春雪


9


          五.対峙


 朝、山城が亭の庭に下りると、そこには既にカカシが立っていた。
 雪は夜半に止み、白梅の蕾に積もった雪も既に露となっていた。 空は雲も晴れかけて薄明るく陽が差し始めている。 今日はきれいに晴れ渡るだろうと思われた。
 カカシが何時からそこに居たのかは知らないが、予想はついていたのでさして驚くこともなく、のんびり声を掛ける。
「おつかれ」
 返事はもらえなかった。
 まぁ当然か。
 顔のほとんどが覆い隠されているカカシの疲労の度合いは量れないが、一睡もしていない、というところか。
 俺も一睡もしてないんだけど。
 それに激しい運動も…
 思わずへらっと笑っていたのか、カカシが唯一見える右目の眉を顰めて自分を睨む。
「その人をどうするつもりだ。」
 カカシの声は硬い。
 緊張か。
 今日は遣り合いたくないし、この人もやめて欲しいときっと思ってる。
 山城は腕に抱いたイルカを見た。
 情事に疲れた色っぽい顔で眠っている
 ってゆーか、かわいいっ
 ぼへーっと見惚れているとカカシが焦れたようにまた低い声を出した。
「置いていってもらおう。」
「いやだ。 連れてく。」
 つい、駄々っ子のような言い草になってしまう。
 だって凄く疲れてるんだ。
 眠いし。
 欠伸が出掛かるのをカカシがまた睨むので、仕方なく噛み殺したら顎が痛くなった。
「なら、ここで遣り合うまでだ。」
 カカシがすっとクナイを両手に握って低く構える。
「えーーーっ やだよっ」
 正直に言ってみる。
 カカシは対応に窮している様子だった。
「この人も巻き込んじゃうかもしれないし。 俺、離さないもんっ」
 カカシの前でイルカをきゅうっと抱き締めてみせる。
 だが、カカシは意外と冷静だった。
 いや、一晩の間に老けちゃったのかもしれないなー。
 悪いことしたなー、別に見て無くてもよかったのに。
 でも見られてたから燃えたのかもしれないなぁ。
 ……………
 ………泣いてたなぁ。
 イルカの泣き顔ばかりが脳裏に過ぎった。
「仕方ない。」
 カカシは掌にチャクラを集めだした。
 ちりちりと静電気が弾けている。
 これが彼の有名な”千鳥”いや”雷切”だっけ?
 へぇ、本気なんだ。
 本気で傷付けてでも取り戻そうと思ってるって?
 俺だって本気だ!
 心で拳を握って突き出してみたが、やはり脱力は禁じ得ない。
 イルカが最後に呼んだ名前はコイツのだった。
 あれは、ショックだったなぁ。
 俺、当分立ち直れないかも…
 黄昏る。
「俺、傷付けたくないよ。」
 黄昏たまま脱力姿勢で言ってみたが、カカシは戦闘モードを崩さなかった。
「あなたが離さないなら、あなたごと此処で殺すまでだ。」
 えっ? と吃驚してカカシを凝視する。
「殺しちゃうの? 余所ででも生きててほしいって思わない普通?」
「その人は何れにせよ死ぬ。」
「死なせないよっ!」
「生きる屍になぞさせない。」
「…」
 何か負けた気がした。
 言い切ってくれるよなぁ。
「この人を殺しておまえも死ぬのか。」
 やや真面目に対することにする。
 カカシに挑発は効かないらしいし、何よりこの人が愛する男だ。
「里次第だ。」
 カカシの応えは哀しかった。
「わかったよ。」
 どうせ無理だって判ってたさ。
 ちょっと意地張ってみたかっただけさ。
 踵を返して亭に戻ろうとすると、カカシは、動くなっと叫んで回り込もうとした。
「こんな所に置けないよ。 亭の縁に寝かせるから。」
 ちょっと機嫌が悪くなった。
 ぷんと膨れて見せれば、カカシは心なしか身を引いてこちらの出方を窺った。
 近くで見ると、顔が結構強張ってる。
 俺のこと、過大評価してくれてるみたいだなぁ。
 もしかして今、殺っちゃった方がいいんじゃないの?
 腕の中のイルカを見る。
 はい、やりません、すみません。
 イルカを縁側にそっと寝かせ、最後になるかもしれないその寝顔を見つめた。
 胸に来るものがある。
 もう触れることの叶わぬかもしれぬ頬に触れ、すりっと撫でるとカカシが気色ばった。
「触るな」
 ケチくさいなぁ。
 おまえはこれからいつでもいくらでも触れるじゃないか。
 俺なんか、俺なんかなぁ、七年待ってたった一晩だけ会ったら、もう一生想い出だけで生きてかなきゃなんないかもしれないんだぞっ
 ちょっとくらい…
 カカシをちらりと横目で見遣ってからゆっくり、殊更ゆっくりイルカの顔に覆い被さり、半開きのその唇に接吻けた。
 薄く開いた口から舌を差し挿れ口蓋を擽ると、イルカが、うん、と微かに唸った。
 堪らなくなって上半身を抱き起こすと腕の中に仕舞い、頬擦りをして抱き締める。
 イルカは余程疲れたのか、起きる気配はない。
 もう一度その瞳を見、もう一度その声を聞きたかった。
 もう一度その腕で抱き締めて貰いたかった。
 名前を呼ばれたかった。
 一度知ってしまったら、知らなかった過去には戻れない。
 自分の名を呼びながら腕の中の人が達く様を思い起こし、胸が熱くなる。
 俺は此処に来てこんな形でこの人を抱いて正解だったのだろうか。
 だが、時間は待ってはくれない。
 後悔はしたくなかったから此処に来たのだ。
 後、この人と会う事があるとするならば、それは恨まれるような場面しかないだろう。
 まだ、里から自分に課された枷は重く圧し掛かったままだった。
 
