春雪
7
四.監視
天井裏でまんじりともせず、カカシはただ見ていた。
***
葎がカカシにした”説明”とはたったの一言。
「任務」
それのみだった。
自分がここに来る理由となった先の篭絡任務も、葎の差し金と判る。 そして自分の”任務”はまだ続行中だと言われて目を剥いた。
「俺はイルカ先生を連れて帰る!」
自分でも子供じみていると思いながらも、殺気をぎんぎん放ちながら言わずにおれなかった。 だが葎は動じなかった。
「あれはイルカの任務なの。 邪魔しないで。」
「どこが任務だ!」
カカシは葎と睨み合った。 葎の顔が皮肉げに歪み、毒のある声音で答を紡ぐ。
「任務よ。 くノ一の任務、知らない訳じゃないでしょ。 それとも馬鹿にしてんの?」
「イ、イルカ先生は男じゃないかっ」
「どこが違うの?」
「…っ」
カカシは自分でも自分が間違っている事を重々承知しながらも、更に食い下がった。 そうせずにいられなかったのだ。 カカシはあの男を知っていた。
「でもっ でもイルカ先生はダメだ。 今すぐ連れて帰る。」
「甘えんじゃないわよっ!!」
葎が凄む。
「あの男はっ」
カカシは言ってしまってから、はっとして口を噤んだが、葎には十分だった。
「…彼を知っているの?」
先程の凄み声とは打って変わった猫撫で声でカカシに絡む。
「ねぇ、彼、どうしてあんなにイルカに拘るのかしら?」
「あいつは、あいつの目的はイルカ先生だけだ。 拉致るつもりだ…。」
「だからどうして?」
「8年前、イルカ先生がした事を知っているか?」
逆に問われて葎は一瞬思考を停止させられたようだったが、知らないわ、と直ぐに答えてカカシに先を促した。 そうだ、こんなことに時間を使ってはいられない。 早く、一刻も早くイルカの元へ行かなければ。 それに、知らない者にこれ以上言うことはできない。
「とにかく、イルカ先生の身柄を確保しなければ…」
「里も同じ様なことを言ったわ。 イルカを外に出す訳にはいかない、とにかく身柄を確保せよって。 出さないで済むなら一晩でも一週間でも、あの男の気の済むまでイルカの体を差し出せ、と言ってきたのよ。 それってどういう事かしら?」
里の言い様にカカシは目も眩むほどの怒りを覚えつつ、頭は猛烈な速さでこの場を凌ぐ方法をシュミレートしていた。 8年前のイルカの過去は、里のトップ・シークレットだった。 カカシもやっと調べて少しばかりの事実をつきとめたに過ぎないが、色々な事が重なり、里の汚点として闇から闇に葬られた多くの出来事の一つである事は確かだった。 それに、イルカのためにも、おいそれと言う訳にはいかない。 イルカにはその時の記憶が無い。 記憶を封じてしまうような凄絶に痛ましい過去を、今更イルカに思い出させたくなかった。
「8年前、イルカ先生はある術の実験をしたんだ。 あの男はそれを見物していた他国の忍の一人だ。」
それは真実だった。 ただ、言っていない部分があるだけだ。
「だから里は、イルカ先生を出したくないんだ。 漏洩を恐れてる。 もうイルカ先生、その時の事全然覚えてないのにっ!」
カカシは葎に向き直った。 葎は腕組みをしてカカシを睨んでいた。 どこまでを信用し、どこからを疑おうか品定めをしているようだった。
「あいつが! あいつがイルカ先生を連れ出すことなんか、あいつにとって造作もないんだっ 判ってるのか?!」
早く、早く行かないと!
「大丈夫よ。」
カカシの焦りを余所に、葎は妙に落ち着いてカカシを制した。
「彼はイルカを拉致したりしないわ。」
「どうして?!」
「イルカが拒むからよ。」
「そんなの関係ないだろ!!」
「落ち着きなさいよ。」
葎はふんっと鼻から息を吐き出すと、漢らしく椅子に座って足を組み踏ん反り返った。
「あんた、イルカがあの男に付いて行くと本気で思っているの? そんなに自信ないの?」
「だから!」
だからそれは、イルカの意思とは関係ないだろうと言ってるんだ俺は、とカカシが尚も言い募ると、それはないわ、と葎は事も無げに言い切った。
「彼、イルカの意思を無視したりしない。 って言うかできない。」
「なんでそんなこと判るんだよっ」
「女の勘よ。」
そんなの当てになるか! とカカシが口には出さずとも表情で訴えると、葎は更にふんっと踏ん反り返った。
「あんたって本当に女をバカにしてるのね。 最低。」
あーもー! カカシは頭を掻き毟った。 他の時ならいくらでも、罵倒でも謗りでも受けよう。 だが今はそんな時間は無い。 カカシは今にもイルカがあの男に抱かれて連れて行かれる様が頭に浮かび、気も狂わんばかりだった。
「早く居場所を教えろ!」
「彼、イルカを見る時どんな目してたか判る?」
だが葎は、ぽつりと呟いた。
「彼の気持ち、どうしてあんたが解らないの?」
そして、イルカ達の居るはずの亭の方向に遠く目を眇めた。
「彼の欲しいのは術じゃない。 イルカよ。 無理強いできると思うの? 当のあんたがそう思うの?」
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