真言使い
- From Dusk Till Dawn -
8
気がつくと、男が片肘を付いて頬を支え、イルカの顔を覗きこんでいた。 辺りは薄明るい木漏れ日がチラチラと散乱している。
「あ、の…」
声を出そうとして果たせず、喉に手を当てて赤面した。 くすりと笑う気配がして、男の手が首の後ろに差し込まれ、唇に竹筒が当てられる。
「水」
簡単な言葉と共に冷たい液体が送り込まれ、喉を潤した。
「う、うんく、うくっ」
イルカが貪るように水を飲むと、男はまた含み笑いを漏らして、必要以上に筒を傾けイルカの口から水を溢れさせた。 そうしておいてイルカの口元、頬、顎と舌を這わせてくる。 イルカは男の胸元に手を縋りつかせて震えるしかなかった。
「体、だいじょうぶ?」
男はやっと、本来最初に問うべき事を口にした。 だがイルカも、問われてやっと己の体の調子に気を向けたのだった。 向けてはみたが、よく判らなかった。 全身、鉛を飲み込んだように重い。 熱もあるようだ。 体中、あちこち痛いらしい。 らしい、と言うのは動かしてみなければ何とも言えないからだった。 だが、体を動かすことはできなかった。 特に下半身は、痺れているのか感覚が無い。 今も、男に支えられなければ水もまともに飲めなかった。
「大丈夫な訳、ないよね」
イルカが判らない、と言う意味で首をふるふると振ると、男は勘違いをしたのかそう言ってイルカの頬をするりと撫でた。
「もっと呑む?」
また筒を口元に当てられ、イルカはそれに口を付けた。 今度はゆっくり適量を流し込まれる。 自分の肩を掻き抱くように支えて水を飲ませる男の顔を、イルカは穴の開くほど凝視した。 明るい所で改めてみる男の素顔は驚くほど端正で、銀の髪が日の光に輝いていた。 閉じられた左目の上には一筋の傷が縦に走っていたが、昨夜その左目を見せられた記憶がある。 赤い、炎の様な紋様のある不思議な目だった。 開けられている右目は、燃える左目とは逆の静かな湖底を思わせる透き通った青い色をしていた。 肌は抜けるように白い。 なんて奇麗な人なのだろう。 イルカは水を飲むのも忘れて男の顔に見惚れた。
「そんなに見つめられたら穴開いちゃうよ」
男はくすりと微笑んでイルカの口元を拭うと、唇をちゅっと啄ばんだ。
「俺、そんなに好い男?」
こくこくと頷くイルカに男は呆れたように眉を寄せると、本格的に口を併せて深く口中を弄ってきた。 イルカは男の腕に縋り、されるがままに接吻けを受けて喘いだ。 何故このような何もかもが上等の男が自分などを相手にしたのか。 だがそんな思考は、舌に深く犯されて、開かされた体が疼き出すと霧散した。 あんなにシタのにまだ足りないのか、とイルカは自分の淫猥さに驚くばかりだった。 自分がこれほど淫らだとは、昨夜まで知らなかったのだ。 どちらかと言うと淡白過ぎると言われていたくらいだった。
「ん、んぁ、あん」
接吻けにただ喘がされ、頭がぼうっとしてきた頃、するっと下肢を撫でられて震える。
「うん、いい子、ちゃんと俺を覚えてるね」
男が嬉しそうに体を弄る。
「キスだけでめろめろ?」
「あ、めろめろです、めろめろ、だから…、やめて」
やっと力の入らない腕を上げて手を止めると、喘ぎながら訴えた。
「日が、昇ってます。 黄昏から…」
「…暁まで」
男は、どこか哀しそうに最後の接吻けをした。
あんなにベタベタしていた体はそこそこさっぱりとしており、二人分の服が掛けられていた。 自分が失神している間に男が体を拭いてくれたのかと思うと、また恥ずかしくて頬が熱くなる。 回りは明るい。 隈なく見られたかと、熱る頬を隠しながら、イルカはもそもそと服を身に着けた。 軋む体を騙しだまし動かして、起き上がろうとした時の背中からあらぬ所までを一気に貫くような激痛に再び体を沈ませ、改めて昨夜この男に抱かれた事を自覚する。 女との性体験も殆ど無いに等しいイルカだったので、男とのセックスなど全くの未知の領域だったのに、たった一晩で一生分くらいの体験をしてしまった、と思った。 