PEACE MAKER

-Colt, Single Action Army, Peacemaker-


2


 彼が来た翌日の晩、彼は拳銃に興味を示した。 見たことが無いのだと言う。

「このシリンダーの中に弾薬を込めるんだ。 薬室って言うんだけど、発射薬の爆発に耐えられるように鋼鉄で出来てる。 ほら、重いでしょ? だから精々5発か6発が限度らしい。 重すぎても困るし、薬室の壁が薄すぎると壊れやすいから。 それでこれが弾薬。 カートリッジになってて上部が弾丸、下部が薬莢。 この下の部分の薬莢に発射薬が詰まってて、お尻にある雷管を撃針で叩くと起爆する仕組みになってるんだ。 そのガス圧で弾丸が飛び出すって訳。 撃針はこの撃鉄が落ちることで前に押し出され、撃鉄はこのトリガーを引くと落ちる。 薬莢は薬室に残るから排莢しなくちゃならない、6発全部撃ったらだけどね。 次弾はこのシリンダーが回転することで装填される。 撃鉄を上げると同時にシリンダーが回転する仕組みだね。」

 人の持つ”チャクラ”とやらが彼には見えるのか、昨日の晩、絶対にできるはずだからと唆され、間抜けにも真剣に”壁歩き”に挑戦して何回も腰を打った。 彼があまりにも簡単そうにやっているので、うっかり自分にもできるかも、と思ってしまったのが間違いだった。 痛みに転げまわっていると、壁に貼りついたまま「おかしいなぁ」と首を捻っている彼が目に入る。 見下ろされ、なんだかバカにされた気持ちになり「おかしいのはアンタだ」と叫んでしまった。 できる訳ないだろう! 万有引力の法則がある限り、地球の上では質量のある物は須らく地面に落ちると決まっているんだ。 もしかしてアンタ地球人じゃないんじゃないのか?と喚きたて、昨夜は不貞寝をしたのだった。 今晩はそのお返しとばかりに、本当はあまり詳しくは無い近代武器についての講釈を滔々と垂れてやった。

「今は、トリガーを引くだけで撃鉄を起こすのとシリンダーを回転させるのと撃鉄を落とすのまで一度にやってくれるダブルアクション銃が主流なんだけど、これはシングルアクションだからね、ほら、撃鉄は自分で起こしてやらなきゃいけないんだ。 でもその分機構が単純だからトリガーは軽いし照準も合わせやすい。 ジャムったりもしないしね。」
「ジャムる?」
「機構が複雑になると、排莢時や次弾装填時に詰まったりして撃てなくなる事が多いんだ。 俺は銃を撃つ機会そのものが殆ど無いから、イザって時にジャムるのは困るし、それにメンテが楽だからね。 俺向き。」

 ふふっと笑うと彼も笑った。

「本当は、最後の理由だけで選んだんじゃありません?」

 そんな憎まれ口まで利く。

「ブブーッ それだけじゃありませーん。 これね、安いんだ!」
「なんですか、それ」

 彼はまた笑った。 でもちょっと心配そうな顔をする。 自分を守る武器には投資を惜しまないタイプなのだろうか。 そう言えば彼の武器はどれも凄そうだ。

「大丈夫だよ。 20年くらい前までアメリカの陸軍で採用されてたから信頼性は確かだし、市場にたくさん出回ってるってだけだから」
「そうなんですか? それならいいんですけど… アメリカって?」
「こことは違う大陸の大国」
「へぇ」

 そう言えば、彼の国も違う大陸だって言ってたな、と思い出す。

「ね、アンタの国に銃とか大砲とかっていう武器は無いの?」
「飛び道具の類は基本的に使いません。 持っている国ももちろんありますが、俺の里ではそういう音の出る武器は皆、敬遠します。 あ、でも火薬はつかいますけどね。」
「どうして音が出ちゃいけないの?」
「存在を知られる事を善しとしないからですよ」
「でも、所詮殺るか殺られるかでしょ、戦場では」
「いいえ、俺達の仕事は戦争屋ではないんです。 必要があれば戦いもしますし、そのための訓練も受けてますが、本来は諜報が生業です。」
「へー、スパイだね?」
「俺の国では、”忍”と言います」
「ああ知ってる知ってる! ニンジャでしょ?」
「そうです」

 これには驚いた。 どの国でも武器・兵器の近代化が推し進められているこの世の中で、そんな時代錯誤な職業を国を挙げて行なっている所があるなんて!

