淋しい兎は狼にその身を捧げ
- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -
30
「三代目の命令がどうのと言ってましたけど、あれは何なんですか?」
「あ、あれは…」
帰り道、背中でクタリとしているイルカに思い出して問うてみると、イルカは口篭った。
「カカシさん、ナルトを介して知り合う前から俺のこと知ってましたか?」
「ええ、一応は」
「三代目に俺を守れって命じられてたんですか?」
「はぁ? そんな訳ないでしょう」
「え、でも…、じゃあ何で俺のこと守ってたんですか?」
「あなたを俺が守ってた?」
抱いていた時も感じたが、今背中に当るイルカの身体から熱が伝わってきて胸が痛い。 間を措かず無理を強いたアナルも酷く傷ついていた。 だが、あの場所での行為には全く後悔がなかった。 寧ろ清々した気持ちだった。 それに何故かイルカも怒らなかった。 いつもなら事後にグチグチと詰られるところを、おとなしく処理をされ素直に自分の背に負われている。 余程身体の具合が悪いのかと心配になった。 それも勿論あったのだろうが、その真の理由については後で五代目から散々説教される目に遭うまで気付かなかった。
「あの、英照殿が夢で俺にそう言ったんです。 お陰で俺に禍蛇が堪らなかったって。 大方三代目あたりに命じられたんだろうって」
「俺が三代目に守るように言われてたのはナルトの方ですよ。 結果的にあなたも守ることになったかもしれないけど、俺はその時は意識してなかったですね。 あなたとナルトはセットみたいな感じだったから」
「ああ、そっか、そうですよね。 俺も変だとは思ったんですが」
「今ならナルトなんか放ってあなたを守りますけどね」
ふふっと笑ってちょっとイルカを揺すり上げると、イルカは「ナルトをちゃんと守ってください」と小さく呟いた。 自分の事は二の次だと言うイルカの態度が哀しくなり、どうしたら自分の価値に気付いてくれるだろうかと思案し、思い出した事を話すことにした。
「それともう一つ。 あなたは里があなたを助けたのは篝だからだと言いましたけど、木の葉の里は、喩え成りたての下忍一人でも全力で助けようとしますよ。」
「はい」
里を愚弄するような発言に関しては、イルカも少し反省しているようだった。 首に縋る腕にちょっと力が篭る。 イルカの言ったことが強ち嘘ではないとカカシにも判っていたが、だがそれだけではない事も判って欲しかった。
「それにね、あなたが使ったって言う残像と残響を拾うあの術ね、暗部の間では”残り香の術”って言われてて凄くよく使われてるんですよ。 俺も一応術式は知ってましたけど、開発者があなただってのは知りませんでした。」
パックンから様子を聞いた時に直ぐにあの術だと思い至った。 結界の事も含め、これは調べねばなるまいと暗部の情報処理部へ走った程だ。 そこで再度驚かされた。 元暗部とは言え今は部外者の自分に暗部のデータは開示できないと渋る情報処理担当官が、イルカの名を出した途端、態度を軟化させたのだ。 剰え、次々と引き出され表示されていくデータの数々に呆気に取られた。 それは、暗部の者なら誰でもアクセス可能な技集とでもいうべきもので、あらゆる術や忍具・トラップなどが一つのフォルダに纏められた物だった。 各家に伝わる秘伝とされる術や技まで実は載っている。 直系でなくてもその血に連なる者の中には、突然変異的に能力に優れた者も確かに居るからだ。 それに、そういう大技だけでなく通常よく使われる術でも、効果が同じならよりチャクラの消費量が少ない術とか、新しくより効果の大きい術などを常に知っておく事が、任務遂行率を、延いては自らの生還率を上げる結果になる。 自分も暗部時代には結構世話になった。 術の開発者の名は通常伏せられていたが、担当官は見せてくれた。 イルカの名がアクセス数上位ランキングの3割りを占めていた。
「技ノート?」
「ええ、俺達はそう呼んでました。 普通の暗部には開発者名へのアクセス権がないので知らなかったんですよ。 吃驚しました。」
「へぇー」
「あなたのこと、絶対守ってくれって頼まれました。 あなたが居なくなると困るって」
「…全然、知りませんでした。」
イルカは少し声を小さくして頬を掻いた。 照れているようだった。
「でも、あなたには報奨金がかなり出ているはずですよ? 気付きませんでしたか?」
「そう言えば、何か訳わかんない金額が給料に付いてる事、偶にあったかも。」
暢気な事だ。 だが、それでいい、とカカシは口端を引き上げて微笑んだ。 自分に価値のある事を自覚してくれさえすれば、他の事はどうでもよかった。
「でも、”残り香の術”かぁ。 すてきなネーミングですね」
感心する所はそこかい、とカカシは笑いながら相槌を打った。
「あなたは何て付けたんですか?」
「えっと、あれは…残像残響取得術、かな」
「まんまですね。 他にもありましたよ、”合わせ鏡の術”とかね」
「合わせ鏡?」
「そうそう、ヘッドセットなんかが無い時に離れた仲間と簡単に音声でやり取りできるようにする」
