嵐の夜に
14
刈谷が好きだ。
ヨウスケは、こんな、男に抱かれて感じる身体にされてから初めて、男に恋をした。 こうなってからというもの、女を相手に恋愛をする事は疾うに諦めていたのだが、だからと言って右から左に男に恋情を抱くようになれる訳でもなく、ただ抱かれる身体を持て余して抱かれ続けているようなものだった。 だけれども、最初の頃は置いておくとして、今はコウキチや立川に対しては嘘偽りのない愛情が確かにある。 だがそれは、家族に対する慈しみや愛おしむ感情の方に近かった。 実際、抱かれるようになるまでは、コウキチを父親のように、立川を弟のように思っていたのだ。 父親や弟に抱かれる事など普通はないがそれでも、彼らに「愛している」と囁かれながら身体を貫かれて喘ぎ、その事を愛し合う行為と受け取って嬉しいと感じるようになっても、それでも尚、それは恋情ではなかった。 胸がドキドキしないのだ。 若かりし頃、妻と出合って恋に落ち、結婚まで考えた時のような胸の高鳴りが無い。 寂しい心を抱き締めてもらってほんわり嬉しいと感じる、母を求める幼子の感情と似ていた。 だが、刈谷は違う。
「おはようございます」
刈谷が起きてきて朝の挨拶をされる。 指先が緊張で震える。 胸がトクトクと鳴る。
「おはようございます」
そっと深呼吸をして自分も同じ挨拶を返し、揃って朝飯前の畑仕事に出る。 初夏の風が半袖のTシャツの袖口をはためかし、肌を嬲っていく。 気持ちがいい。 今日も普通の一日でありますように。 どうか、この人がずっとこのまま、傍に居てくれますように。
刈谷がその持ち合わせたマネージメント能力やバイリンガルである事などと、隠しようもなく人を惹きつける男振りとを買われて、職を提供しようと言う人が少なくないのを知っている。 一緒に野菜を卸しに行った時など、あっと言う間に女性達が集まるのも、既に日常的な光景だ。 そう遠くない将来に、彼はここを、自分を置いて出て行く人だと、諦めているのに。 何度も何度も、そう言い聞かせているのに、ヨウスケは彼を日に日に好きになっていく自分を止められなかった。 でも、あの日、初めて彼にバスで世話をされたあの時に自分に掛けた戒めが、今もヨウスケを縛る。 彼を困らせることだけはしてはいけない。
「ヨウスケ、今日は夏野菜の種を蒔いてしまいましょう。 とても天気がいい。」
「うん」
刈谷が一緒に逃げて欲しいと言ってきた時、一瞬彼に求められたのかと嬉しかった。 でも、こんな自分でもいいのだろうかと、間島や他の大勢の男の玩具として半年のも間淫らな生活を続けてきたのにと、答えに窮していると、彼は自分がこの世界から足を洗いたくなったのだ、その為に協力して欲しい、コウキチの伝手を使わせて欲しい、と言った。 そうか。 そういう事か。 自分を求めてくれた訳じゃないんだ。 泣きたい気持ちを堪えて、ヨウスケは頷いた。 彼が明るい世界に戻りたいと言っている。 それに自分が協力できる。 こんな嬉しい事はない。 間島の事が正直言ってかなり心配だったが、自分にとってはこの人より代え難い存在は居なかった。 刈谷がそう望むなら、何を犠牲にしても叶えてあげたかった。
「ヨウスケ」
「なに?」
「身体は…平気ですか? あまり無理しないで、後は私がやりますから」
「平気だよ! 全然、この通り!」
ね、と言って跳ねてみせると刈谷はふっと優しげに微笑んだ。 そんな風に笑わないで欲しい。 昨夜自分がコウキチに抱かれている事を知っていて、そんな風に気を使ってくれているのだ。 これが立川に抱かれた翌日なら、刈谷はサッサと一人で畑に出てしまう。 それは、刈谷にとっては自分という人間は、他の二人の男に抱かれていても別にどうでもいい存在なのだという事を、この切なさに引き絞られるような胸の痛みと共に知らしめる。
「明日は手伝えないと思うから、今日やっちゃおうよ、ね」
今晩は立川が来るはずだ。 立川は最近、間島によって植え付けられた自分のトラウマを何とか克服させてくれようと色々頑張ってくれるのだが、それが身体にきつい。 顔をしっかり見つめ合ったまま、あの苦手な場所を態と突いては「大丈夫」と繰り返す。 でも、結局最後は間島に抱かれている幻影に囚われて、拒絶の言葉を叫びながら失神してしまうのだ。 立川も辛いだろうから、もうそんな事はいい、そこを突かないでくれればいいから、と言うのだけれど、立川は止めようとしなかった。 甘やかさない厳しい立川先生。 笑ってそう呼ぶと、立川は本望だと言ってちょっと怒った顔をした。 怒らないで。 俺はただ、自分がこの淫猥な身体を持て余しているのをあなた達が知っていて、こうして抱いてくれるだけでとても有り難いのだから。 そんな事はもちろん言えなかったが、ただ怒らないでと謝ると、立川は「謝るな」とまた怒った顔をした。
「立川さんなら、今日から明後日まで修学旅行とかで来れないと、朝連絡がありました。」
「え? そうなの?」
「昨夜もそんな事言ってましたよ。 聞いてませんか?」
「ううん、初めて聞く。 そうなんだ…」
ならコウキチが来てくれるのだろうか。 それとも今晩は一人だろうか。
「後でコウキチさんとこに行ってみるよ。 何か聞いてるかもしれないし」
