嵐の夜に
10
「ヨウスケさん!」
「ヨウスケ君!」
空港でヨウスケの姿を見止めた二人は声を上げて走り寄った。 回りで少なからず驚き振り返る人の目が有るにも拘わらず、二人はそのままヨウスケの随分と痩せてしまった身体を抱き締めた。 ヨウスケが連れ攫われてから半年後のことだった。 季節は春になっていた。
あの日本人SPの刈谷から極秘に連絡が有ったのが一月前。 刈谷は日本で航空券を2枚取って送って欲しいと言ってきた。 あちらでは間島の目があり危ない真似はできないからと言われ、コウキチは一も二もなく承知した。 2枚と言う事は、刈谷が責任を持ってヨウスケを連れてきてくれるのか、と問うと、刈谷は間島の元を去る決心をしたと打ち明けてきた。 彼にとってヨウスケとの出会いが何かを変えたのに違いなかった。 コウキチは向かえに行く覚悟をしていたのだが、それならこちらにとっても都合がいいと、刈谷の身元引き受けまで確約して全てを準備したのだった。
今、ヨウスケの後ろに付き従うように寄り添う大柄なその男が、確かにあの時の黒服なのかどうか、実のところ自分達には判らない。 あの晩はサングラスで髪もオールバックにしており、しかも全員黒服で、人種くらいしか見分けがつかなかったのだ。 だがそんな事はどうでもいい。 こうしてヨウスケを無事に連れてきてくれた、それだけが変え難い事実だった。
「刈谷さん、でしたね。 ありがとう。 君のお陰だ。」
コウキチが、ただひたすらヨウスケを抱き締めている立川を横目に、刈谷に礼を述べると、刈谷は無言で首を振った。 彼は普通のスラックスにセーターで、如何にも旅行帰りといった風なスタイルだったが、やはりどこか雰囲気が異質で目立っていた。
「よく間島に勘付かれずに逃げ出してこれましたね」
「ええ、色々苦労はしましたが」
刈谷の指示では、航空券はロンドンから日本までを、と言われ、コウキチは本当にそれでいいのか何回も確かめたほどだった。 彼らは一旦ユーロスターでロンドンまで出てから飛行機に乗るという経路を取ったらしい。 シャルル・ドゴール空港では間島の顔が利いていて、返って危険なのだという事だった。 間島の内情に通じている刈谷の助け無しには、ヨウスケの逃避行は成功しなかっただろうと、コウキチは心から刈谷に感謝した。
「それより、いつまでもここに居ては目立ちます。 早く出ましょう。」
「ああ、そうね。 で、取り敢えずウチの旅館にでも泊まっとく?」
「いえ、ヨウスケの家でいいです。 ヨウスケは私が守ります。」
「…そう」
半年の間に二人の間にできた絆は、相当深いらしいことが見て取れる。 これから、自分はさて置き、立川を含めたヨウスケとこの男との関係に、いずれ決着をつけねばならない時がくるのかな、と若干めんどくさい気分に襲われてコウキチは溜息を吐いた。 ヨウスケと立川と自分。 三人で居た頃が遠い昔のように思える。 あの時は平和だったなぁ、とつい口に出して言いそうになり、立川とヨウスケの方を見ると、二人は何故か険悪に言い合っていた。
「ちょっと、どうしたのよ?」
「だってコウキチさん、ヨウスケさん、キスさせてくれないんですよ!」
「今は待ってって言ってるだけです!」
「こんな衆人環視の中でそんな事しちゃいけません」
「ヨウスケさん、充分女性に見えますよ!」
「なに、失礼なこと言って…」
とヨウスケを見遣ると、確かに女性に見える。 髪は伸びて長めだったし、刈谷と同じくスラックスとセーターだったが、どこか女性的なデザインだった。
「あれ、ヨウスケ君たら、それ女物?」
「あ、あの… 一応夫婦ってことにしてたので」
「だって、パスポートは? 偽造したの?」
「いえ、税関はちゃんと男で通ったんです。 でも途中とか夫婦を装ってた方が何かと楽だし安全だからって。 それで、どっちにも見える恰好を選んで着てきたんです。」
「夫婦ね」
そういう目で刈谷を見ると、なるほどペア・ルックらしい。 おフランスでもペア・ルックなんてダサい趣味があったのか、と少し驚いた。
「君もごくろうだったね」
「いえ、私はなにも」
「まぁ話は後でゆっくりね。 立川君はだからって、キスやそれ以上は家に帰るまで我慢しなよ」
「あの、そのことなんですが…」
と、ヨウスケは一回刈谷をチラと見上げてから、自分達に向き直った。
「俺は向こうで不特定多数の男と関係を持っていました。 だから、ちゃんと検査してマイナスの結果が出るまで、そういう事は待って欲しいんです。 俺達これから直ぐこの市内の病院へ行きます。 コウキチさんと立川君は、せっかく来てくれて悪いんですけど、先に帰っててくださいませんか? その方がお二人も安全だと思うし」
そこまで一気に喋って、また刈谷を振り仰ぎ、ね?っと同意を求める仕草が既に本物の夫婦然としていて、また立川の悋気を買ったようだった。 これは一荒れ無くしては収まらないなぁめんどくさいなぁ、と思いながらも、コウキチは文句タラタラでいきり立つ立川を宥めて先に帰ったのだった。 それが一週間前。
