My Funny Valentine
1
イルカが髪を切った。
朝、腕の中で項や耳朶や細い顎のラインが露になっているイルカを見ると、もうどうしようもなく欲情してしまう。 それまでのポニーテールにできるくらいの長髪を、ばっさりと惜しげもなく切ってベリーショートにしてしまったイルカは、とても色っぽかった。 イルカの髪紐を解く瞬間をこの上なく愛していたカカシは、それに関しては非常に残念だったが、それよりも何よりも、イルカの色気に毎朝懊悩させられることの方が問題だった。 否、問題視しているのは寧ろイルカの方だろうか。 前夜にこれでもかとイタされているにも関わらず、こうして今朝もまた気付けば身の内にカカシを感じて目覚めるのだから。
・・・
きっかけは、カカシの油断だった。 玄関ドアをしっかり閉めずにイルカに接吻けた所を盗撮されたのだ。 奴等は忘れた頃にやって来る。 怒ってみても喚いてみても撮られてしまった物はどうしようもない。 紅に頼るしかなかった。 年が明けて直ぐだった。
紅の対応は早かった。 イルカを書類上半年前から事務所所属の演奏家としてしまい、先生の方へも連絡を入れて事務上の操作を依頼、イルカが紅音楽事務所の社宅にカカシとルームシェアしている事にしてしまったのだ。 幸いというか、写真を撮られた時イルカは髪を解いていたので、スクープ記事もカカシが”女”と同棲か?と載った。 だからイルカが男である限りはごまかせる、否、ごまかし通す! 紅はそういう女だった。
「という訳でイルカちゃん、髪、切りましょうね」
「はい、ばっさりやっちゃってください」
「待ってくれよぉッ!!」
カカシが幾ら泣き喚いても、その決定は覆らなかった。 事務所の一角で葬式なんかで貰う風呂敷を肩に巻いたイルカの後ろで、ジャキーンとでかい裁ち鋏を構えた紅が立っているのをカカシは見ていられなくて、後ろを向いてサメザメと泣いた。
---みんな俺の所為だ、ごめんなさい、イルカ先生ッ
あの奇麗な髪が無くなってしまうなんて! あの黒くってしっとりしててサラサラしてて、俺が揺すれば背中で、肩で、踊るように散るあの髪がぁ! カカシの悲嘆は深かった。 だが、そんなことは奇麗さっぱり無視されて、じょきじょきと鋏の音が続き、何分経っただろうか、カタリと硬い物を置く音と共に紅とアスマの何とも言えない声がした。
「あ…ら」
「うーん」
それっきり音が止む。 いったいどうしたんだ? イルカ先生、どんな髪型にされちゃったんだ? そんなに酷いのか? ダサダサの髪型なんかにしてみろ、紅のヤツ唯おかねぇ。
「あの…へ、変ですか?」
イルカの不安気な声。 ああ、やっぱり紅なんかに任せるんじゃなかった、ちゃんとどこか美容院に行ってやってもらうべきだった、幾ら証拠隠滅ったって素人が切るのなんか嵩が知れてる。 だが続く会話にまた耳がピクリとさせられた。
「あたしって天才?」
「ってーか、これ、拙くねぇか?」
「あ、あの…」
「どうしてよ? すっごい…何て言うの? 素敵にできたわ」
「素敵ってーかよ、もっとこうぴったりくる違う表現があるだろ」
「た、確かに… えーと」
「俺、変ですか? 鏡ありませんか?」
「変じゃないわ、ほらアスマ、ちゃんと言ってやってよ」
「そうだぜ、変じゃねぇ。 ただな」
「な、なんだよ! どうなったんだよ?!」
カカシは我慢できずに振り向いた。 だが、座るイルカの前に並んで腕を組んで立ちはだかる紅とアスマの背中しか見えない。
「おいっ」
