死にゆく者への祈り

- A Prayer For the Dying -


4


「…じゃあ、何故殺した?」

 もう決して、と彼は言った。 それならばまた信仰を取り戻すことができるはずだ。 私がそうだったように。 私は…多くの人を殺し、傷つけ、禁忌を犯した。 オマエと同じ、同じなのだ。 否、私は…私は何故、人を殺したんだろう。

「戦争だからだ」

 そうだ、戦争だった。 仕方なかった。

「昔の話じゃない。 先日の殺しの件だ。 なんで殺した。」
「ヤツに嵌められて…仕方なかったんだ。 俺はもう殺しはしないと誓った。 だからヤツの依頼も即断った。 しつこく言ってきたが全部無視していたんだ。 だが先日、気が付いたら軍の特殊部隊に囲まれていた。 俺の塒を垂れ込みやがったんだ。 まぁ運よく逃げられはしたが…」
「その傷はその時のか?」
「そうだ」
「それで殺しの依頼を受けたのか」
「一回だけという約束で受けた。 パスポートと引き換えに。」
「一回でも殺しは殺しだ」
「ああ、そうさ! 殺しさ! 戦争中だろうとなかろうと、人殺し以外の何物でもないさ! 俺がどうして信仰を失ったか、アンタに判るか? アイルランドで何が行われているか知りもしないくせに! 従軍したと言っていたな。 その時、見なかったのか? こんな子供が銃を持ち、殺し、殺されているんだぞ?! それなのに俺みたいな大人が傍観していられるか!!」
「知ってるよ」
「いや、なにも知っちゃいないっ」

 否、知っている。 声を荒らげる彼を一回だけ見上げ、私は首を垂れた。 そしてまた顔を手で覆った。 そうだ、仕方なくなんかない。 戦争中だろうと街中だろうと、殺しは殺しだ。 あの時、ベルファストで、相手は皆16〜17才の子供だった。 銃を持って現れる彼らを、「撃たなければ撃たれるぞ」を合言葉にでもしたかのように撃った。 それが現実だった。 そして私は一人の少年を撃てず、結局負傷し、それが元で除隊した。 背中がまた痛み出してきていた。

「知っているよ。 私もあそこに居たんだ。 司祭としてじゃない、兵士としてだ。 私もオマエと同じ、たくさん人を殺した。」
「…いつ頃だ?」

 疑問が察知へ、更に確信へと変わっていくように、普段から深くよく響く彼の声が、より低く、より重くなっていった。 その中に怒りの赤が滲み出してきているように感じられ、もう顔は上げられなかった。

「69年だ」
「…SASか?」
「…」

 まだ密やかに、だが確実に怒気を孕んだ彼の声が、震えた。

「アンタ、SASだったのか?!」

 一段高い祭壇の更にもう一段高くなっているオルガンのコンソールに立ち、彼はこちらを見下ろして叫んでいた。 私は、除隊後の数ヶ月間で感じて依頼の絶望感に打ち拉がれ、項垂れた。

「…そうだ」
「このっ 偽善者めっ 人殺しはアンタだ!」
「そうだ。 私もオマエと同じ、人殺しだった。」
「同じじゃないっ」
「同じだっ」

 絶叫する彼に思わず立ち上がり、その顔を見上げた。 声も荒らぎ、叫び返してしまった。

「同じじゃない」

 対して彼の方が声のトーンを下げた。 私は、後悔と羞恥と彼に対する懇願のような感情が綯い交ぜになって押し寄せてくるのをどうにも抑えられなくて、泣きそうになるのを堪えるのがやっとの状態だった。

「同じだ。 だからオマエも信仰心を取り戻して…それから…」

 頼む。 どうか同じだと言ってくれ。

「同じじゃない。 俺は信仰から逃げたが、アンタは信仰に逃げたんだ。 アンタは俺とは違う。」
「!」

 息を呑んだ。 私はただただ、高みに居る彼を見上げた。 そうだ、あの時私は逃げた。 あの子は銃を持っていなかった。 地獄で天使をみつけた気がした。 この子だけは守らなくてはと思った。 その考えに縋り付いた。 限界だったのだ。 それ以上殺し続ける事が何を意味するか、解っていた。 怖かったのだ。 だから、撃とうとする仲間に向かって両手を広げ、彼を背に庇った。 そして刺された。 ああ…背中が痛い。

「っ」
「…どうした? 顔色が悪いぞ」
「なんでもない」

 ドサリと椅子に逆戻りしてまた頭を抱え、顔を覆うようにして額に滲む冷や汗をそれとなく拭った。 彼はそれ以上、責める言葉を発さなかった。 一段高い祭壇のオルガンのコンソールから、ただじっとこちらを見下ろしていただけだった。

「オマエの雇い主は、どうして約束を果たさないんだ?」
「それは…」

 唐突に話を変えても、やはり突っ込んではこなかった。 心配されているのだろうか、今さっき、怒りの矛先を向けたばかりの相手なのに。 一段高い場所に居る彼と自分の位置が、そのまま神への距離に感じられ、強烈な羨望を覚える。 これでは立場が逆だなとおかしくなった。

「私を始末しろと言われているんじゃないのか?」
「そうだが…、もう殺しはしない。 殺させもしない。 そもそも、一回だけという約束だった。 反故にしたのはヤツの方だ。」
「そうか…」

 それであの時、私を撃たなかったのか。 ここに居座っている理由もそれか。 ヤツの手下から守ろうとしてくれているのか。 馬鹿だな。 私は多分、オマエより大勢殺している。 襲われたら先刻のように、また勝手に体が動いてしまうかもしれない。 今度は殺してしまうかもしれない。 オマエに守られるまでもない。 その価値も無いんだ。 だからもう、ここに居なくていいんだ。
 遂に零れ出してしまった涙も指で押さえてごまかした。 胸が締め付けられるようだった。 ああそうか、自分はこの男のことが………。

「わかった。 私が行って話してみよう。」

 やっと顔を上げてまっすぐに彼を見る事ができた。

「馬鹿な真似はやめろ。 話して通じる相手じゃないぞ。」

 眉を顰め、今にもこちらに降りてこようとする彼を片手で制し、微笑んでみせる。 そんなに心配そうな顔をするな。 ほんと、馬鹿だな。

「駄目元だろ。 それより…」

 さっきの続きを弾いてくれと頼むと、彼は暫く訝しげにこちらを見ていたが、コンソールに座り直し「小フーガ」をまた最初から演奏し始めた。 短い曲だった。 私はそのほんの数分間の厳かな空気の中で、その日の懺悔を行った。 主よ、お許しください。 私は罪深い生き物です。 私は驕り高ぶった愚か者です。 私は…。

 信仰とは、人によって導かれるものではなかったのだったと、猛省した。 信仰とは、人それぞれがそれぞれに、自ら目覚めるものだ。 自分もそうだった。 神は教会の偶像に御座すわけではなく、食卓のパンに、路傍の石に、身の回りのどんな物にも宿り給う。 それに気付いた時が目覚める時で、それを信じる事が信仰だ。 彼のためになどと…驕りだった。 私は私のために私の役目を果たそう。




BACK / NEXT