春雪


2


               ***


「に、任務です!」
 思わず叫んでしまってからイルカはハッと口を手で押さえた。 カカシは怒りも露にイルカの全身をじろじろと検分するように見ると、再びイルカの腕を掴んでその場に引き倒した。
「俺、もう行かないと…」
 声を顰めて必死に訴える。 なよとした女の形と高くか細い女の声で「俺」と言う自分がどうにも変だったが、カカシ相手に女言葉は使えなかった。 それでも不穏なカカシの雰囲気がイルカに必死の言い訳をさせた。
「本当ですっ もう待ってるはずなんですっ さっきの禿が何か言ったらきっと誰か探しに… あっ」
 カカシは物も言わずにイルカに覆い被さると、着物の裾を分けて乱暴に手を突っ込んできた。 普段より二回りは小さく細いであろう女体のイルカの太腿を撫で上げ、迷い無く股間を探る。 下着も着けていない露なそこをカカシの手が乱暴に撫でた。
「やめてっ」
 女の声だとこの状況は何か真に迫るものがあるなぁ、と何処かしら他人事のようにイルカは思ったが、事態はそんな悠長な場合ではなかった。
「…!」
 カカシは息を呑んで手を引っ込め、自分のその手をじっと見つめた。 眉間に何本も皺が寄せられている。 形だけでなく、造りまでちゃんと”女”なのを、それが何を意味するのかを、カカシに知られたのだ。 イルカは絶望の淵に立った気がした。
「イルカ先生、あなたいったい何をっ!」
 カカシの声も顰められてはいたが、イルカには突き刺さるようだった。 襟元を両手でぐっと掴み上げられ、ばっと左右に開かれる。

---ああ、これ着付けるのに何時間もかかったのに…

 細い首と、薄っすらとした鎖骨の窪みを指で辿られ、いきなり胸に手が入ってきても、イルカは諾として受け入れた。 ここまでは予想の範囲内だ。 確かめているのだ、どこまで”女”なのか。 これ以上”確かめられる”のは困るけど。
「いっ 痛いです、カカ…」
 乱暴に掴まれた乳房を握られ抗議の声を上げたが、やはり名前を呼べなかった。 カカシがどんな任務についているか判らない以上、本名を声に出して呼ぶ訳にはいかない。 自分はさっさと呼ばれてるんだけど…。 俺って真面目。
「帰りますよ、イルカ先生」
 だが、カカシは手を止めると立ち上がり、そんなイルカの気遣いも虚しく冷たく言い放った。
「だ、だめですっ もう仕込も済んでるんです。 俺が行かないとっ」
「言い訳は家で聞きます。」

---そんな冷たい声で言わなくたって

 イルカは思わず涙ぐんだ目でカカシを見上げた。
「そんな目したってダメです。 なんなら俺が今ここで犯してあげましょうか。」
 言うが早いか、再度イルカに覆い被さると、肌蹴た首筋に乱暴に唇を這わせながら着物の上から胸を揉みしだく。
「ああっ だめですっ だめっ」
「どうせ誰かに抱かれるつもりだったんでしょ」
「任務ですっ」
「許さないっ!!」
 イルカは呆然とカカシを見上げた。
 こんなカカシは見たことが無い。
 ぎゅっと眉根を寄せて自分を睨んでいる。

---この顔を見て、今にも泣きそうだ、なんて思うの、俺だけかな

 イルカは、もうちょっと状況に合った思考をした方がよいな、と自分で自分に突っ込みを入れた。


               ***


 カカシは頭に血が昇っていた。 昇りきっていた。 そのまま下りてこない。 どうしようもなかった。 イルカを前にすると自分が抑えられない。 忍としてこれは拙いだろうと自分で思うほど、冷静さの欠片もなくなってしまう。 イルカがおかしな状況に陥るたびに膨れ上がる激しい保護衝動。 その根源が彼に対する愛情なのか、それとも唯の独占欲なのか。 自分でも判らない。 どんな護衛任務でもこんな風に視界が狭まるような焦燥は起こらない。 唯一イルカに対してのみ衝き動かされるように、強引な手段に出てしまう。

「イルカ先生…」
 自分の声が熱に浮かされたようだ。 抗うイルカの非力さが女体であることを突き付けてきて、更に頭がちりちりと焼かれた。 接吻けで声を封じ、着物の上から胸を揉む。

---女のふっくらとした膨らみがイルカの胸にあるなんて!

