休暇





「カカシさん、カカシさんっ ほらほら出店ですよ!」

 行ってみましょうよ、とイルカが浴衣の袖を引く。 高原地の温泉街は何故か夏祭りの真っ最中らしく、せまっ苦しい路地にこれでもかと夜店が軒を連ね、これでもかと浴衣姿の老若男女が溢れていた。

---抜かったな、祭りシーズンだったとは

夜店


 もっと人気の少ない温泉地でイルカと二人きりでしっぽりといきたかったカカシは舌打ちをした。 イルカは濃紺の浴衣に白っぽい帯を締め、いつも通り髪を結い上げていたので湯上りで火照ったほのかに赤い項を惜しげもなく晒して色っぽかった。 さっきやっと宿に着き、二人でさっそく一風呂浴びたのだ。 数種ある浴衣から好きな柄を選べるのがその宿の売りらしく、部屋に入り茶と茶菓子を出すや、仲居が浴衣を並べて選べと迫った。

「俺、これ!」

 嬉しそうにあっと言う間に白地に所々に小さな紺の金魚柄という最悪な選択をするイルカの首根っこを捕まえて、「これとこれ、お願いしますね」と、にこりと笑うと、仲居の若い女は頬をぽっと染めてサイズも聞かずに浴衣を押し付け、そそくさと出て行った。 まぁだいたいサイズは合っていたのでさすがはプロだと頷きながらイルカを振り返ると、仲居の後ろ姿をちょっと睨むようにして、ぷぅっと頬を膨らませている。

「俺、紺無地ですか?」
「そうですよ、これが一番似合います。」
「暑つっ苦しそうですぅ」
「そんなことありません。 きりりと着付けたらすごいかっこいいですよ、きっと」
「そ、そうですか?」

 単純だ。 もう嬉しそうににこにこし出した。 自分用に選んだ絣に腕を通してみる振りをしながら、こっそり舌を出す。

---あんな身体の線が透けそうなの、着せられるもんか!

 イルカは黒髪、黒瞳だ。 きっと白地も似合うだろう。 だけれども意外と色白なので、紺無地だってすげぇイイ、と思った。 浴衣を片手に、風呂に入りましょうと促すと、はーい、といいお返事をしてイルカが出口に向かおうとするので、またその首根っこをムンズと掴む。

「違います。 こっちです。」

 反対側の庭の方を顎でしゃくると、イルカはぴょこっと耳を立てた。

「え?! 内風呂付き?」
「そーでーす」

 うわっ すっげーっ と歓声を上げて踵を返し、庭に続く濡れ縁に踏み出すイルカ。 尻尾がピンと立っていた。 単純だ。 この無防備が服着て歩いてるような想い人の素肌を如何に狼どもの目から隠すか。 それが温泉に行く事に決めた時の最大の関門だったのだ。 この宿の最上級クラスの離は、共同浴場にも負けない広い内湯(しかも露天)が付いていた。 これならイルカも文句は言うまい。 それに、他の一般客用の棟からは隔絶されたような一戸建てで、如何にも”そういう客”専用の部屋、という感じが自分のツボを押した。

---ここだ、ここしかない!

 ここならあーんなことやこーんなこともと、にへへ〜と鼻の下を伸ばしカカシはいそいそと予約を取った。 今、そのパンフの写真で見るより広く感じるほど立派な内湯を前にして再び鼻の下を伸ばす。 一先ずイルカを奇麗に洗い流そう。 草は払ったものの、草臭と犬臭が抜けないイルカを風呂に入れ、昼間の不愉快な思い出も流してしまおう。 そしてイルカとしっぽり…。 三度鼻の下を伸ばしかけた時、水音が響いてきた。

 どっぶんっ

「イ、イルカ先生?」
「カカシさん、カカシさん、早く早く! すっげー広いし気持ちー!」

 まったく、色気も何もない。 クロールーっと叫ぶイルカに、泳いじゃいけません、とつい説教口調になりながらとにかくこの子供のようにはしゃぐ”子供”を洗い、ちょっぴりHな事もしてから今ここに来ている。 イルカは来る途中、ちゃっかりチェックを入れていたのだ。

               ・・・

「イルカ先生、こういうの好きそうだよねぇ」
「はいっ 大好き!」
「はいはい」

 あれもこれもと食べたがるイルカの首根っこを押さえ後で豪華夕食が入らなくなりますよと聡し、中忍の本気(笑)で大人気なく金魚掬いの金魚を掬い捲くるイルカの首根っこを掴んですみませんすみませんと店のオヤジに謝って金魚を全部返し、中忍の本気で輪投げを(以下略)…。