今度こそヨウスケは、半年振りの我が家で、立川にきつく抱き締められて接吻けを交わしていた。 俺大丈夫でした!と飛び跳ねるようにして帰ってきて、躊躇なく自分達の腕の中に飛び込んでくるかわいさ。 ああ、よかった、本当に帰ってきたのだ、とやっと心底感じることができた。 立川は、珍しく自分に先に接吻けを譲ったと思ったら、その腕にヨウスケを抱くなり離そうとしなかった。
「ヨウスケさん、こんなに痩せちゃって」
合間合間に身体を弄り、今にもその場で押し倒さんばかりの勢いだ。 コウキチは、刈谷がどんな反応をするのか気になり、チラチラと様子を窺っていたのだが、刈谷は事情を全て把握しているらしく、別段驚くことも邪魔することもなかった。
「ねぇ、君は僕達のことヨウスケ君からどんな風に聞いてるの?」
刈谷を促し立川達から少し離れた場所に座ると、コウキチは考えても仕方がないとばかりに正面から聞いてみることにした。
「あなた方とヨウスケとの関係ですか?」
「そう」
「言葉では言い尽くせない関係だと、伺っています」
「なるほどねぇ。 言いえて妙だけど、君はそれで納得してるの?」
だって君、ヨウスケ君が好きでしょ?と直球勝負。 だが、刈谷はそれにも狼狽えることなく正直に答えてきた。
「はい、私はヨウスケを愛しています。 それに、今回の事では私の方がヨウスケに助けられたと思っているくらいですから」
と、意外なことまで言い出したので、それはどういう訳かと話を聞こうとした所へ、立川がヨウスケを抱きかかえるようにしてやってきた。
「我慢できない。 先に寝室に行ってます。」
立川は一応自分に断りを入れるつもりでそう言ってきたようだったが、ヨウスケは立川の腕に抱き締められたままで刈谷に向かってちょっと頼りなげに首を傾げた。
「いいかな?」
それを聞いて立川がむっとする。 だが、刈谷がすぐに頷いてみせ、ヨウスケがそれに微笑み返して立川の袖を引っ張ったので、何も言えずにその場を離れた。
「立川君、あんまり無茶するなよ」
コウキチが立川の血気を心配して一応そう声をかけると、立川はそれには答えずヨウスケを横抱きに抱え上げてノシノシと歩き去ってしまった。
「あーらら、彼まだ若いからねぇ。 ヨウスケ君泣かされちゃうかな」
「でも、間島に比べたら全然優しいでしょう」
「…ま、そうなんだろうけど。 あの人と比べないで欲しいな」
「すみません」
「いいの? 他の男にヨウスケ君抱かせちゃって。 ヨウスケ君と君ってそういう関係なんでしょ?」
立川の後ろ姿が完全に視界から消えてから、ちょっと意地悪いかなと思いつつもそう刈谷に尋ねてみた。 だが刈谷は先程と変わらぬ微笑を浮かべて首を振った。
「いえ、私とヨウスケはそういう関係ではありませんから」
「身体の関係はないって?」
「ええ、仕事以外では」
「逃避行中も? 夫婦を装ってたんでしょ?」
「それは、ヨウスケが立っているのもしんどそうな時があったので、夫婦者として振舞っていた方が何かと便利だったからです。 だからと言ってベッドまでは共にしていません。」
「…」
これには少し驚かざるを得なかった。 この男、ヨウスケのために危険を冒し、それまでの自分の地位や仕事も全て捨てて来たくせに、あっさりと他の男の手に彼を渡してしまって尚、彼を愛していると口では言う。 いったいどういうつもりなのだろう。
「しかし、本当に不思議な関係ですね、あなた方三人は」
訝しく首を傾げていると、自分が思っている事をそのまま先に言われてしまった。
「まったくね」
まったく。 本当にそうだ。 この先、自分と立川とヨウスケ、それにこの男が加わるのだろうか。
「君、4人目になる気あるの?」
「いえ、私はそんな風にはなれません」
「そう」
「実際そんな関係が成り立つなんて、こうしてあなた方にお会いするまでは、ヨウスケの口から幾ら説明されても信じられませんでした。 空港であなた方に会って、もし間島の所に居たのと状況が変わらないと思えたら、あのままヨウスケを連れて他の所へ行こうと思っていたくらいです。」
「ヨウスケ君が帰りたいって言っても?」
「ええ、ヨウスケが何と言おうと、無理矢理にでも連れて姿を晦まそうと思っていました。」
もう、その顔には笑みは無い。 彼の本気が窺えた。 そこまで愛していて、それでも身体を求めずにこれた方が不思議だった。 何と言う強い意志。 刈谷がヨウスケと共に姿を晦ましてしまったら、恐らく自分達には為す術などこれっぽっちも無いだろう。 その場面を想像し、間島に連れ攫われた時より喪失感が勝ることに、コウキチは慄いた。
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