 だが、花魁の厚く重ねられた着物の上からではなかなか感触が掴めない。 肌蹴させようとしても帯が案外しっかり結ばれていて肩口までしか出てこない。 でもそれがまたいやらしい。
「くそっ」
 思わず口汚い罵りの言葉が飛び出た。
 いけない、落ち着け自分。 もうこの辺で止めなければ。 イルカは本当に任務らしいのだから。 それに、この状況はどこか何かおかしい。 頭のどこかで警報が鳴って止まらなかった。
「も、もう、やめてくださいっ」
 だが、甲高いイルカの声が癇に障り、そんな危惧も端に追い遣られてしまった。

---ええいっ 鬱陶しい着物だ

 カカシは先ほど乱した裾から、また手を突っ込んだ。 それほどまでに厚く重ねられ他者の手を拒むようにきつく締められた着物の中の最も大切であるべき場所が、下着の一枚もなく露だというのはどういうことなのか。 古からの習いだと頭では解っていても、今はそれだけで理性が吹っ飛ぶ。 カカシは少し汗ばんだイルカのそこを、無遠慮に数回撫で擦った。
「や、いやです …やめてくださっ ぁ」
 割れ目に沿って辿るように中へ指を滑り込ませる。 そこはぬるりと濡れていた。
「もう濡れてる…」
 カカシの呟くような言葉にイルカはカッと体を朱に染めた。 肌蹴た襟元から覗く部分全てに朱が差し、壮絶に色っぽい。 目が釘付けとなり、呆然とこちらを見るイルカと目が合う。 イルカはぐっと唇を噛み締めると、ぐいと上体を反らして顔を背けた。 俯いた横顔のいつもより幾分長く見える睫から、はたはたと水滴が数粒零れ落ちる。

---しまった、泣かせた

 辱めるつもりは毛頭なかった。 だが、結果的にイルカはそう感じたかもしれない。 思わず感じたままを言ってしまったのだ。 男のイルカを濡らすことは容易ではないから。
 その時、イルカの手の動きにはっと思考を引き戻された。 彼はくっと口元を引き結ぶと両手を合わせ素早く印を結んでいた。 カカシは咄嗟に左手でイルカの結ばれた両手を掴み、秘部に差し込んだ右手の指先にチャクラを集めた。
「だめですよ。 もう少しこのままでいてもらいます。」
 そんなつもりはないのに、出る声は淡々と冷たい。 イルカの表情が絶望に歪んだ。
 クン、と指先を折り曲げてイルカの内部で自分のチャクラを固定させる。 瞬間、イルカがあっと小さく叫んで仰け反り、びくびくと震えて差し込んだ指を締め付けてきた。
「俺のチャクラで封じをしました。 幾ら物知りのあなたでも、これは解印はできません。」
 ふぅと体から力を抜き、イルカは畳に背を付けた。 胸が大きく上下する。
「これだけで達ったんですか?」
 我ながらなんて容赦のない言い様だ。
 イルカは目を閉じ、横を向いて、ただ涙を流していた。

 その時、外が騒がしくなった。 どたどたと足を踏み鳴らす音が近づく。 何人かの人の罵声も飛び交っている。

---来たか

 ちっと舌を鳴らしてイルカの秘部から手を抜くが、思い直してまた体に圧し掛かったその時、襖が無遠慮にすらっと開けられた。 先ほどの禿と、高価そうな着物を着た背の高い男、それと商人風に装われてはいるがあれは確かにくノ一の葎。 今日、自分に篭絡任務を割り振った本人だ。 あと数人、下人らしき男が後ろに付いていた。
 葎は顔をくっと歪ませると、カカシに向かって微かに首を数度横に振った。

---そういうことか。

 背の高い男が、カカシにひたと目を合わせて、ゆっくり敷居を跨いだ。

---この男、忍だ
  それにどこかで見た覚えが…

 カカシは急速に頭が冷めてゆくのを感じていた。


               ***


 普段、男の体でも、抗ってカカシに勝てた試しは無い。 本気で組み合ったことは無いが、カカシが本気なら尚更無理だろう。
 まして女の体。
 イルカは無理だと思いつつも、変化を解くために解術の印を結ぼうとした。 このままでは埒が明かないと思ったからだ。 カカシに冷静になってほしかった。 だが、冷たい言葉と共にカカシのチャクラを身の内に込められ、これではカカシ本人しか開封はできなかろうと思われる封じをされた。 一瞬で集めたはずのカカシのチャクラは、だがイルカの膣を中心に体中を巡り、衝撃を伝えた。
 すごい、と思った。
 瞬間に練り上げられるチャクラの量と質。 その両方が並ではない。 そしてそれを人体を傷付けることの無いよう発動させる完璧なコントロール。

