淋しい兎は狼にその身を捧げ

- A Lonesome Rabbit sacrifices himself to the divine Wolf. -


16


 今、イルカは自分の腕の中にいる。 かつてカカシがそう望んだように、情事の後の気だるさを纏ったまま、朝日を浴びて愛しい者が己の腕の中で眠る顔を見ているのだ。 その幸せを噛み締めて…

 と言いたいところだったが、昨夜の情事はそんな甘いものにはならなかった。 そういう目的で初めてイルカを閨に連れ込んだカカシは、猛烈な抵抗に遭って体のあちこちに痣を作る羽目になった。 イルカはおとなしくカカシの家に付いて来て、おとなしく共にベッドインしたくせに、いざカカシが愛撫を施し始めると、嫌だ止めろと泣き叫んで暴れ出したのだ。 裸で抱き合っておいて、今更それはないだろうと、カカシは腕力に物言わせてイルカを組み敷いた。 両手首を一絡げにして頭上に押さえつけ、乳首に噛み付くように吸い付いて、空いた手でもう一方の乳首も捏ねると、イルカは啜り泣き出した。
「や、やだ、うう、ふ、やだぁ」
 やだやだ、とまるで子供が駄々を捏ねるように嫌がるイルカに、カカシはほとほと閉口した。 初心を装って気を引くような要素はイルカにはこれっぽっちも無い。 何人もの男に抱かれていた事は周知の事実だったし、イルカは全くそれを隠そうとしなかった。 そもそもカカシは、今回は関係者と言っていいほど深くこの事件に関わったのだ。 知らないはずがないことは充分判っているはずだ。 一応の抵抗を見せてこちらを煽るつもりなのかとも思ったが、どうやら本気で嫌がっているらしい事を、カカシは自分の頬にイルカの足の裏を感じながら悟った。
「なんでそんなに暴れるの? その気で付いて来たんじゃないの?」
「そうだけど、こ、こんなのやだっ」
「こんなのってなに?!」
「こんな…、あちこち触ったり、な、舐めたり吸ったり、やだっ!」
「なめ…って、だってこれは愛撫ですよ? するでしょ普通」
「しないっ」
「あんた、今まで何人に抱かれてきたの? されたでしょ?」
「されないっ!」
「はぁ?」
 カズキは少し、したがったけど、とイルカはドモリながら言い募った。 隊の男達は禍蛇を落とすためにイルカを抱いた。 ただ突っ込み吐き出して、それで終わりだ、とイルカは言う。 男が男を抱くってそういうもんだろ、と言って聞かない。 愛撫だとか、キスだとか、そんなのしない、と言い張った。
「嘘ですよ、あんたの体中にキスマークあるの、俺見たもの。 アレはなんだっていうんです?」
「そっちの方が嘘ですっ キスマークなんて誰もつけなかったもん」
「もんってあんたね、じゃあの時の体中の鬱血はなんだったんですか?」
「あの時っていつですかぁ」
「あんたが薬で苦しんでた時ですよ」
「あの晩…、なら手とか指とかの圧痕です、きっと。 彼らは禍蛇が落ちる前はちょっと乱暴っていうか、力任せに体を掴むので、その時ついたんだと思います。」
 ”圧痕”
 さすが教師ですね、イルカ先生…、と何か心が黄昏る。 ベッドの中でお互い裸という状況で、色気の無い講釈を聞かされたのは初めてだった。
「じゃあアレは? 手形が腰とか腕とかいっぱい付いてたけど、一度に何人も相手に乱交…みたいなことは」
「ら…、な、何言ってんです、一度には一人づつでしたって言ったじゃないですかぁ。 彼らは何人か一度には来て側に居たことは居ましたけど、外を見張りしたりとか自分達同士を見張ったりとか、全然そんな酷いこと俺にしたことないですよっ 落とす前はちょっと乱暴だけど、本来は優しいヤツばっかりで、そんな、そんなこと…」
「…」
 感情が激したのか、少ししゃくりあげるようにしてイルカは言葉をとぎらせて、黙って見つめるカカシ見返した。 そうして呼吸を整えるように暫らく胸を上下させた後、訴えるように言い募った。
「禍蛇を落とすだけが目的なんですよ? 挿れて出せばそれで終りです。 だいたい男が男を抱く時なんて、そんなもんでしょ?」
 カカシは唐突に理解した。 この人は17歳で精神面での性的発達が止まってしまっているのだ。 俺なら17の時は相当だったがこの人は、この人は、殆ど何も知らないまま、愛あるセックスも知らないまま今までずっと…
「そう…」

