春雪


14


 任務なら、里のためなら仕方がないと、何度もこの身を男に差し出してきた。 任務ならできた。 体と気持ち、それと心。 イルカはそれらを切り離して自分を保つ術を、必要から獲得していた。 そうでなければ生きてこれなかった。 だがそれを他人が理解しない事も経験上心得ていたので、特別言い訳をすることもなく過ごしてきた。 カカシのモノになってからもそうだ。 その度にカカシが怒り哀しんでも、自分はそうしてきた。 カカシを裏切っている感覚も無かった。 理解してもうらおうと努力しなかった訳ではないが、カカシに解ろうとする気が全く無い事に気付いてからはそれも止めた。 体は差し出しても心と気持ちはカカシのものだと、どう言ったら解ってもらえるか、イルカには判らなかった。 カカシは繰り返しそれを、哀しい、と訴えた。 そしてイルカを変えてみせると言い張り、辛抱強くイルカの行為を非難し続けた。 イルカは自分の変化を自覚しない訳にはいかなくなった。 現に、使い古されたようなこんな体でもカカシのモノになってからは、それまでは感じなかった貞操観念に基づく罪悪感が芽生え出してきて、イルカを苦しめた。 変えられてしまったのだと、思わずにはいられなかった。 
 それでもイルカは、必要とあらば体を使うことを厭わなかった。 それが最善だと思えばそうできた。 勿論、喜んで男に抱かれている訳ではない。 だが、ずっとそうしてきたのだ。 何を今更…。 だが今回は、どうしても嫌だという感情が先に立った。 きっとこの男の所為だ。 この男が、カカシのような目をして自分を見つめてくるのがいけないのだ。 他の男達のように自分を唯の女の代わりとして見る目ではない。 情が篭っている。 それが辛いのだ。 まるでカカシを裏切っているような気にさせられる。 変化した偽りの体でなかったら、きっと耐えられなかっただろう。





          八.イルカ


 その男は”山城”と名乗った。
 然る国の宰相でいらっしゃる。
 今は商人姿に身を窶している。
 だがその実体は、武器を秘密裏に調達に来た高貴な上にアブナイお方だと。
 このお方を闇に葬りたい別のお方が木の葉に依頼を出してくる程アブナイお方だと。
 葎の話を信じれば、そういう事だった。
 だが、イルカは男を一目見た瞬間に感じ取った。
 このお方が葬られる側ではなく、常に葬る側にいるお方だということを。
 それも他力本願ではなく、自分の力で遣るお方。

 だってこの人、忍だ。
 それももの凄く強い。
 もしかしてカカシさえ敵わないかもしれないくらい。
 これが、今ここに俺が居る理由だろうか。

 イルカは戦慄したが、もう後へは引けないことも理解した。

 これは、用意周到に準備された”任務”だ。
 自分が彼に関わらなければならないのは仕方ない。
 だが願わくは、この任務にカカシが絡みませんように。
 この人とカカシを遣り合わせる事だけは、回避させたかった。

 だけれども、とイルカは思った。
 彼が初めて自分を見た時の、あの目の色は何だったんだろう。
 何か遠いものを見る目だった。
 懐かしい者に再会したような、そんな目だった。
 俺はこの人に何処かで会ったことがあるのだろうか。
 すぐに優しく眇められた男の目を見つめて、イルカは何も言わずにこの計略に乗ることにした。


               ***


 『閨房術の使用を許可』
 正式に下りた命令書を手に溜息を吐く。
 ”許可”ではなくて”命ずる”だろうに。
 俺にこの人に抱かれろってことか。
 それがこの人の目的?
 まさか…
 他国の上忍級の忍。
 そんな人がこんな手の込んだ策を巡らせてまで、わざわざ俺なんかを抱きに来るだろうか?
 解らない。
 だが、この偶然に偶然が重なったように見せかけられた周到な仕込みの目的がカカシにあるならば…
 ”抱く”というのはオマケで、拉致ってカカシへの盾とする、とか?
 それとも、”抱いて”カカシを煽って何か行動をおこさせる、とか?
 とにかく、カカシの枷になることだけは避けねばならない。
 最悪の場合、カカシに無断で自決せねばならないだろう。
 カカシの怒りと哀しみ…
 自分が先に逝くことで、当のカカシがどういう想いをするかは、敢えて考えないことにした。
 考えても詮無いこと。
 お互いさまだ。
 それが忍の定だ。

 それとも、と思考を転換させる。
 やはり自分が目的だとしたらどうなのか。
 その為に、カカシに知られないように気を遣っているのか。
 覚えていないのだから仕方が無いが、どこかで会っている可能性がある相手だ。
 その場合、”山城”の個人的な要求のために国家的な取引が行われたことになるが、有り得なくは無い。
 何かオマケがあればいいのだ、国や里としては。
 もちろん、自分を”抱くこと”そのものが目的ならば、カカシは最大の障害になりかねない。
 当然か。
 だから女に化けて相手をさせろなどと、不自然な要求を葎に下してまで逃げ道を用意したのか?