そして、その思い出すだけで眩暈がするほどの淫猥な体験により、自分がすっかり抱かれて感じる体に作り変えられたように感じて、男の目に自分の裸体を晒していることが心細くて仕方が無い気持ちになった。 男は、と言うと、全裸にされたイルカと違い、上半身は裸の胸を併せた覚えがあるが、下半身はその思い出しただけでも恐ろしくなる程の太いモノを取り出せるだけ前を寛がせたのみで、それが少し寂しかったっけ、と思い出した。 だが、男が立ち上がって上着に袖を通しだすと、チリンと鈴の音がしてハッとさせられる。 そう言えば、昨夜も男が腰を揺するたびに鳴るその音を聞いていたような気がする。 抱かれる前に、これは閨房術で隙を見てこの鈴を取るように、と言われたのを思い出した。
---あの鈴を俺が取れるように、下を脱がないでいたのかな
全くそんな余裕は自分には無かったが、閨房術を見られていただけなのかもしれない、という考は益々イルカを寂しくさせた。 自分は上忍に成る事を望んではいなかったので、それは余計に身に堪えた。
---でもこの人、俺に自分を覚えろって言った
また会いたいと言ってくれたし、最後の方は殆ど覚えていなかったが、好きだと聞こえたような気がする。
そうだ、抱かれたことに後悔はない。 寧ろ、必然のようにさえ感じるこの男との出会いには、体を併せる事がイルカにとって欠く事のできない洗礼のようなものだったのだとさえ思えた。 もうイルカの心には、この男しか居なかった。 この先誰に会おうが、誰に求められようが、この男以外に考えられない。 身も心も鷲掴みにされて持っていかれてしまったようなものだった。
だが、昨夜男は、自分に暗示が掛けられていてそれが解ければ彼に関する記憶を失くすだろう、と言った。 イルカにはそれに関しては心当たりがあった。 心当たり、と言うよりも、それは彼にしか出来ないこと。 今朝、火影に会った時には別段変わった所はなかった。 火影以外でイルカの深層心理にまで触れられる者、それは試験前に会ったコウだけだった。 これから来るであろうコウが、自分の暗示を解くならば、イルカはそれを拒んででもこの男の記憶を保ちたいと思っていた。 自分に関する情報が引き出せない、ということだったが、名前と階級と所属くらいまた覚え直せばよい。 それがどんなに不自然な事かからは目を逸らせ、イルカはひたすら目前の失いたくない物に縋り付いていたいと思った。
・・・
カカシも、服を着直しながら自分の腰で鳴る鈴の音でやっとその存在を思い出していた。
「あんた何で鈴取らなかったの?」
閨房術も立派な忍術でしょうに、と取り敢えず問うてみる。 昨夜の男の様子では全く鈴を取られる心配はなかったが、自分でもすっかりその存在を失念していたくらいなので、もし何かの拍子でそれに男が気付いたら、きっと取られていただろうと思った。
「それとも、いっぱいいっぱいだった?」
初めてらしい初心な反応を思い出し、からかうように更に問う。 中忍の男は顔を赤らめて俯くばかりだった。 だが、鈴はずっとカカシの腰でちりりちりりと鳴っていた。 カカシが腰を揺する度に。 気がつかないはずがないのだ。
「もしかして、あんた上忍になりたくない?」
思いつきをそのまま口にして、男の反応に逆に驚く。 中忍の男は、はっと顔を上げると心なしか顔色を無くしてカカシを見上げた。
「え? ほんとにそうなの? じゃあ何でこんな試験受けたの?」
死んでもおかしくない内容だったし、俺みたいな奴に無体を働かれてしまったし。
「三代目にどうしてもって言われて。 色々事情があるんです。」
「でも、上忍になりたくないのはほんとなの?」
「なりたくないんじゃなくて、俺じゃ無理なんです。」
「う〜ん」
否定はできなかった。
トラップや妖魔への対処の仕方、忍術や体術・忍具の的確な使い方、加えて真言など驚くべき博識ぶり。 特に真言使いとしてはこの自分の忍術と対等に渡り合える程の遣い手だ。 中忍にしておくのは確かに惜しい気がする。 だが、この人のチャクラ量や筋力・体力、身長はそれなりに高いのだが華奢な体格と、お人好しで非情になりきれない性格など、総合して評価すると上忍には向かないと思った。
---否、向かないと言うよりもならせたくない、かな?
