淋しい兎は狼にその身を捧げ

- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -


24


「あの部隊のテントでの最後の晩の夢だよ。 英照殿がいた。 俺に、何故八年もかけてこんな回りくどいことしてきたのか話してくれた。 夢でね、俺が判らない事を問うと英照殿が答えるんだ。 無意識下の俺の記憶に答えまで仕舞われているのかなって最初は思ったんだけど、なんだか違うような気がしてきて。 そしたら英照殿が、自分は森に封じられてしまってもう力も無いけど、俺が眠ってる間だけ意識に干渉できるんだって言うんだ。 それで俺にこれからどうしたいか自分でちゃんと考えろって…。 あの子が生きてるのも判ったし、俺、英照殿にももう一回会いたい。 あの子にも」
『おまえは、今の自分の境遇に不満なのか?』
「違う…、不満なんてない、違うんだ。」
『じゃあ何だ』
「ねぇパックン、篝って知ってる?」
『……知っている。』
 一瞬、全身に鳥肌が立つような感覚に襲われた。
 そうか、そうだったのか。
 どうしても解けなかった結び目が、スルスルと解れていくような気がした。
「そう。 おまえも霊獣だもんね。 篝ってどんなもの? 英照殿が説明してくれたけど、俺よく判らないんだ。」
『昔一度、会った事がある。』
「へ…えー、どんな、どんな人? いつ会ったの、どこで?」
 それまで淡々と話していたイルカが、急に身を乗り出してきた。 まるで生き別れの親兄弟の話しでも聞くように目を輝かせる様が哀れだった。 なんと淋しい子なのだろう、と。
『俺がまだサクモの召喚獣だった頃だ。 里の外縁の森で会った。 会ったというより遠くから見かけただけだが、カカシも一緒だった。』
「サクモって誰?」
『カカシの父親だ。 カカシがまだ幼い裡に自害して果てた。』
「え……、そうだったんだ…」
 イルカは目を見開いた。 恐らく、カカシの身の上についての情報は初めて聞くのだろう。 自身が間違いなく幸薄い人生だったはずの男は、今最も身近にいる者の悲しい過去をどう取ったのだろうか。
『カガリを見たのは、サクモが死ぬ直前だ。 サクモは…、まぁ色々あってな、根っからの戦忍で里に長く居た例がなかったような奴だったんだが、死ぬ前の一年ほどを里で過ごした。 その頃、カカシを頻りに連れ出しては自分のありったけの知識や技を教えていたのだ。 カカシもあれほど長く濃厚に父親と過ごした一年はなかったろう。 ヤツにとっても特別な一年間だったと思う。 そんな時に森で偶然、巨大な白虎に出くわしたんだ。 若い男を連れていた。 そういえば少しおまえに感じが似ている。 サクモは一目見て、アレはカガリだと言った。 そして、カガリを連れた妖魔には決して近付いてはいけない、とカカシに教えていた。』
「そう…」
 イルカの真摯な眼差しが、唯の忍犬の自分に注がれる。 そのひたむきさ。 自分の主人も、この瞳にヤラレたのかと思った。 主人はその上、この男の心の声が偶に聞こえるのだと言っていた。 全て許された気がする、と一回だけ漏らしたことがあった。
『俺としたことが気付かなかった。 おまえ、カガリだったのか』
「……うん、英照殿はそうだって言うんだけど」
 イルカは俯いて、暫らく考え込むように沈黙した。


 カガリ
 力の増幅者
 妖魔にとってのディーヴァ

 カガリは人間であるにも拘らず、妖魔と人間を同等に見、分け隔てて考えられないと言う。 それが人間社会に措いて自身の地位を脅かすことになっても、本人にはそれをどうする事もできないのだ、と。 そうだ、イルカはあの九尾の器、ナルトを庇っているのではないのだ。 イルカにとってはそれが普通で当たり前の対応なのだ。 だがナルトは、そして妖魔は、そこに一縷の希を見出す。 この人間を得られれば自分は大丈夫だ、と。 普通の人間と違い、カガリと心を通じ合わせる事は不可能ではない。 そしてカガリを得られれば、妖魔は殆ど無敵になれる。
 霊的存在の者達にとって、カガリは至上の宝だ。 妖力を増大させるだけではない。 生きるための捕食の軛からも解放され、心の安寧も得られると聞く。 妖力の維持・増大のためには霊力の高い生き物が必要だが、妖魔の餌である生き物の魂の質がこのところ急激に劣化している。 特に人間はその最たる種族で、質より量とばかりに生態ごと多くを喰らえば、或いは生き延びるには足りるだろうが、それ以上は望めない。 より妖力を高め高位の妖魔になることを望むなら、やはり霊力の高い生き物、即ち妖魔同士で喰らい合う方が効率がよかった。 リスクを冒してでも上を望むか、隠れて暮らすかの弱肉強食の日々だ。 だがカガリと番えれば、交わるだけで満たされ妖力も上がる。 カガリは妖魔にとっての泉なのだ。 自然、争いを避けるようになり、心の安寧も得られるだろう。 カガリと愛し合い、精神的にもより安定する。 人間のような短命な生き物と違い、何百年も生きる霊的存在の妖魔にとって、精神的安寧は力よりも貴重なものと言えた。
 ただ、カガリとは強引に番えない。 無理矢理犯せばカガリは弱ってやがて死ぬと聞く。 カガリ本人の意思が必要なのだ。 それにカガリは人としては非常に短命だと言う事だった。 妖魔にとってはほんの僅かな期間しか生きないカガリに遭遇する事そのものが、千載一遇の機会なのだ。 出会えただけでも幸運なカガリに出会ってしまった妖魔が、形振り構わず口説くのは当然の事だろう。 強引に我が物とするのではなく、カガリの意思を尊重し、ひたすら請い願うのだ。
 英照がそうっだのだ。 何故イルカを生かしていたか、何故ここまで執着したのか。 判らなかった理由がはっきり見えた。 英照が八年もの年月を掛け、窮地に陥った今でさえ二の足を踏んでいた理由もそこにあったのかと、霧が晴れたような気さえした。 そう、イルカがカガリであるならば…。

