PEACE MAKER
-Colt, Single Action Army, Peacemaker-
3
「おいっ どうしたんだ?!」
駆け寄って抱きかかえると、力の無い体がぐにゃりと凭れかかってきた。 顳には脂汗が浮かび、呼吸も浅く苦しげで、体は心なしか冷たかった。
「おいっ 大丈夫か? おいっ」
二三度頬を軽く叩くと、薄っすらと目を開けた顔が驚きと怯えの色を浮かべて歪む。
「す、すみません、大丈夫、ですから」
荒い息の間から言葉を繋ぎ、彼は慌てたように胸を押して自分の腕から地面に転がり降りた。
「ちょっと…眩暈が、しただけ…ら」
そしてその場に蹲り、はっはっと喘ぎながら自分で自分の体を抱くようにして小さく丸まった。 その、こちらの手を拒む様子が昨夜の自分の仕打ちへの仕返しなのか、それとも気遣いなのか…。 どちらにせよ、苦しむ姿を前に一人で水など飲めようはずもなく、彼の脇に膝を着くと自分は謝っていた。
「ゆうべはごめん… 決してアンタが気持ち悪いとか、そういうんじゃないんだ。 ただちょっと、苛々してて…」
「……はい…判って、ますから」
間を置いて、だが彼は返事をしてくれた。 そっと額に手を宛がうと、初めは汗でヒンヤリ感じたが、直ぐに発熱している事が判った。
「ね、俺どうしたらいい? どうしてほしい?」
「み、水を… 飲ませてください」
「うん、判った。 ちょっと待ってて、今水筒に汲んでくる!」
「待ってっ」
立ち上がろうとすると、彼の手がズボンの裾を掴む。
「アナタの水筒は、途中で、す、捨てちゃいました。 この、竹筒に」
「水筒を捨てた? 何でそんな事…!」
また声を荒らげそうになるのをやっと堪え、彼が震える手で差し出してきた竹筒を受け取った。 まるで”チャンバラ映画”にでも出てきそうな代物だな、と思いつつもそれしか入れ物も無く、幾分憮然としながら井戸へ向かう。 釣瓶を引き上げると、それは良く清んだ美しい水で、暁を白く映していた。 我慢できずに釣瓶に口をつけて飲む。 途端に染み渡るように全身が潤い、尖った気持ちまでもが緩むような気がした。
「すごい美味い水だよ! 待っててね、今持ってくから!」
竹筒に入るだけ汲むと、彼の所に飛んで戻ってまた体を抱き起こそうと肩を抱く。 すると彼はまた手を押してきた。
「い、いいです、自分で、できます」
「いいから!」
気がつくと、まだ手を拒もうとする彼の肩を強引に抱え起こし、その顔を横から見つめて懇願していた。
「お願いだからそんな風に拒まないでよ。 俺にこんなアンタをほっとけって言うの? できないよ、そんなこと…」
「…」
彼は、未だ治まらない荒い息に胸を喘がせながら、黙って見つめ返してきた。 その黒瞳が何かを懐古するように眇められ、終にはぴったりと閉じられた。 そしてコクリと頷いた。 その閉じた黒い睫を見つめながら、口に竹筒を押し当てる。 彼がコクリコクリと全てを飲み干すまで、ずっと見つめ続けていた。
「ったく、どうして俺よりたくさん飲んだり食ったりしてるはずのアンタが先に参っちゃうかな?」
彼は、水を飲むとすぐに呼吸が治まり、随分と楽そうになった。 だから、そんな憎まれ口も叩くことができた。
「ごめんなさい」
彼は謝ってばかりいた。 そして草の上で相変わらず体を丸めて、ウトウトと眠り込みそうだった。 額で熱を測ると大分落ち着いてきているようだったし、そっと汗を拭ってやってももう拒まれることは無かった。 だからもう安心とばかりに、自分ももう一度たらふく水を飲んでから、彼の横の草の上に寝転んで一緒に眠ることにした。 夜中歩いていたのでもうクタクタだったし、とても眠かった所為だろうか。 それとも気の済むまで水を飲むことができた所為だろうか。 明方の僅かな時間だったが、砂漠に墜落してから一番安らかな眠りを得ることができたように思えた。
・・・
目を覚ますと、もう空気はジリジリとした熱気に満ちていた。 だがやはり例の石垣の陰が自分達を守ってくれていたらしく、熱射病にはならずに済んだようだった。 隣を見ると彼は居ず、慌ててきょろきょろと辺りを見回す。
「おはようございます」
すると上から声が降ってきた。 彼は石垣の上に座ってこちらを見下ろしていた。
「おはよう… アンタ、体はもういいの?」
