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- 後宮寓話 -
「その者は死んだ。 古式に則って庭の蓮池の畔に置き、復活を願って一夜月光に当てた。 夜が明けるとその者の体は無くなっており、睡蓮の花が一輪咲いていたので、わたしは復活を諦め喪に服した。 そなた達は遅かった。」
王は、睡蓮を持ち帰るかとお尋ねになった。 使者が応と唱えたので、側の者をひとり池にやり、花を摘んでこさせた。
「別れがしたい。 こちらへ。」
花を捧げ持った側使いを招き寄せ、王はその睡蓮を握った手ごと両掌で包み込むと涙ぐんだ。
「守れなかった。 許しておくれ。」
側使いも共に涙を差し含んだ。 使者の一人はそれを見て、なぜかむっとした。
***
ぺちぺちと軽く頬を叩きながら名前を呼ぶと、あの人はうっすら目を開けた。
「だいじょうぶ?」
まだ彼の体内に埋め込んだままだった自身は達していなかった。 グイと一回突き上げて顔を覗き込むと、きょとんとした表情で見上げていた彼は「あっ」と声を上げた。 そしてカッと赤面した。
「失神しちゃうくらい気持ちよかった?」
ゆさゆさと律動を再開させると、滴る汗が彼の胸や頬に落ちた。 彼は真赤に染まった顔を交差させた両腕で隠した。
「それとも、どっか具合でも悪い?」
一応気遣って聞いてみた。 違うことは判っていたが、彼は必死の態でブンブンとかぶりを振った。 顔を隠した手はそのままだった。
「そう」
かわいかったので、そんな彼を眺めつつ彼を揺さぶった。 上がる声も、外れがちになる手の隙間から覗く喘ぐ顔も、身悶える組み敷かれた体も、全部がかわいかった。 相変わらず顔を隠すために頑なに目の前で交差された腕をもういい加減引き剥がそうと、その意外と細い手首を掴んだところでベッドヘッドの置時計が目に入った。 なので、掴んだ手首をひっぱり上げて彼を起こし、膝の上に抱え込んだ。 顔を見られまいと頑張る彼は、慌てたように少し抗った。
「しー、しー」
そんな彼を胸に抱きしめ、肩口に彼の顔を乗せて安心させると、そっとその耳に囁いた。
「お誕生日おめでとう」
日付が変わる瞬間だった。 これを狙って随分前から態々任務を調整してきたのだし、今日だって頑張って帰ってきた。 逃してなるものか。 彼を抱くようになって2回目の5月だった。
「これで同い年ですね」
「え」と呟くような声をあげたきり固まってしまった彼をまた布団に寝かせ、上から顔をまっすぐ見下ろすと、自分の誕生日をすっかり失念していた事を物語っている顔がまたきょとんと見上げてきた。 顔を隠す事は忘れたようだった。
「忘れてたでしょう?」
まぁ、だからこんなベタな計画も成功するわけだけれど、一年以上付き合ってまだ狎れないこの人っていったい…と、溜息すら漏れた。
「今日は丸一日休めますから、一日中甘やかしてあげますよ」
首を伸ばして接吻けた。 唇が離れると、「誕生日? 一日中?」と童のように繰り返す彼がおかしくて、また接吻けた。 そしてそのまままた律動を始めた。 彼の両手は顔の横に押さえておいた。 乱れる顔が羞恥心に歪みもっと乱れて、最後には何もかも快楽に飲み込まれていく様子を残さず見て、自分自身も全てを忘れて彼を貪った。 彼が再び失神するまで。
・・・
「殺すなら、任務が終わってからにお願いします」
その男は、ツーマンセルの任務で顔を合わせるなり顰め面を隠すこと無くそう言った。 イルカの浮気相手としては、もっとも回数をこなしたであろう男だった。 そう、イルカは浮気性だったのだ。
イルカを初めて抱いた時は、紛れもない”処女”だったのに、とよく思ったものだった。 ノンケで、真面目が服を着て歩いているような男だった。 当然のことながら、口説き落とすのに口では語り切れない苦労をした。 セックスに漕ぎ着けた時も半分騙し打ちのようなものだったし、正直のところ半分無理矢理だった。 彼は正真正銘”抱かれる”のは初めてで、事後のショックもかなり激しいものだったらしかったし、実際2・3日放心していた。 ”よい友人”になれたと思っていた男が”狼”に豹変して喰われてしまったのだから仕方なかったのかもしれないが、待つつもりはなかった。 初めての”行為”で傷ついた体が癒えた頃を見計らってまた組み敷いた。 妙な誤解や逃げ道を与える暇なく判らせるのがいいと思ったからだ。 それほど鈍い人だった。
