死がふたりを別つまで
- Until Death Do Us Part. -
10
結界
「うわっ」
海野の体はあっという間に扉の向こうに消えた。 妖狐が焦れて結界の外に手を出したのだ。 青龍は唖然としながら額に手を当てて呻いた。
「バカな…、アイツ結界から出たらどうなるか判ってるだろうに…!」
慌てて扉を押し開けると、扉の直ぐ前で二人が抱擁を交し接吻け合っていた。 海野の体は妖狐の胸に抱きこまれてほとんど見えない程抱き締められていた。 妖狐は右手で海野の後ろ頭を鷲掴み、左手でその背を掻き抱いていたのだが、その肘から少し下がすっぱり無かった。
「おい、おまえその腕どうするつもりだ?」
青龍は声を掛けようか掛けまいか暫らく迷った後、結局前者を選んだ。 自分には多少なりとも今の妖狐の腕を癒すことができるからだったが、妖狐はそんな青龍を海野の頭越しに横目で睨み、仕方無さそうに海野の口を解放してから青龍に向かってチッと舌打ちした。
「邪魔するな」
「悪かったな。 だが腕はどうするのだ」
「え? 腕?」
海野が我に返ったように妖狐の体から少し離れて左右の腕を見た。
「あ、腕が…! ワンクォーっ 腕がっ」
「ああ、大丈夫だから落ち着け」
「でも、でも腕が…、ワンクォー、ワンクォー」
海野が取り乱して泣き叫んだ。 こんな海野を見るのは初めてだった。 先程まで、自身に降りかかった山のような問題も淡々と話していた海野が、今は子供のように泣いている。 青龍はそれにも多少吃驚して瞠目したが、それよりも妖狐がそんな海野をさも愛おし気に優しい眼差しで見ているのが信じられなかった。
---コイツ、こんな顔付ができるのか
自分がここの守役として来てから五十数年、こんな妖狐の表情を見たことはなかった。 人間は犯して喰らうものと決めてかかっているような所があった。 封じられた当時は知らないが、今は無くした力を殆ど回復しているのではないだろうか。 その気になれば自力で御山の封印を解けるのかもしれない。 彼が敢えてそれをしないのは、偏にこれ以上人間に関わるのが嫌になったからでは、と青龍は考えていたほどだった。 それが今、目の前で妖狐は一人の人間の男にこれ以上ないくらいの慈愛の表情を向けている。 変わった。 そう思った。 そして変えた男、海野を改めて見た。 海野は妖狐の無くなった腕に取り縋って泣いていた。
「結界から手など出すからだ」
「余計なこと言うな」
青龍が口を挟むと、妖狐はキッとして睨んできた。 だが海野はしっかりそれを耳にしていた。
「え? あの時扉から腕を出した所為なんですか? 俺を掴んだ所為なんですか?」
「あそこは結界の端ですからね」
「だから、それ以上余計な口を挟むなって」
「ワンクォーっ なんで手なんか出したんです? 判ってたんでしょう?」
「おまえがなかなか来ないからだろう!」
「だって、ワンクォー、こんなになるなんて…」
「このくらいおまえを抱けば直ぐ戻る。」
「ほんと?」
海野は子供のように泣き濡れて拙い物言いをして妖狐に縋っていた。
「ああ、今接吻けただけで随分戻っただろう?」
「っ」
聞いた途端、海野がいきなり伸び上がって妖狐の顔を両手で挟み込むと、ぐいぐいと自分の方にひっぱり下ろして接吻けた。
「ん、んん」
必死さが伝わってくる。 妖狐はおかしそうにその拙い接吻けに付き合っていたが、いつしか主導権を海野から奪うと、海野の呼吸さえも奪って激しく海野の口を貪った。
「んあっ あ、は」
やっと口を離されて喘ぐ海野は、それでも当初の目的を見失う事無く直ぐに妖狐の腕を凝視した。
「戻ってるだろ?」
「……わかりません…」
そう言うとまたぐしぐしと泣き出して、腕を両手で抱き締める。
「おまえを抱けば直る、本当だ。」
「じゃあ、じゃあ早く行きましょう、ワンクォー早く」
海野は、早く早くと妖狐の腕をひっぱり、廟に向かって歩き出した。 もう自分など目に入っていない、と青龍が苦笑を漏らして二人の背中を見送っていると、妖狐が振り返ってニヤリと笑い、追い払うように青龍に手を振った。
「そういうことだから、今度は邪魔するなよ」
「明後日の夜までだからな」
「判ってる」
「明後日の夜、迎えに来る」
廟の扉がパタンと締まった。
青龍は一人で通路に戻ると、ふぅと溜息を吐いてさっきの騒動を思い出し、首を振った。
「あんなに取り乱して…、あの人は妖狐相手だとあんな風になるのか」
いつも温厚そうに微笑み、物事にあまり動じなさそうな海野の印象を、180度変えられたと思った。
「早く、調べた方がよさそうだ」
海野の不思議な魅力に自分さえも囚われない裡に、と。
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