PEACE MAKER

-Colt, Single Action Army, Peacemaker-


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 燃料タンクに穴が開いているようだった。 急激に質力が落ちていくエンジンが掠れたような音をさせては時折完全に無音になる。 それを騙し騙しなんとか海岸線まで持ち堪えさせようとありとあらゆる手を尽くした。 だが努力虚しく愛機は墜落した。 母国からは数千マイル、最も近い人里からも千マイルは離れた、砂漠の真ん中だった。


 2次大戦下のリビア戦線。 自分は偵察任務でジブラルタルからモロッコへの航路に居た。 運の悪いことに敵機に遭遇。 エンゲージを避けて逃げるも銃弾の雨を浴び、その幾つかを被弾。 しかも逃げているうちにサハラの方へ入り込んでいたらしく、生還できる可能性の限りなく低いその死の砂漠の真ん中に不時着を余儀なくされた。 夜だった。 追尾してきていた敵機も、こちらの墜落を確認するや機首を返した。 生死を確認する必要の無いことを、彼らもよく知っているのだ。 だが幸か不幸か自分は殆ど怪我もなく、果てしなく続く砂丘の波の一つに足を下ろしたのだった。

「エンジンは…ま、直ったとしても燃料が無けりゃおんなじか。 無線機も死んでる、と。 でもこっちは何とか修理できそうかな。」

 生き延びるには助けを呼ぶか、自力でこの砂漠を抜けるかだが、後者は限りなく不可能に近い。 運が良ければ友好的なベドウィンにでも拾ってもらえるかもしれないが、ヨーロッパ人に対して友好的なベドウィンがこれまた限りなく少ないのも周知の事実だった。

「皮を剥がれて死ぬのは嫌だな」

 それとも、”女”として飼われるか…。 どっちも御免被りたい。 取り敢えず武器の確認をする。 軽さが身上の単発機だ。 重い銃器など望めるべくも無いが、辛うじて6連のシリンダ銃が一丁だけ、自分の腰にぶる下がっていた。 弾はフル装填してあったが予備弾は無い。

---まぁ、囲まれたらこれじゃ役にたたないけど、皮を剥がされる前に楽な死に方を選ぶことはできそうだ

 ふぅっと一つ溜息を吐き、次に食料と飲み物の確認。 食料は携帯食が一箱と飴玉が数個。 飲み物は水筒が一つだけだった。 中身には殆ど手をつけていなかったが、コレだけでサハラを抜けることが不可能なのは、毎日その殺伐としていて尚神々しいほど容赦の無い砂の連続を眺めていた自分には、判りきっていることだった。

「とにかく、節約すればこれで1週間はいけるかな。 その間に無線を直すしかなさそうだ。」

 これからの方針が決まると途端に気が抜け、今は動かぬ愛機の下にずるずると座り込む。 撃墜されたのだ。 今までだって何回もあった事だが、今回は最高に運が悪いことに砂漠の真ん中だ。 今度こそダメかもしれない。 両手で顔を覆うと目を瞑り、とにかく今夜は眠ってしまおうと思った。 無線は日中の光が無いと直せまい。 だが、今は凍えそうに寒いがここは砂漠なのだ。 昼がくれば40度以上の熱気に耐えねばならない。 眠ろう。 体力を温存しなければ。 昂ぶった神経をなんとか治め、凍えた身体を抱き締めた。

               ・・・

「くそっ」

 無線の修理は思うようにいかなかった。 工具は基本的なものしか無い。 真空管も幾つか切れている様子だが、もちろん換えなど無い。 生きているものだけで何とかモールスを送れるようにはできそうだったが、ともすれば機械内部まで入り込んでくる砂に悩まされ、接続不良が作業を遅々として進ませなかった。 墜落してから3回目の夜が来ようとしていた。

