嵐の夜に
15
ヨウスケ…
大地を亘る風が、洗い晒したTシャツの半袖の両口からその細い身体を嬲る。
麦藁帽子を風に持って行かれないように押さえて、空を見上げるヨウスケ。
嵐が来るよ
あの人が、また来る…
頬を伝うそれは、涙なんですか?
なぜ一人で泣くんですか?
自分は頼りになりませんか?
ヨウスケ…
丘の麓から黒い人影が近付いてくる。
自分達が耕した畑を踏んで、立ち尽くすヨウスケに真っ直ぐ向かってくる。
間島だ
間島が来た
守らなければ
ヨウスケを守らなければ
ヨウスケ!
離れて!
その人はあなたを攫っていって、また他の男にあなたを犯させる!
ヨウスケ!
その手を取ってはだめだ!
こっちを見て!
俺の声を聞いて!
ヨウスケ!!
抱かれて行く
横抱きに抱えられて、ヨウスケが行ってしまう
置いていかないでくれ
俺を置いていかないでくれ…
ヨウスケ…!
手を伸ばして暗闇を掴み、目が覚めた。 冷や汗の滲んだ顔を掌で拭い、刈谷は起き上がった。 カタカタと窓を風が鳴らしている。 今年初めての台風が近付いて来ていた。 間島に従ってヨウスケを攫った日も嵐だった。 去年の秋だ。 もう何年も昔のような気がする時があるが、まだ一年も経っていない。 そう言えば、間島が迷って初めてヨウスケのこの家に迷い込んだ日も嵐だった。 ヨウスケは大丈夫だろうか。 夕方、天気予報の台風情報を食入るように見ていた。 少し様子がおかしかった。 朝も…。
「あれはやっぱり涙だったんだろうな」
一回家に入ってまた出てきた時は、目が真っ赤だった。 麦藁帽子を目深に被って隠しているつもりのようだったが、風で煽られる度に鐔がはためき、返って目立った。 立川もコウキチも来れないと知ってから様子がおかしくなったのだ。 それでも自分には一言も泣き言を言わない。 相変わらず、どこかで一人で泣いている。 そんなに頼りにならないだろうかと、切なくなった。 彼らの代わりに抱いてくれと、言われたくない訳では決してないのだが、それもちょっと複雑だ。 だが、そこまで言われなくとももう少し頼ってくれてもいいのではないか。 身体の関係は無いとは言え、こうして一つ屋根の下に一緒に暮らしているのだし。 それとも、もうそろそろここを出て行った方がいいのだろうか。 この先絶対に間島が来ないとは言い切れないが、立川やコウキチが随分心を砕いてあれこれ対策をしているようだった。 だから、これ以上自分がここに居る意味は無いのではないだろうか。 ヨウスケを守るという名目でここに住まわせてもらってきたが、寧ろ自分の存在は、彼ら三人にとっては邪魔なだけではないのだろうか。 話には聞いていたがとても信じられなかった彼らの性生活。 だがそれは、本当に安定した一つの優しい世界として確かに存在した。 自分だけがそこに入り込んだ異端者だった。
カタリと階下で音がして、ハッとして立ち上がり階段を駆け下りる。 間島がヨウスケを抱えて歩き去る後ろ姿が、夢とは言え瞼に焼き付いて離れなかった。 それは未だに偶に見る、ヨウスケが間島にまた連れ攫われる悪夢だ。 店の方に気配があるのでそっと足音を忍ばせて行ってみると、ヨウスケが一人で酒を飲んでいるようだった。 今晩のように二人とも来れない夜には、一人で寝酒を飲むことが最近増えたヨウスケ。 酒に弱いくせにそうして酒の力を借りて眠るのだ。 決して自分に傍に居てくれとは言わない。
「ヨウスケ、眠れないんですか?」
「あ…うん、ちょっと」
ヨウスケは、少し身体をユラユラとさせながら立ち上がった。
「ごめん、煩かった? 俺、もう寝るね。 眠くなってきた。」
「一人で歩けますか?」
「大丈夫だよ」
ふふ、とヨウスケが笑う。
「刈谷さんて心配性だよね。 もう俺の世話係じゃないんだから、そんなに心配しなくていいのに。」
酒に酔っている所為か、普段のヨウスケなら口にしないような言葉が漏れた。 やはりそれが本音なのだろうか。
「…私は、ここに居ない方がいいですか?」
思わずそう言ってしまった。 どこまでも自分の手を頼ろうとしないヨウスケの傍に、これ以上ただ居続けることに耐えられない気持ちが募ってきていた。
「え? 刈谷さん、ここ出てくの?」
「何件か職の斡旋がきています。 中にはここから遠い場所に社宅付きで、という条件のものもあります。」
「そう…。 それって、もう決めたの?」
「いえ、まだ」
「そうなんだ…。 でも、決まるまではウチに居てね。 急に居なくなったりしないで、その時はちゃんと言ってね。 お別れ会くらいしたいし」
「はい」
「ごめん、俺すごく眠いからもう自分の部屋行くね。 おやすみなさい。」
「おやすみなさい」
謝る事など何も無いのに、ごめんごめんと繰り返し、下を向いてもう顔も見ようとしないヨウスケは、逃げるように寝室に去った。 引き止められさえしなかった。 やはり彼には自分は必要ではないのだろうか。 もうこの家を出よう。 自分の居場所はここには無い。 そんな諦める気分に支配された。 だが、彼の残した酒の瓶とグラスを片付け、自分も二階の自分に宛がわれた部屋に行こうと階段を上りかけた時、ヨウスケの寝室から嗚咽が漏れ聞こえてきて、思わずカッときた。
また一人で泣いている!
