kiss

-PEACE MAKER, spinoff_01-


12


   キス?
   スキ?



 口元がきゅっと引き上がるのを見た。 中忍は3人居た。 イルカは右端に居た。 自分はアスマと並んで廊下の反対側を歩いていて、擦れ違い様それを見た。 彼は雑談しながらきっちり2歩手前で他の中忍達とともに軽く会釈し、そのまま俯いた顔を完全に上げずに擦れ違った。 だから彼の口端がほとんど判らないくらいに引き上がるのを見たのは横目でだったので、見ることができたのはその口元の他には彼の項と後れ毛、それとあの尻尾だ。 否が応にも目に入るそれのために全ての情報が塗り替えられてしまう。 微かに引き結ばれた微笑む口元も、幻だったのかと…

     

 カカシがいつもの通り両手をズボンのポケットに突っ込んだまま猫背気味にイルカ達に会釈を返し、擦れ違って背を向けて2歩ほどのところで、超極太のポップ文字がぴょーんと飛び出し、くるくるくるっと回ってゴチッとカカシの背に当った。 立ち止まって振り返ると、同僚達と談笑しながら歩き去って行くイルカの背からまた、同じ文字が飛び出してくるくる回る。

 キス?
 スキ?

「おい」

 立ち止まったまま腕組みをしているカカシに、アスマが訝しげに声をかけてきたので、あれは何て文字だろうねぇと問うてみた。

「どれ?」

 やっぱり見えないのか。 でも自分も今は額宛で左目を隠しているのに。

「イルカ先生」

 だからアスマを放って早足で戻り、イルカの肘の辺りを掴むと少し乱暴に引き止めた。

「急用を思い出しので付き合ってください」
「は?」

 イルカはこれ以上無いくらい大きく目を見開いてあからさまに驚いた。 他の2人の中忍君も同じ顔をして驚いている。 実際には一滴の汗も(その場では)流れていなかったが、中忍君達の背後には大量の汗が滝になっているのが見えた。

---中忍ちゃんってのはアレかね、思考が言語化・具象化する生き物なのかね?

 忍としてどうなのかなでもだから中忍ちゃんなのかそうかそうか、と一人顎に手を宛て頷いていると、順繰りに肘を小突きあっていた3人の最後にいたイルカがコケそうになりながらも怯えた顔付で自分を振り仰ぐ。

「あ、あの? カカシ先生?」
「いえ、なんでも」

 ”左目隠してるのになんで?” なんで?なんで?と浮かんでは消える文字列と強張る顔に苦笑し、だが腕は離さずぐいと引き寄せる。

「じゃあ、すみませんがイルカ先生お借りしますよ」

 残りの中忍君にニコリと微笑みかけ、イルカを引き摺って歩き出した。

               ・・・

「で、キス? スキ? どっち?」

 もちろん喋らせたりはしない。 空き教室に連れ込むなりその口を塞ぎ、口の中ソコラじゅうを舐めまわしてやった。 天丼味だった。

「…ん、う、ん…き…」
「キス? してあげてるでしょ」

 もう腰が抜けかかっている。 アカデミーでなど挑むからだ。 俺も甘く見られたもんだ。 立っていられないイルカを壁に押し付け、更に上から覆い被さるように接吻け続ける。 イルカは腕の中で時々思い出したように身動いだ。 手が申し訳程度にベストの脇を掴んで引っ張るが、すぐに縋るように握り締めては震えている。 そして体中の力が抜け落ち、その場に頽れるように座り込んだイルカをそのまま床に押し倒し、このままいただいちまうぞという雰囲気を醸し出すも、イルカは相変わらず思い出したようにしか抗わなかったし、ただされるが儘に接吻けられているだけだった。 だからOKなんだと思い、だがこちらから誘いの言葉を口にするのもキス以上をして煽るのも何となく口惜しくてイルカの言葉を待った。 挑発した責任を取ってもらわねば。

「なんか言う事ないの?」
「授業、遅れる」

 だが、はふはふと息を上げる顔にやっと口を解放すれば、イルカは色気の無いことを言った。

「そっちから誘ったくせに」
「だって…見えるなんて思わなかったんだも…ん、んん」
「だーめだよ、そんなこと聞かない。 さ、もっとシテ欲しいことあるでしょ?」

 「ここで抱いて」と言わせたくてまた接吻けて促すと、イルカは顔を朱に染めそっと上目で見上げてきた。

「あの」
「うん?」

     