己の不可思議な感情に内心で苦笑を漏らし、改めて男を見る。 ぎこちなく身支度を整える様は、幼いとさえ感じた。
「正直言うとね、あんたは上忍には向かないと思う。」
「はい」
男は怒るでもなく、素直にカカシの言葉を受け入れた。
「でもね、実力は充分あると思うよ。 俺以外の奴が試験管だったら、あんた絶対に合格してる。 あの真言は凄いね。 よくあれだけ使いこなせるよねぇ。 どこであんなの覚えたの?」
「いえ、俺は唯、自分のチャクラと体力の無さを補ってるだけで…。 基礎は三代目に教わりました。 後は自分で火影様の書物でなんとか。」
「ふーん、そうなんだ。 殆ど独学ってことだよね。 真言は真に意味を理解していないと使えないって言うし、なかなかたいしたもんだよ。 俺、中忍にここまで追い込まれたの初めてだもん。 不動金縛りの法だって第三詠唱聞いたの、初めての時以来だよ〜。 あんな長い詠唱の要る真言にむざむざひっかかるなんて忍の恥だもんね。 今日は見事にやられちゃいました。」
あはは、と後ろ手で頭を掻きながらカカシが白状すると、男はそんなカカシを返って眩しいものを見る目付きで仰ぎ見た。
「いえ、結局あなたには何も通用しませんでしたし、もう全然、敵いませんでした、俺。 それに仰る通り、忍として真言に頼るのはやはりどうかと思います。 でもあの、ひとつ言わせてもらえるなら」
と幾分真剣な光を目に湛えて男はカカシに続けた。
「胎蔵大日如来真言はもうできるだけ使わないでください。」
カカシは首を傾げた。
「何を使うなって?」
「あなたが最後に使ったあの真言です。」
ああ、と頷いて直ぐに問い返す。
「何故?」
あれは、殆どの真言の効果を無効にできる便利な真言だと思っていた。 この男のように他にいろいろ知っていなくても、あれさえ知っていれば真言使いもあまり怖くはない。
「あの真言は、人間が使えるものの限界です。 本来なら徳の高い聖か陰陽師にしか使えないはずなんです。 俺、忍の者であの真言を使って実際発動させた人を初めて見ました。 あなたは凄い。」
男は一旦言葉を切って息を呑むようにまたカカシを見つめた。
「でも、あの真言は使った者の命運を尽きさせます。 これからも絶体絶命の場面以外では簡単に使わないでください。 お願いします。」
座り込んだまま地面に手を着いて頭を下げてまで彼は懇願している。
「うん、わかった。 俺も今まであんたほどの真言使いに会ったことないから、そんなにやたらに使ってた訳じゃないよ。 でもこれからは気をつけるね」
「はい…」
男はほっとと息を吐いて表情を緩めた。
「…あんたもしかしてさ」
カカシは、今の男の言葉を聞いて思い当たった事を問うた。
「あの時あっさり俺に降参したのって、俺にあれ以上あの真言を遣わせないためだったの?」
「えっと、それは…」
口篭る男に答えを見出しカカシは溜息を吐いた。
「あんたは上忍にはならない方がいいよ。」
「はい、わかってます」
男も苦笑して同意を示す。
「ま、三代目も本心はあんたを上忍にはしたくないみたいだしね、問題ないでしょ」
「そう、なんですか?」
「ん、あの爺、俺に試験管やらせる時は不合格にさせたい時だから」
---まぁ何時もは、実力はそこそこ有るものの人格的に問題有りの上昇志向型の人間を俺に叩き潰させるため、だけどもね
「じ、爺だなんて」
心内で独りごちていると、男は的外れな箇所に突っ込んできた。
「爺じゃない。 それにしても、あんたあの爺に大事にされてるんだねぇ」
彼らしいな、と思いつつも素直な感想を言ってやる。
