真言使い
- From Dusk Till Dawn -
5
---あちゃー、掴まっちゃったなぁ
カカシは正直この中忍の男の真言の実力に舌を巻いていた。 千鳥まで出さねばならないとは自分でも思いもよらなかった。 だが、これで終わると信じて疑わなかったのも今となっては笑ってしまう事実だった。 殺さないように威力を抑えたのは寧ろ自分のためになったとさえ思わされた。 雷撃と雷撃の衝突時に起こった衝撃波の威力の凄まじさは想像を絶するもので、もし全開の力を注いでいたら二人ともどうなっていたかと冷や汗が出る。 それにカカシは、まさか相手が雷撃に雷撃をぶつけてくるとは露程も思わず、諸に衝撃を喰らい跳ね飛ばされて禄に受身も取れず、三度地を這わされたのだ。 車輪眼を数度使った事も手伝ってか未だ頭がクラクラするのが治まらない裡に、聞き覚えのある不動明王捕縛術の詠唱が聞こえてきたが、どうする事もできなかった。 中忍の男の方は、雷撃同士がぶつかり合う事を恐らく予想できていたのだろう。 一瞬でも自分より早く反撃に出られてしまったのが敗因だと、見えない縄にキリキリと締め上げられながら考える。 普段は、あのように長い詠唱を必要とする真言など、決して最後まで唱えさせたりはしない。 この男も忍なのだから、真言が対忍用戦術としては向いていないことくらい、重々判っていたはずだ。 それをここまで完璧に嵌められてしまうとは…。
---いろいろ不測の事態とかあって、あの人だってそれなりに苦戦したはずなんだけどなぁ
それだけ彼が臨機応変に対処する能力に優れている、ということなのだろう。 それと、戦術の組み立ての妙か。 益々、中忍にしておくのは勿体ないとは思ったが、それでも上忍に推挙する気にはなれなかった。 彼はどこか甘かった。
---甘いって言うか、優しい、かな
それでもカカシは、この得がたい体験と得がたい相手に入れ込んでいる自分がおかしかった。 それに、そんな状況に居るにも関わらず自分がまだ余裕を持てているのは、この捕縛術が不動金縛りの法だったからだ。 この捕縛術は、真言使いと対峙した時しばしばお目にかかる割合にポピュラーな術で、カカシはこれを解く方法を心得ていた。 だが、ここまで見事に捕縛されたのはこのマントラに出会った最初の時以来で、実際には第三詠唱まで聞いたのも二度目だった。 初めてこの術に縛された時はショックで、二度とこの真言に掛かるような愚は犯すまいと、後にきちんと勉強して対処法なども研究し身に着けたのだ。 だが、今回は完璧にしてやられてしまった。 全く凄い中忍だ、と心底感心する。 それなので、本当は直ぐにも緊縛を解いて反撃できたのだがそれはせず、カカシは暫らく男がどうするのか見てみることにした。 何時でも印だけは結べるように男の視界から隠れた処で両手を併せ、じっと動けない振りをする。 男はというと、はぁはぁと荒く息を吐いて、カカシの横で四つん這いで肩を上下させて喘いでいた。
---なんかそそるね、この人
別の意味でこの男を四つに這わせて喘がせてみたい、と下腹に余計な熱が集まるのを感じて慌てて気を逸らす。
---いかんいかん、心頭滅却、心頭滅却
もし目の前の初心そうなこの男が自分の下卑た考えを知ったらどうするだろうと、含み笑いを堪える。 男はやっと顔を上げて、カカシの横に座り込んだ。 さて、やっと優位に立った今、この男は自分に何と言うのだろうか、その時自分はどうしたいと思うだろうか、と期待にワクワク胸を騒がせる。 だが、オズオズと言った風に男がカカシに言った言葉は、懇願だった。
「玉、返してください。」
がくぅと肩から力が抜けるのを感じてカカシは唯男を見上げた。
---玉、かよ
呆れた。
上忍様をここまで追い込んでおいて開口一発が、玉返して、なのか。
もっと高圧的に出るとか、まず相手に”参った”させるとかあるだろうが。
それになんて相変わらずの気弱そうなか細い声だと、溜息が漏れる。
---ここまで優位に立ってるのに、どうしてこんなにも気弱なんだか
でも、この声で自分の下で喘がれたら、結構くるもんがあるかもなぁ、ともうどうにもその考えから離れられない自分に気づく。
---そうだ、この人に”参った”してもらって何でも言う事きいてもらおう
”そうだそうだ、それがいい、この人を頂こう”
カカシはひとりで勝手にそう決めて、男の出方を窺った。