 大きく「こ」と浮かんでそのまま固まったように空中で汗を掻く文字に、器用だなぁと感心しながらも後が続かぬイルカに焦れる。

「なぁに?」
「こ…こ、こ今晩うちに」
「だーめっ」

 即座のダメ出しにひくっと戦慄き涙目になる彼に脱力。 「ここで」じゃなく「今晩」まで引っ張る気かよ? しかもそれだけ言うのにそこまで緊張するのってどうなの? と、それまで彼から家に誘われたことがなかったなと気付いた。 いつも自分が彼の家に押し掛けるだけ。 でもこの間、彼の家のキッチン・テーブルに重箱が出ていた。

「アンタがキスしてって」
「だからキスだけ!」
「…」
「次、体術なんですもん」

 仕事帰りの彼を無理矢理連れ込んだことはあった。 でも彼から来てくれたことは無い。

「今晩までお預け?」
「できれば」
「アンタが誘ったくせに?」
「だって…」

 家に呼ばれたことも無ければ家に来てくれたことも無い。

「じゃあ、今晩は俺の家に来て」
「え…」

 それでも体を重ねる自分達の関係を繋げてきたのは、そうだ、自分がイルカを諦め切れなかったからだった。 でもあの日、予定よりも早く退院したイルカの様子を苛々と窺った挙句に、結局こちらから押し掛けてしまったイルカの家で、彼は煮物をしていた。 彼に食べさせるものを漁って煮返したその煮物とテーブルの重箱を見比べて、俺は何を感じた?

「アンタがその足で、自分の意思で俺の所へ来て」

 巨大なアンカーに座ってこちらを見下ろし微笑むイルカ。 そして一瞬のうちに、そのアンカーごと遥か上に引き上げられて行ってしまうイルカ。 何回もそんなシーンを夢に見ては泣いた。 泣いたのだ。 差し延べられた手が空を切るのを見て、取り返しのつかない何かに泣いた。 前までの自分なら考えられなかったが、今はもう自我が統一されてしまって居ない”あの世界の彼”がそうさせているのかもしれないと、妙に納得した。 豊かに泣き、笑い、怒り、絶え間なくイルカに接吻けを贈って愛を表していた彼。 自分こそがそうなりたかったと嫉妬した彼が、今自分の中に居る。 だからあの時あの重箱を見て、俺はイルカの中の何かを感じることができた。

「俺に抱かれるために来るんだよ?」

 それが無ければ自分は、あの日もセックスだけして彼を置き去りにしたかもしれない。

「一歩一歩その足で進むごとに、俺に抱かれる自分を想像して来て。 いいね?」
「カ…カシさん」
「いいね?」

 これから俺に抱かれる、そう思いながら歩くんだよ、いいね

 イルカは何もしていないのに苦しげに喘いで、微かにコクリと頷いた。

               ・・・

「はっ あ、あ、ん… カカシ…」

 腕の中で我を無くして喘ぐ彼が小さく名を繰り返す。 これが無かったら自分はきっと、すぐに彼を諦めていた。

「カ…カカシ …カシィ」

 突き上げは緩やかだったが抱き込んでいるので、衝撃の逃げ場はない。 彼に埋め込んだモノがダイレクトに彼の内部を抉る。 彼は喉を晒して喘ぐ。

「カカシ あ、カ…シっ や」

 彷徨い出る手。 彼は溺れる者のように肩や腕に縋ろうとする。 その手首を掴んで頭上に押さえつけるのが好きだった。 そうされた時の彼の切なそうな顔が堪らなくかわいい。 腕を押さえつけ、顔に顔を近づけて覆い被さり、激しくは無く緩やかに、だが鋭く彼を突くと、彼はそれは切なそうな頼り無さそうな顔をして喘ぎ名を呼ぶ。 堪らない。

「カ…カシィ」
「イルカ」
「ん」

 そっと名を呼び返してやると、鼻を鳴らすように小さく答え、彼は閉じていた目を開いた。 黒く濡れた睫。 光る瞳。 これが無ければ…。 最初の晩に得られなかった感動を2回目の晩に得ることができた。 それが無ければ、きっともっと早く彼を手放していただろう。 それくらい、普段の彼は態度が悪かったのだ。 不遜ではなくだが慇懃無礼で、無視を決め込み目を合わせなかった。 気が強い。 自分を曲げない。 相手が誰だろうと屈しない。 体はしょうがないからくれてやる、だけれども心は決して渡さない、そんな目だった。 だのに、そんな彼がどうして自分のために治療に参加してくれたのか。 最初聞かされた時には、俄かには信じられなかった。 だが、自分の右手をしっかり握る彼を、確かに見た。

