PEACE MAKER
-Colt, Single Action Army, Peacemaker-
7
それからというもの、彼が自分の視界内に納まっていないと落ち着かなかった。 彼が長くは歩けなかったので、無線の修理にも行かなかった。 男が男に抱かれた場合、体に色々と支障をきたすということも、思うように動けないでいる彼からやっと聞き出した。
「ごめん…」
「いえ、暫らくすれば回復しますから」
だが、微笑んでそう言った彼が微熱でふらふらしている事も、体のあちこちが痛んで動きが覚束ない事も判っていた。 彼に対するこの激しい感情が”愛情”であって、単なる”肉欲”ではないと思いたかった自分は、またすぐにでも彼と体を重ねたい欲求を抑えた。 彼を労わり、甲斐甲斐しく世話を焼き、求める気持ちは接吻けだけに止めた。 そんな自分に彼が全く抵抗せず、おとなしく身を任せる態度が不安で不安で、でもだからと言って彼の元居た世界の恋人について問い質すこともできなかった。 これが”恋”というものなのだろうか。 こんな儘ならない感情が、こんな身を焼くような焦燥を伴った不安が、こんな、たった一人の人間と世界全てとを引き換えにしても構わないとさえ思う激情が、恋なのだろうか。
とにかく自分は、今度は狐が現れようが蛇が現れようが、迷わず銃を向けるだろう。 残弾数は4発。 予備のカートリッジが無い以上、この4発で形をつけなければならない。 そう、予備の弾薬は無かった。 だから自分には、新たに装填するために排莢する必要が無かった。 だからその時点で、ローディング・ゲートを開けて中を覗くことはしていなかった。
・・・

コルトS.A.A.の弾の装填方法は、フレームの右側面シリンダ後方にあるローディング・ゲートを押し開け、その穴から一発づつセットしていくという手間のかかるものだ。

もっと新しいリヴォルバー銃には、シリンダ・リリース・ボタンなるものが付いているタイプがある。 そのタイプの銃はシリンダ回転軸がフレームに固定されておらず、ボタンひとつでシリンダごとフレームから左にスライドさせることができる。 予備弾は、一発づつ装填することも勿論できるが、スピード・ローダーなる6発分がシリンダの形状に配置されたカセットで一度に装填することが可能だ。 排莢も、エジェクタ・ロッドの一押しで全弾を一度に押し出せるように出来ている。

