春雪


13


          七.葎


 篭絡任務専門くノ一部隊「篭部」…、そんなものは実際存在しはしなかったが、葎はほとんどのくノ一達が強いられる、そう言った任務の元締め的役割を任されていた。 別に正式に任命された訳でも、そもそもそんな役職が表立って認められている訳でもなかった。 だが、必要であり、誰かが遣らねばならない”仕事”だった。 篭絡は、他の任務と比べても決して楽な仕事ではなかったから。 綿密な計画と仕込み、手間と金、適した人材を必要としていた。 それがなければ成功率は生半なことでは上がらず、失敗すれば無駄にくノ一の体や命までをも失うことになりかねない、しかも成功しても功績を表立って称えられる事の無い、そういう任務だった。 嫌な仕事だった。

 ある日、火影の執務室に呼ばれ、任務を言い渡された。 異例な事だ。
 通常はどこかの部屋でこそりと命じられる。 篭絡任務に従事するくノ一の情報は、面が割れる事が致命的な仕事の性質上極秘だし、同里の忍同士の間でも知られる事がない。 暗部のそれとは似て非なるものだった。 それは、くノ一、即ち、”女”に限られ、性技を主とする任務だったので余計に秘匿され、他の忍はもちろん火影の前でも決して言い渡されることなど無かったのだ。 里が表向き忍の性差別を否定しているという理由もあったが、それは彼女らの私生活やプライドを守るためにも必要なことだった。 だが一方で、暗部の存在を”里の恥部”と言う者もいないではないのに、彼女らの存在は口にさえされない、そういう存在だった。 葎はそのことに付いてどうこう言うつもりは毛頭ない。 だから、暗部が火影直々から命を下されても、自分達はどこか暗い別室で下の者から言い渡され、それに疑問を差し挟むような事は決してしなかった。 それなのに、その任務は火影から直に下された。
 その任務は、海野イルカにある国のあるVIPに国外へ攫われることなく体を与えさせよ、という訳の解らん内容だった。
 イルカは葎の古い友人の一人で、今だ中忍に甘んじてはいたが実力・経験共に上忍に劣るところの無い男と評することのできる、数少ない生き残りの一人でもあった。 最近、"写輪眼のカカシ”という里の内外にもその名を轟かす上忍に誑かされ、散々振り回されている、という情報が里中に蔓延していたが、あのイルカなら有り得る、と葎が思うほど、イルカはお人好しでもあった。 イルカの生い立ちを思えば、何故それほどまでにお人好しでいられるのかと、訝る者もいれば呆れる者もいたが、そんな回りに左右されることなく、イルカはイルカだった。 葎の知る限りそうだ。 カカシに出会い付き合うようになって、彼が変わったかどうかを葎は知らなかった。 ここ数年イルカに会っていない。 だがきっと変わっていない、そう信じることのできる男、それがイルカだった。
 そのイルカを、お人好しが服着て歩いているようなぼけぼけした男を、知らない男に抱かれるように説得せよと? カカシと言う風評被害だけでも指定災害級の男の恋人となったイルカを、どこの馬の骨とも知れない他国の男に呉れてやれ、と?
「お引き受けしかねます。」
 もちろん葎は断った。 例え火影直々の命でも、やれることとやれないことがある。 それに、葎はくノ一の元締めであって、男のイルカをどうこうする義務も権限もない。 そう言って固辞すると、ではその権限と義務を与えようと言われた。
 今、木の葉には他国と事を構えるような余裕は無い。 どうしてもその男の要求をある程度飲み、ある程度ははぐらかし、なんとか満足して帰っていただく、そういう微妙な操作の必要な任務だ。 ましてや男の要求はイルカ本人であり、理由がイルカに懸想しているから、ということならば葎、おまえの仕事ではないか。 篭絡任務だ。
 そう言われて、困惑せずにいられようか。
「懸想していると、本当に言ったのですか?」
 葎は確かめずにはいられなかった。 忍同士の脅し合い、懐の探り合いで、色恋を理由にするなど前代未聞ではないか。 信じられるものではない。 だが、火影は首を縦に振った。
 本心かどうかはこちらにも計りかねる。 だが、7年前からイルカを探していたと言われては無視できん。
 そう言って眉間に皺を寄せる火影を、葎は訝しく見遣った。
 何年想いを寄せようと、忍の交渉に使うだろうか?
 そしてそれに納得するだろうか?
 今思えば、「7年前」というフレーズにこそ木の葉を恐喝できる要素が含まれていたのだと、葎は歯噛みする思いで振り返る。
 だが、その時の葎は全く気がつかなかった。
 知らなかったのだ。
 イルカのこの7年間を。

 とにかく、イルカを里外に出すことだけは阻止せよ、篭絡はその次だ、その線で計画を立案し提出せよ、火急的速やかに処理されるべき最優先事案である。
 そう締め括られ、否と言えないまま部屋を退出させられたのだった。


               ***


 遣るとなったら完璧を目指す。 それが葎の、くノ一達の命と体を預かる元締めとしての矜持だった。
 まずリサーチせねばなるまいよ。
 先にイルカに接触を図ろうかと思ったが、葎は既にある程度の計画の骨子を固めており、それにはイルカに久しぶりに会う旧知の知己を演じる必要があったので、カカシに会うことにした。 カカシとは偶にではあるが任務を共にすることもあり、最近ではイルカより頻繁に顔を合わせていると言ってよかった。 が、イルカを手に入れてからのカカシとは初めての会合だった。 その会合はとある居酒屋で行われた。

