PEACE MAKER
-Colt, Single Action Army, Peacemaker-
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突然、数値が良くなったと聞いて来てみれば、室内は忙しなく立ち回る医忍達の声と血圧計や心電図を計る機器のアラート音で満ちていた。
「どうした?」
「それが…」
ずっと詰めっきりのシズネが眉を曇らす。
「イルカ中忍の方が急変して… もう昨日までの薬では効きません」
「例の薬、もうできてるだろう?」
「でもアレは、カカシ上忍用に調合したもので」
「背に腹は代えられん。 イルカに何かあってみろ? カカシが起きた時にどうなると思う?」
「…はい」
シズネが走って出ていったので、それまで彼女が居たポジションの処置をしながら二人の様子を看る。 カカシの方は相変わらず表面的には何一つ変化は無かったが、イルカの方は肌からどんどんと血の気が失われていくようだった。
「いつからこうなった?」
「カカシ上忍の数値が上がった直後からです」
何をどうしたのかは判らないが、全くたいした中忍だ、と溜息を吐かずにはいられなかった。 誰がどうやっても、カカシは自分のシールドの中で外部の全てを拒絶していたのだから。
・・・
シズネが釈迦力になって量の再調整をした薬は何とか間に合った。 そうしてイルカの方の状態も安定したのを確認してから、綱手はその不可思議な精神世界に潜った。 今までそこに潜れたのはその穴を開けた自分と、これは後になって判った事だったがどうしてかナルト、そしてこのイルカしか居なかった。 選択の余地は無かったのだ。
「イルカ」
呼んでもいつものように直ぐには反応がなかったが、アレだけ状態が悪かったのだ、仕方ないと思い待った。 そこには、最初にこの穴を抉じ開けたときに置いてきたアンカーが横たわっていた。 自分はそれに鎖を、否、正しく表現するならば”糸”か、今にも切れそうな細い、だがまだ辛うじて持ち堪えている糸を繋げ、それを頼りにここまで降りる。 それが無ければ再びこの同じ場所に辿り着けるかどうかも怪しかった。
カカシがバグによって構築させられた、或いは、そのバグから自己を守るために自ら構築したもう一つの”世界”は、緻密な世界観と状況設定、人物設定がなされた、恰も現実に存在する世界そのものだった。 まるで胡蝶の夢だ。 この自分でさえ、どちらが真実の世界なのかと疑うほどだった。 もしかしたら自分達のほうが、誰かに設定され作り上げられた想像の産物なのではないか、と…
『綱手さま』
「イルカ、大丈夫か?」
『はい』
やっと聞こえてきた声はどこか弱々しかったが、何とか会話ができるまでには回復したようだと安堵する。 イルカと会話するには、彼がこのアンカーのどこかに接触している必要があった。 彼は精神まるごとここに降りてきてしまっているが、自分はそういう訳にはいかない。 取り敢えず、”ここに居るイルカ”との交信のために精神感応をしなければならないが、それはその”糸”を伝って行なっているに過ぎず、交信が切れれば自分は自分の体に戻る。 だが今のイルカはそうはいかなかった。
初めてここに降りた時に長期戦になることが判った綱手は、一旦戻りそれができる者を選別した。 それがイルカだった。 彼しか居なかったのだ。 最初は勿論自分でやろうとした。 が、それは医忍としての責務を果たしていない、里長としての責任も蔑ろにしていると責められれば、何も反論できなかった。 危険な仕事を他人に押し付ける苦悩など、長としては日常茶飯事のはずだったが、今回ばかりはかなり堪えた。 自分としてはそれは、”医療”の範疇だったからだ。 それなのに、それほど悩んでイルカに任せたというのに、他の誰にもできないからと言い聞かせて唯の平凡な中忍にその重責を負わせたというのに、どうやったかは未だに判らないが、監視の目を掻い潜ってナルトがあっさりこの世界に潜り込んだと聞いた時は耳を疑った。 それも実体付きでだった。 それに対しては勝手な事をと怒るより、ホトホト感心させられてしまったと言う方が正しい。 自分も勿論できないことは無いが、イルカに言わせると唯の小さな蛇だそうだ。 ナルトは狐だったそうだから、哺乳類と爬虫類という進化の席順を考えて負けたと思った。 物凄く口惜しかったのは自分だけの秘密だ。
「こっちは大変だったぞ。 カカシは随分回復したが、オマエが死に掛けた。」
『そうですか!』
イルカの嬉しそうな声といったら無かった。 自分の体が死に掛けた方は聞こえなかったのか。 まったく…。
現実世界に有るイルカの抜け殻の体は自分達が全力で維持しているのだが、その世界で起こることが体に少なからず影響を及ぼしてくる。 そこでの”精神の死”が、現実での”肉体の死”に直結していると言ってよかった。 加えてイルカは容易にはこちらに戻って来れない状況に居る。 自分が力尽くで引き戻せば致命的はダメージを負う前にサルベージできるだろうが、その後暫らくは絶対安静になってしまうだろう。 彼以外に、その世界のカカシにまともな接触を持てる者が居ない以上、ぎりぎりまで頑張ってもらわなければならなかった。 だから、昨夜のような瀕死の状態に陥らせてしまっても、イルカの方から得られたデータを素に調合された薬を試す以外は、通常と変わらない生命維持を行ないながらサルベージのタイミングを計ることしかできないでいる。 その度にこちらの方が死ぬ思いでいるというのに、イルカ本人は淡々と、そして頑固に、己のやるべき事と信じた行動を貫き通していた。 まぁ、その治療に必要なデータさえカカシからは全く取れないときているのだから、やって貰わなければ困るのだが…