「はい。 アナタのお蔭です、ありがとうございました。」
「…」
なんだか現金だなぁと、元気そうに石垣から飛び降りてくる彼に気が抜ける。
「水を竹筒に詰めておきましたから、修理に持っていってくださいね」
「あ、ありがと」
「それとこれは”兵糧丸”と言うんですが、二三日分くらいの栄養が取れるはずです。 一粒どうぞ。」
「こんな物持ってたんなら俺の食料食べ尽くすことなんてなかったのに…」
乾きが癒えた所為だろうか、彼のあんまりな言いようにも昨夜ほど腹が立たなかったが、一応言う事だけは言うと、彼は少し眉を寄せ、顔を曇らせた。
「これは緊急用です。 それに…もしかしたら効かないかもしれません。 ただの苦い粒かも…」
「? どういうこと? 賞味期限切れ?」
「…そんなとこです」
だから冗談めかして笑って言うと、彼も少し笑った。 やはり彼は笑っている方がいい。 元気な方がいい。 もう喧嘩は止めようとその顔を見て思った。 どうせ僅かな時間しか一緒に居られないのだから。
「ありがと、貰っとく」
「今食べてください。 お腹空いてるでしょう?」
「え? 今?」
「はい」
「…」
指で摘まんでしげしげ眺めると、小さい頃飲まされた丸薬のことを思い出し、舌の上に苦さが蘇ってきた。 だが、彼がじっと期待した目で見つめるのでしょうがなく、えいっと口に放り込む。
「噛んで」
「い」
「噛み砕いて食べるもんなんです」
「う〜」
目を瞑ってガリッと噛み砕くと、その苦さに口中に唾液が湧き出してきた。
「うぇ〜」
「飲み込んで、はい水」
と用意よく竹筒を渡される。 だからそれをゴクゴク飲んで手の甲で唇を拭うと、まだ真剣に顔を覗きこむ彼が居た。
「な、なに?」
「なにか…変わったこと、ありませんか?」
「え? 別に…ないけど…。 なにこれ? 何か変な薬なの?!」
「いいえ…」
ただ苦いだけだ、と付け加えると、彼は心底がっかりしたように溜息を吐き出した。 それに腹も膨れないよ、と更に言い募ると、そういうもんなんです、と気の無い返事が返ってくるだけだった。 いったい何がしたかったんだろう?と首を傾げるばかりだったが、彼はこの話はもうお終いだと言うように新しく竹筒に水を詰め直すと、渡しながら何事も無かったようにニコリと微笑んだ。
「今日も修理に行かれるんでしょう?」
「うん、そのつもりだけど、アンタはどうすんの?」
「俺はこの辺を見回っておきます」
「ふーん」
「ここで待ってますから、夜には戻ってきてくださいね」
「う、うん」
その台詞に、また例の金髪の子供のことが思い出されてきて、石垣を振り仰いだ。
「ね、俺が帰って来た時、その上に座って黄色い毒蛇と話してたりなんか、してないでよね」
「は?」
彼は訳が判らんというような顔をして笑った。 元気そうな笑顔が嬉しかった。 だが、自分が戻った時彼が話していたのは、毒蛇ではなかった。
・・・
その日の修理は、今までで一番上手くいった。 ウンともスンとも言わなかったスピーカからは、ノイズとは言え一応どこかの周波数帯から拾ったらしい音が聞こえてきた。 あとはチューニングをすればいいだけだった。 まだ安定していなかったが、それも明日には接続の弱そうな箇所を見つけて直せるだろう。 早く帰って彼に報告してやろうと、少し早めだったが井戸を目指した。 できれば日のある内に水で体を拭いて、汗臭い体を少しはさっぱりとさせたかったのだ。
彼は、朝と寸分違わぬ様子で石垣の上に座っていた。 ギクリと嫌な予感に身が震え、慌ててその足元を見るが、遠くからでは小さく細い蛇など見えるはずもなかった。 そんなにあの話の通りになんてなりはしない、と頭を振る。 だが、こちらに背を向けていた彼がちょっと左下を向いて口を動かしている横顔が目に入り、もう後はよく覚えていなかった。 多分無意識に銃を掴み、走り出していたのだと思う。 だからその時は、そんなに離れている彼と姿の見えないもう一人の話し声がどうして自分の耳にはっきり聞こえてくるのか、そんな事にも疑問を抱かなかった。
「でも別に、イルカ先生が食べなくてもよかったんじゃないのか? どっかに捨てちまうとかさぁ」
「そんなの一番に試したさ。 でも、少し経つと元通りに戻ってるんだ。 砂に埋めてみたりとか、粉々に砕いてみたりとかしたけどダメだった。」
