聖域
-SANTI-U-
9_3
「おまえ、私の書庫でナルトの事を調べただろう?」
師匠が私に問うた。
イルカ先生の病室を後にして、綱手師匠とふたり、執務室に戻った時のことだった。
帰って直ぐイルカ先生を看た綱手師匠は、ただ安静にしていればいい、と言ってカカシ先生達を安心させ、遅れて到着するはずの部隊長達の調査を厳正に行うと約束した。
私には、よくやったな、とだけ言ってやはり頭を撫でてくれた。
ベッドから伸ばされたイルカ先生の手を取ると、「ありがとう、サクラ」とあの優しいイルカ先生の声で言われた。
その後、カカシ先生が右手を差し延べて大人同士のように握手を交わし、「ありがとう、サクラ。 おまえのおかげだ。」と言ってくれた。
アスマ先生は相変わらず煙草を咥えたまま、また私の頭を無遠慮にがしがし撫でて、「よくやったな嬢ちゃん」とやはり子供扱いをした。
私は、胸が詰まって何も一言も言えなかった。
その後で火影の執務室に師匠と一緒に戻り、今回の任務報告を取り敢えず口頭でした後、師匠が徐にそう問うたのだ。
「…はい」
私は正直に答えた。
隠しても詮無い事だ。
「それで、どう思った?」
椅子に座り、机に肘をついて組んだ両手の上に顎を乗せ、師匠は私をじっと見つめている。
「ナルトはナルトです。」
私は答えた。
「それに、サスケ君もサスケ君です。 ふたりとも私の大切な仲間です。」
師匠はふんっと鼻で笑うと立ち上がって私の所まで来て、いい勉強になったか、と私の鼻の頭を摘まんで問うた。
この人は!
そんなつもりで私を今回の任務に行かせたのか?!
思わずむっとして目の前のでっかい胸に邪魔をされて半分しか見えない師匠の小憎たらしい顔を見上げた。
「なんだ、何か不満か?」
このこの、と私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回し、師匠は笑いながらそのでかい胸に私を抱き竦める。
「苦しいですよ、師匠」
全く、みんなして私を子供扱いばかりする。
今に見ていろ
目に物見せてやる
胸だって技だって、いつかきっと貴方を越えて見せますから
胸は…ちょっと時間が掛かるかもだけど
でも
私は心で拳を挙げる。
いつかきっと、また三人で笑ってみせる!
「報告は後でちゃんとレポートにして出せよ」
何時の間にか離れて自分の椅子に戻った綱手師匠が、容赦なく私に現実を突き付けた。
「は、はい」
わたし、負けない
負けないからねっ
時は秋 日は朝 朝は七時
片丘に露満ちて 上げ雲雀名乗り出で
蝸牛枝に這い 神天に示す
全て世は事もなし
と
・・・
私があの日、イルカ先生に何があったかを知った事は、師匠以外には誰にも話していない。 カカシ先生も唯微笑んでイルカ先生の側にいるだけだ。 何も言うなとも、話せとも言わない。 私は未だに考える。 あの時、私はどうするべきだったか。 もちろん、医療忍者として最善の対応だったことは間違いない。 だけれども、彼らふたりにとって互いの胸に秘めるだけでも辛い現実を他人に知られるという事は、許容できる範囲なのだろうか。 ましてや、アスマ先生ならいざ知らず、私のような若輩者でしかも彼らの教え子であり部下だった者だ。 彼らはそんな狭量な人間ではない。 アスマ先生だったらそう言って笑うだろう。 そうかもしれない。 でも、彼らは忘れたい過去を、私を見る度に思い出すことにはならないだろうか。 私がその象徴のように感じられないだろうか。 そうなってしまったら、とても哀しい。 それに、これは凄く手前味噌なことだけれども、私はあの経験で必ずしも今この時に登らなくていい階段をひとつ、登ってしまったような気がして、少し寂しいのだ。 早く一人前にならなければ、と焦る一方で、私はまだまだ子供のままで夢見ていたいと足踏みをしている。 そんな風に、自分の有り様ばかりを気にしてあの経験を悔やんだりもしていたけれど、最近はこう考えるようになった。 もしあの時、私がイルカ先生の体を見なかったら、私は彼ら二人の関係をどう感じていただろうか。 彼らがどれだけの苦しみや哀しみを越えて今もふたりでいるのかを知らず、私はどう理解したつもりになっていただろうか。 きっと今以上に、カカシ先生とイルカ先生の事を心底羨ましく感じたり、人と人との間に成り立つ関係として尊敬してはいなかっただろう。 表面だけ見て、心のどこかで否定していたかもしれない。 これから先、近い将来、私は一人の人間の所属や背負った背景や思想・信念に囚われず、負けず、怯まず、立ち向かっていかなければならない。 そして受け入れなければならない。 カカシ先生とイルカ先生は、私にその覚悟をくれたのだ、と今は思っている。
・・・
大門が見えた時、私は予てから疑問に思っていた事を思い出して、カカシ先生の背で揺れるイルカ先生に問うた。
「あのまま里まで駆けていたら、どうやって暗示を解くつもりだったんですか?」
まさかあのまま突っ込むつもりじゃなかったですよね、と。
イルカ先生は、ああ、と笑った。
「タイマーを仕掛けてあったから。 もうそろそろ鳴く頃だよ。」
鳴く?
その時イルカ先生の額宛から白煙が上がり、一羽のぼろぼろの式鳥が現れてイルカ先生の肩に留まった。
『イルカ先生、 イルカ、 俺のイルカ』
鳥は一回だけカカシ先生の声でそう鳴くと、煙になって儚く消えた。
「やっぱり…。 あと一回が限度だと思ったんだ。」
イルカ先生がぽつりと寂しそうに呟いた。
カカシ先生がそれを聞いて、頬を膨らませてイルカ先生を詰った。
「俺がぁ、本人の俺がいるじゃないですかぁ、イルカ先生ー」
いくらでも呼んであげますよ、と。
イルカ先生は目を細めて微笑み、カカシ先生の首に縋っている腕に少し力を込めた。
カカシ先生はイルカ先生をそっと揺すり上げて背負い直し、やっぱりふっと微笑んだ。
「先生達、幸せそうですね。」
私は思わずぼそりと口にしていた。
イルカ先生が目を真ん丸くして私を見つめ
カカシ先生は僅かに見えている顔と耳を真っ赤に染めた。
吃驚した。
後日、イルカ先生がそこまでして急ぎたかった理由が、帰還した翌日がカカシ先生の誕生日だったからという事実が判明して、皆が激しく脱力させられたことも、それを知った綱手師匠が地も割れんばかりの鉄拳をこのばかっプルに喰らわせたことも、今となってはいい想い出。
ナルトはその半年後に還ってきた。
今も
私は心で拳を挙げる
いつかきっと
また三人で!
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