよね。 あの時殺しておけばよかったのに」
「イルカが…」
「だからカカシとだって」
「午後スケジュール空いてたっけ?」
「行く気かよ!」

 木の葉のヤツラは私服が無いのか? 温泉に支給服でくるなんてダサい。 しかも男二人で温泉? なに、その如何にもな設定。

「ああ、やだやだ」
「来なくていいって言ってるじゃん」
「アナタを一人でやれません」
「なんで?」
「イルカを連れ出そうとしないですか?」
「取り戻すと言ってほしい」
「あんな役立たず、なんでそんなに執着しますかね」
「オマエにはイルカの良さが判らないんだよ」
「身体の具合の好さでしょうに」
「ああ、そっちも好かったな、最高に!」
「あーそーですか」
「もう一回抱きたいな〜」
「無理ですね」
「なんで?」
「だから、縒り戻ってるって言ってるでしょ」
「見たのか」
「見ました」
「…え? みー見たの? て、天井裏とかから?」
「アホですか! カカシですよ、できますか、そんなこと!」
「じゃあなんでわかんの」
「アイツラ亭借り切って付属の露天でヤリ捲くりです」
「覗き?!」
「見えたんです見えちゃったんです見たくもないのにアイツら公共の施設でいちゃいちゃいちゃいちゃ!」
「無理矢理じゃなかった?」
「ラブラブでしたよ将にハネムーンって感じでしたよ」
「…縛られてなかった?」
「ねぇよ!」

 確かにあの時あの茶屋で、アイツはカカシに縛られ犯されていた。 泣いて抵抗していたっけさ。 ああでも、くそったれどもっ こんな豪華な宿に泊まりくさって上忍が! 亭借り切り? いいご身分だこと。 あそこは食事も美味いんだよな。 地元の山の珍味とか川の魚とか、酒もそこでしか飲めない地酒があって、あれ一回味わっちゃったら忘れられんのよ。 くぅ〜

「あっ 出てきた!」
「へーへー」
「抱えられてるよ、横抱きだよ」
「ほーほー」
「あ………」
「なんすか?」
「キスしてる…」
「だから! それ以上もっとすんげぇ事もヤリ捲くりなんですって!」
「…」
「もういいですか? 諦めつきましたか?」
「…」
「アイツ、嫌がってないでしょ?ぜんぜん」
「でも、イルカは優しいから」
「ああっ もうっ こんの腐れ上忍が!」
「あっ」
「今度はなんすか?」
「カカシがイルカを置いて行くよ」
「なんか飲み物でも取りに行くんでしょ、すぐ戻ってきますって」
「おい、判ってるな?」
「はぁ?」
「頼んだぞ」
「あ、ちょっと! どこ行くんです?!」
「イルカに会ってくる。 オマエ、カカシの方頼むな」
「頼むなって、ちょっと、私に死ねと仰いますか?! アイツの糞力見たでしょう? 一瞬で家半分吹き飛ばしやがって。 それにあの糞殺気の所為でウチの暗部が召集も無しに全員御前に集結したんですよ?」
「力で抑えろなんて言っとらん。 忍だろう、オマエ。 陽動だ陽動」
「陽動って…、それこそ無理ですよ! ねぇ聞いてます?」
「もちろんだ、この作戦の成否は君の双肩にかかっている! 任せたぞ」
「聞けよっ 人の話!」

 陽動作戦。 それは忍の十八番のはず。 相手が写輪眼のカカシでなければね。

               ・・・

「シオ」

 その名は我が里の一般的な男子の名だ。 イルカはあの頃そう名乗っていた。 イルカの座っている揺り椅子の後ろからそっと近付き声を掛けると、イルカは慌てて振り向いた。 相変わらずぽけら〜っとしている。

「セ、セリさん?」

 瀬里は本名だ。 それを下の名として使っていた。 イルカにセリと呼ばれると、今でも胸が疼く。

「セリさん…ですか?」
「そうだよ」

 忍服姿は初めてだったか。 額宛ても有ると無いとでは随分と印象が違うだろう。 小首を傾げて凝視して、イルカは椅子に縋るようにして立ち上がった。

「に…」
「セリさん、セリさんっ」

 逃げるな、そう言おうとして飲み込む。 イルカは顔をくしゃりと歪めると、今にも泣きそうに何度も名を呼んだ。 そして立ち上がってすぐにこちらに向かって来ようとした。 だができなかった。

「あっ」
「シオ」

 1・2歩の所で直ぐに頽れ、落ち葉の上にしゃがみこむイルカに慌てて駆け寄った。 今でも胸が高鳴る。

「大丈夫か?」
「はい」
「あ…歩けないのか」
「…はい」

 俯いて、恥ずかしそうに顔を赤らめるイルカが眩しかった。

「乱暴されていないか?」

 顎を取り、右に左にくいくいと向けてみては首筋などを点検し、浴衣の袖から出ている両の手首も確かめる。 打撲の痕や縛った痣などはどこにも無かった。

「大丈夫ですよ」

 されるがままに任せていたイルカは、くすりと笑いを零した。

「あんな事は後にも先にもあの時だけです」
「でも歩けなくされてる」
「それは…」

 また真っ赤になって俯くイルカの肩に手を掛ける。 抵抗されるかと思ったが、抱き寄せるとイルカはおとなしく腕の中に納まった。 あの頃のまま。

「迎えに来た、と言ったら今度はウンと言ってくれるか?」
「セリさん、お判りでしょうに。 俺なんか寝返らせても誰も褒めてくれませんよ。」
「なんの、写輪眼の想い人だぞ? 価値は充分だ。」
「!」