「まぁこれで砂嵐なんか来た日にゃあ、俺なんかあっと言う間に死んじまうんだから、まだ運がいいってもんさ」

 言い聞かせるように独り言を呟き、滴る汗を拭う。 水が心許なくなってきていた。 明日中に直せなければ、もう諦めた方がいいのかもしれない、と銃を見つめる。 それは、アメリカで大量生産されたリボルバー拳銃で、「PEACE MAKER」という銃の特性からはおよそ不似合いなニックネームを持っている至極一般的な低価格銃だった。 偵察専門で交戦する機会などは滅多に無いし、元々ただ飛ぶのが好きなだけで空軍に入ったので、銃には殆ど関心が無い。 だから、トリガーが軽くてメンテが楽で、加えて安価だというだけで選んだ銃だった。 これといった思い入れも何も無い。 だが今はコレが、自分に最期の引導を渡してくれる大切なモノとなりつつあった。 考えないようにはしているが、恐怖はじわじわと心と体を蝕んでくる。 確実に忍び寄る死の影。 それも餓えて乾いて苦しみながらの死だ。 だが、それよりも何よりも自分を憂鬱にさせ気力を奪っていったのは、全くの孤独だった。 これには少なからず驚いた。 自分はどちらかと言うと、群れずに独りで居ることを好む人間だと、ずっと思っていたからだ。

「とにかく…明日一日は何とかがんばって…」

 うっかりすると侵食してくる諦観、そして絶望を、一回頭を振って追い払い溜息混じりにそこまで呟いた時、彼がそこに立っていた。

               ・・・

「こんにちは」

 どこから現れたのか、突然その空間に湧いて出てきたように彼はそこに立っていた。 あまりに驚きすぎて声が出ず、持っていた拳銃も役立たずだった。 だが、ハッとして我に返ると共に銃を持ち直す。

「水を分けていただけませんか?」
「オマエは誰だ? どこから現れた?」
「俺は…」

 彼は、「羊の絵を描いて」とは言わなかった。 そんな事を言われていたら、自分はうっかり発砲していたかもしれない。 だってそうだろう? 果てしないサハラの砂漠と撃墜された飛行機。 ひとりぽっちの自分。 このシチュエイションでこんな登場人物が現れた場合、誰だって一人の子供を思い浮かべる。 だが彼は子供ではなく金の髪でもなく自分と同じくらいの体格の大人の男で、突きつけられた銃に怯む様子も見せずに、ちょっと振り返って砂丘の一つを指した。

「あの向こうから」
「バカを言うな。 あの向こうもその向こうも、ずーっと砂丘しか無いはずだぞ。 どこからどうやって来たんだ? 飛行機か?」

 段々落ち着きを取り戻してくると、現実的な問題解決方法に飛びつく自分が居た。 飛行機が有るなら奪ってでも、と思ったのだ。 とにかく敵か味方か、それを判断しなければならない。 敵で無いなら何とか友好的に話し合って助けてもらおうと、相手の様子を窺った。 人種・服装などからどこの国の者なのか探ろうとしたのだ。 だが、彼は見たことも無いような不思議な服装をしていた。

「東洋人か?」

 頭頂部で一束に束ねた黒い髪、濡れた黒曜石を思わせる瞳、磁器のような肌、それだけ見れば日本人か、中国人か。 だが服装にはとんと覚えが無かった。 日本や中国の軍服は一応知っていたのだが、そのどれでもない。 彼のいでたちは、額に金属製の板の嵌った鉢巻のような物を巻いており、黒っぽいタートルネックのアンダーウエアーと揃いのズボンに草色のベストというものだった。 後で判ったことだがその黒っぽいアンダーウエアーの上下は、通気性・伸縮性に富んでいるだけでなく、非常に耐久性も高く丈夫な見たことも無い特殊素材で作られていた。 恰好ばかり追求した各国の軍服よりもよっぽど実用的な代物だ。 それなのに足元は爪先や踵が露出したサンダル履きという不可解さだった。 だが、それよりも何よりも言及すべきはそのベストだ。 厚く綿入れのような弾力があり、多少の衝撃などは吸収してくれそうだった。 その上、芯に何か軽く丈夫な金属繊維が入っているのか、運動性を妨げる事無くある程度の銃弾や刃物の貫通を防いでくれるらしい。 自分の知っている限り、そんな金属はミスリル銀しかなかった。 でもそれは御伽噺の中にしかないはずの代物だ。 信じられない。 しかも、そんなファンタジー要素はそれだけではなかったのだ。 そのベストの胸の両側の部分に幾つかポケットがあり、そこには中国の仙人が使いそうな巻物や、丸薬、針型の武器などが収められていた。 巻物の使い道も丸薬の効能も、それはそれはファンタジックなものだっだ。 だがそれらについては、後になって一つ一つ根掘り葉掘り聞いた事で、この時はまだ全く想像もつかなかった。 だから、そんな胸ポケットに時代遅れとは言え武器が入っているなどとは思いも寄らず、唯々何人なのかとそのおかしな服装にのみ気を取られた。