 サクモが出会ったカガリは、妖魔の間ではかなり有名らしかった。 増幅能力が格段に強いらしい。 そもそも番った相手の白虎は、百年ほど前まではこの大陸一の大妖魔だった。 だが、カガリを人間社会から連れ出す寸前に一悶着あって、直ぐには回復できない程のダメージを負い、今やカガリを連れてひっそりと大陸から大陸を渡って歩いているという話だった。 巴の国では未だに人間の間でも語られている、大妖魔白虎の城落としの言い伝えだ。
 空を覆い尽くすほどの巨大な白い虎。 時の支配者の城。 その天守にも劣らぬ高さの庭の杉の木。 その天辺に鳥でも泊まるように乗っていたのだと。 そこから片腕で城を半壊させ、奪われたカガリを取り戻して逃げたのだと聞いた。 その時白虎に一撃を喰らわせたのが、あの九尾の妖狐だったとも聞いている。
 そのカガリは白虎と番い、百年の時をほとんど老いる事無く生きてきて、あの日カカシ達の目の前に現れたのだ。 黒い髪、黒い瞳の男だった…。


「ね、篝を連れた妖魔って危険なの? 篝がそうさせるの?」
 決して近付くな、と言う教えについての疑問なのだろう。 イルカは必死の風で問うてきた。
『カガリは妖魔の力を増幅させる者だ。 カガリを伴っている妖魔には、人間など決して敵わない。 カガリと番った妖魔は魂と魂で深く繋がり、お互い無しでは生きられなくなるが、代わりに強大な力を得るのだ。 カガリに危害を加える物が現れれば、相手が妖魔だろうが人間だろうが容赦はしない。 だが、カガリを得た妖魔は大抵においておとなしく争いを避けるようになる。 だから近付かなければ襲われることはない。』
「そ、そうなんだ。 人間の敵って訳じゃ…」
『ない』
 イルカはやっと、ほっと吐息を漏らした。
「番うっていうのは? 契ること?」
『まぁ人の言葉としての表現はそんなところだ。 人間のような体だけの交わりではないがな。』
「妖魔と契るとどうなるの? その具体的に、何か変わる?」
『…例えばな』
 夢で英照に自分と契ってくれとでも言われたのか。 イルカは相変わらず感情が読み易かった。
『おまえが英照と契ったとする。』
「う、うん」
 イルカはコクリと喉を鳴らした。
『おまえと英照の魂は、一時的に完全に融合する。 そのままだとおまえは英照にただ喰らわれただけだが、そのあとまた元の体に戻り二つに分かれればおまえたちは番だ。 おまえの体は変化する。 見た目は変わらないがな。 半分は妖魔になるのだ。 そうなるともう人間社会では生きてはいけない。 人間より余程永く生きるようになるし、老いも遅れる。 元より番の相手がおまえを離すはずがない。 おまえも相手と離れられない。 お互いがお互い無しでは生きていけなくなるのだ。 おまえ達は共に半永久の時を、あちこち彷徨いながら生きることになるだろう。 人間を捨ててな。』
「人でなくなるの?」
『そうだ』
「俺、男だけど、関係ないの?」
『魂と魂の交わりだ。 性別は関係ない。 体で交わる時の違いくらいだな』
「そうなんだ…」
 深く頷いて物思いに耽るイルカを見て思う。 これで英照との関わりを絶つ気になってくれただろうか、と。 妖魔と契るなど、決して人間が簡単に選べる道ではないと、解ってくれただろうか。 もう英照に会いに行きたいなどと、言い出さないでくれと唯々祈った。




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