でも、彼はその後からすぐ、誰彼構わず浮気をするようになった。 完全な誤算だった。
「アンタが一番多かったよね」
「そうですかね」
焚き火を囲んでも話が弾むわけもなく、我慢した挙句に結局任務終了の日の夜に口を吐いて出た言葉がやはり恨み事だったというのが情けなかったが、避けて通るのもおかしな気がした。 当の本人はもう居ない。 殺す殺さないと悩んだのも昔の話だ。 だがこの男だけは別なのだ。 他の多くの男達は一回きりの行きずりの関係だったのに、この男とだけはずっと続いていて、しかもイルカの同僚であり親友であり続けた。
「どうしてアンタだけ特別だったのかな、本気だったのかな」
「本気だったのはアナタだけですよ、御存知でしょうに」
「あんなに浮気されてたのに?」
次から次へと取っ換え引っ換え。 最初は相手を半殺しの目に遭わせてみたり、イルカを死ぬほどお仕置きしてみたりしたものだが、一向に止む様子がないのでこちらが目を瞑るようになってしまった。 それが良くなかった、と今更ながらに思う事もあるが、失いたくなかった。
「今だから言いますけど」
だが、心底哀しかった。
「最初のは…アレは浮気じゃあなかったんですよ。 無理矢理だったんです。 強姦です。 輪姦されたんです。 アナタの所為で、ですよ。」
「知ってるよ」
「後から知ったんでしょう」
そう、後から知った。 奴らを半殺しにし、イルカをさんざん詰り、二日は動けないほど犯した後に。 奴らは、”はたけカカシが相手にした中忍”に興味を持った。 俺が本気だとは思わなかったと言った。 あの人は、俺に抱かれさえしなければそんな目に遭う事もなかったはずだったのだ、判ってる。 でも、他の選択肢は無かった。 今でもそう思っている。 それに…
「でも、その後からのはあの人が自主的にやってたでしょ?」
「それは…」
男は口籠った。 悔しそうに唇まで噛んでいる顔が、暗い焚き火の灯りに揺れる。 「なんでアンタがそんな悔しそうにするのよ」と非難するまで、火に薪が爆ぜる音のみが沈黙を支配した。
「アナタがアイツに不用意なこと言ったんだ!」
だけれども彼は、もう限界だというように怒鳴った。 それまで慇懃無礼なほどだった敬語も忘れてしまったようだった。
「アナタが余計なことアイツに言ったから、アイツ変に思い詰めて思い込んじまったんだ。 男に抱かれるのが心底嫌だったのに!」
「そんなことないよ。 あの人は素質があった。」
「そうですよ、それを一番嫌がってたんだ」
「彼がそう言った?」
「いや…、アイツはなんにも言わなかった。 けど俺には判る。 アイツ、俺んとこ来て…、少し休ませてくれって、吐いたり、痛み止め飲んだりして…辛そうで…。 時々泣いてた。」
「ああ、さぞよく判ってるんでしょうよ。 あの人がセックスの時すごく…乱れて…その、いつものあの人からは想像もつかないくらいだって!」
「知らねぇよっ そんなこと! アイツは俺にそんな姿見せたことなんてねぇっ!」
「嘘だ! アンタは特別だったはずだ。 他の奴らがそうだったとしても」
「特別はアナタだけだったんだ! 判ってるはずだ! そうでなきゃっ」
「そうでなきゃ…」と彼は言葉に詰まって、立ち上がらんばかりだった荒い語気を治めた。
「イルカが哀れ過ぎる。 俺は…、一回もアイツとそんな関係になったことは無かったんですよ」
声音が泣きそうな響きになり、両手で抱いた膝の間に顔を埋めるようにして、彼は淡々と語り始めた。
「今更ですけど、本当です。 だからアイツ、俺の家に来たんです。 ずっと口止めされてましたけど、もう時効でしょう。」
知らなかったイルカの本当の心、本当の気持ち、本当の願いを。
「アナタが実際何を言ったのか、アイツが何を思い詰めたのか、具体的なことは一切知りません。 アイツも一言も喋らなかったし。 でもアイツ、昔っからバカなヤツだったし、頑固だった。 こうと決めた事を止めさせるなんてこと、誰にもできなかった。 俺はアイツの隠れ蓑になって、唯々アイツのすることを見ていただけでした。 ごめんなって言われて…」
と彼は今度こそ本当に涙を零した。
「ごめんなって、こんなことしてたらオマエ、カカシさんに殺されちゃうかもしれないのにな、って…あの人、心狭いからって」