だがS.A.A.はそうはいかなかった。 一旦撃鉄を引き上げてからトリガーを途中まで引きそこにゆっくり撃鉄を降ろすというハーフコックをしてからローディング・ゲートを開き、手でシリンダを回しながらゲートに薬室をひとつづつ併せて1発づつ装填していく。 排莢も同様でゲートを開き、バレル左側面にあるエジェクタ・ロッドを押しながら一発づつ排莢していかねばならない。 だから射撃と射撃の間に間隔があれば、撃発後即排莢し、予備弾の装填に備えるべきだろう。 だが今、予備弾は無かった。
「無線の修理に行かなくていいんですか?」
「もう殆ど直ったからいいんだ。 明日、アンタが歩けるようになったら一緒に行こう。」
「はい! 必ず還りましょうね」
彼は嬉しそうににっこりと笑った。 頻りに修理の続きを気にする様が、”自分を遠ざけるため”ではないかと疑わせたのだが、そうでは無かったらしいと判り、内心で彼に謝った。 蛇が現れてからというもの疑心暗鬼になっている観がある。 できるだけ彼を信頼したい気持ちと彼を失いたくない気持ちの間で、自分を落ち着かせる最も手っ取り早い方法は、やはりスキンシップしかなかった。
「いい?」
「一回だけなら」
彼を強姦した次の夜、オズと問うと彼は逡巡することなく頷いて、右手で何回かスルスルと左頬を撫で擦ると、ゆっくりと腕を回してきた。 微笑みさえ浮かべた彼の表情に安堵し、自分の接吻けに応える彼の唇や舌に感動した。 そして、求め合った穏やかなたった一回の交わりが一方的な激しい数回に勝ることを知った。 自分の腕の中で、自分の緩やかな突き上げにゆっくりと登り詰める彼の声や姿に胸が熱くなる。 愛している。 ずっと一緒に居よう。 耳元でそう囁くと、彼はぎゅっと抱き締める腕に力を篭めて「一緒に還りましょう」と呟いた。 彼が自分の肩越しに見ているであろう星空を、その時自分は見ていなかった。 彼の顔も見えなかった。
・・・
ガンッ ガンッ ガウンッ と続けさまにトリガーを引いていた。 あの白蛇は、夜明けにまた現れた。 ある程度予想していた自分は、銃を身近に置いて待っていた。 今度こそし止めると。 1、2、3と発射弾数を数えるのは、ほぼ無意識の行為だ。 戦場での残弾数は自らの命のゲージにも匹敵する。 だが今の自分にとっては、彼を自分から遠ざけようとする者を排除するためのアイテム・ゲージだった。
小さく細い白蛇に向かって照準を合わせていた時、突然目の前に被るように出現したのはあのフェネック狐だった。 自分は、その大きな両の耳に一つづつ穴を開けることができた。 彼は今度は最初から制止の声は上げず、じっと目を見開いて立ち尽くし一部始終を凝視していた。 だが、3射目がその子狐の右前足を掠め真紅の血を飛ばした時、うっと呻いて片手で口元を掴むように覆い瞳を潤ます彼が居た。 指がその頬に食い込むくらいに強く押さえつけられた彼の顔は、血の気も失せて蒼白だった。 体は今にも走り出しそうな前傾姿勢だったが、その場に縫い付けられたように一歩も動かなかった。 子狐は、跛を曳きつつそれでも逃げる素振りを見せずに、こちらを窺うようにして歩き回っていた。 白蛇の方はいつの間にか居なくなっていたので、最後の弾をその子狐の息の根を止めることに使う決心をし、集中して頭部を狙った。 それが間違いだったと後で悔やんだ。 自分程度の射撃の腕なら、小さい頭部ではなく胸部を狙うべきだったと。 まぁ、あの子狐で言うなら、最も狙い易かったのは頭部でも胸部でもなくやはり耳だったのだが、いくら耳を打ち抜いたところで致命傷は与えられない。 予想通り4射目は、後ろ足の爪先を掠めただけで終った。 勢いで5回目のトリガーを引いたが、やはりガチリと撃鉄が落ちる音だけが虚しく響いた。
「くそっ」
ただの鉄の塊になった銃を投げ捨て、呆然と立ち尽くしている彼に走り寄る。 狐はいつの間にか居なくなっていた。 まるでこちらが全弾撃ちつくすのを待っていたかのようだった。 不安が胸を覆い、彼を抱き寄せ抱き締める。 彼は、最初に彼の前で射撃を見せた時のように、ただ自分の腕の中で震えていた。 胸に感じる彼の鼓動が小鳥のように速く、彼が緊張していることが伝わってきた。
「大丈夫、もう弾は無いけどアンタは俺が守るよ」
「…」
頷いて欲しかった。 ヤツラは仲間ではないと、自分のみを頼ると言って欲しかった。 が、彼は息を詰めたように無言で、自分の肩越しに唯一点を見つめていたのだ。 勿論、この時も自分にはそれが見えなかった。 自分がそれを知ったのは、彼がゆっくりとだが有無を言わさぬ強さで肩を押し、自分を残して歩き出した後だった。 彼は、数歩先の砂にめり込んでいる銃の所まで真っ直ぐに歩いて行った。 そしてそれを拾った。
「それにはもう弾が無いよ」
訝しく首を傾げるも、彼は唯ひたすら銃を見つめ、こちらをチラとも見ようとしなかった。 そして、一回だけやって見せたローディング・ゲートからの排莢を、たどたどしい手付きではあったが間違えることもなく、その場でやり始めた。 ポトリ、ポトリと空薬莢が砂に落ちる。 自分は無意識にそれを数えた。 ひとつ、ふたつ、みっつ…。 この不安は何だろう? 黒雲が押し寄せるように訳の判らない不安が胸を覆い尽くしていった。 彼は、5つめを排莢したところでゲートを元に戻した。
「もうひとつ…あるでしょ? ねぇ?!」
不安の正体を確かめる余裕も無く、自分は彼に走り寄っていた。 だが彼はそんな自分に左手を突き出して押し止め、右手で銃を握って銃口を彼自身の腹に当てた。
「何してんだよ! 弾はもう無いはずだろ?!」
一歩後ずさって、彼は引き金を引いた。
「イルカ!」
ガチリと音がして、撃鉄が空の薬室を叩いたことを伝えてきた。 だから彼が、排莢した時にシリンダの回転を考慮に入れていなかった事にピンときた。 有り得ないが、弾が残っているとするなら自分が引かなかった6射目の薬室しかない。 彼はシリンダを一回転させて排莢した。 最初の薬室を飛ばして、だ。 彼は最初から、もう1弾残っていることを知っていたのだ。 蛇に向けて2射、狐に4射、6弾全部撃ったはずだったのに、何故? とめまぐるしく頭の中では自問自答を繰り返しながら、何とか彼を取り押さえて銃を奪い返そうとじりじりと彼との間合いを計った。 だが、最初の一発目が出なかった事に少しだけ慌てた風だった彼が、直ぐに原因を理解したらしく銃口を自分の腹に当てたまま2回、3回と立て続けにトリガーを引きだしたのに焦る。 こんなことならあんなに事細かく銃のメカニズムを説明するんじゃなかったと悔やんだが後の祭りだった。 今悔やんでいる暇は無い。 何とか彼を止めなければと必死に考えた。 シリンダー銃は、シリンダ部分を握って回転を止めてしまえば次弾の装填ができない。 だから彼の手元を押さえるだけでもと思いつき強引に手を伸ばすと、なんと彼はクナイを左手に構えて自分に向けたのだった。 そこには紛う事無き一人の忍が者が居た。
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