「玉、何処ですか? どこに仕舞ったんですか?」
男は泣きそうな声を出して、カカシの懐を漁りだした。
「やーん、エッチー」
「な…、ば…」
一旦性的対象として見始めると、顔を真っ赤にして憤る男がかわいく見えて仕方がなくなるから不思議だ。
「ふざけてないで教えてください。 俺の言う事きいてくれるって言いましたよね?」
眉尻を下げて言い募る男にこちらも首を傾げて困った顔を作ってみせて、鎌を掛けてみたりもしたくなった。
「うーんとね、もっと下の方かな」
「下ってズボンのポケットとかですか?」
男が両脇のポケットへと手を差し入れるのを、こそばゆそうに体を捩ってみせて頭を振る。
「違う違う、もっと前だって」
「え? 前って…」
既に膨らみを隠せないカカシの股間に初めて気づいた男は、こくりと喉を鳴らして体を反らせカカシから若干体を遠ざけた。
「あんたがあんまり頑張るから楽しくってさぁ、興奮しちゃったのよ。 ちょっと抜いてくんない?」
「ぬ、抜くって、そ、お、俺がですか?!」
「だってほら、俺、動けないし、ね?」
「バカなことばっかり言わないでくださいっ」
「あはははははっ」
青筋を立てて怒る男の、想像通りの反応に、我慢できずに爆笑する。
「あんた、かわいいねぇ」
くっくっと更に笑い続けていると、男が涙声でぼそりと訴えてきた。
「…俺の玉、返してください。 お願いします。 アレひとつきりしか無いんです、親の形見…」
項垂れて手を付き、許しを請うポーズでお願いされてカカシも唸った。
---うーん、くるよ、この人
「アレねぇ、実はここに、ほら」
うべぇと口中にずっと入れていた玉を舌先に乗せて押し出して見せると、男は、あっそんな所に、と焦ったように手を伸ばしてきてカカシの口端に指を掛けた。
「出して、返して、俺の玉」
子供のように出して出してと言い縋り、一心にカカシの口中を探ろうとして指を差し込んでくるので、カカシはその指をいやらしくペロリと舐めてやった。
「うぁっ な、なにするんだっ」
「何って、あんたの指、おいしそうだったから」
「もうっ!」
「あいででででで」
男はいきなり両側から頬の肉を摘まんで力任せに引っ張ったので、さすがのカカシも顔を顰めた。 子供みたいだ。
「返してっ 返してくださいっ もういい加減にして俺のいう事きいてください。 きいてくれるってアレ嘘だったんですか?」
半べそで言い募る男の顔を見ながら、カカシはこの男とこうして他愛もない会話をすることや、子供同士のようにふざけ合うことが楽しくてしょうがない自分にそろそろ戸惑いを覚えつつあった。 初めは唯、この初心で真面目な男をからかうのが楽しかっただけだったが、今では心底このじゃれ合いが楽しくて仕方がない。 ずっとこうしていたいとさえ思う。 ずっとこの男を側に置きたい。 もっと困らせたい。 もっといろいろな顔が見たい。 もっと…。
---な、なんなんだ、いったい!
こんな、今日会ったばかりの中忍の、それも男なんかに執着するなんて可笑しい。
俺はただ、思いのほか楽しかったこの試験を勿体ない気もするが早めに終わらせて、この男の体で一回だけ別の楽しみをしたいだけだ。
カカシはブルっと顔を一振りすると、口中の玉をゴクリと飲み込んだ。 実際には飲み込む振りをした。 だが男はあっさり騙されて、何とかしてカカシの口を抉じ開けようとしていた指をビクリと震わせた。
「あ、の、呑んだ? 呑んじゃったんですか?」
信じられない、と頭を振り顔を蒼くする男にカカシは最後通告のように言い放った。
「呑んじゃった。 さぁ、どうする? 欲しいなら俺の腹掻っ捌いてでも取り出す覚悟をしなくちゃ」
「で…、できません、そんな、こと」
男は震えて首を振る。
「どうして? 上忍なら敵忍から情報を得るためにその位するよ? 巻物を呑み込んで運ぶなんてよくある事だ。」
「でも、でもあなたは敵じゃないし、そ、そんなことしたら、し…」
「死ぬって?」
震える体を更にビクっと竦ませて、男はカカシから後退った。 目は涙で既に潤々しており、唇も青い。 こんなんじゃダメだな。 上忍になったらもっとずっと非情に成る事を強いられる。 この人には無理だ。 そう思いながら、どこかほっとする自分にカカシはまた愕然とした。
---俺、この人に上忍になってもらいたくないのかな?
