淋しい兎は狼にその身を捧げ

- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -


25


「俺ね、こんなチャクラも少ないし、腕力も無いし、薬にも弱いしさ、忍としていつも落ち零れで、だから雌扱いなんかされて男に抱かれるしか役に立たないみたいな、そんな生き方しかできないのかなって、ずっと哀しくてさ。 でも、三代目にアカデミーの仕事を貰って、自分なりに生きてきたんだ。 こんなだから誰とも人生を共にしようなんて思ったことも無かったけど、カカシさんの事は本当に尊敬してるし…好きなんだ。 ずっと昔から好きだった。 あの人強いよね。 それに凄く奇麗だ。 同じ人間とは思えなかった。 こんな人も居るんだなぁって、気がついたら好きで好きで堪らなくて、いつも目で追ってたりして…。 カカシさんに求められた時、信じられなかった。」
 そこまで一気に喋ると、イルカはそこでしばらく黙ってまた俯いた。
「ほんとは今でも信じられないんだ」
 だが、ぱっと顔を上げてそう笑った瞳は、潤んで切なく光っていた。
「一回では飽きられなかったけど、いつかきっと俺なんかって、どうしても思っちゃうんだ。 だから、またこんなことしたら、今度こそ絶対嫌われるって、震えるほど恐いんだ。 でも俺、行かなくちゃ。 だってあの子俺の腹から産まれたんだもんな。 俺のこと探してるよな。 行って引導渡すなら渡してやらなくちゃ。 それに英照殿にどうしても聞きたい事もあるし…」
 イルカはそう言うと、その漆黒の髪をきゅっと結い上げ、額宛をきっちりと自分の額に結んだ。
 妖魔と人間を同等にしか考えられない、将にカガリの資質だと思った。
「いいんだ、一人は慣れてる。」
『カカシはおまえを失ったら生きてはいない』
 引き止めなければならない。
「嘘でも嬉しいよ」
『何故そこまで自分を卑下する? おまえはカカシがどんなにおまえを大事にしているか判らないのか?』
「ううん、判ってる。 破格の待遇だったって思ってるよ。 でも、あの人に無理させたくないんだ」
『カカシは無理などしていない』
「ううん、無理、してるよ。 俺だってそれくらい判る。 さっきだって凄く哀しそうに辛そうに俺のこと抱いてた。 俺、カカシさんのあんな顔見るの、もうやだよ」
『イルカ』
「いいんだよ、これで。 元に戻るだけだ」
『おまえを出す訳にはいかないっ』
 堂々巡りだった。 仕方無しに臨戦態勢に入る。 だがイルカは全く殺気立つ事も無く、膝まで着いて目の高さを併せてきた。
「うん、そうだね。 パックンの役目は判ってる。 ね、パックン?」
『な、なんだ』
「ごめんね」
 イルカの手が何かの印を組んでいた。 しまったと思った時は既に金縛り状態だった。 しつこく名前を確かめたのはそういう事だったかと悔やんだが、もう遅かった。
『おまえ、咒を使えるのか?』
「うん、ちょっとだけ」
 そう言うと今度はまた別に印を組み出す。 その印は自分にも判った。 カカシが家の周りに張った結界術の改印の並びだった。
『何故おまえがそれを知っている?!』
「え? これ?」
 イルカの方が吃驚したように自分を振り返る。
「だってこれ、俺が考案した結界陣なんだもの。 知らなかったの?」
 なんでもないように言う様は本当に無邪気な子供のようだった。
『おまえはいったい…』
「この八年間、暇で暇で仕方なかったんだもの。 俺みたいなチャクラの少ない中忍でも使えるような術や道具の開発ばかりしてたんだ。」
 まさかカカシさんが使ってるとは思ってなかったけど、とイルカは少し自虐的に笑った。 だが、パックンはその時全てを諦めた。 確かにチャクラも力も無い、自分に何も敵わないだろうこの人の忍は、叡智でそれらを凌駕して余りあった。
『この次は足も縛り、薬で眠らせるようにカカシに進言しよう。 結界は別のものを使うようにとも』
「うん…、この次があったらいいね」
 イルカはそう言うと、哀しそうに笑って部屋を出ようとした。
『ちょっと待て、一言だけ言っておく』
 自分でもやっと解ったことだった。 イルカは振り返らず、黙って扉に手を掛けたまま待っていた。
『カガリに会った妖魔はな、二度と会わなかった元には戻れないのだ。 殺すこともできず喰らうこともできず、かと言って忘れることもできない。 カカシも同じだ。』

 そうだ、サクモもそうだった。 あの時サクモはあのカガリに心を奪われた。 そして偶然里でカガリそっくりの男と出会ってしまった。 その男は事もあろうに九尾の妖狐のモノだった。 九尾に供犠され、生還した男。 そのまま妖狐の情人となったという噂だった。 サクモの失望を絶望に変えた男。 12年前、妖狐襲来の切っ掛けになった男だ。 カカシも知らない事だった。 イルカはあの男の息子だ。 間違いない。 海野はカガリの一族なのか。 カガリが遺伝するなどと聞いたこともなかったが、一介の中忍にここまでする里の意向にもやっと合点がいった。 それにしても、なんと因業の深いことか…。 

 イルカがチラとこちらを振り返った。 その瞳がゆらりと揺らめいて、イルカの迷いを伝えてきた。
『カカシはおまえの言う通り強い。 今までのヤツの人生は、仲間全てを殺された最後の狼のそれだった。 だがおまえに会った。 おまえはカカシの手を取った。 喩え一瞬でもヤツの手を取ったなら、おまえにはその責任がある。 おまえはおまえ一人が身を引けばそれで全て元通りになるとでも思っているようだが、それはおまえのエゴだ。 そこのところをよく考えろ。 おまえはヤツにとってもカガリだ。』
 イルカは俯いたまま長く黙り込んで動かなかったが、やがて何も言わずにふっと居なくなった。 イルカの悲惨な人生も哀れんで余りあったが、今言わなければ恐らくイルカは一生このままだろう。 カカシのために変わってくれと、心から祈った。 カカシに、サクモの二の舞だけは踏ませたくなかった。




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