死がふたりを別つまで
- Until Death Do Us Part. -
4
回廊
「君が噂のイルカくんですね?」
本殿に上がったところで、チンロンと呼ばれた宮司姿の男は立ち止まって自分たちを振り返った。 そして、少しだけ距離を取って、イルカの前に片膝を付く。
「10日前にここに来たね?」
イルカは父の手と忍服の裾をぎゅっと握り締めながら、黒い目をいっぱいに見開いてこくりと頷いた。
「恐がらなくていいんだよ。 と言っても無理だよね。」
ふふっと笑うと、チンロンはふぅと息を漏らした。
「彼がね、どうしても君だと言うんだよ。 もちろん私達は反対したよ。 でも、彼のことだからね、言い出したら聞かないったら」
「セイリュウ殿」
火影が割って入った。 イルカは父にひしとしがみついて顔を隠した。 海野はイルカを抱き上げると強く抱きしめて数歩退いた。
「ああ、三代目。 お久しぶりですね。 前にお会いしたのはつい先日の様ですのに、随分と老けられて。」
「あなた方にはつい昨日のことでしょうけれどもね」
セイリュウ…、青龍のことか。 海野は幾つかのピースを懸命に繋ぎ合わせた。 中和者と言った。 字面のとおりだとして、青龍と妖狐…。 滅するのか、とあの禰宜は叫んでいたな。 彼も人ではないようだったし、それならイルカは…。
イルカのことは、ただのヒーラーだと海野は思っていた。 ヒーラーと言うだけでも「ただの」とは言いがたいが、木の葉の医忍は非常に高度な治癒力を誇っていたので、些細な力に思えたのだった。 それに、イルカが意識してヒーリングをしている訳ではなさそうで、ただイルカに触れたり抱いたりする者がそう申し立てるので自分でも意識してみたら、どうやらそうらしい、という程度の、能力と言うより体質とでも言うべきものだと理解していた。 もちろん最初に言い出したのは母親だったが、彼女は直ぐにイルカを他の者になるべく抱かせないように努めるようになった。 体の接触を求められる宿命を見て取り、自分の生まれた村の女達が背負わされた宿命を身をもって知っていた彼女だったので、我が子の将来を憂えたのも仕方のないことだった。
彼女の村の女達は、ヒーラーとは真逆の技で男達を意のままにする忍家業で生きていた。 その技とは、性交渉時に習慣性の毒で男を侵して、その女無しでは生きられない体にして自由を奪い利用するというもので、村の女は初潮を迎えると、体自身で毒を生産するように育てられた。 ひとりひとりの体質などで毒が微妙に違うので、男は唯ひとりの女に依存する。 同じ村の女でも代用することはできず、生涯をその村に縛られ、やがて村の一員として他里の忍や豪の者を誑かす手伝いをするようになるのだった。 性技に頼る下賤の輩と蔑まれながらも、風の国は彼らを離そうとはしなかったので、その運命は永遠に女達に圧し掛かっているように見えたが、彼の銀髪碧眼の男の出現で脆くも崩れ去ったのだった。
海野はそれを探りに来て、もちろん毒に侵されたが、彼女と手に手を取って逃げた後も彼女ひとりを愛して止まなかったので、別段苦になることもなかった。 が、さすがに里外の長期任務に借り出されることはできなくなり、アカデミーで教職に就いていた。 その事にも特に不満はなかった。 戦忍としてどうしても起ちたいという荒ぶる気持ちも少なかったのである。
しかしイルカは、ヒーラーではないという。 中和者。 人間ではなく精霊・妖魔の類により多く影響があるらしい。 字面のとおりなら、エネルギーの平均化をその小さな体でやってしまっているということではないのか?
海野は、この場から我が子を抱いて是が非でも逃走し、できるだけ遠くへ逃げなくてはという強迫観念に駆られた。 背中に冷たい汗が伝うのを感じる。 呼吸が乱れてこれでは逃げる前に勘付かれると思いながらも、頭が真っ白になっていくのを止められない。 足が止まり、あと数瞬で身を翻していたかという時、次期火影と謳われる金髪の男がそっと海野の肩を抱いた。
「大丈夫ですよ。 イルカくんはうちのカカシが守ります。」
不覚にも、海野ははたっと涙を一滴零していた。
・・・
「で、こちらが守人ですね。 これはまた…、父親に生き写しだ!」
海野の葛藤をまるで知らぬかの如く、青龍は向きを変えて今度はカカシの前に膝を付いた。
カカシはまだ5年ほどしか生きてはいなかったけれども、今まで父親のことは終ぞ誰にも聞かされたことがなかったのに、今日に限って次から次へと父親似であると指摘されて、少なからず面食らっていた。 それに、この宮司が人間ではないらしいと敏感に感じていたのも相俟って、先ほど小さな身体の勇気を総動員して海野に投げかけはしたものの回答を得られなかった疑問が、またぞろ抑えようも無く浮上してきた。 それは、ずっとカカシの心を苛んできた疑問だったのだから、仕方のないことだった。
「父をご存知なんですね?」
「ご存知というか、ね。」
青龍は眉を顰めた。 カカシは尚も問い質す。
「父はあなた方の仲間ですか?」
青龍は言われたことが最初解らないという顔をしていたが、あははは、と場違いに大きな声で笑い出した。
「彼が仲間だなんて! とんでもない。 彼は人間ですよ、れっきとした。」