「カカシさーん、射的、射的やりたい! ね?ね? しゃてきー!」

 懲りない…。 いい加減疲れてきたカカシは、イルカの首根っこを掴んだまま歩いていたのだが、普段銃火器だけは使わない忍の自分達にとってそれは禁断の魔具。 イルカは目をキラキラ輝かせて自分を見上げた。

「ね?」

 剰えかわいらしく小首を傾げられ、カカシは堕ちた。

「しょうがないですねー」

 一回だけですよ、と言ってしまったのが運の尽き。 一回で済むはずも無かった。

               ・・・

---この人、ほんっとーにヘタだ…

 ムキになってもう一回もう一回と繰り返すイルカに、ベッドでその台詞聞きたいもんだ、と独り言ち、でも何だかそのヘタクソさがかわいくて言われるがままにやらせてそれを後ろで見物していると、なぜか段々イルカの回りに人が集まってきた。

「なんや兄ちゃん、ごっつぅヘタクソやんか」

 的屋の兄さんが声をかける。

「こうやるんだよ、かしてみな」

 カカシの脇で一緒になって見物していた通りすがりの兄さんが、イルカの手から銃を取り上げる。

「ほら、やってみな」
「はーい」

 嬉しそうだ…。 非常に不愉快である。 何だ何だと、隣のやはり射的屋の兄さんも店を放ってやってくる。 浴衣姿の観光客らしき兄さん達が次から次へと引っ掛かって、まるで詰まった水道のようになった。 兄さん兄さん兄さん… 男ばっか! すっごい不愉快!

---あっ イルカ先生ったら、そんな肩まで袖捲くんなくたって!

 苛々苛々苛々

---そこ! イルカ先生の肩に手ぇ置くな!!

 苛々苛々苛々苛々

 もう我慢ならん、と人垣にまでなっている店先の”兄さん”達を掴んでは押し遣り掴んでは押し遣り…。 なんだかいつの間にか身体にいっぱいぶら下がっていて重くて思うように動かせないことに更に苛々しながら、やっとイルカの肩を掴んでこちらを向かせる。

「イルカ先生っ もういい加減帰りますよっ」

 だが、振り返ったイルカの顔がサッと歪み、口をへの字に結んで強張った。

「その人から手ぇ離せっ 俺んだっ!!」

 総毛を逆立て、フーフー唸ってイルカが怒っている。 どうも重いと思ったら、姉さん達がいっぱい自分に群がっていた。

               ・・・

「イルカせーんせ、もう機嫌直して? ほらほら、おいしそうですよ〜」

 ほらほらーとテーブル一杯に並べられた夕餉の膳からプリっと美味そうな刺身を箸で摘まんで差し出して見せるが、イルカはずっと拗ねたままでこちらを向かなかった。 だが、さっきから腹がぐーぐー鳴っている。 もうちょっとだ。

「要らないなら俺がぜーんぶ食べちゃいますよ〜」
「た、食べますっ!」

 単純だ。 イルカはやっと膳に向かった。 まだ膨れっ面だが、猛然と箸を動かし出すイルカ。 すっごくかわいい。 さっきイルカは嫉妬して怒ってくれた。 自分にしなだれ掛かる姉さん達を毟っては投げ毟っては投げ、肩でぜーぜーしてくれた。 思い出すと顔がにやけて止まらない。 これを幸せと言わずして何と言おう。 だがその時、カタっと箸を置く音がしてイルカが動きを止めた。

「イルカ先生?」
「カカシさん、そんなにお姉さん達に持てたの、嬉しかったんですか?」

 膝に握った拳をぎゅっと押し付けて、イルカは俯いていた。

「カカシさんやっぱり、女の人の方がいい?」
「イルカ先生、ちが」
「もしカカシさんが女の人がいいって言うんなら、俺」

 何やら暴走を始めているらしいイルカに焦りカカシも箸を置いた。 こうなるとイルカは中々止まらない。 別れるなんて言い出したらどうしよう。 せっかくの楽しい温泉旅行なのに…

「俺、俺… それでいいですから俺のこと捨てないで」

 イルカは浴衣の袖で子供っぽく涙をぐいと拭った。 だが、涙は後から後からぽろぽろと零れてくる。 切ないことを言って泣くイルカが、堪らなく愛おしかった。

「偶にでいいですから俺の事も愛して」
「イルカ!」



 後の事は定かでない。 ただ、豪華夕食のほとんどを無駄にした。 翌朝、もったいないと箸を付けたがるイルカの首根っこを押さえるのに、随分と苦労した。 





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