真言使い
- From Dusk Till Dawn -
2
・・・
---おかしい
この森では見られない妖魔ばかりが襲ってくる。
どこからこんな妖魔が…
イルカは仕方なく忍術で応戦しながら、森を進んだ。 この森の妖魔に比べて、妖力も体も小さめの小物ばかりだったが、力技に自信の無いイルカには、妖魔に対しての接近戦など戦術として論外だった。 一体か二体なら遣れる。 だが、森に蠢く妖魔の気配は数十を数えた。
囲まれでもしたらお手上げだ。
どんどん減っていくチャクラに舌打ちをする。
試験管の手の内に着々と嵌っていくのが自分でも判って、背筋が冷える思いだった。
殺される覚悟で行ってこい、と三代目は言った。
あれはこういう事だったか、とイルカは首筋の汗を拭い溜息を吐く。
コウ達には、手出し無用と先程も釘を刺してしまった。
助けは望めない。
自分でなんとかしなければ…
・・・
西の森は、小さい頃からのイルカの遊び場だった。 森の妖魔や猛獣たちとも、実を言うと顔見知りで、今回この森で試験を受ける事になったと聞いた時、イルカは慌てて森に来て妖魔達に頼んだ。
「終わるまで手を出さないでほしいんだ。 日が暮れてから翌朝の日が昇るまでだから、その間だけでいい、頼むよ」
特に試験管にはくれぐれも手出しをしないよう頭を下げた。
『わかった』
この森の主であるその大妖魔はコウと呼ばれる白虎だった。 本当の名前は知らない。 妖魔の真名を聞いてはいけない、というのが海野家の家訓だったので聞いたことはないし、聞こうとも思わなかった。 今考えると、そんな変な家訓があるのも充分おかしいと気付かされる。 だが子供の頃は、父に謳うように教えられた幾つかの海野家家訓を父と一緒に遊びのように覚えて、何の疑問も持たずにそれを守っていた。 確かにそれの幾つかは日常生活で役に立ったからだ。 直ぐに妖魔達と仲良しになるイルカに、父も小さい頃同じだったとこっそり教えてくれた事がある。 海野家の家訓は、そんな自分達と他の普通の人達との溝を埋めるのに重要な、細々した事ばかりだった。 今はその父も母もいない。 妖魔の真名を人が知ってはいけない事は、忍になってから一人で勉強して知った。 真名を知られた妖魔は、知った人間に遣われるからだ。 コウのような大妖魔を自分が使役できたら、そう思うとイルカは怖くてその晩眠れなかった。 コウが怖いのではない。 使役できる事を他の人間、特に忍の者に知られたら、イルカもコウも唯では済まされない。 戦の道具にされるだろう。 それが解ったからだった。
”コウ”という名は、他の妖魔が彼をそう呼ぶのでイルカもそれに倣っているだけだった。 彼は人に変化でき、イルカに会うときは大柄な男の姿をする。 髪は白く爆発しようにつんつんと広がっており、所々に縞のようにグレイのメッシュが入っていた。
「俺、本当は上忍になんかなりたくないんだ。」
だって無理だし、とコウには思わず他の”人”達には言えない愚痴を零してしまうイルカだった。
「今度の任務で俺、どうしてかチームリーダーをしなくちゃいけなくてさ、そのチームに上忍の方もいるんだ。 中忍に上忍が使われるなんて体裁悪いって言われてさ、それで急に試験受けさせられる事になったんだ。 でも別に、チームに上忍が居る必要ないんだけどな。 ただのデモンストレイションみたいなもんだから」
『デモンストレイション?』
「うん、結界陣のね。」
イルカは胡坐を掻いたコウの膝の上にちょこんと座って話していた。 そこは小さい頃からのイルカの指定席で、18になった今でもコウと話す時は自然とそこに座ってしまう。 コウの方もそれが当たり前とでも言うように、さっさとイルカを抱え上げて座り込むのだ。
「あのね、怒らないでね?」
とイルカはコウに向き直ると、若干不安げに顔を見上げた。