 イルカはギクリと身体を離すと、黒い瞳を潤々させた。

「セリさん…」
「わ、わかった、悪かった。 泣くな、シオ。 もう言わないから」

 定印している両手を押さえ、これ以上刺激しないようなるべく声も落とす。

「イルカ、落ち着きなさい。 私は絶対そんな事はしないし、部下にもさせない、約束しよう。」

 言い聞かせるために本名を呼ぶ。

「イルカ、頼むから、そのリミッターを元に戻しなさい」

 イルカ、イルカと呼んでいると、彼はやっと少し表情を緩ませて手を外した。

「シオでいいですよ」

 堪らず抱き竦めると、イルカはまたほっと息を吐き胸に身体を預けてきたので、こちらもやっと緊張を解くことができた。 力でこの男を手に入れられないと判った時、ならばどうすればいいかと悩んだ頃を思い出す。 胸に懐き、吐息と共に身体の力を抜くイルカを、こうして何度抱き締めただろう。 殺すか、懐柔するか。 普通なら選択肢などは無い。

「草と知れればその場で殺されるのが当然なのに、アナタは2年も俺を生かしてくれました。」

 ありがとうございます、とイルカは言った。

「もうお会いできないと思ってました。 こんな風にお礼が言えるなんて、俺、運がいいです。」

 運がいい? 運がいいか…

「カカシとはいつ縒りを戻したのだ?」
「昨日です」
「昨日? それまで…いや、いい。 前のように無理矢理ではないんだな?」
「はい」
「そうか」

 あまりに変わらないイルカにもしかしてと期待したが、やはりあの頃のイルカではないのだな、と喉に手を掛ける。

「連れて行けないなら、やはり殺そう。 オマエは色々と知りすぎた。」
「え…っと」

 するとイルカは、またぽやんぽやんと首を傾げた。

「俺ってそんなに何か機密事項を探り当ててたりなんかしてたんでしょうか? 全然気が付かなかったけど」
「そうだな。 私のイイ場所とか達く顔とかな、あとは…」
「セ、セリさん…」
「…シオ」

 そんなかわいい顔をして、まだ赤くなって恥らうくせに、私のモノではないんだな。

「ここで死ぬのと、私と行くのと、どちらがいい?」
「どちらもダメです」
「おや? 前のようにかわいく首を差し出さないのか?」
「だって」

 イルカは胸の中に納まったままでくすくすと肩を震わせて笑った。

「どっちでも、カカシさんが草の根分けてでもアナタを探し出しますよ、そんなの嫌でしょう?」
「ああ…すっげぇ嫌だな」

 一回はあの腕から逃れてこの腕の中へ来たくせに、今はそんな事まで言うんだな。 あの腕を取る事と引き換えに、多くのモノを失うと解っただろうに。 何も知らずにあの手を取った時とは違うだろうに。 今、そんな覚悟を決めたような目をしてそんな事を言う。 あの時、迷いもせずに首を差し出して身を預けてきたイルカも哀しかったが、これは壮絶でさえある。

「それでオマエは、幸せなのか?」
「はい…まぁ…一応」

 だがその言い様に、二人で思わずくっくっと笑ってしまった。 抱き締めあってお互いの肩口で、一人の男の顔を思い浮かべながら笑いあう。 ああ、こんな日が来るとは…。

「でもこのまま帰るのは癪だから、一つ意趣返しといこうか」
「え?」

 相変わらず無防備にぽーっと上向いて瞳を覗き込んで首を傾げるイルカの項を捕まえて接吻けた。

「うんっ んん」

 一応抗うんだなと、逃げる身体を抱き込み、胸を押す腕の手首を掴んできつく握る。 きっとくっきり手形が残るだろう。 あの時カカシが付けて寄越した縄目のお返しだ。 痛みに呻く口を尚塞ぎ、その口中を深く味わいながら地面に身体を押し倒す。 握った手首を顔脇に押さえつけ、顔中に接吻けては何度も唇に帰りまた貪っていると、やがて遠くから殺気が膨れ上がってきた。 イルカは初めて強く抗い、首を振って口を外した。

「っ だ、だめっ もう行ってっ」

 眉を寄せて早くと叫ぶ口をもう一度だけ塞ぎ、名残惜しいその身体を離す。 カカシと遣り合うなんてとんでもない。 でも会えて嬉しかった。 もうアイツはオマエを決して外に出しはしないだろうし、たとえ会えたとしても次は戦場だろう。 振り返ると、カカシがイルカを抱き締めてこちらを睨んでいた。 追っては来なかった。





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