「おまえは今見るな」
「なんでー、イルカ先生、大丈夫ですか?!」
「失礼ね、全然オッケーよ。 ただアンタにはちょっと刺激が…」
「どけよっ おまえらっ!」
ガタンと椅子を蹴り、二人の肩を押し退け、片手で頻りに頭を気にしながら椅子に座っているイルカの姿を見た途端、カカシはうっと呻いて鼻に手を押し当てた。
「だから言ったじゃねぇか」
「もう、カカシっ 床汚さないでよ!」
「イ゛、イ゛ル゛ガぜんぜぇ〜」
指の隙間からぼたぼたっと鼻血が零れた。
・・・
「う… うん、んん」
接吻けで口を封じ、カカシは朝日の中でイルカを組み敷き、足の間に身体を滑り込ませる。 両手は顔の脇に縫い止め、逃げる顔を追い回し、苦しげに上がる顎のラインが奇麗に晒されて、耳や顳の生え際や眉や、いつも半分以上隠れている部分がはっきり見えてそれがきゅっと寄せられたり顰められたりしているのを目にしたらもう全然我慢など利かなかった。
「イルカ先生、ごめん、もっかい抱かせて」
「カカ……ん、は、カカシさん」
イルカは観念したように一回溜息を吐くと、目を閉じて頷く。 ここ1週間ほど毎朝これの繰り返しだから、もうしょうがないと思っているのかもしれなかった。 それに、紅からイルカには暫らくの間外出禁止令がでていたから、自分のオケへ出勤することもできないし買い物へも行けないし、諦めているのだろう。
「手、離して」
「うん」
自由になった両腕を物憂げに首に絡ませ、誘うように足を開くイルカ。
「もう…、一回だけで、うんっ」
一回で済みっこないので言葉を奪い、カカシはイルカの身体を丁寧に開き、そのクラクラするような色っぽい顔を見ながらイルカを愛した。
・・・
兎にも角にも、紅とアスマはイルカを守った。 まぁついでにカカシも守った。 イルカは理不尽な質問攻めに遭うことも無く、あれ以上写真を撮られることも無く、雑誌に載った写真は女性として扱われカカシに女性の影を捜す方に精力が注がれたらしい。 仕事に行けない事だけがイルカにとっては辛いところだったが、繁忙期でなかったのが唯一の救いだった。 だがイルカのフラストレーションはかなりキテいた。
「一緒に買い物に行きたいです」
自分が帰宅するのを待ち受けていたようにしがみついてきて、かわいく駄々を捏ねる。
「もう少しの辛抱ですよ、イルカ先生」
意外と淡白なイルカがそんな風にする事が今までなかったので、カカシはそんなイルカを宥め賺すのも嬉しいやら楽しいやらでルンルンで飛んで帰った。
「一緒に公園に散歩に行きたいです」
「それもまだダメです」
「一緒にコンサートにも行きたい」
「そうですね、行きたいですね」
「CD屋さんにも行きたいし、食事にも行きたいし、お酒も飲みに行きたいです」
「俺が買ってきてあげるから、ね」
「カカシさんと一緒に行きたいんです」
「キス、していい?」
「もう、なんでそうなる…ん、んん」
だって、言ってる事もかわいいし、喋り方もかわいいし、顔もかわいいんだもん。 元々小さかったが、更に一回り小さくなったように感じるイルカの顔。 こんなに細面だったのかとか、こんなに耳が薄かったのかとか、喋る時こんな風に顎とか頬とかが動くのかとか…。 ああ、どれをとってもかわいいし、色っぽい。 これはある意味凶器だろう。
「カカシさん」
ちょっと涙目になってぷぅっと頬を膨らませて睨みあげてくるイルカ。
だからそれ堪らんって
「ベッド行こうか」
「もう! だからなんですぐそうなるんです?!」
だって、欲情しちゃうんだもん!