 葎はげんなりとカカシのイルカ語りを話半分で聞いていた。 もちろん、表面上は愛想良く相槌を打ち、酒を注いで遣り、話を盛り上げるために適当に合いの手を入れることさえ忘れなかった。 カカシはこのイルカ語りの所為で最近同僚からも遠巻きにされているらしく、然も嬉しげに滔々と喋り倒している。 アホや、と思い、こんなことをしている自分も相当アホや、と突っ込みながらも遂に核心に迫る質問をする時がやってきた。 カカシはイルカとの閨に触れだした。
「それで、イルカって閨ではあんたのことなんて呼ぶのよ?」
 まったく、男ってヤツは閨のことまでべらべら喋りくさって
 抱かれる者の心情というものを全然理解していない
 内心で毒づきながら、葎は問うた。
「カカシさん…かなぁ?」
 カカシさん? つまらん。 まんまじゃないか、使えん。 やはり危険を承知でくノ一一人くらい配置しておかねばならないか…。
「でも、我を失くすとカカシ、カカシって朦朧として呼び捨てるよ。 こう、きゅーって抱きついてさぁ、かーわいいったら!」
 ふむ、我を失くして縋りつき、カカシカカシと呼び捨てると…、それは使えるかもしれないな、とチェック。 できるだけイルカに任せたかった。 山城は、相手がイルカだけなら暴れないと、葎は踏んでいた。 だが、カカシは間髪をいれずに問い返してきた。
「そんな事聞いてどうすんのよ」
 片方だけ晒された湖底の色をした瞳。 それをきゅうっと糸のように眇め、カカシは徳利を傾けてきた。 心臓を冷たい手で鷲掴みされる感覚に耐え、その酌を受ける。 葎にとってはそれは日常茶飯事の駆け引きだ。 この男相手にしなければならないとは、思っていなかっただけで、だからと言って遅れを取るような間抜けではない。
「アンタ、本当にイルカのこと想ってるのね。 ちょっと安心したわ。 それとね、後学の為に聞いておきたかったのよ。」
 今度、大きな任務を任されていてね、あるくノ一の体を使わなきゃいけないのよ。 でもその娘のパートナーがすっごい焼き餅焼きでね、許してくれそうもないって言うのよ。 暴れられても困るしね、忍として聞き分けて欲しいんだけど、アンタならどうする?
「イルカ先生の体を使いたいと言われたらってこと?」
「そうよ、アンタなら、何て言ったら許す?」
「何て言われても許さない」
「…」
 やっぱりね。 やっぱりコイツには内緒で事を進め、しかもそれとなくその場に配置して、現場の苦労を見せるのが一番か。 土台、あの男からイルカを守れるとしたらカカシしか居ない。
「でもあの人は、そういう任務をホイホイ受けてしまうんだよね」
「え? あのイルカが?」
 吃驚した。 想像できない。
「あの人、男として篭絡任務を請け負う中忍なの、知らなかった? 他国からご使命くるくらいよ。」
「篭絡任務で使命がくるの?」
「そんな訳ないじゃない。 ネゴシエイト関係さ。 でも、行き掛かり上必要ならあの人、体使っちゃうのに躊躇無いんだよね。」
「…知らなかったわ。 アンタ、その度にイルカのこと責めてるんでしょう?」
「そんなことしないさぁ、任務なら仕方ないって俺だって自制するよ。 まぁちょっとは恨み言も言うけどね」
 この時は偉そうに言っていたカカシだが、実際はちょっとどころか物凄く拗ねて責めて怒って暴れているのだと、後から聞いた。
「イルカ先生のこと、何年前から知ってるの?」
 物分りの良さそうな顔をして、だがカカシは自分の猪口をチビリと舐めながら、何でもない事のように尋ねてきた。
「子供の頃から…」
「いつまで?」
「7・8年前までかしら」
「どうして?」
「どうしてって… 丁度その頃くノ一の頭に収まって色々忙しかったし、イルカも…」
「イルカ先生がアカデミーに落ち着いたのって5年前だよ。 ナルトの入学に合わせたみたいにね。 その前の2年間の事、何か知っている?」
「知らないわ。 どうしてそんな事聞くの?」
「俺も知りたいから」
 カカシはまた目をきゅうと眇めた。
 ああ、殺気が見える瞬間って何回経験しても嫌だわ。
「イルカを愛してる?」
「この上なく」
 他の男のモノなら忍として認識できるのに、自分のモノだとどうしてこう…
「なら、イルカを許す?」
「…それが惚れた弱みだろ」
 カカシは、「許した?」とは聞かず未来形で聞いた問いに、さして疑問も差し挟まず答えた。 知らず表情が緩んでしまったのだろうか。 ほっとしたところにまた徳利を差し出される。 そして、また糸目に眇めた目で自分に笑いかけると言った。
「でも、イルカ先生以外は許さない」
 葎は嫣然と微笑んでその殺気を受け流した。

 なんの
 それが私の仕事




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