「俺、ちょっと上級の妖魔を呼び出すよ。 その召喚陣と外に出さないための結界陣の試験なんだ。 ここからはかなり離れてる場所だから影響は無いと思うけど、規模だけは大きいから聞こえるかもしれない。 でも気にしないでね? きちんと元に還すからね。」
事、妖魔に関しては楽観的なイルカは、相手が話せば解るとでも思っているのか、上忍が配置された事を不思議がってさえいた。 普通の人間には上忍を配置したくらいでは収まらないのではないかと言う位の大妖魔を呼び出す予定でいたのにだ。
『結界壊しのイルカのくせにな』
「もう、その名で呼ばないでよ。 俺、最近は全然結界を壊してなんかないよ? 作ってるくらいだし。」
子供の頃の、妖魔達の間での通り名で呼ばれて、イルカは少し頬を膨らませた。 イルカのその”結界壊し”のおかげで救われた森の妖魔達が付けた渾名だからだ。 忍達が戦の道具として使うための妖魔捕獲用結界。 イルカが森を歩くとその”妖魔取り網”を壊して、せっかく捕まえた妖魔を逃がしてしまうので、イルカはよくそれで怒られた。 だからその渾名は怒られた記憶と共にある。 大人達の間でも”結界壊し”と呼ばれてある意味恐れられたのだ。 真に結界を知る者には、唯歩いただけで結界を壊すことができる、という事の方が驚異なのだとイルカの名を世に知らしめる事件になったかもしれなかったが、幸か不幸か上の者に自分の不手際を態々報告する大人はいなかった。 イルカは、唯の悪戯小僧として恐れられていたのだ。
『壊しては叱られて、証拠隠滅のために覚えた結界術だろうが?』
コウがおかしそうに言う。
「そ、そうなんだけどさ」
壊した結界を見つからない裡に元通り修復する術をイルカが自然に身に着けたからと言って、それが物の道理ではないか、とイルカは思っていた。
『心配だな』
「大丈夫だよ」
『いや、試験のほうが』
「うん、それは俺も不安」
コウの広い胸に頭を預け、イルカは目を閉じた。
・・・
それが三日前。
コウは優しく頭を撫でてくれたが、今はその手を頼れない。
行く手には十数体の妖魔の気配が固まって向かってきていた。
仕方なく火遁・土遁などの大技を繰り出す。 一気に数体を片付ける事はできたが、自分のチャクラもがくんと減った。 呼吸も荒く、心拍数も異常に多くなっていた。 疲労に頭が霞みだす。 こんな時、自分のチャクラ量の少なさに泣けてくる。 普段はそれを補うための方法を幾つも使って余りあったが、今は全く手も足も出ない状況だ。 やはり上忍は凄い、と先程の飄々とした暗部服姿の試験管を思い出して溜息が漏れる。 所詮俺に上忍なんて無理なんだ、でも三代目の言い分も解るので言う通りにして来たが、これでは命が幾らあっても足りないよ、とイルカは泣きたくなった。 完全に動けなくなる前に、打開策を考え出さねばならない。
「仕方ない、アレをやるか」
イルカは右手で護法九字の刀印を組み、気合いと共に「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」と唱えつつ、横・縦の順に九回空を切った。 簡単ではあるが、これで防御力が幾分上がる。 これから幾つかの真言を組み合わせて遣っていかなければならないので、言葉を唱える時間を持ち堪える為の守りの力をこれで補うことができたはずだ。 イルカは、なるべく効果的に多くの妖魔を片付ける事ができるシチュエイションを幾つかシュミレイションしながら、森の中を進んでいった。
真言(マントラ)は余り人前で遣った事がなかった。 どちらかと言えば遣える事を隠していた。 忍としてなんとなく邪道に思えたからだった。 だが今、背に腹は代えられない。 真言の所為で上忍に推挙されなくても別に構わなかった。 元々上忍になどなりたくは無い。 今は生き延びる事だけを考えようと思った。
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