死がふたりを別つまで  -妖狐の廟-

- Until Death Do Us Part. -


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               反魂 一


 海野は暗闇の中を、どこまでもどこまでも落ちていった。 体は鉛のように重く、どんどん加速度を増しているかのようだった。 そこに、急に銀色の光が出現した。 光は靡く銀の髪になり、逞しい裸体の男になった。 金の瞳をしていた。 この人にどこかで会ったことがある。 海野は思い出そうとしたが、頭も鈍く重かった。 銀の髪の男は海野の腕を掴むと、ぐいと上に引っ張った。 落下感は治まったが体の重さには変わりは無く、このままでは共に落ちると、あなたまで落ちてしまいます手を離してください、と言ったつもりが声は出なかった。 銀髪の男はそのまま海野を胸元まで引き上げると、両腕を海野の背に回しきつく抱き締めた。 海野は、ああ、と声をあげた。 あげたつもりだった。 この腕には覚えがある。 確か、確か…。 男は海野の胸の飾りを吸い、鎖骨を吸い、首筋を吸い、ぽつぽつと赤い花を散らしながら海野の唇に辿り着いた。 男の唇は熱く、うねる舌も熱かった。 海野と男は合わせた口元から溶け合っていった。 気がつくと下半身を抱え上げられ、男の太く硬いモノで貫かれていた。 男のモノも熱く、自分のアナルも熱く燃えた。 ふたりの境目がなくなり、どろどろに溶け合いひとつになって、そしてまたふたつに分かれていった。 体は嘘のように軽くなり、暗闇をゆっくり上っていった。 男が上から海野に手を差し延べている。 海野は手を上げてその手を取ろうとしたけれど、じれったいほど動きは遅く、手と手の間の距離は果てしなく近づきながらも永遠に交わることの無い漸近線のようにいつまでも触れ合うことはなかった。 男のずっと上のほうに、光る水面が揺れている。 海野は、ああ、戻ってきてしまった、と思って眩しさに目を瞑った。

     ・・・

 喉に熱い塊を押し込まれ、むりやり嚥下させられて、海野は徐に意識を引き上げられた。 体中が重く、瞼も持ち上がらなかった。 うっと掠れた声とも言えない吐息が自分の喉から漏れ出ると、長い腕にぎゅっと抱きしめられ広い胸にしまわれた。 暖かだった。 海野はどうしてかとても安堵して、また眠りの淵に落ちていった。 唇に柔らかに触れるものを何度か感じた。

 海野はまた、喉を通る熱い塊に覚醒した。 今度は瞼が持ち上がった。 目を見開くと自分の顔に被さる銀の髪が眼前いっぱいにきらきら光っていた。 頬に添えられた手を感じ、口を柔らかいもので覆われているのを感じた。 少しひんやりした舌が自分の舌に絡んでいる。 それが気持ちよくて、海野は深く考えずに夢中で自分から舌を絡めた。 うん、うん、と鼻にかかった息が漏れる。 首の下に腕を挿し入れられ角度を固定されると、その唇は激しく海野を貪った。 海野は必死で舌を差し出し、その接吻に応えようとしたが、急激に体から力が抜けて行き、あっと言う間に意識は闇に引き摺り込まれた。

 3度目に目覚めた時、あたりは薄暗くすこし肌寒かった。 ぶるっと震えて、寒い、と小声で呟くと、またあの腕がふわっと体を覆って肩を抱いた。 その指が頤から頬を撫で、すっと額の髪を掬い上げて耳に掛けると、また暖かく肩を抱き摩る。 重い瞼を押し上げて腕の主を見上げると、自分の横に横たわった妖狐が片肘をついて自分を見下ろしていた。 切れ長の金の目が、自分の顔をじっと見つめている。
「眠れ。」
 妖狐はひとことそう言うと、海野の両の瞼に手を翳した。
「俺は…」
 あなたに喰われたんじゃなかったんですか。 そう言おうとして声が掠れ、それ以上発音はできなかった。 妖狐は頭上に手を伸ばして何か引き寄せると、海野の背中に腕を回して少しだけ引き起こし、コップを口に近付けた。
「飲めるか?」
 水が満々と貯められているコップはその表面に雫をまとい、中の液体の冷たさを窺わせていた。 海野は齧り付いてその水を貪った。 飲む端から体に染み込むようだった。 うんく、うんく、と一気に飲み干し、ふうっと息を吐き出し脱力すると、もっと要るか、と妖狐が問うた。 海野がこくりと頷くと、また頭上に手を伸ばし、今度は八分目ほど汲んでまた口に付けてくれる。 どうしてこんなに優しいのだろう? 海野は訝りながらも半分ほどその水を飲んだ。
「もう充分です。 ありがとうございます。」
 幾分まともになった声で海野が謝辞を述べると、そっと頭を床に戻され、眠ったほうがいい、と瞼を押さえられる。 海野は妖狐の顔が見たかった。 重い腕をやっと上げ、ひやりと冷たい妖狐の指を掴んで顔から引き剥がすとそのまま自分の胸に抱いた。 妖狐は「眠れ」とまた言った。
 何かが違う、と海野はじれったく考えていた。 何か引っかかるのに、今の自分の頭は半分も回らない。 妖狐の手はこんなに冷たかっただろうか? 海野は自分の体を這い回る熱い掌を思い出してぞくりと背筋を震わせた。 妖狐の気配はこんなに希薄だったか? 禍々しく気を放ち自分を圧倒していた妖狐の気配はなく、側にいることさえその姿を目にしなければ気付かないほど、気配が薄れている。 海野は眉を寄せ、妖狐にこの胸のもやもやした物の原因を問い質そうとした時、妖狐が海野の顎をとり、ゆっくりと接吻けてきた。 口を覆われまたあの熱い塊を喉に押し込まれる。 これは嫌だ。 海野はどうしてもそれを飲んではいけない気がして、顔を振って抗ったが、強く掴まれた顎はびくともせず、熱い、熱いものが喉を通り胸を降りて腹に収まり、じんわりと腹の底から海野を暖めだした。 妖狐の気配がさらに薄れた気がした。
 海野は唐突に理解した。
「だ、抱いて、俺を抱いて」
 海野は必死で重い体を伸び上がらせると、妖狐に接吻けようとした。 だが、妖狐は海野の肩を抑え、いいから眠れ、と言うばかりだった。
「今は無理だろう。 どうしたんだ、おまえ可笑しいぞ。」
 妖狐は可笑しそうに、どこか辛そうに海野を制した。
「キスして俺の精気を吸ってっ 早くっ」
 だが、海野がじれったそうにそう叫ぶと、妖狐はピクリと動きを止めた。
「俺を抱いて、お、犯してください。 俺に突っ込んでこの前みたいにぐちゃぐちゃに掻き回して俺を悶えさせて、お願いだから。 早くしないと、早く俺の精を吸って、俺の、俺の…」
 自分の為に!と、考えただけで、訳が判らない程の焦燥が体全体を焼いた。 海野は泣きじゃくって、妖狐に抱いてくれと言い募った。





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