「ああ!」
イルカはポンっと手を打った。
「”月は幽玄のデバイスの術”ですね」
「月はゆう…、なんですか、それ」
「え…、ちょっと当時読んでた小説にインスパイアされて作ってみた術だったんで…」
と恥ずかしそうな声を出して頬を掻いている。 普段節操無しのくせに、変なところで恥ずかしがるんだな、とカカシはまた少しイルカの知らなかった面を垣間見た気がして嬉しくなった。
「電波を使うと簡単に盗聴されてしまうので、暗部はあんまりヘッドセットとか使わないんですよ。 だからあの術は重宝がられてます、とっても」
「へぇー」
他人事のように感心しながら、”合わせ鏡の術”かぁ、言い得て妙だな、などと言っていたイルカが、ふと何か思い出したのか後ろからカカシの顔を覗きこんできた。
「あのぉ、あのですね、”案山子”って技、ありました?」
「えっ アレもイルカ先生だったの?!」
その自分の名前を冠した技は自分がまだ暗部に所属していた頃からあった技で、術というには大袈裟な他愛もないものなのだが効果が絶大で、一頃暗部内で大流行したカカシにとっては大迷惑な技だった。 仲間が任務から還ってきて、今日は”案山子”をやって大成功だった、と面白おかしく他の仲間やカカシ本人に話すのが楽しい、という唯それだけのために有るような技でカカシ本人には使えない類のものなのだ。
「俺、アレの所為でさんざん恥ずかしい思いしましたよ〜」
「す、すみませんっ」
申し訳なさそうな声で小さく後ろから謝ってくる。
「でも、イルカ先生あの頃から俺の事知ってたの? アレって俺の事でしょ?」
「はぁまぁ、カカシさんは有名でしたからねぇ」
「それだけ? もしかしてあの頃から俺を好きだった?」
ねぇイルカ先生、とカカシは猫撫で声を出して背中のイルカを揺すった。
「正直に白状したら許してあげます」
「う〜〜〜」
イルカは呻き声をあげてカカシの背に顔を擦り付けてきた。
「ほら、さっさと吐く」
「……そうです」
イルカが小さく肯定した途端、カカシはその体を抱きこんだままグルリ反転して組み敷いた。
「もう一回抱いていい?」
「だ、だめです、死んじゃいます、俺」
「うふふ、嘘ですよ」
カカシは笑うと、イルカをお姫様抱きに抱え上げた。
「お、負んぶでいいですよぉ」
「さーて、さっさと帰って風呂に入りましょ」
「カカシさんっ」
イルカの焦った声がいつまでも森に木霊した。
・・・
二人は英照を蘇らせてしまった廉でそれぞれ罰を受けた。 五代目からさんざん説教を受けた後、イルカは医忍のチャクラと薬で充分治るはずの裂けたアナルを、恥ずかしい恰好をさせられて態々縫合され、そのまま入院させられた。 カカシは、イルカが退院するまで面会禁止となった。
「今のおまえらには丁度いい罰だ。 馬鹿者共めっ」
別れる前、詰る五代目の目を盗み、二人は見詰め合い笑いあった。
イルカは、自分ではできなかった英照に血を与える行為を、カカシが無理矢理の形で自分にさせてくれたと思っているようだった。 その事が自分に対する手放しの信頼に繋がっている事実にカカシは若干後ろめたい気持ちも無きにしも非ずだったが、イルカの嬉しそうな顔を見て黙っていることにした。 英照を逃がす事がそんなに嬉しいのかと、内心は複雑だったが、イルカの気持ちには整理がついている事が感じられ、もし再び英照が現れても、今度はイルカは自分の手を離さないと、何故か確信に近い信頼が自分の中にも生まれていた。
「あの妖魔の元の祠を発掘調査してみたんだがな、祠としての様式も何もなく、幾重にも幾重にも封印と祠が重ねてあった。」
イルカが連れて行かれた後も、五代目はカカシをグチグチと詰っていた。
「当時の人間達が如何に形振り構わずあの妖魔を封じにかかったか、伝わってくるようだったぞ。 それほどあの”英照”は強大な妖力と知恵を持った妖魔だったのだろう。 人間にできる事は封じるくらいが関の山だ。 そうして永い年月をかけて妖力が徐々に衰えていくのを待つしかなかったのに、おまえ達ときたら…」
まったく、と五代目はカカシの前で何度目かの溜息を吐いた。
「またイルカを攫いに来たらどうする気だ?」
「多分、もう来ないような気がします。」
「アイツの前で睦んでみせたからか?」
「ええ」
やれやれ、と言う様に盛大に肩を竦める綱手に向かって、だがカカシは「それもありますけど」と、淡々と続けていた。
「でも、あの時イルカ先生が言ったんですよ。 里が自分を助けるのは自分が篝だからだと。 本当は厄介払いしたい処を、九尾の抑え駒として生かされているんだってね。 俺にはそれが、強ち唯の被害妄想だとは思えません。 もちろんイルカ先生の前では否定しておきましたけどね。 長老会のご意向にどうこう言うつもりはありませんが、また今度のような事がイルカ先生にあったら、次こそイルカ先生自身が里から抹殺されるかもしれない事は、アイツにも伝わったと思います。」
そんなこと、俺がさせませんけどね、とカカシはボソリと呟いた。
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