男は自覚があるのか否定の言葉は吐かず下を向いて項垂れた。 贔屓にされることに何か引け目があるらしい。 そんなところにも真面目さが滲んでいて微笑ましかった。
---そんな大事な子を俺が頂いちゃったんだねぇ
カカシはほくそ笑んだ。
「あんた、男も初めてだったんでしょ?」
「は…い」
男は初心そうに赤らんで俯いた。
「俺はあんたを上忍に推挙はしない。」
カカシは再び面を被って宣言した。
中忍の男は吃驚したようにカカシを見上げると、居住いを正してこくりと頷いた。
「はい」
「名前…まだ思い出せないよね」
「…」
「いいよ、考えないで。 試験が終了した途端、あんたに忘れられるんじゃないかって、ちょっと怖かったんだ。」
カカシの言葉に唯々驚いたように口を中開きにしたまま、男が見つめてくる。 どうしてそんなに吃驚されるのか、と自分に自信が無くなり掛けていると、男が口を開いた。
「怖かった…んですか、あなたが?」
「ん」
カカシが短く肯定すると、男は立ち上がろうとして失敗した。
「う…、っつぅ」
「まだ立つのは無理だね。 ごめん、無理させて」
カカシが屈んで男に手を差し延べると、男はその手に縋ってやっと立ち上がり、そのままカカシに抱きついた。
「そんな、無理なんて言わないでください。 俺に覚えろって言ったじゃないですか。」
「ん、そうだね」
「俺が…あなたの名前を聞いたら、やっぱりマズイですか?」
男が唐突に尋ねてくる。
「うーん」
カカシもそれは考えないでもなかったが、やはりそれはできない。 暗部でビンゴブックに名を連ねる車輪眼持ちの自分の名など、知らないに越した事は無い。 それがこの人のためだ。 そう思って諦めたのだった。
「それはだめ」
だから、そう言う。
「そう…ですよね、やっぱり」
男は、ははっと乾いた笑いを漏らして項垂れた。 落ち込んでいるのが手に取るように判るなぁ、と溜息が出る。
「その方があんたの為だよ。 俺、これから長期任務に出ること決まってるし、当分還れない。 多分、半年より早くなる事はないと思う。 俺が側にいてあんたを守れない以上、俺の名前なんか教えられない。 それほど物騒な名前ってことだよ。」
そう言って男を抱き締め、耳元で諭すように言い募った。
「あんたは俺を里で待ってて。 俺の方から必ずあんたを探すから。 その時あんたに俺の記憶が無くても、俺、あんたを抱くからね。 あんたが思い出すまで抱いて抱いて、これでもかってくらい抱いてあげる。 あんたが拒んでも強姦してあげるから、安心して。 だから、いい子で俺を待ってて、ね?」
カカシの物騒な懇願に、男は操られたようにこくこくと首を小さく縦に振った。 その幼い仕草に笑いを漏らし、項に腕を回して引き寄せる。 男は一瞬竦んで体を強張らせたが、構わず両手で頬を包み込むと、面を口元だけずらして接吻けをした。 舌をねっとりと差し込んで、感触を覚え込ませる。
「よく覚えて。 これが俺のキスだから。 他の誰にもこんな事させちゃだめだからね。」
男は微かに頷いた。
「それから、ここもここも、誰にも許しちゃいけないよ? させたら殺すから」
男の前を服の上からやんわり撫で上げ、更にその奥の蕾の辺りを擦りながら耳に囁くと、カカシの胸に顔を押し付けてこくこくと何度も頷いた。 体はふるふると震えている。 かわいい。 もう一回抱きたい。 だが、朝日が昇って既に久しい。 火影執務室で苛々として待つ老人の姿が目に浮かんだ。
「黄昏から暁まで。 陽が昇ってから随分経つ。 試験は終了する。」
カカシは静かに宣言した。
・・・
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