コウキチも立川も来ない夜を、さっきまで話をしていた自分には頼らず、どんなに寂しくてもそうやって一人で泣くのか!
「ヨウスケっ」
それまで抑えてきた物が一気に溢れかえり、気が付くと刈谷はヨウスケの寝室の戸を乱暴に引き開けていた。
「なぜそうやって一人で泣くんです?! 私では相談相手にもなりませんか!」
「か、刈谷さ…」
ベッドで毛布を被って蹲るようにして泣いていたヨウスケが、吃驚したように身体を起こした。
「刈谷さん、何を…」
「嵐の夜が恐いんじゃないんですか? 誰かに傍に居て欲しいんじゃないんですか?」
「お、俺、俺…」
「こうやって同じ家に住んでいるのに、私は何の役にも立たないんですか? あの二人でないとダメなんですか?」
「刈谷さん、ごめん、そういうつもりじゃ」
「謝らないでくださいっ」
「…」
思わず怒鳴ってしまった。 ヨウスケはビクリと身体を竦ませて黙った。 その怯えた様子が益々頭に血を昇らせる。 出ていくなら一回無理矢理にでも抱いてしまおう。 そして忘れよう。 勝手に自分でそう結論付けて、それまで自分には踏み込めなかったヨウスケの寝室の敷居を、終に跨いだ。
「ヨウスケ」
聖域を侵した高揚感に、体中の毛細血管と海綿体が充血する。 もう止まらなかった。 ズカズカと部屋に入り、ベッドの上を後退るヨウスケに圧し掛かって押さえ込む。 ヨウスケは細い身体で必死に抗った。
「刈谷さんっ だめっ やめてくださいっ 離して、あっ…」
暴れる身体を抱きすくめ、股間に手を這わして驚く。 そこは既に硬く息衝いていた。
「俺、俺、淫乱だから… こんなとこあなたに見られたくなかったのに…!」
泣きながら腕の中で身を捩るヨウスケを、これでもかと強く掻き抱いて動きを封じ、刈谷はその耳に囁いた。
「私はあなたの世話をずっとしていたんですよ? あなたの事なら何でも知っています。 あなたは淫乱なんかじゃない。 でも身体は違う。 今夜は私があなたを抱きます。 いいですね?」
「だめっ」
「なぜ?!」
即答で拒否され、また大きな声を出してしまい、腕の中でヨウスケが大きく身体を震わせた。 恐がらせるつもりは無いのに、通じない想いに苛々して強引になってしまう自分がどうにも抑えられなかった。
「なぜですか? 私と立川さんやコウキチさんと、どこが違いますか?」
息を整え、なるべく声を抑えてそう問うが、ヨウスケはそれでも身体を震わすことを止めないで嗚咽を漏らした。
「だって… 刈谷さん、ここ出てくんでしょ? 今じゃなくてもいつか出てく。 今抱かれたら俺、あなたが居なくなった時、どうしていいかわかんない…」
「立川さん達がいるじゃないですか」
「彼らとあなたは違うよっ」
ヨウスケが胸元から真っ直ぐ見上げてきて叫ぶように言い放った。 だが直ぐハッとして目線を外す。 その姿に、今まで目の前に見ていながら見えていなかった何かに、パンと頬を張られたような感覚に襲われた。 刈谷は唐突にヨウスケの言動の根源に気付いた。
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