だけれども、きついことをさらっと言いながら泣く彼の姿を見た時、真実この男を殺したくなったと言ったら笑うだろうか。 自分の知らないイルカを知っていて、イルカに信用されていて、頼られていて…。 これ以上ない嫉妬の渦が心の内で逆巻いた。 イルカはなぜ、それらを自分に向けてくれなかったのだろう。
「アイツは、アナタのことが好きで好きで」
嘘だ。 信用もされてなかった、ほんのちょっとも頼られた記憶もない、甘えられた記憶も…
「ただ、アナタのために自分を…」
いいや………あった、一回だけ。 彼が甘えた記憶、自分にとってもこの上なく甘やかな記憶が。
パチンと薪がまた爆ぜて、その火を見つめているうちに遠い追想に沈んだ。 イルカの間男…と思い込んでいた男はまだ何か喋っていたが、もう耳には入らなかった。
・・・
あの日、共に過ごすようになってから2回目の彼の誕生日に、濃厚なセックスに疲れて縺れ合うようにして眠り、一緒に目覚め、一緒に食し、一緒に風呂など浴びて戯れ合ったあの日一日中、彼は頻りに何かに葛藤していた。 頭を抱え込んでは振り払うようにかぶりを振り、また腕を組んで項垂れてウンウン唸っていた。 感情が駄々漏れの判り易い人だと、あの時は思っていた。 実際は何も、何を考えているのかも、何にどう感じているのかも知らなかったのに。
「誕生日だもんな」
ただ、その日はポソリとそんな事を呟いて、一人頷いては何かに納得した様子を見せてもいた。 それでもまだ悩んだ風をして、また頷いての繰り返しだったが、いつもより随分と素直だった。 素直…というのは、嫌がらずに愛される、奉仕を受ける、という意味での素直で、多分に手前味噌な”素直”だったが、それほど彼は頑なで有り続けていたのだ。 体の方は慣れてこんなに悦ぶようになっているのに、気持ちの方が一向に狎れず天の邪鬼だと、そんな彼に苛々したものだった。 でもあの日の彼は、それはそれはかわいかった。
「カカシさん」
あまり顔を直視することもなかったのに、そう名前を呼んで見上げてきた。 抱き締めると、首に腕が絡んだ。 接吻けに応えて自ら舌を差し出してきた。 相変わらず羞恥心を拭いきることはできない様子ではあったが、セックスの時も喘ぐことを抑えずに快感を追っているようだった。 そんな彼が嬉しかった。 ただ、嬉しかった。
だが、その翌日からすぐにまた、彼は浮気を繰り返した。
・・・
「アイツから誘ったってことは無かったはずです。 アイツにそんなこと、できるわけない。 ただ誘われて付いて行っただけだったんだ。 そんな相手は大勢いたし、一介の中忍には逆らえない人も居たでしょう。 アナタの名声のおかげでね。」
イルカの同僚の男の話は延々続いていた。 明らかに恨み節が入っていて、彼も随分と溜め込んできたのだ、と思わされた。
「いつも嫌々だったんだ。 本当です。 強張った顔して、酒を煽ってから黙って頷いて連れていかれてた。 でも、アナタが端からそんな相手を絞めて回ったんで、里内ではすぐに声を掛けられなくなりましたけどもね。」
「だから外の奴と浮気し始めたって?」
「そうですよ」
その挙句にこうなった、と思い出して溜息を吐くと、目の前で恨み辛みを全て吐き出そうとでもしているかのようだった彼もまた、ふぅと深く溜息を吐いていた。
「後宮って、男なんか連れ込んでなんにも問題ねぇのかよ」
「さぁねぇ」
「虐められてるに決まってる」
「子供産めないんだから政争とは無関係なんだし、大丈夫でしょ」
「アナタは! どうしてそんなに冷静なんだ? どうして取り戻しに行かない?」
「そんなことしたら国交問題になっちゃうじゃない」
「国とイルカと、どっちが大事なんだ!」
酒でも入ってるんじゃ?と思うほど、彼はしつこく絡みまくった。 そして最後にはとうとうイルカを奪還しに行くと言って聞かなくなった。 カカシは、帰還が少々遅れることになりそうだ、と火を見つめながらぼんやり考えていた。
***
「遅い」
王は使者達が謁見の間に入るなり、そうお諫めになった。
「どうしてもっと早くに来れなかったのだ? 我が国はそれほどまでに遠いか」
と。 使者の一人が、その愚かさの故に、と応じると王はまた問うた。
「世の中には淋しさ故に死んでしまう生き物が居る事を知らないのか」