・・・
紅の事務所は同じマンション内にあったので、そこへだけは連れ立って行く事ができた。
「だいたい、オートロックが売りのマンションなのに、なんでアイツは入れたんだ!」
「入る方法は幾らでもあるでしょ。 宅配屋さんと一緒に入り込むとかさ。 管理会社にはちゃんとクレーム付けといたから、少しは気をつけてくれるんじゃないかしら」
「そもそも、おめぇが油断したのがいけねぇんだ。 スクープ屋じゃなくたってな、近所のオバハンに見られただけだって噂にされんだぞ。 ドア越しにキスなんかするな」
「そうよぉ。 それにアンタ達、セックスはちゃんと寝室でしなさいよね。 年末に行った時、玄関の外まで丸聞こえだったわよ、ねぇ」
「おう、そうそう。 イルカちゃんのかわいい声、ゴチになりましたってなもんだったぜ。」
「え?! そーそそそそれは、あの…」
「なぁんだ、やっぱりあの時来たのおまえらだったんだ。 そうじゃないかって思ってたよ」
「無視しやがったくせによ、よく言うぜ」
「いいとこ邪魔すんなよ」
「そ、そんな… カカシさん、判ってて?」
「今度からは寝室でおヤンなさいね、イルカちゃん。 あそこは防音効いてるから。」
「カカシの練習用にリフォームしたの、無駄じゃなかったな、え?おいカカシ」
「なんだよ、練習だってしてるぞ、偶に」
「カカシさんっ 知っててヤッテたんですか?!」
「あーあの、イルカ先生、知ってたっていうか、ほら、アレですよ」
「何ですか!」
「あ、あの、あのぉ不可抗力っていうか… ごめんなさいっ!」
「もう知りません! 俺、俺、もうオケの練習場に行きますっ それでナルトのとこに泊めて貰いますっ もうアナタなんか知りませんっ!」
「そんなぁ、イルカ先生ぇ」
「あ〜らら、泣かしたぁ」
「泣かした泣かしたぁ」
「おまえらっ 突くなよ! イルカ先生、それでなくっても外出られなくて苛々してるんだから。 イルカ先生、待ってぇ」
「ああ、そのことなんだけどね」
事務所のドアの所でプンプン出て行こうとするイルカを抱き締めて止めついでにキスなんかもイタそうとするカカシを、有らん限りの力でかわいらしく抵抗しているイルカ。 怒ってピンク色に紅潮させた頬や、今までは見えなかった顰められる眉なんかが本当に、本当に…色っぽい。 カカシはイルカの両手で頬を両側に思い切り引っ張られながらも、へにゃりと鼻の下を伸ばした。
---ああ、かわいいっ 食べちゃいたいっ
「バカカシっ 話聞けよ」
「イルカちゃんも、外に行けるようにしたげるから戻ってらっしゃい」
「ほんとですか?!」
イルカはカカシの頬からパッと手を離し、抱き込む腕から逃れようともがきだした。
---いいからいいからイルカ先生、外なんか行かなくってもこのままずーっと…
「え? 外? だ、ダメっ 絶対ダメ!」
「なんでですかぁ。 俺もう限界です。 行きますから、外!」
本屋さんへ行ってCD屋さんへ行ってレンタルビデオ屋さんへも行って、それからご無沙汰している八百屋のおばちゃんと魚屋のおじちゃんの顔見てスーパーで思いっきり買い物するんだぁ、と主婦みたいなささやかな望みを喚いて腕の中で暴れるイルカ。 苛々がピークに達している上に、年末の恥ずかしい自分を思い出させられ、それが紅達に知られていたと言われ、もう完全に切れている。 かわいそうだとは思ったが…
---だってだって、こんなかわいくって色っぽいイルカ先生、誰にも見せらんない!
それに、毎日自分のことだけ待って家に居てくれるイルカ、その安心感。 他の男の目に晒されることへの不安が無いことが、こんなにも自分に安心を齎してくれるなんて知らない方がよかったのかもしれない。 それに、イルカの明日の仕事を気にする事も無く、思い切りイタスこともできる。 本当は毎日だってそうしたかった。 もうこのまま専業主婦になってくれたらどんなにいいか。 そう思っていた。 そんな風に縛り付ける事を不自然とは思わなくなったら危ないと、どこかで判りながら。
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