「ニンジャなら日本だね。 でも、あそこも今やヤマトとかいう大型戦艦やゼロ戦っていう物凄く小回りの利く戦闘機を作ってるはずだけどなぁ」
「日本ではありません。 火の国です。」
「うーん、それが聞いたことない国名なんだよなぁ。 いったいどこの大陸なんだろう」

 自分がこんな風に彼の国や職業について訝しく首を傾げると決まって、彼はふっと例の微笑みを浮かべたが、その顔がどこか寂しそうな感じがしてとても気になった。 だが、何をどう聞いていいのか判らなかったし、また彼との会話が自分にとって既に代え難いほど楽しいものになっていたので、無粋な質問をするのはなんとなく憚られ、大抵の場合は黙り込むことになった。 そしてそんな時は決まって、彼がこんな事を言い出すのだ。

「アナタは、お国に誰か大切な人が待っていないんですか?」

 或いは、恋人は居ないのかとか、部下はどうしているかとか、隊の同僚は心配しているだろうとか、そんな質問だった。 それにはいつも苦笑で応えるしか、自分は術を持たなかった。 国には年老いた母が一人いるはずだが、戦争で落ちぶれたとは言え古くからある貴族の家柄で生活に困っては居ない。 自分は頼られていたりはしないのだ。 それに、この人付き合いの悪さから恋人の一人もできぬまま戦地に来てしまったので、結婚はもちろん子供も居ない。 同じ偵察部隊の仲間達は恐らく自分の遭難を知っているはずだが、もう既に戦死したことになっているかもしれないし、そんな事に感けていられるほどのんびりしていられる戦況ではなかった。

「アンタはどうなの? 恋人、居るんでしょ?」

 同じ質問に、彼はちょっと顔を赤らめてコクリと頷いた。 なぜか胸がスクンと少しだけ痛む。

「いいな、居るんだね。 羨ましいな。 アンタも、そのアンタの恋人も。」
「俺の好きな人は、とても強い忍で人望もあって、だから任務も多くて忙しくて、いつも危険に身を置いてるような、そんな人なんです。 俺はアカデミーの教師だから、いつも里であの人を待っているだけで、還ってきても一緒に居られる時間なんか殆ど無くって、でも会えるとそれだけで嬉しくて…泣きたいほど嬉しくて…」
「でも、それじゃあアンタは寂しいね。 そんな危険な仕事は辞めてもらってさ、結婚しちゃえばいいんじゃない?」
「あの人が忍を辞めるなんて考えられませんし、それに結婚は…できないんです」
「どうして? 親とかに反対されてるとか?」
「いいえ、俺達二人とも両親はもう居ないんです。 それに回りの人達も皆、反対はしていません。」
「…ならなんで?」
「俺達、男同士だから」
「え…」

 これには絶句するしかなかった。 聖書で禁じられた禁忌の一つだ。 親からも教会でも、小さい頃からおぞましい行為だと戒められてきた。 そうは言ってもそういう性癖の友人はたくさん居るし、あまり拒絶感は無い。 だからと言って、自分がその対象になる事や、ましてや自分自身がそういう事をスルなど想像もできなかった。 

「そ、それは…あの、た、たいへんだね」

 思わずドモッテしまうのも止むを得なかった。 だが彼は、またクスリと笑みを零すと、そうですね、とだけ答えてそれ以上はこの話はしなくなった。 自分も触れることはしなかった。 でも、ずっと胸の奥に澱のように溜り、それは深く深く自分の中に浸透して何かをゆっくりと変えていった。