寂しさ故に相手を殺す生き物も居るようだ、とまた彼の使者が答えた。 王は心打たれたように瞠目された。
「子も生さぬ者になんの障りがあろうかと…わたしも迂闊だった。 そのことについてはこの通り、詫びよう。」
王が立ちあがって腰を折ったので、回りの者達はおろおろと狼狽えた。 がその渦中、脇の物陰で使者の者達を凝視したまま置物にでもなったかのように微動だにせぬ側使いの者が居た。 王はその者を近くに呼び寄せ、庭の池に行って睡蓮の花を手折っておいでと優しくお言いつけになった。
「故郷に帰りたかろう。 せめてこの花はソナタ達の手で故郷の土に帰してやってくれ。 だが、たとえ死していようと花になろうと一度後宮に入った者、異国の者の手で連れ出されることは許されない。 この者に門まで持たせる故、門を出でたのち受け取るがよい。」
今一度の別れを、と摘まれた花を持つ側使い諸共に抱き締めんばかりに嘆き涙する王に、先ほどまで面を付けたように表情を失くしていたその側使いも、一緒に肩を震わせた。
その時、後ろで控えていた使者の一人が「早々のお暇を」と請う旨、声高に唱えた。 その声、如何許りか苛つきを隠せぬ故の棘を持ち、涙する二人の背を突き刺すように響いた。
「五月の末のこの日のこと、わたしは決して忘れない」
仕方なしに離しはしたが、まだ未練の残る声音で睡蓮に呼びかける王の悲しげな声に、側使いは何度も何度も振り返った。
***
「拉致っ 誘拐っ」
「追手も掛からないじゃない」
門から出るなりむんずと手首を掴まれ連れ出された側使い、元いうみのイルカだったが、城を離れて随分経った頃やっと、自分を拘束する男に対して悪態を吐き始めた。
「俺は陛下のもとへ帰りますっ 離してくださいっ」
「王様がアンタを返すって言ったの聞いてなかったの? もー」
「イルカ、よかったな。 まさかこんなに安易に事が運ぶなんて」
「陛下は門までって仰ったんです。 木の葉に還っていいなんて一言も」
「言ってたでしょう? アンタも帰りたがってたとも言ってたじゃないですか、もー」
「イルカ、なんか顔色悪いぞ? 大丈夫か?」
「ああ、ほんと、土気色だーね。 まったく中忍のくせしてホイホイ毒なんか盛られてんじゃないってーのっ」
「判ってやってたんですぅ。 気付かなかったわけじゃあありませんから、そこんとこ間違わないように」
「判っててなんでやり過ごさなかったんだよ? 飲んだふりするくらいお茶の子だろ?」
「あの人達はかわいそうな人達なんだ。 ライバルに毒を盛るのはライフワークのひとつみたいなもんで、そのくらい受けてみせなきゃ色々もっと角が立つんだよ。」
「だから王様もアンタが死んだことにしたんでしょうが」
「イルカ…! オマエ苦労してたんだなー」
「いやぁ、それほどでも」
「誉めてないっ ただオマヌケなだけですよ。 だいたい、顔色なんて変化の術の応用でなんとでも」
「これは! 俺の誠意です! あの人達の気持ちも判るし、陛下のお気持ちも」
「陛下へいかって煩いですよっ! ハーレムに男まで連れ込んだエロ魔王のくせに!」
「陛下はそんな方じゃありませんっ とってもお優しい情深い方です。 俺のことだってすーーんごく、大事にしてくれたしぃ」
「アンタは! 大事にされりゃあ誰だっていいの?! そうやってホイホイ浮気ばっかりしてー」
「浮気じゃありませんって何回言ったら解ってくれるんですか! 俺はいっつも本気です!」
「え…、オマエ、仕方なしじゃなかったの?」
「酒場で意気投合してそのままお持ち帰りされることのどこが浮気じゃないと?」
「酒場で意気投合? 無理強いじゃなかったの?」
「意気投合してぇ、この人なら真面目にお付き合いできるって毎回思うんですぅっ それなのに、いっつも、どの人も、最後にはアナタのとこ帰れって言うんだ。 どうしてなんだぁっ!!」
「イルカ… オマエ…」
少々おいてけぼりぎみのイルカの親友は、よろよろっと2・3歩後退って二人から離れた。 離れて見ると、なんと口ではぎゃーぎゃーと言い合いをしているのにこのふたり、中忍の方は上忍の肩やら胸やらをぺたぺた触り、上忍の方は中忍の腰を抱き寄せてしっかり抱え込んでいるではないか。 喧々諤々の上半身と、ぴったり密着している下半身。 これは所謂”痴話喧嘩”ってやつか? 俺ってば犬も喰わないゲテモノを喰っちゃったのか?