 カカシが意外なほどおとなしく何もしてこないので、訝しく感じてまた横目で見ると、カカシの目とかち合う。
 何か同類相憐れむみたいな目をされてちょっと嫌だ。
 断腸の想いでイルカを放し、また横たえるとそこを離れた。
 距離を取りながらじりっじりっと場所を入れ替わったカカシが、半分以上イルカに近づくと、クナイを放り出して---比喩ではない、文字通り放り出して---イルカに駆け寄った。
「イルカ先生、イルカ先生っ」
 カカシはイルカに取り縋り、体を抱き起こすと一心にイルカを呼んだ。
 イルカ先生って呼ばれてんのかぁ。
 俺もそう呼べばよかったかなぁ。
 否、カカシはカカシ、俺は俺だ。
「イルカ先生、大丈夫ですか、イルカ先生」
 なんかもう完璧俺の存在無視してない?
 ちょっとそれってどうよ?
 だが、カカシがはっとして動きを止めたのでその視線を追うと、イルカの太腿の辺りを凝視していた。
「怪我じゃないよ、それは…」
「わかってるっ!!」
 破瓜の時の血痕が残っていたのだ。
 自分でも先程明るい所で見て吃驚したというか、顔が揺るんだというか…
 しかし、カカシはもう回りが見えてません、みたいな感じで慌ててイルカを抱き上げると暫らく右往左往してから、風呂!風呂に入れなきゃ! と言ってそのままぽんと屋根に飛び上がった。
「って、えーっ? ちょっと待てっ」
 一言言っておかなきゃならないことがある。
「おい、その人を責めるなよ。 その人が今度のことでって、おいっ」
 今度の事で悲しい目や辛い目に遭ったら、今度こそ連れに来るからな〜
 って聞けよっ
 なんだよっ
 全然余裕ないじゃんっ

 もうカカシの姿はなかった。



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