               ・・・

「水、無くなっちゃいました」
「な…んだって?!」

 彼が来て3日目の夕方、その日も修理が思うように進まず苛々して戻ると、彼がニコニコして水筒を振ってみせた。 引っ掴んで中身を確認したが、逆さにして振った飲み口からは最後の一滴が自分の乾いた舌にポタリと落ちただけだった。 二人で飲んでもまだ2日はもたせられると思っていたのに、これでは明日にも揃って砂漠で干からびるのは必至だ。 食料の方も慌てて確認すると、そちらもやはり空だった。 今自分の胃袋に入れられる物は、ポケットの中に入っている飴玉が二つきりだ。 信じられない! ちょっと考えれば判りそうなものなのにどうしてこんなと詰ると、彼はあのなんとも言えない微笑を浮かべて言うのだった。

「明日は修理を休んで、二人で水探しに行きませんか?」
「水を汲めそうな所は初日に一通り捜したよ! この辺にはなんにも無かった!」
「でも、俺の来た道の途中にたしか井戸が」
「井戸?!」

 そんな気の利いた物がこの砂漠のど真ん中にあるはずが無い。

「デタラメ言わないでよ! どこにそんな都合よく井戸なんか!」
「本当に有るんです。 案内しますから。」
「…」

 彼の真剣な黒い瞳が、真っ直ぐに自分に注がれる。 それを見せられると何も言えなくなってしまう自分を感じていた。

「嘘…じゃあないんだね?」
「こんな所でこんな嘘吐いてどうします」
「じゃあ、今晩のうちに捜そう。 夜の方が歩き回るには向いてる。」

 むすっとして歩き出すと、彼がととっと付いてきて横に並ぶ。

「方向、こっちでいいの?」
「ええ」

 案内役なんだからアンタが先に立って歩け、と喉まで出かかったが止めておいた。 なんだか喧嘩する気力も起きなかった。

「今晩中に見つからなかったら、俺達このまま行き倒れだからね!」
「大丈夫です、ありますから」
「どうしてそんなに暢気でいられるの?! 俺達死にかかってるんだよ!」
「怒らないでください。」

 だが、苛々が収まらずついブツブツと文句を垂れると、彼は足を止めて腕を掴んできた。

「井戸は必ずあります。 信じてください。」

 決して声を荒らげる事のない彼だったが、その黒い瞳で見つめられると何も言えなくなってしまう自分に更に苛ついた。 それに、掴まれた腕がとても気になって、乱暴に振り払ってしまった。 昨夜、彼がゲイであることを聞いてからというもの、体の接触に極端に過敏になっているのを感じる。 嫌悪だろうか? いや、違う。 それなら俺は… とそこまで考えていつも思考を遮断した。 先を考えるのが恐かった。

「…ごめんなさい…」

 彼は立ち止まって小さく謝った。 振り向くと、二三歩遅れた場所で自分の右手を左手で掴んで、俯いて立ち尽くす彼が居た。 どんなに詰っても、食料と水を一人で食べ尽くしてしまったことには未だに一言の謝罪の言葉も無いのに、腕をちょっと振り払らわれた事には捨てられた子犬のように悄然とする彼が、今の自分にはどう接してよいのかまるで判らない手に余る存在以外の何者でもなかった。
 それからの数時間は、二人とも一言も喋らず黙々と歩いた。 そして夜が明ける少し前頃に、井戸は見つかった。

               ・・・

 驚いたことに、やはりその井戸には石組みの囲いと滑車と釣瓶とが揃っていた。 サハラの真ん中などにあるはずの無い井戸だ。 脇に崩れた家壁の残骸のような石垣があり、適度な日陰を作ってくれそうだった。 その証拠と言うか、井戸とその石垣の間の僅かな空間にだけどこかしっとりとした湿った空気が漂い、薄っすらと丈の短い青草さえ這え揃っている。

「アンタはやっぱり星の王子さまだ」

 滑車の縄を握って手繰り寄せると、ギィギィと古びた音が夜明け前の静かな空気に響いた。

「”井戸が目を覚まして歌ってる”なんて言うなよ」

 現実の井戸を目の前にして、釣瓶がポチャンと水音を立てるのを耳にして、自分はすっかり機嫌を直して冗談混じりに彼を振り返った。 彼は相変わらず二三歩後ろに立っていた。 「ほらね、言った通りだったでしょう」とか言われるものとばかり思っていたのに、彼は一言も喋らずぼんやりしている風だった。 そしていきなり、枯れ木が倒れるようにぱたりとその場に倒れ伏した。




BACK / NEXT