「だからー、アンタが俺無しじゃてんでダメだって、誰の目にも一目瞭然なんじゃないの」
「そんなことないっ 俺はぜんっぜん一人で大丈夫だし、ちゃんとアナタ以外の人と恋愛だってできます。 今回だって半年以上陛下の下で幸せに」
「どこが幸せなわけ? あーん? 毎日毒盛られてさぁ、そんな如何にも内臓やられてますって顔色しちゃって、当の王様にまで心配かけて変な芝居まで打たせて」
「そ…それは、その、俺だって一応中忍だし全然平気だから大丈夫って言ったんだけど、陛下はお優しいから、だから」
「アンタもさー、意地張ってないでさっさと帰ってくりゃよかったのに」
「意地なんか張ってませんっ」
「自分から出れないから迎えにきてほしいって、式のひとつでも飛ばせれたでしょうに」
「だからっ 俺は意地なんか張ってないって言ってるだろうっ 帰るつもりもなかったっ アンタなんか居なくってもやってけるし、そそそんな、むー迎えに来てなんて口が裂けても」
「ほらほらー、やっぱり我慢してんじゃなーい? もうさ、いい加減素直になったらどうよ? カカシさんー、早く迎えに来てーってさ、言いなよ」
「そなんことっ!!」
最初のあの日、自分のためにカカシが何人もの同里の者を半殺しにした。 隠すイルカにお仕置きと称して酷く辱め、口を割らせて責めた。 なぜすぐ自分を頼らない? なぜすぐ泣いて縋らない? アンタは俺がいなきゃだめなくせに。
「俺は! 俺は…」
”俺のために誰かを傷つけないで”、”俺のために無理な任務日程を組まないで”、”俺のために危険を冒さないで”、”俺の側になんかずっと居なくてもいい” …そんな声がイルカから聞こえてくる気がした。
「任務なんか放って迎えに来てー、虐めるヤツはやっつけてー、王様だろうが国だろうがなんとかしてーってさ」
それなのにこの上忍様は、そっくりそのままイルカの嫌がることを言うのだな、とイルカの親友でずっと彼の隠れ蓑を演じてきた男は思った。 イルカの心の声が聞こえないのか。 愛する相手のトラウマに気づいてやることもできないのか。
「ずっと側にいてーってさ」
………いや、態とか? 判っていて態と言っているのか? そうしてこんな風に泣かすのか。 それはあまりに酷い。 天の邪鬼なのはどっちだ。 イルカもイルカだ、どうしてキッパリと切れてしまわないんだろう。
「俺は…ひとりで平気です…俺は…」
「まー、相変わらずなんて強情っぱりの天の邪鬼なんでしょね! アンタはただなんにも考えずに俺の胸に飛び込んじゃえばいいだけなのに。 甘えて頼って、愛されてれば」
「俺は男だっ! そんなことできるかっ 離せっ 離せ離せ離せっ この糞上忍っ!!」
「あーもー」
カカシさん、アナタの方こそいい加減判りやがれと、イルカの助太刀に入ろうとしたその時に、上忍は暴れる中忍を抱きしめて何かこそりとその耳に囁いた。
「え?」
「そー、だからー、今日くらいはね、甘えてもいいでしょう? ね?」
「今日? 俺の?」
「そうそう」
「たん…じょうび?」
「やっぱり忘れてたんですね。 あの王様も報われないねぇ。」
「そっか…」
”五月の末のこの日”
「カ…カカシさん」
「はい」
”わたしは決して忘れない”
「……迎えに来るのが遅いです」
なんと、泣き喚いて暴れていたイルカだったがぴたりと動きを止めると、むむむむっとへの字に口を結んで暫く上忍を見上げていたのだが、いきなりぽすっと上忍の胸に顔を埋め、すりすりすりっと数回鼻先を擦りつけるなりおとなしくその腕の中に収まったではないか。