               ・・・

「そう」
 カカシはそう言うと、にへらっと笑った。
「じゃ、イルカ先生、今までセックスらしいセックスってしてこなかったんだ?」
「セックスって…、カズキはちょっとしたがったけど、でも、俺嫌だったから…、あっ カカシ先生っ」
 カカシはお構いなしに愛撫を再開し、またイルカの胸に顔を埋めた。
「だから、やだって、やだ、やめっ あ、い、痛いっ」
 何時の間にか体はカカシの体重で押し付けられ、両腕はカカシの片手で頭上に縫いつけられていた。 イルカが幾ら暴れても、的を得た寝技とでもいうのかビクともしない。 体術でカカシに敵うわけないんだ、とイルカは半泣きになった。 カカシは嬉々としてイルカの乳首を吸っている。 そんなもの吸って何が嬉しいんだ全然判らん、と思ったが、体がその思いを裏切り始めてきているのに焦ってもいた。
「あ、や、やだ、ああっ」
 カシっと先を噛まれた時、腰までゾクっと電気が走ったような感覚に襲われた。 その後からは、カカシの舌にも指にも唇にも体が反応した。 カズキもしたがったが、カズキの時とは全く違う感覚だった。 カカシの指だと思うだけでイルカの体は仰け反った。
「感じてきた?」
 舌舐めずりをする猛獣の顔をしたカカシが胸の上にせり上がってきてイルカの首筋を舐め上げる。 それだけでゾクゾクと体中に震えが走り、引き攣るように強張ってしまう。
「やだ、やだぁ」
 自由の利くのは頭だけで、それも嫌々と振るくらいしかできなかったがイルカは必死でそれをした。 目尻に涙が溜まってきていて、振る度に顳を伝ってしまうのが悔しくて仕方がなかった。 カカシが伸び上がってそれを舐める。 それをまた頭を振って抵抗した。
「腕、離すけど、暴れないでね」
 カカシの顔が笑っている。 暴れてもいいよ、と言っている。 そっと離されても暫らくは痺れて動かせない程だと言うのに、カカシがどうだと言わんばかりにイルカを見、接吻けてきた。 カカシの接吻けは初めてではなかったが、もう接吻けられてもいいのだと思うと別の不安に襲われ、またイルカは抵抗した。
「いででで」
 気が付くと両手でカカシの頬を摘まんで引っ張っていた。
「イルカ先生」
 起き上がって頬にぶら下がるイルカの両手を掴むと、カカシはそれを口元に持っていってちゅっと接吻けそのまま口中に導き入れる。
「そんなに抵抗されると俺、別の趣味に目覚めそうでコワイ」
 いやらしくイルカの指を舐めながらカカシは色を含んだ目でうっそりと笑った。
「べ、別の、趣味って?」
「あんたがやだやだって言って泣くと燃える」
「や…」
 イルカは、やだ、と言いそうになって慌てて口を噤んだ。
「あんたのこうやって暴れる手を押さえつけてスルのって、興奮する」
「カカシ先生っ」
 イルカは思わず叫ぶようにカカシの名を呼んでいた。 情けないが、もう唯止めてくれと懇願したかった。 自分の体が自分では知らない、何か制御の利かないモノになっていくようで恐かった。 だがカカシはちょっと眉を寄せるとイルカの両手を顔の両側に縫い付けて、上からじっと顔を覗き込んできた。
「ねぇイルカ先生、その呼び方止めましょうよ」
「呼び方?」
「そう、カカシ先生っていうの」
「カカシ先生だって俺のことイルカ先生って呼ぶじゃないですかぁ」
「俺はいいの。 あ、でもセックスしてる時はやっぱアレかな…」
 そういって虚空を見つめ何かににんまり酔っているカカシの顔を、イルカは暫し訝しげに見つめて首を傾げた。

 へんな人だ。
 時々何を考えているかさっぱりわからん

 と思った時…
「イルカ」
 突然カカシがイルカを呼び捨てた。
「イルカ」
 ドクっと心臓が跳ね上がる。
「イルカ、おまえを抱く、覚悟しろ」
「カ、カカシ先生ぇ」
 欲に塗れた猛獣の顔をしたカカシに呼び捨てられ、命令口調で迫られて、イルカは泣きべそをかいてカカシの名を呼んだ。 確かに自分はこの男に我が身を差し出した。 犯されても喰らわれても文句は言えない。 だけれども心細くて仕方がないのだ。 しかも縋る相手は目の前のこの男しか居ない。
「ほらほら、その呼び方止めてって」
 だがカカシは、次の瞬間にはいつもの飄々とした雰囲気で、嗜めるように諭すように、あやすように優しい口調をする。
「う〜」
 どう対応していいのか、イルカにはもう判らなかった。 もうどうとでもなれ、という気になってくる。
「カカシって言ってみて」
 イルカはブンブンと首を振った。 上忍を呼び捨てになんてできるもんか、と歯噛みする。
「いいから、ほら、言ってみて」
「やだっ」
 だが、その上忍に対してかなり失礼な受け答えをしている事にイルカは気付かない。
「もう、イルカ先生ったら、じゃあね、カカシさんって、ね、これなら呼べるでしょ?」
「カ、カ、カカシ、さん」
「まぁそれで合格にしてあげる。 はい、もう一度」
 でも優しく諭されると弱いのだ。 イルカは鸚鵡返しに繰り返した。
「カカシさん」
「ん」
「カカシさん」
「んん、いいねぇ」
「もうやだぁ」
「…イルカ先生ぇ」
 呼び名一つで嬉しがり優しい気配を漂わすカカシに、今なら聞いてくれるだろうかと訴えてみたが、カカシは呆れたような声を出してガクリとイルカの体の上に頽れてきた。 だがすぐ、その背中がヒクヒクと揺れ、喉の奥からくっくっと笑う声が耳元で聞こえてくる。 よく笑う人だ、と思う。
「もう一個思い出した。 あんたにどうしても言わせたい事」
「な、ななななんです、か?」

 今度は何なんだ。
 カカシがまた、にへらっと笑った。




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