否、正しく言うなら、この人にそのような非情な場面に直面してほしくない、ということなのか。
---火影の爺が俺に試験管をさせた訳が何か判るなぁ
実力と精神のアンバランスさ。 体と持ち術の高度さとの整合性の無さ。 忍としての有り様と人としての有り様が水と油のように溶け合わない儘でいることの奇跡。 それは、長くこの世界に身を置くカカシにとっては、将に奇跡だった。
---この人は、俺とは違うな…
このままでは忍としてどうかと思う、と強く感じながらも、カカシはこの男にこのままで居て欲しいと願う自分から、もう目を反らすのを止めた。 心内ではこの試験の結果を既に決めて、だがまだ終わらせないと考える。 最後にひとつ、試したい事がある。
---否、それを口実に俺はこの人を、抱きたいんだ
カカシは、閨房術を理由にこの男を抱こうと決めた。 先程の些細なきっかけでこの男に欲情した自分の欲望は止まるところを知らなかった。 抱きたい、喘がせたい、啼かせたい。 膨れ上がるその欲望を解放させ、一回きりの快楽に身を任せて、胸の内で渦巻く訳の解らない欲求をこの男の思い出と共に閉じ込めようと、そして忘れようと、カカシは思った。 そうしなければ自分がおかしくなる。
「じゃあ玉は諦める?」
カカシが静かに尋ねると、男はふるふると首を振った。 涙がぱらぱらと辺りに飛び散る。
「それなら俺を殺さなきゃ」
「できませんっ」
怒鳴るように鋭く即答する男にくすりと微笑み、カカシは最後の罠を仕掛けた。
・・・
「あんたが降参するなら玉を出してあげる。」
上忍の男は何か含みのある顔でイルカにそう言った。
「出せるんですか?」
飲み込んだのに?
「もちろん」
簡単に肯定する男に訝しく首を傾げながら、イルカはでも、と考える。
「でも、俺が降参したらあなたの言い成りにならなきゃいけないんですよね?」
「そうだね」
「それって、おかしくないですか?」
「どうして?」
「だって、現に今こうしてあなたを拘束してるの、俺なんですよ? あなたが降参してくれるのが筋ってもんじゃないですか。」
イルカは頬を膨らませた。
「そっか、じゃあこれでどうかな」
そう言うなり、男はいきなり腹筋だけで上体をがばりと起こした。 イルカが吃驚して立ち上がり数歩後退した時、男の手が大日如来定印を結印しているのが見えた。 しまった、と思う間もなく男は朗々と胎蔵大日如来真言を詠唱していた。
「ナウマク・サマンダボダナン…」
「ま、待って、その真言はっ」
イルカは必死に止めようと叫んだ。 この人にその真言を遣わせてはいけないと、この人の命運を尽きさせたくないと、心が叫ぶ。 だが間に合わなかった。
「アビラウンケン!」
大日如来の慈悲が光となって全てを照らし、イルカの発した真言の効力を全て無力化していった。 大日如来は不動明王の、否、一切諸仏諸尊の根本仏である。 下位尊の不動明王金縛りの法などひとたまりもなく解けてしまった。 男はふぅとひとつ溜息を吐くと立ち上がって、ゆっくりイルカの所に歩み寄ってきた。 イルカはその場にへたり込んでいた。
「これでいいでしょ。 はい、最初からやり直し。 そんなとこにヘタってないで、あんたももう一回がんばりなよ?」
剰え手まで差し延べられて、イルカは硬直しながら男を見上げた。
---もうこの人とは闘えない。
自分が遣るとしたら、また真言に頼るしかない。 だが、そうすればこの男はまた胎蔵大日如来真言を遣うだろう。 アレはもう二度とこんなつまらない事で遣わせられない。 今までいったい何回あの真言を遣ってきたのか知る由もなかったが、後でなるべく遣わないよう進言しようとイルカは思った。 そもそも胎蔵大日如来真言は、一介の忍などが遣えるものではないはずだった。 例え詠唱してもお力が発動するとは思えない。 胎蔵大日如来真言は、徳を積んだ高僧か陰陽師などが遣うものだからだ。 そして、例え彼らのような徳の高い者達でも遣えば必ず命運が減る。 それくらい、人が遣うには神の領域に近過ぎるマントラだった。 それなのにこの男はその真言の力を遣い、発動させたのだ。
---この人、すごい…
徒者ではないと心底感心し、木の葉にこのような忍がいることを心から喜んだ。 そして、決して自分のような者のために命運を尽きさせてはならない人だと思い決めたのだった。
「降参、します。」
イルカが見上げたまま小さく答えると、男はえっと言うように片眉を吊り上げた。
「もう諦めちゃうの?」
こくりと頷く。
「だって、なら俺の言い成りになるの?」
「はい」
もうどうとでもなれ、と腹を括ってイルカが返事をすると、男はイルカの前に片膝を付いた。 そのままじっとイルカを見下ろし、無言で何事か逡巡している風だったが、一度目を瞑ってふっと吐息をを零すと、片手を伸ばしてイルカの頬に宛がってきた。
「それなら最後の忍術の試験をしよう。」
「最後の忍術?」
「そう、閨房術の、ね」
「ケイボウ、術?」
直ぐに意味が出てこずに首を傾げるイルカに男はクスリと笑いを落とす。
「あんたを抱くから、あんたは俺の隙を見て鈴を取るんだよ?」
いいね
言い聞かせるように囁く男の言葉が理解できずに、イルカは目を瞬かせた。
・・・
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