「イルカ、イルカ」
「あ、あ」

 彼の内部の収縮のリズムが速まった。 自分の欲望は取り敢えず抑え、彼を絶頂へ導くべく徐々に突き上げを速くしていく。

「あっ んっ んんーっ」

 彼は後ろだけで登り詰めることができる体を持っていた。 男の経験が無かった彼がすぐにそうなったのは、今思えば冷や汗モノなのだけれども、多分自分にとってはラッキーだったのだ。 でなければきっと、自分は彼を手放していた。 決して屈しない彼が唯一縋り付いてくる瞬間を、たとえこんな風に我を失くしているとしても見ることができなければ。 そしてもし自分が彼を手放していたら、男に目覚めた彼は他の男の腕に抱かれて…

「あっ ああーっ」

 達したばかりの体を急に責められて、彼が泣く。 自分の想像に自分で苛ついて彼を乱暴に責めてしまう自分も、まぁ愛おしいってなもんさ。

「俺が達くまで我慢して」

 萎えた彼自身を握り、反射で収縮する彼のアナルに腰を打ち付けながらブルリと震えた。 最高に気持ちがイイ。 手放せない体。

「カ、カカシさんッ」

 痛みにか、幾分正気を取り戻した彼の潤む目。 手放せない、決して手放せない瞳。

「うっ」

 そして、絶頂の手前で感じる躊躇。 それが可笑しくて頬がヒクリと引き攣れる。 ああ、どうしてくれよう! 俺はアンタの中に注ぐのがまだこんなにも恐い。 トラウマになどするものかと最初からイルカに注ぎ捲くってはみたものの、やはりまだ恐いのだ。 笑うがいいさ。

「イルカッ」
「はい」

 息を荒らげて名を呼ぶと、彼はまっすぐにそんな自分を見上げて、そんな風に色気の無い返事をした。

               ・・・

「美味いです」
「よかった」

 イルカはほっとしたように笑んだ。 彼の手料理は初めてだった。

 夕方、彼は風呂敷に包んだ重箱を持って現れた。 顔が真っ赤だった。 夕焼けの所為ですよ、とはにかみ更に赤くなる彼を引っ張り込んで玄関ドアを締めた。 手ぶらでは来れなかったのかな、と思うとちょっとおかしくて笑う。 かれはまた赤くなった。

「でもね、昼に天丼食った後に、あんな風に誘うのは止めてください」
「は…」
「アンタの口、天丼味だった」
「天ぷら、お嫌いですか?」
「だいっ嫌い」
「美味いのになぁ」
「あの衣と油と丼露の混然一体となった味が胃に堪えるんですよ」
「へぇー」

 彼は目をきょろりと輝かせると、悪戯小僧の顔でニッと笑った。

               ・・・

 だからって、これはどうなのよ?

     

 きっちり2歩手前で頭を下げ擦れ違った彼の頭上に、燦然と輝いてその文字が踊る。 電光掲示板のようなその文字列は江戸勘亭流というやつか? 妙に風流な相撲の番付表のような。

「ねぇ、アレってなんて読むと思う?」
「どれ?」

 やっぱりアスマには見えてないんだ。

「じゃ、俺ちょっと急用」
「またかよ」

 イルカの腕を後ろから思い切り掴んで引き戻すと、彼は唖然とした顔を怯えさせて振り返った。

 ”どうして? 天丼なのにどうして?”

 どうしてどうして? と消えては浮かぶ文字。 それはね、アンタから誘われたらそりゃあお応えしなくっちゃって思うわけよ。 だって嬉しいんだから。

「アンタが誘ったんでしょ、観念しな!」
「だ、だって! 天丼味ですよ?!」
「最後までヤッテやるっ」
「だ、だめです、次、俺、体術!」
「し〜らな〜い」
「カカシさーん」

 ”だって だって” と困った顔の回りいっぱいに文字が並ぶ。 だがその口端が小さくニッと引き上がるのが確かに見えた。 だから遠慮は要らないってことなのだ。 たとえ天丼味であっても、彼が欲しいと言えばキスをする。



 こうして俺は悪戯小僧を手に入れた。






BACK / NEXT