「火の国、木の葉の里から来ました」
「そんな国、聞いたことがないぞ」
「こことは別の大陸です」
「嘘を吐け。 俺は一応世界中の国の名は言える。」
「でも…」

 男の言うことは一向に要領を得なかった。 だが嘘を吐いているようにも見えず敵意も感じない。 かと言ってコイツに飛行機を期待するのも無駄なようだという事が判り、がっかりと肩を落とすと共に銃も下げた。 相手に争う意思が無い以上、こちらも無駄にテンパるのは体力が勿体ない。 それに、味方かどうかは判らないが敵でも無さそうな人間を前にして、数日間の孤独の反動か、無性に何か話したくて堪らなくなっている自分を抑えることができなかった。

「すまない… 三日前に敵に撃墜されてな、アンタみたいな恰好の人間を見たことがなかったもんだからつい、警戒しちまったんだ。 許してくれ。 水ならこの水筒に少し残っている。 飲んでくれていいよ。」
「ありがとうございます」

 銃などを向けられた事に対して何言うでもなく、彼は柔らかな笑みを浮かべて水筒を受け取ると、少しだけ口に含み、ワインでも転がすように暫らく口の中で味わってからコクリと喉を上下させた。 その様に、彼もこの砂漠を彷徨って乾いてここまで辿り着いたのだなと、勝手に解釈して同情した。 何にせよ、独りでなくなったのが心底嬉しかった。

「名前は、何て言うの?」
「俺ですか? 俺はイルカです」
「イルカ? 変な名前だな。 どういう意味なんだ?」
「海洋生物の海豚の事を、俺の国ではそう呼ぶんですよ。 アナタの国では何と呼ぶんですか?」
「ドルフィンかな。 でもやっぱり変な名前だ。 海の海豚の事を名前にするなんて! や、失礼」
「いいえ、俺の国ではこれが普通なんで。 それに俺、苗字が海野なんです、だから…」

 そこまで言うと男はクスリと笑った。

「え? じゃあ海野イルカ? 海のイルカ、まんまだな!」

 気がつくと、ははははと声をたてて笑っていた。 何日ぶりだろうか、こんな風に笑うのさえ随分と久しぶりだ。 不思議な雰囲気の男だな、と惹き付けられるのを感じはしたが、その時自分が失礼にも名を名乗り返さなかった事にも、彼が敢えて名を聞いてこなかった事にも気付かず、それを妙だとも思わなかった。

               ・・・

 それからの2日間、日中は無線の修理をし、夜は彼と色々な話をした。 彼のほうはと言うと、自分が作業をしている間は、ただブラブラとそこら辺を歩き回っているばかりだった。 時折訪れる人間以外の生き物に話しかけたり、地面に棒を立てて日時計を作ってみたりと、遊んでばかりだ。 だが、手伝いが出来るほど機械に強いという訳ではないことは聞いていたので、作業中煩く話しかけられるよりはいいかと放置していた。 早く修理を済ませないとその話すらできなくなってしまうのだ。 それも今は二人分の命がかかっているとなると、焦る気持ちも数倍だった。 この短い間でも、その位には彼の事が好きになっていたし、どうしてか前より幾分前向きな気分になっていた。 夜になり、二人で並んで砂の上に身体を横たえ、お互いの物珍しい話を聞き合う時間がとても楽しみだった。