---そんな超人パワー、こんなことに使うなよな〜

 イルカは情けなくなって涙が出た。 否、本当は、先ほどからカカシに投げつけられる冷淡な言葉や態度に、いいかげん哀しくなっていたのかもしれない。

---普段はやさしい人なのに

 堪らなく哀しくなった。

---この人をこんな風にしているのは俺なのかな

 体から力が抜け、もうどうにでもなれと、畳に横たわる。 もうそろそろ、誰か探しに来てもいい頃だ。 この状況を見られるのはヤバイなぁ。 葎のヤツ、怒るだろうな〜。 イルカは言い訳を考えた。
 案の定、回廊を走る足音の群れが近づいてきた。 流石にカカシも身を離しかけたが、何を思ったのかまたイルカに圧し掛かってくる。 えっ? と思った瞬間、襖が開いた。 葎の顔が鬼に見えた。

 
「美雪太夫!」
 最初に部屋に乗り込んできた長身の男が叫んだ。

 ”美雪太夫”とは自分のことだ。 太夫なんて柄じゃないのに、くノ一の葎がどうしてもと言って聞かなかったのだ。 本当は葎自身がこの役をやる予定でいて、衣装もきっちり準備していたのでもったいない、という理由だった。

 じゃあ今、着てみればいいんじゃない?
 「そういう問題じゃないのよっ ばかイルカ!」
 控えの間でさんざん罵倒されたっけ。

 長身の男、”山城”が厳しい顔つきでカカシを睨みつける。
 男はたいへんな美丈夫で、背も恐らくはカカシよりも長身だった。 どこかしら華奢な印象さえ与える細身のカカシに比べると、肩幅も広く胸板も厚く逞しい感じを与える体躯だった。

 でも、カカシさんだって脱いだら凄いんだぞっ
 「ばかイルカっ」
 初見の感想を言った時の葎の罵倒だ。 ワンパだ。 そう言えば葎は昔からこれだった。

 山城は、泣き濡れる自分と圧し掛かり押さえ付けるカカシを見比べて状況を判断したに違いない。 自分は襟元と裾が着乱れて、一見して何をされていたか判る状況だ。

---買いに来た女に先に手を付けられたと知ったら、普通興ざめだろうな
  この話、流れるかなぁ
  ヤバイなぁ、でもできればその方が…

 などとイルカが葎の顔を盗み見てハラハラしていると、カカシが徐にイルカを抱き締めて言い放った。
「この人は俺のものだっ!!」
 い、い〜っ?!
「困ります! 高橋さま!」
 葎が叫んだ。
 なるほど、今カカシは”高橋”なのね。
「高橋さまは、前のご贔屓さんなんです。」
 イルカはしおらしく言ってみた。
「今日は先約があると、言ったんですけど…」
「前も今日もないっ 美雪は渡さないっ」
 カカシは尚も叫んでイルカを掻き抱いたまま、後ずさった。 ぎゅうと腕に力が込められ、どこまでが本気でどこまでが演技なのか、とカカシの顔を思わず見上げる。 その時、”山城”と火花を散らして睨み合っていたカカシが、合わせるようにチラとイルカの目を見た。 さっきまでの燃えるような瞳とは全然違う。
 イルカは何故か絶望を覚えた。
 カカシは冷静さを取り戻している。 この事態の裏を既に読んで、先の先までシュミレートしている。 俺がこれからしようとしていることを解った上で、自分の身の処し方も既に決めている。 俺はこの人の目の前で、他の男に抱かれなければならないのかもしれない。
「高橋さま、今日はどうか許してください。」
 イルカは震える声で、縋る想いを込めて言い募った。
 察してほしい。
 見ないでほしい。
「だめだ。 許さない。」
 カカシの声音が幾分落ちた。 チラリと瞳に揺らぐ炎が見える。 カカシの本音が混じっているのか。
 イルカは泣きたくなった。
「高橋様…」
 カカシ、と呼びたかった。
「離してください、高橋様。 きちんとご説明しますから。」
 情に流されかかったイルカに焦ったのか、葎が口を挟む。
「いやだっ」
 カカシが乱暴にイルカを引き摺り、ぐいと力を込めたので、知らずあっと声が出て溜まった涙が辺りに散った。
「離しなさい。 その人は嫌がっている。」
 ここに至って、状況をずっと静観していた”山城”がやっと口を開いた。

---よかった、これで動く

 イルカは山城の遅い参戦を心の内で罵りながらも、ほっと息を吐く思いだった。 葎が後ろに控えていた下人達を呼び寄せ、嫌だ離せと暴れて見せる”高橋”を取り押さえさせた。 イルカはじっと項垂れて、部屋から連れ出されて行くカカシを見ないようにした。 否、見れなかった。

---カカシさん、ごめんなさい

 涙がほとほとと零れ落ちて畳を濡らした。




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