「はいはい、ごめんなさい」
しかも、先程までの騒ぎが無かったかの如くよしよしとその黒い髪を撫でつける上忍。 ああ、これだったのか、とイルカの隠れ蓑をやっていた時からずっと蟠っていた疑問が霧散する。 犬も喰わないとはこの事だ。 俺がバカだった。 なんにも見えてなかったのは俺だった、となんだか激しく脱力したが、野暮助になるのはまっぴらだった。
「イルカ、カカシさん、俺先に帰ります。 それとイルカ」
でも、いくら納得できたとて、悔しいものは悔しい。 だからイチャイチャする二人の側に戻り、イルカの手から睡蓮の花を取り上げると付け加えた。
「誕生日おめでとうな。 またいつでも俺んとこ泊りに来いよ。 どうせすぐまた”浮気”、するんだろ? 俺も宗旨替えしなくもないからな。」
「なっ」
なんだってーーっっと激しく反応したのはもちろん上忍ひとりで、その上忍の腕の中ですっかりぽやんとなっている中忍はぽけらっとした顔で見送ってくれた。
ああ、やってらんないよな。 イルカの親友やって長いけど、ほんと、やってらんないよ。 それでも俺もやっぱり、またアイツを泊めちゃうんだろうな。 それで上忍さまの殺気に怯えて暮すんだ。
「恋のバカヤローーッ」
五月晴れの空にそんなことを叫んでみたりする、あるお城の後宮から睡蓮の花となって消えた中忍の、傍迷惑でしょうもない物語でございましたとさ。 ちゃんちゃんッ
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例えば、人の存在が束縛の鎖ならば、てっとり早く解放する手段として安易に思いつくのが”存在を消す”ということ。 だが人間の脳は、事故で失くしてしまった足先を痛いと感じる生き物だ。 物理的な鎖が消失することで、返って決して解けない束縛になりかねない。 そういう例を多く見てきた。 正の感情であれ負の感情であれ、いきなり取り上げられればその感情はどんどん増幅されて、結局鎖になってしまうのだ。
自分なら、と考える。 もし今日も明日も明後日もあの人が還って来なかったら、自分はどうなるだろう。 唯々待つ。 こんな体とこんな気持ちを残したまま還ってこないと、恨みながら、焦がれながら待つ。 抱かれた時の感覚や、眼差し、息遣い、囁かれた言葉の数々の記憶を反芻しながら待つ…。
どれも堪らない。
いや、いやいやいや、あの人のような正しくエリート街道まっしぐらな上忍と自分のような凡庸な中忍の思考回路を同等に評価してはいけない。 それに、無い足の先に感じる痛みは幻視だ。 まだ有ると思い込んでいる脳の回路を現実に即したものに組み替えれば無くならなくもないらしい。 そう、リハビリだ。 例えば、あの人が任務から帰って来ないのをずっと待っている自分に、あの人は死んだのだ、もう二度とこの受付所に報告書を出しに来ることは無い、と言い聞かせる。 毎日、毎日、毎日…
堪らない… 堪らない、堪らない堪らない
やはり、存在は有ってこそだよな、と思う。 ある対象に対して抱く印象や感情を修正可能域に止めて置きたいなら、その対象を観測可能な状態にしておかなければならない。 目で見て耳で聞いて、実感して、それで幻滅するなり見直すなり、まぁ現実に即した形で認識を変えればいいのだ。 そうだそうだ。
でも、俺があの人を幻滅するなんてことがあるだろうか?