「教師?」
「はい」

 彼に会った最初の夜、それまでの寂しさを埋めるように多くの色々な話をした挙句、彼の職業を聞いた。 教師という職業はとても彼に似合っているように思えた。 彼は、砂漠で無線を修理するには役立たずだったが、その他の一般的な事柄についてはとても物知りだったし、物腰柔らかで押し付けるところがなく、子供相手に上手くやっていけそうな人柄だと感じられた。

「これは何? ハーケン?」
「あっ 気をつけて! 刃の部分は触らないでください。 手が切れますから。」
「え? これって武器なのもしかして」
「そうです、クナイと言うんですよ」

 彼の腰のポーチや太腿に括りつけられているホルダーから色々な見たことも無い道具を取り出しては、これは何でどう使うのかと質問攻めにしてみたりもした。 まるで原始的な武器ばかりだったが非常によく手入れされていて、刃物などは触れただけで皮膚が裂けた。

「ハーケンっていうのは何ですか?」
「ああ、それは崖登りの時に使う道具の名前なんだ。 調度こんな感じに頭の所にリングが付いてるボルトでね、岩壁にハンマーなんかで打ち込んでカナビラとかアブミを付けたり、そこにザイルっていう丈夫なロープを通したりして使うんだ。 こんなに尖ってないし手も切れないけどね。」
「へぇ、そんな風にして登るんですか。 大変そうですね。」
「まぁね」

 人口登攀は金持ちの道楽だ。 知らなくても仕方ない。 彼が自分のポーチから救急セットを取り出して指の怪我を手際よく手当てしてくれている間、彼となら同じザイルに繋がってもいいかななどと、会ってまだ間もない相手なのにもう何年も友情を育んだ親友のように感じている自分がおかしいと内心で笑う。 きっとこんな状況だからそんな風に感じるのだろう。 吊橋効果ってヤツだなと、絆創膏を巻かれた指を見つめた。

「もし…もしさ、無事に帰れたらさ、俺と一緒に山に行こうよ。 教えてあげる。 俺、これでも結構上手いんだ。」
「崖登りにですか? いいですね」

 彼がにっこり笑うので、何か胸の奥の方からぽわんと暖かくなって何だか顔も熱くなり、慌ててそっぽを向いて咳払いをした。 東洋人に会ったことが無い訳ではなかったが、こんなにエキゾチックであることが魅力と直結していると感じた事は初めてだった。 そっと振り返ると、まだニコニコとした彼の顔が待っていた。

「じゃあ俺も俺の国の崖の登り方を教えてあげますね」
「アンタの国の崖登りって?」

 崖登りには2種類しか無いと思っていたが、フリークライミングの事だろうか? それとも別の手法があるんだろうか? アレコレと首を捻っていると、彼はすっと立ち上がって飛行機の機体の壁に向き合った。

「俺達はこうやって登るので、特に道具は使いません」

 言った途端、壁に足の裏を付けて彼は機体を登り始めた。 まるで地面を歩くように壁面を歩くので、自分の方が地面に対して直角には立っていないんじゃないかと錯覚するほどだった。

「す…っごい… アンタ、魔法使いかなんかなの?!」
「魔法使い?」

 ”ウィザード”と言う言葉の響きがおかしかったのか、彼は声をたてて笑った。 その笑顔と声に何かデジャヴを覚え、目の前の信じられない光景に驚く気持ちの他に、どこか居心地の悪いような気分になった。 だがそれも、次の彼の言葉でどこかへ吹き飛んでしまった。

「魔法なんかじゃありませんよ。 これはチャクラという体内エネルギーを操る技で、アナタにもできます。 できるどころか簡単なはずです。 だってアナタは…とても強大なチャクラの持ち主なんですから。」




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