 そう納得したので、カカシが現場に現れた時は酷く混乱した。
 なぜ?!
 カカシの姿を見て悟る。
 彼も篭絡任務。
 何故なのだ?
 これも仕込みだ…。
 一番遠ざけたい人物を何故仕込む?
 解らない。
 イルカは対応に窮した。

 俺に…、俺にカカシの目の前で、他の男に抱かれろと言うのか…!


               ***


 頭に血の昇ったカカシが、襖を開けて入ってきた男を見た瞬間、すぅっと冷静さを取り戻していくのを感じた時の絶望。 カカシに全て見られる事を覚悟しなければならなかった。

 カカシは怒るだろうか
 哀しむだろうか
 呆れ、愛想を尽かすだろうか
 今度こそ…

 自分にできる最善の策は、カカシと山城との間に戦闘が起こらないように務めるだけだと思い決めるがやはり、辛いことには変わりが無かった。

 好いた相手の見ている処で、他の男に抱かれる辛さ。
 くノ一達はいつもこんな目に遭っているのだろうか。
 くノ一のパートナー達もいつもこんな責め苦に耐えているのだろうか。

 天井裏でぴくりとも動きを見せないカカシを想う。 せめて扱いが酷ければ、もっと気持ちも楽だったろうに。 山城は、唯々自らの想いの丈をぶつけてきた。 そしてこの上なく優しく終始イルカの官能を引き出すことに執心し、愛しい者とのセックスをしている状況を作り上げた。 恐らくカカシが見ていることを意識してのことなのだろうが、イルカにとってそれが何より辛かった。 山城個人の目的が自分を抱くことそのものなのだと、確信するに至っても、何故なのかは解らないままだったし、どうする事もできなかった。 多分何処かで会っているのだろう。 自分には空白の期間がある。

「海野イルカさん、私を覚えていませんか?」
 確かにそう訊かれた。
「思い出してください。 お願いだから。」
 切なそうな目がカカシを想起させ、イルカは心ならずも一心に記憶の糸を辿った。
 記憶の無い時に知り合ったのなら七年以上前の話だ。
 そんなに長い間、俺を探し、はるばる会いに来たのか。
 ただ抱くために。
「連れて帰りたい。」
 できないことを知っていて言っている。
 ただ一夜、俺を抱くためだけに、危険を冒してやってきた?
 どうして?

 「それだけではないでしょう?」と、問うことはできなかった。 それを聞いてしまえば後戻りできなくなる。 知るのが恐かった。 山城個人は自分を抱きたいだけだったとしても、彼の国は彼に自分を抱かせて何かを得たいに違いない。 木の葉もそれを容認している。 そうしてそこに、カカシが絡む。 それが何よりも恐かった。


               ***


 長く激しい情交で、不覚にも意識を失い、拉致の危機に自分で対処できなかった。 気がついた時は、見知らぬ部屋の湯船に浸かり、カカシの腕の中に居た。 カカシがずっと守ってくれていたのだと知ることができた。 嬉しさと羞恥と哀しさとがいっぺんに押し寄せた。 カカシは静かに怒っていた。

 女体のまま自分を抱く、と言って利かないカカシ。
 山城がしたより多く自分を達かせないと気が済まないと、駄々を捏ねてみせる。
 それがこの男の優しさなのだと思い、実際そうされなければ自分の方がいつまでも今回の事に拘っていたかもしれないとも思う。
 だが、辛そうに女の自分を抱くカカシがまた、哀しくて仕方がなかった。


 やっと封じを解かれ
 男に戻り
 カカシと抱き合う。
 お互いにお互いを抱き締め合い
 接吻け合い
 瞳を見つめ合う。
 女の時はあんなに乱暴だったのに、男に戻った途端、優しく優しく触れてくるカカシ。
 馬鹿な人。
 普通は逆ですよ、カカシさん。
 この先も、きっとこんなことがある。
 自分か里か、二択を迫られる日がカカシにはきっと来る。
 イルカは、白梅に積もった春の雪よりも儚い願いを、そっと口にした。
 願わくは、願わくはその日が、少しでも遠く、先でありますように。









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