「コウキチさんは、ナナミさんを市内の病院へ連れて行かれる日じゃないですか?」
「あ…そうだった」
ナナミが妊娠したのだ。 そうだ、コウキチに今までのように頼れなくなるんだった。 立川もそろそろ転任の時期らしいし、遅かれ早かれあの二人がここへ来なくなる日が来る。 早く慣れなければ。 この状態に。 いつかは自分一人になるのだから。
「俺、ちょっと休んできていい? やっぱりちょっと辛い。」
「もちろんです。 付いていきましょうか」
「ううん、大丈夫。 すぐ戻ります。」
泣きそうだった。 家に逃げ込んで少し泣いた。 俺って弱いなぁ。 前もこんなに弱かったっけ? それとも恋をすると人間て弱くなるのかな? 逆じゃなかったっけ? 強くなるんだったっけ? もう遠い昔の事で忘れてしまった。 こんなオジサンになった今更に、こんな風に恋をするなんて思わなかった。 でもとにかく、若者のような恋は自分には無理そうだ。 何もかもかなぐり捨てて、相手の迷惑も考えず好きな人の胸に飛び込むなんてできない。 気持ちを伝えることさえできない。 寂しいからと言って縋って泣いたり、ましてや慰めに一晩だけ抱いてくれと頼むなど、とんでもなかった。 でも、一人でこっそり泣くくらい、許されるよな。
淫猥なこの身体。 間島に女にされてから直ぐにコウキチ達に抱かれるようになったので最初は気付かなかったが、自分は確かに長く一人寝はできない身体になっていた。 そう言えば、コウキチや立川に最初に抱かれた日そう言われた。 おまえは俺達無しではいられない身体なのだ、俺達が毎日抱いてやる、と。 随分後になって、あれは本当だったのだ、と悟った。 彼らはこんな自分のために、だからあんな風に無理矢理な形にして、自分が抱かれる事が当たり前の日常を作ってくれたのだと解った。 フランスで毎日毎晩男に抱かれ、でもこれが自分には似合いの生活なのだと、いつしか思うようになった頃、そう解ったのだ。 そして、こんな自分には、間島のような男が似合いなのだと思った。 彼は寂しい人間で、人肌でしか人間関係を構築できない。 信頼とか思い遣りとか、そういったものからは遠い所にいる人間だった。 私のヨウスケ、君の身体はすばらしい! そう言われて奥を抉られる度に涙が零れたが、でもそんな間島を受け入れているうちに、この関係が最も自分に適当なように思えてきた。 そこに愛は無い。 正直身体も辛い。 このまま続けていれば、多分そう長くは持たないだろうと自分でも判ったが、その予想は自分に甘い安らぎさえ齎し、間島に抱かれて冷たくなる日を待ち焦がれた。 似合いの場所で、似合いの男の腕に抱かれて、似合いの淫らな恰好で冷たくなる。 なんて似合いの人生だ。 間島は自分を抱き締めて泣くだろう。 おお、私のヨウスケ! 泣いて骸を犯すかもしれない。 そんな淫靡な想像にさえ陶酔するほど、荒んでいた。
でもそこに、刈谷が居た。 刈谷に抱かれたのは4度。 今でもはっきり思い出すことができる。 最初は騎上位を教えられた時。 それから間島に仕置きだと言われて、刈谷を含む数人のSPに二度輪姦された。 あとの一度は、パーティでの輪姦騒ぎの後。 薬でイッてしまって正気を失くし、気が付くと自分のベッドで刈谷に抱かれていた。 身体がどうしようもなく疼いて身悶える自分を、刈谷は狂おしいほど情熱的に掻き抱き接吻け腰を振っていた。 自分の口から次々と飛び出す淫らな要求、それを一々与えてくれた。 頭を両手で抱えて優しげに顔全体を愛撫してくれ、接吻けながら時折名を呼んでくれた。 頤から首筋にかけて唇を這わされ、鎖骨の窪みに舌を挿し込まれて喘いだ。 乳首を捏ねられて押し潰されるとビリっと衝撃が走りぬけて身体が撓り、その度に自分の身体の上で刈谷が呻くのが、堪らなく嬉しかった。 間島に突かれると呼吸も儘ならなくなる苦手な場所も、刈谷に突かれるとただ快感ばかりが後から後から湧いて出て、身体全体がトロトロに溶け出していってしまうようだった。 嬉しくて嬉しくて嬉しくて…。 自分は刈谷にずっとこうされたかったのだ、と気が付いた。 ああ、刈谷が好きだ。 多分最初に会った時からずっと。 胸がドキドキと高鳴って苦しい。 思わず刈谷の名を呼び返し、縋り付いて自ら足を絡めると、刈谷が息が止まるほど抱き締めてくれた。 そしてドロドロに溶け合うまで愛し合った。 だが翌日刈谷は気まずそうな顔をして自分から目を逸らした。 それで解った。 してはいけないセックスをした、と。 この人は仕事で自分を抱いたに過ぎなかったのに、と。 刈谷に初めて世話をされた日にした戒めが、蘇ってきた。
「ごめんね、もう平気だから」
「…」
泣きはらした顔をザブザブ洗って、麦藁帽子を被って戻ると、刈谷は無言で暫らく見つめてきた。
「ごめん、すぐするから」
「無理しないでくださいね」
「うん」
呆れられた、きっと。
また涙が零れそうになって、慌てて刈谷から少し離れる。 それから彼が掘った溝に種を蒔き、彼が耕した土を掛ける。 全部蒔いたら、二人で水を掛ける。 幸せ。 これだけで、凄く幸せ。 頬を一筋だけ、涙が伝って流れた。
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