どんなに最低なエロ魔人でも、どんなに横暴なエロ魔人でも、どんなに傍迷惑なエロ魔人でも…待て待て、エロ魔人以外にないのか………、無いな。 とにかく、晴天の霹靂のように降って湧いた天災級存在でも、自分があの人の存在を消したいと思う日は来るはずがない。 だから…
夜のしじまを割って、停滞した空気を切り裂いて、あの人が駆けてくるのが判った。 気配がまっすぐ伝わってきたというべきか。 あの人、あんな気配もろ出しして大丈夫なのか? それとも超指向性の気配だったりして、はは…いや、あの人ならやれるかも。
鬱々と考えていた寝床を飛び出し、玄関に走る。 扉を開けた瞬間、あの人は飛びかかるように抱きついてきた。 足を踏ん張り腰に力を入れたが吹っ飛ばされて玄関の靴箱の角にしたたかに背中をぶつける。 非常に痛い。
ああよかった間に合った、玄関ドアを救ったぞ
俺の腰はダメージ大だけど、これからこの人がする事になんら影響を与えることは無いだろうからまぁ無かったことにしよう、といろいろ諦めながら靴箱とカカシの間でぎゅうぎゅう抱き締められるのに耐えた。 カカシが何も考えていない、となんとなく判った。 何も考えず、ただまっしぐらに自分の所へ駆けてきた。 そうして迷子が母親を見つけた時みたいに抱きついている。 締める力はバカ力だけど…。
「帰ってきた?」
俺りゃあ男だ、えい抱き返してやるぜっ と何とか胸と腕の隙間から腕を出そうと四苦八苦していると、また迷子の幼子のような声がする。
「帰ってますよ、はい、少し緩める」
「イルカ先生?」
「はいはい、俺ですよ、苦しいですから」
「イルカ先生、ただいま帰りました」
「おかえりなさい、カカシさん」
ふんぬっと気合い一発両腕を引き抜くことに成功した。 上に抜けたので首に腕を回すしかなく、なんか女っぽくて嫌だなと思いつつきゅっと抱きしめ返す。 彼の首筋に鼻先を埋め、思い切り息を吸い込み、汗と埃と少しの血臭と、微かに感じる彼自身の体臭とを胸に収め、ああ帰ってきたと改めて思った。 そうしたら力が抜けた。
「イルカ先生? 泣いてるの?」
「苦しいんですよ」
さっきまで幼児のようだったのがもう余裕な表情で悔しいことこの上ない。
「俺が帰ってきてそんなに嬉しい?」
「はいはい、嬉しいです」
もう手は後ろで卑猥な動きをしているし。
「食べたい」
「じゃあ仕度しますからちょっと離して」
「食べたい食べたい、これが」
カカシの両手がもみもみと尻の肉を揉み、指が一本割れ目を辿り中心を押す。 「あ」と心ならずも濡れた声が漏れる。 間髪を入れず塞がれる口。 挿し込まれる舌。 腰で角突き合すかのような互いの雄が、欲しがっているのが片方だけではないと知らしめる。 その場で事に及ぼうとするカカシを抑え、早くこっちに、と手を曳いて未だ自分の体温が残る寝床に誘う。 ああ、この人が好きだ。
だから、この人の何もかもを受け入れよう、この人のする何もかもを許そう、そう決めた。 憎まれ口を叩きながらずっと付き合っていこう、一日でいいからこの人より長生きをしよう、そう思う。 口癖のような「ただ守られていろ、頼って甘えていろ」という要求や、査問にかけられるような刃傷沙汰や、遠地から駆け戻るような無理や、そういう若干歪な保護行動にも目を瞑る。 自分が望むことは唯ひとつ。 鎖にはならない。 アナタは今も未来も自由。
「今日みたいにいつも甘えてればいいのに」
失神していると思っているのだろうか。 カカシは、後ろから体を重ねるように抱き締めたまま呟いた。
「誕生日だからなんて…そんな理由つけなくってもねぇ」
後れ毛を指先で弄びながら、耳の後ろに息がかかるような距離でぶつぶつと。
「どうして判らないのかな。 アンタだったら縛られるのもなんかイイ感じ、とか思えちゃうのに。」
アンタを縛るのも大好きだけどね、うふふふふ…。 うふふふって…サドめ。 明日っからまた逃げてやる。 そして思い知るがいい。 どうしてこんな人に感けていたのか、なんてバカだったんだ、とな。 美化された思い出も、増幅された憎しみも要らない。 手を離す時がきたら躊躇なく離してくれ。 そうして忘れてくれ。 要る時だけ求められ、要らない時は忘れられている、そんな存在に俺はなりたい。