「だからってさぁ…」
「多分だけどな、この世界には、この世界に属する物と属さない物の2種類しか無いんだな。 それで、この世界の物はその役割を果たすまではずっとそのままなんだ。 例えば同じ世界の別の物に混じっても元の位置に戻ってしまう。 食べ物だったら誰かに食べられるまでは食べ物であり続けるんだ。」
「その世界に属さない誰かに食べられるまでってこと?」
「お? いつになく鋭いな」
「冗談じゃないって! 体、やばかったんだろ?」
「まぁな。 でもあの水を飲んだから」
「間に合ってよかったってばよ…」
「心配かけたな。 で、俺の方から何か検出できたって?」
「おうっ ばっちりだぜ! 細かい事はよく知んないけど」
「そうか、よかった…」
「イルカ先生のガードが緩くて助かったって、綱手の婆ちゃんが言ってたってばよ」
「ほっとけ! …で、あの人の方は?」
「ああ、あのドアホは全然だめ! まるで貝みたいだってさ」
「そう…か…やっぱり…。 でもオマエ、上司に向かって”あの”はないだろう?」
「突っ込むのそこかよ。 ドアホの方はいいのか?」
「いいんだ! 俺も無事に戻れたら”このドアホ!”って怒鳴ってやるつもりだし」
「たらってイルカ先生… そんな言い方するなってばよ」
「おっと…帰ってきたみたいだ。 じゃあナルト、綱手さまによろしく伝えといてくれよ」
「う、うん」
あと10メートルほどの所で、両足を開いて腰を落とし、銃を両手で構えて待った。 やっぱりあの男、近くに仲間が居たんだ。 だからあんな有り得ない井戸の位置まで知っていて、こうやって俺が居ない昼の間に連絡取ってたんだ。 ちくしょうっ 信じた俺がバカだった! 頭の中は、裏切られたという思いでグラグラと煮え立っていた。 石垣の陰から出てきた瞬間を撃ってやろうと待ち構えていた相手は、だが、人間ではなかった。
「撃たないで!」
彼の叫び声にビクリと体が強張り、寸での所でトリガーに掛かった指が動くのを止める事ができた。 石垣の下の方からチョロリと飛び出てきた小さな影は、顔の大きさに不釣合いなほど大きく黄色い耳と、ふさふさした尻尾をピンと立てた小柄な狐だった。 そうだ、小さい頃図鑑で見た覚えがある。 砂漠に住む狐。 フェネック狐? 少年の頃、滅多に人前に姿を現さないというその狐に憧れ、どうにかして会いたいと熱望したものだ。 ポカンと見ていると、その希少な狐は5メートルほど走ってピタリと立ち止まり、こちらに向かって一声叫んだ。
「こんの ドアホ!」
そしてパッと夕暮れの砂丘の向こうへ消えて行ってしまった。
「ア…アンタ!」
理不尽に喋る狐に”ドアホ”呼ばわりされて、石垣から飛び降りて慌てた風にこちらに走ってくる彼に向かって怒りの声を上げていた。
「あ、あの狐! なんなの、いったい! なんで喋って? それに何? さっき言ってたのってアンタが昨日食べちゃった食料の事? ねぇ!」
自分でも支離滅裂になっていると感じた。 でも興奮と、裏切られたと思い込んで怒りと悲しみに打ち拉がれたさっきまでの嵐のような感情のやり場に困って、唯々彼を責めることを止められなかった。 そして、ちょっと微妙ではあるが裏切られた訳じゃあなかったんだ、という安心と嬉しさとホッと気が抜ける思いに、知らず涙が零れ出た。
彼は、何も言わずに困った顔で唯そばにオロオロと立っていた。 オズと伸ばされた手は、だが途中の空間で所在無げに留まり、こちらに触れるのを躊躇っている様子が伝わってくる。 だから自分から彼の肩を引き寄せて、ぎゅっと抱き締めた。
「心配した、石垣の向こうに誰か居て、アンタを連れてっちゃうんじゃないかって…」
「…」
答えない彼が不安で、尚抱き締める腕に力を篭めると、彼は背中を優しく叩いてくれた。 まるで母親が泣く子供にするように。
「大丈夫、大丈夫ですよ。 それに、修理、うまくいったんでしょ? よかったですね、これでアナタも還れます。」
「なんで…知ってるの?」
そう言えば、あの金髪の王子さまも飛行機の修理がうまくいったことを聞かなくても知っていたなと、その時哀しく思い出した。 そしてその小さな子供は、その夜の内に故郷の星に還ったのだ。
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