その顔に、冗談じゃないという色が滲み出ていて、多少怒りさえ篭っていたのだが、カカシは心底ほっとして、それを忍びにあるまじく表情にも表した。 やっと、欲しかった答えをもらえた瞬間だった。
「でも、あいつは我々を倒す力を持っているし、もはや人間とは言わないかもしれませんがね!」
上げられた処をすぐまた下げられて、カカシはぐっと詰まって青龍を睨んだが、青龍は昔の恨みを思い出したか、カカシの前で悪口雑言をとうとうと連ねだした。 「アイツには散々な目に遭わされた」、「全くひどいヤツだった」、「今度会ったらただ措かない」、等々。 自分の養父が、「そんなことをこの子に言っても詮無いことでしょうに」と、保護者たるところを発揮せんと頑張っていたが、カカシは、海野と呼ばれているもう一人の子供の父親が気になって仕方がなかった。 彼はどこかぼんやりと見るともなく自分を見、何かに思いを馳せているらしかった。 イルカという子供もだがこの男も、今まで感じたことのない不思議な気配の持ち主だった。 カカシは、自分の短いが他の子とは一線を隔する濃厚な人生に照らし、この親子を”要注意”と評価した。
・・・
海野はひとり、カカシの父である男を思い出し、少し納得してしまっていた。
傍若無人で、傲慢な男だった。 全ての理を凌駕する強い男。 妖魔とも対等に渡り合っていたとは。 彼が居たなら。
海野はイルカを見、彼の息子であるカカシを見た。 すっかり落ち着いた感のあるカカシが、今までどんなに自分の出自のことで心悩ませていたかが知れるような気がした。 この子の心の闇はどんなにか深かろう。 少なからず病んでいる大人の負の感情を中和することで結果的に癒してきただろう我が子に、カカシをなるべく近付けないようにしたい、そんな感情が湧き上がった。 次代火影と目される男はカカシがイルカを守ると言うが、確かにあのとんでもない男の子供なら、力もチャクラもとんでもなくあるだろうが、身の安全と心の安寧は別物だと、とてつもなく身勝手な考えに蝕まれる。 が、イルカのために、と思って抱きしめているイルカを見ると、暗い表情をして父を心配げに見上げる顔に出会った。
---しまった、イルカに中和させてしまったか
海野は己の愚かさに項垂れた。 封印者と守護者。 ふたりは手を取り合わなければならない。
海野はイルカをカカシの横に下ろした。 イルカの頭をぐりぐりと撫で、反対の手でカカシの頭も撫でてやる。 ふたりの間に入りふたりを繋ぐ。 緩衝材くらいにはなれるだろうか。 イルカは自分を通してカカシの何かを感じるだろうか。 それでイルカが本能的に危険を感じて退いたなら、それを尊重しようと思った。
イルカは唐突にカカシの手を取った。 カカシは一瞬ぎくりと身を強張らせたが、手を解くこともなく、ほぼ同じ高さの視線をイルカと合わせたまま、何かを懐古するような表情を湛えた。 イルカの方はというと、零れるほど目を見開いて初めての感覚を味わっているかのようだった。 海野はふたりごと両腕で抱きしめると、ふたりの顔の間に自分の顔を埋めて、ごめん ごめん、とただ呟いた。 イルカの小さな手が自分の頭を緩く撫で付けるのを感じた。
「なになに? ずるいな〜、僕も入れてよ〜」
海野は子供ごと自分の体を強く抱きこまれておおいに慌てた。 だが、じたばたする間もなくじわっと胸の内側から暖まるのを感じて、心底この男を尊敬する気に初めてなった。 子供たちも、最初は吃驚していたようだったが、すぐきゃっきゃっとはしゃぎだした。 男はだが逆にちょっぴり眉尻を下げて見せた。
「なんだなんだ、君たちはぁ。 大丈夫だって言ったろう?」
3人分の哀しみを包み込んで尚余りあるその太陽のような光に、海野は次代火影さまと心から呼ぶことができる自分を感じていた。 先程までは、ただの駄々っ子のような気さえしていたのに、この人ならきっと…。
「大丈夫ですよ。 大丈夫、だいじょうぶ。」
イルカを通じて自分の不安が伝播してしまうのかと、海野は慌てて体を離そうとしたが、そこにはいつの間にかもう子供たちの姿は無く、自分だけが彼に抱き竦められていることにやっと気付いた。
「あのっ あのあのあのっ もう大丈夫ですから!」
「いや〜、あなたほんとかわいい人だなぁ」
海野がひくっと硬直すると、火影三代目が金の頭を煙管でポカリと叩いて助け舟を出してくれた。
「いいかげんにせんかっ こやつは妻子持ちじゃと判っておろうものを」
まったく、と溜息を漏らす火影に、エヘ〜だってぇ、と金の頭を掻く態度を見るに付け、この人ってやっぱり”そっち”のヒトなんだろうか、と海野がまたしても不安の渦に突き落とされたことは言うまでも無い。
「さて、ほどよく緩んだようですし、行きましょうか。」
青龍が徐に口火を切った。
「彼が痺れを切らしていることでしょう。」
先に立って歩き始めた青龍に続き、5人も進んだ。 山肌を抱くように設けられた回廊だった。 張り出した欄干の向こう側は空けた空間で、足下が切り立った崖になっているのが感じられ、海野は一人、怖気立った。

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