「やって貰わなければ困るが、やり方を考えてくれ。 私は後でカカシに殺されるのはご免だからな!」
『はい!』
聞いてないな、と溜息を吐きつつ、いったいどうやったのかと問うと、イルカは少し言葉を濁した。
『セ…ックスを少々』
「…なるほどな」
顔は見えないが恐らく盛大に赤面しているに違いない声だった。 それにしても考えたな、と可笑しいやら感心するやらだ。 直接そんな風に吸い出されたら、如何なカカシでもお手上げと言ったところか。 とにかく、何人もの上忍、医忍が試した挙句の果てに、そこに潜れて元の通りの姿で居られたのはこのイルカだけだった。 それは、当のカカシ本人が彼唯一人にそれを許したということに他ならないのではないか。 だからやはり、彼しかこの任は粉せないのだ。 彼に任せる以外にカカシを救う方法は無い。 そう自分を納得させこの作戦に踏み切ったが、イルカの働きは、カカシの治療に関する成果の面でもイルカ自身が負うダメージの面でも、こちらの予想を遥かに上回っていた。
それにしても、と彼の手段を選ばない捨て身のやり方に溜息が出る。 効果は覿面だったが、これは後でとんでもなく荒れるぞ、と肝を冷やした将にその時、カカシの左目が突然開いたのだった。
「!」
キョロリとそれだけが別の意思を持ったように赤い瞳が動いて自分を捉え、いきなりきゅいっと瞳孔が絞られたのを見て、綱手は咄嗟に身体を引いた。 途轍もない殺気に脊椎が勝手に反応したと言ってよかった。 そして次の瞬間、ビュッと首筋を掠めて何かが通り抜け、結わえた片方の髪を一房弾き飛ばしてピシリと天井に穴を開けた。
『待ってッ 撃たないで!』
そう叫ぶイルカの声を最後に精神感応が切れる。 シズネに言われるまでもなかった。 自分は危なかったのだ。
・・・
「ナルトを至急探し出して連れて来い」
撃たないで、とイルカは言った。 そうだ、あの世界の何かの武器で攻撃されたのだ。
「ナルト君は任務に出しました」
「なんだと?」
「綱手さまが遠ざけておけと」
「ああ… そうだったか。 式を飛ばして連れ戻せ。 今すぐだ。 至急、聞かねばならん事ができた。」
「はい」
「式にまず連絡を返してよこすように言わせろ。 イルカと会った時、あの世界とこの世界に属する物がどうとかこうとか言っていたが、それについて詳しく知らせろとな。」
「判りました、さっそく」
「おいっ」
直ぐに出て行こうとするシズネを呼び止めて思わず問うている自分が情けなかったが、聞かずにはいられなかった。
「ナルトのヤツ、式に言葉を載せられるのか?」
「そ…れは… いえ、今回はサクラが同行していますので」
「そうか。 ったく、事が収拾し次第きっちり教えておけよ!」
「わ、わたしがですか?」
「オマエ得意だろう?」
「絶対に嫌です! 綱手さまご自分でなさったらいかがです? お暇でしょう?」
「わたしだって嫌だ!」
誰があんなワカランチン! 細かい事が大嫌いで人の言うことなど聞きゃあしない。 アイツにそんな事を根気よく教えられるのなんか…
「だ、誰でもいいから教え込ませろ! 単独任務に出ていたりしてたらどうするんだ?!」
「はいっ」
だがそこでシズネは珍しく少しだけ逡巡し、ニッと笑って付け加えた。
「カカシ上忍にやっていただきましょう。 元々彼の班なんですから。」
「…それもそうだな」
多分、最後はイルカがやることになるだろう、と双方が思っていたはずだが口にはせず、ただふっふっふっと笑い合った。 彼ら二人ともが無事に戻ってこれる、それを前提に話している自分達がなんだか健気で、少し愛おしかったのだ。
***
「体、大丈夫なの?」
彼の顔中に接吻けて、彼が自分の問いに答えるのも儘ならないほど唇を塞ぎ、抱き締めた。 愛おしくて堪らなかった。 自分で制御できないほどの激しい感情の流れが、怖かった。 それに、そんな気持ちを前にも一度感じたことがあるような気がするのにも落ち着かなかった。 自分はこれほどまでに誰かを愛したことがあっただろうか? 記憶はないのに体が覚えている。 腕の中の存在をただ抱き締めて何かに怯えた感覚が、沸々と蘇ってくるのが怖かった。
「具合は? 立ってられるの? 水は要らない?」
「大丈夫です」
彼がやっとといった風に胸を押し、不思議そうに自分の顔を見上げてくるので、その顔を両手で掴んで狂おしく接吻ける。 得た側から失う恐怖に震えるなど、自分はなんと不幸なのだろうか。 否、自分は真に彼を得た訳ではない。 彼はきっと、自分の星に帰ると言い出すのだ。
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